モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
繋がり
南から来た行商人が、変わった商品を引き連れて訪れた。
その時目を引いたのは赤い粒二つ。
待ち針の様なそれを手に取ると、お目が高い。と言われた。
待ち針らしき物は先が尖っておらず、途中で一部だけ細く加工されている。
止め具があるので、そこで引っ掛かる作りなのだろう。
使い道の分からない品だ。
「これは何ですか」
「珊瑚です」
「珊瑚……」
綺麗なそれは物欲を駆り立てる。
私にもまだ物欲などあったのかと思いながら値段を聞いて、告げられた値に内心で驚愕する。
しかし赤の珊瑚はあまりにも神秘的で、私は暫らくは切り干し大根で食い繋ごうと心に決めた。
部屋を訪ねてきた薬売りが、棚に飾っていた珊瑚に興味を持ったのは昼過ぎ。
夏にしては涼しくて、部屋で書物を読んでいた時のことだった。
「これは?」
「赤珊瑚だと」
「綺麗、ですね」
そう言って、窓辺に近づいて光の下で色合いを確認する。
子供っぽい表情をする薬売り。
私もこれを買う時こんな顔をしていたのだろうか。
「西明」
「売らないぞ」
先に言えば、拗ねられた。
しかしそんな表情をしたからといって、女子の様に絆されたりはしない。私だって本当に欲しかったから日々の食費を削ってまで買ったのだ。売る気など毛頭ない。
諦めたのか諦めていないのか、薬売りは何かを思いついたらしく私の前にいそいそと正座した。
怪しい。
机に片肘ついて頬杖を着く私は身体を捻って薬売りと向き合う。
「西明は、これが何か、御存知で?」
「珊瑚だろう」
「そう云う事でなく、ピアスだと、知って、買ったの、ですか?」
いつも以上に区切って、含みのある笑い方。
知ったかぶりをすれば挙げ足取りな態度を取ってくるし、知らないと素直に答えれば何か言ってくるに違いない。
二択しかない中で、前者を選べば後々墓穴を掘るのが目に見えているのが悔しい。こいつが望んだ回答しか出てこないおつむの弱さに自己嫌悪だ。
「珊瑚に惹かれたので、使い道など聞いてもいない」
「宝の持ち腐れ、ですね」
「そうかもな」
「これは装飾品、ですよ」
言われて、想像する。
刺して止める形の物だから、衣類に刺して飾り付けるのだろうか。
こんな小さな粒で?
ちょっとした変化を楽しむものだろうか?
「耳に、付けるんですよ」
「耳?」
どうやって、と考えて、背中が粟立つ。
いや、まさか。
そんな。
「耳たぶに、ぶすり、と刺すんですよ」
にやりと笑顔。
背中を冷や汗が伝う。
「貫通、させて、この止め具で、固定」
外していた止め具をカチリとはめる薬売り。
耳たぶを貫通する金属を想像して、ぞっとした。
這うようにして下から私を見上げる薬売りに顎を引いた。
悔しながら、腰も引く。
それでも距離は開かず、むしろ這いながらにじり寄ってくるから距離は縮まるばかり。
畳についた手を握られた時にしまったと思ったがもう遅く、手をぐいと引っ張られる。
強か背を打ち付けて、息が詰まる感覚。
反射的に閉じた瞼を上げれば、そこには薬売りの顔が至近距離で存在した。
「西明」
人の腹に腰を落ち着けて、楽しそうに笑うそいつに腹が立つ。
しかし腹に座られては何も出来ない。
唯一可能な睨む事だけをしたが、それしか出来ない己に更に腹が立った。
「痛いのは嫌だ」
「大丈夫、ですよ」
「何を根拠に」
「西明なら、痛みも快楽に、変えられます」
「戯言を。痛いものは痛いに決まっている」
顔が近づいてきて、それでも睨んでいると薬売りは耳に口を近付け、囁きかけてくる。
「人の下で、乱れていたのは、誰だったか」
吐息が耳にかかって、更に衣類の上からついと脇腹を撫でられれば嫌でも情事を思い出してぞわりと粟立つ身体。それらを誤魔化すように睨み付ける。
言い返さないのも癪で何か言おうと考えるが、焦り慌てた脳では碌な事が思いつかない。
その無様さに、面にこそ出さないが悔しさを覚えた。
何か、言わなくては。
「貴様だって同じだろう」
「俺が、ですか?」
「人の中に突っ込んでキツいと顔を潜める癖に達せるのだから、痛みが好きだと見える」
昼下がりから何を言っているのだと自己嫌悪に陥りそうだが、下品な話にはこれくらい返しても悪くないはずだ。
薬売りは私の発言に驚いているのか、間抜けな面をしている。
間を置かれると流石にバツが悪い。
「いい加減に人の上から退かないか」
「では、こうしましょう」
退けというのに退かずに、笑顔を向けられた。
「お互い、一つずつ、開けましょう」
「結局開けるのか」
「これでも妥協案、ですよ」
「妥協したくないのだが」
「西明は、俺を甘やかしてくれるのでしょう?」
知っていてやるのは質が悪い。
そう思うけれど、そろそろ折れるべきかと思う自分も居て。
結局私は薬売りに弱いのだ。
薬売りの我儘をある程度まで妥協させたら、こちらはそれに従う。
いつもそうだ。
「仕方ない」
そう一言告げれば、薬売りは満足気に笑って退くと、私の腕を掴んで起こしてくれる。
「西明は、左耳で、良いですか」
「構わない」
「では、はい」
一つのピアスを渡される。
自分で開けろというのか。
自分で自分を傷つけろと?
自傷行為など出来る訳がない。
「西明」
前を向けば、耳たぶに男の手が触れた。
冷たくて、少し気持ち良い。
「耳たぶの真ん中で、良いですか?」
「ちょっと待て」
「はい」
「お前が開けるのか」
「自分では、良い処に、開けられない、でしょう?」
「では、私は」
「もちろん、俺の耳、ですよ」
無理だ。
人を傷つけるなんて出来る訳が無い。
なのに男はやれと言う。
身体から抜ける力を奮い立たせて、男の耳に触れる。
どこにつけようか。
尖った耳。
単純に耳たぶにつけると薬売りの髪に隠れてしまう。
色白の肌に色素の抜けた髪だ。
赤珊瑚は、きっと栄える。
耳のちょうど真ん中辺りの高さに決めて、そこに止め具を外した針の先を固定する。
薬売りも、私の耳たぶに針を当てた。
「一気にやるぞ」
「じわじわやられたら、堪りません」
「せーのでいくぞ」
「はいはい」
一度深呼吸をして、覚悟を決める。
「「せーの」」
痛みは最初こそ無かったが、後からじわじわと輪を描いてくる。
「痛い」
「俺もです」
互いに見合う。
もちろん視線の先は耳。
色彩の少ない髪や耳辺りに、紅一点がある。
「まるでお前の為にあったみたいだ」
「西明にも、似合い、ですよ」
「世辞は要らん」
黒髪黒目の黄色人種。
着物も黒が多い。
それなのに赤が似合うとは思えない。
「西明」
耳たぶを貫通するそれの珊瑚の部分を撫でていると、薬売りは何故か嬉しそうに笑っている。
もしやこいつ、痛みを快楽に変えられる真性の変態か。
「俺達は、夫婦茶碗は、持っていません」
「夫婦ではないからな」
「しかし対の物をつけるのは、鴦みたいでは、ありませんか?」
「ほざけ」
鴦は仲が良い夫婦の喩だ。
私達は夫婦でもなければ、特別仲が良い訳でもない。
しかし私達の間には何もない。
別に目に見える安心欲しいわけではないけれど、薬売りがそれを欲するならば何かの繋がりとして、この装飾具を身につけるのは悪くないかもしれない。
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