モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
誕生日:柚胡椒様
皐月晴れなのか梅雨明けで初夏の訪れなのか、どちらにしろ麗らかな午前の事。
戸という戸はすべて全開で、風は家中を徘徊していた。
中でも一等風の通り道になっている客間に西明は仰向けに倒れている。
畳の目を時折指先でついと撫でていた手はパタリと床に倒れ、焦点の定まらない視界はゆっくりと狭まり、闇に染まった。
瞼をぴたりと閉ざしてしまえば、もう開かれることはない。
心地好い気温と風は身体の自由を奪ってゆく。
洗濯はした。食器も洗った。
今日は特に此れといってやる事もない。
こんな田舎の、極一部の人間しか知らない辺鄙な骨董屋では、客が来ないのは日常で、客が来るのは非日常である。
商いを生業にしていてそれはかなり問題かもしれないが、西明は別段気にする様子もなく、毎日を過ごしていた。
風鈴が澄んだ音を奏でる。
先日、憑き物だからとこの家に遥々やってきた一品だ。
変わった品が増えるのは骨董屋に取ってありがたい事だが、憑き物では話が変わる。
八百万の神がいるこの世界。
行き先の無い神々は此処に流れ着いて、寝床にする。
そして眠れずに暇を持て余した神々は、たまには人の子と関係を持ちたいらしく西明に様々な要求をする。
それは話相手を、日干しを、倉庫の換気をと、様々な要求だ。
西明は甘やかすつもりはないらしいが、いつも強請られたら仕方ないと受け入れていた。
そして今、風鈴は風に当たりたいと我儘を言ったので、一等風通しの良い場所でご機嫌に音を奏でているのだ。
寝るのか。
ちりん、と音が空気を揺らす。
西明は瞼を開けないままに、寝たいのですよ。と返した。
つまらん。
耳障りな甲高い音に、西明は眉根を寄せた。
「よして下さい。その音は嫌いです」
おお、それは良い、起きろ。起きろ。
風鈴は風が凪いでも音を鳴らす。
西明はいい加減我慢ならないのか、瞼を開いた。
起きるか。
「部屋を移動します」
なんと!薄情な奴だ。ようやっと見つけた声が聞こえる相手に喜びを感じているこちらの心情が分からないでか!
起き上がった西明は眠気がとんだのか、溜め息を一つ吐いて、部屋から出ようと歩み出した。
この薄情者!
「喉が渇いただけですよ。すぐ戻ります」
そう云えば、奏でられた音は先程までの乱暴さはなく、耳心地良い、清涼感を含んだものだ。
西明は瓶から水を掬い、喉を潤した。
カラッと晴れた今日、身体の水分が蒸発しているのではないかと疑いを持つ程だ。
息を吐いて玄関先を通って部屋へ戻る最中、西明は勝手に家に上がっている人間を見つけた。
「おい」
声をかけると、不審者は大きな背荷物をガチャリと鳴らして振り返った。
「お久し、ぶりです」
極彩色の衣裳に、深紅の隈取りの男。
西明は本日二度目の溜め息を吐いた。
まだ日光が燦燦と降る真夏ではない。
常は真夏に訪れる男は、まだ初夏の訪れを僅かに感じる程度の今、姿を見せている。
「早くないか」
「まるで、都合が悪いような、言い方、ですね」
「都合は悪くないが」
「が?」
ちりん、と音が鳴る。
男は音のした方を向いた。
「風鈴、ですか」
問い掛けには生返事が返ってくる。
珍しい。と男は言った。
西明は否定もせず、理由も語らなかった。
風鈴を鳴らすと寝ている神々が起きて騒ぎだしたことが以前あって、それ以降西明は風鈴を倉庫にしまってしまったのだ。
なのにまた今頃になって、それも季節を少し早取りして鳴らされる風鈴。
西明は茶をいれてくる。とだけ述べて、姿を消した。
薬売りは風鈴のある部屋に腰掛けて、外を眺める。
濃くなった緑。青の紫陽花。
そして紫陽花より際立つ、青の空。
風鈴がチリン、と短い音を立てる。
その音と共に現われた西明は、風鈴を一度睨んで、それから盆を机に置いた。
湯呑みの中に入っている茶がゆらゆらと波を作り、映す世界を歪ませる。
心境を表すそれに、風鈴が嘲笑うかのように一際大きく音を奏でた。
西明は自分を落ち着かせるように一息吐いて、男の前に座る。
「薬売り」
「はい」
「突然来た理由は何だ」
薬売りは微笑を浮かべたまま、何も言わない。
元より自由奔放な生き方をしているのが薬売りだ。それが突然訪れたかといってさして驚くべき事でもない。
だが今回はいつもと違う。
いつもは何があっても必ず一声かけてから家に上がる男が勝手に入ってきた。
見た目同様、中身も変わらない男が変わった行動を取る時は必ず何かがある。そう西明は確信しているので、男の意志を尊重する為に突然、季節違いに来られても拒みはしない。
元より、拒む理由を西明は持っていないのだ。
しかし風鈴は薬売りを見るのも初めてで、また他人を簡単に通して好きにさせている西明に、先程から不気味なくらい静かだ。
まるで何処かの出歯亀好きのように声を潜めて二人の動向を伺う風鈴に西明は失笑するしかない。
暇な神々は、何でも良いから面白可笑しく出来る話題が欲しいようだ。
「西明」
「何だ」
薬売りはきちんと正座して、背筋を伸ばしている。
対する西明も、同じ格好。
薬売りは穏やかに笑った。
「産まれてきてくれて、ありがとう、御座います」
突然の訳の分からない発言に西明は眉根を寄せる。風鈴も、もし人の身体を持っていたならば間違いなく訝しげな表情をしているだろう。
「今日は、西明の、誕生日、ですよ」
西明は表情を驚きに変える。
この時代は数え年、つまり産まれた年を一歳、新年を迎えて皆一斉に年を取るのが主流で、産まれた日など覚えられていない。
「よく知っているな」
本人も忘れていたことなのに。と西明が続ければ、大事な日なので、と返された。
「私の親も覚えていなかったはずだが、何故知っている」
「見たんですよ」
「何を」
「西明が産まれる瞬間を」
驚愕を隠さない西明に、薬売りは楽しそうに語り出す。
「これが人間かと思わされる姿でしたね。誠猿みたいで、産まれて周りが安堵した瞬間にわんわんと泣き出して」
こんなに饒舌に語る男だっただろうかと、西明は混乱する思考の中で冷静に判断していた。
それと同時に、見た目己と年の変わらぬ相手の実際の年齢を想像して、想像が及ばないと思った。
「私が産まれた時に薬売りは居たのか。此処に」
「はい。勿論」
何故勿論なのかが聞きたかったが、西明は口を閉ざした。
「本当に小さくて、毎年成長が楽しみでした」
「それで毎年来ているのか、暇人だな」
「趣味への労力は、厭わないので」
薬売りはしなやかな腕を伸ばして、白魚の指で西明の頬を撫でる。
慈愛に満ちた表情に、西明は少し視線をずらした。
「大人になられた」
「私が産まれるより前に産まれている薬売りからすればほんの子供だ」
「そんな事は、ないですよ」
頬を撫で、首の後ろに流れた手は首の付け根にあたり、ぐいと西明の身体を引き寄せる。
その身体は女性のようにしなやかだが、肉付きはそこまで豊かではない。
まるで痩せ細った猫を抱いているような感覚は西明の存在をあやふやにさせる。
今にも溶けて消えてしまいそうな存在を確かめるように、薬売りは腰がしなるまで強く抱いた。
「産まれてくれて、ありがとう御座います」
なんと返せばよいのか分からない西明は風鈴の音に顔を赤くする。
家族間ですら誕生を産まれた時こそ祝うが後は何もしない。
今は独り身の西明は自分のことには無頓着で、さらに周りも他人の西明のことなど見た目だけで年齢は判断しているし、祝うこともないのが当たり前の時代。
なのに今になって祝われるなんて、思ってもないことだ。
「それから」
「……」
西明は聴覚に全神経を集中させる。
後頭部を押さえる手は髪を撫で、腰を抱く腕は着物も身体の境界線も邪魔だと思わせるくらい強く抱く。
息が詰まりそうな程胸を締め付ける感情に、西明は翻弄されるしかない。
「生きてくれて、有難う」
流行り病で御仏になってしまう者が少なくないこの時代。
生きていることが奇跡だと云うように薬売りは柔らかく言葉を風に乗せる。
西明の鼻の奥が痛くなる。加えて喉が砂漠の砂を飲んだようにカラカラに乾いて焼けるようで、熱を孕んだ吐息が漏れた。
視界がぐにゃりと歪んで、薬売りの背に腕を回して着物を強く握った。
「あり、がとう……」
震える声で小さく述べられた言葉。
まだ幼さの残る骨董屋の店主。
誰が彼女の孤独を理解しただろう。
誰も居ない家で日々たおやかに過ごす日常は夢と現の境界線が曖昧で、西明は夢の住民と始終共に居るのでどんどん現つ世から離れてゆく感覚を覚えて、それに恐怖したことを誰が知っているだろう。
現つ世で誰かに必要とされない恐怖に、余計家に籠もるようになったのはいつだったか。
風鈴がチリンと鳴る。
先は我儘を言って済まなかったと詫びる神に、西明は首を横に振った。
人成らざる彼らが居たから、居るから、西明は話相手が尽きずに寂しくないのだ。
西明は一際強く、薬売りを抱いた。
「ありがとう」
〜終〜
柚胡椒さんの誕生日祝い(勝手に)贈呈品。
- 25 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -