モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
不変の店
チリン、と、早朝、店先にかけていた鈴が鳴った。
まだ暗がりの時刻。
音に敏感な人間ではない。
なのに客が来たと伝える小さな鈴の音で目が覚めるのは、もはや職業病だ。
寝起きの格好のままに店先へ向かう。
夏と云えど夜は涼しく、微睡みはない。
「如何なさいま……」
しかし店先には誰も居ない。
おかしい。
目を凝らして辺りを見回せば、闇に慣れた視界に写し出される変な包み。
大きさからいって、抱えなくては持てなさそうな物だ。
近づけば、それは音を出すので少し驚く。
子猫の鳴き声とも思える音。
包みに被された布を退かす。
包みの向こうには穏やかに寝ている赤子。
しまった。
すぐに外に出て辺りを見回すけれど、音も動く影も無い。
闇夜の静寂が支配するだけ。
やられた。
太陽の姿はまだ拝めない時刻、私は一人、溜め息をついた。
赤子は穏やかに鼻を鳴らしながら寝ていて、恨めしさを感じる反面、親に対して腹が立ってきた。
何故子を置き去りにする。
親が育てねばならぬだろうに。
育児放棄をするくらいなら、最初から子作りをするな。
死産や流産、生まれてすぐに亡くなる確率が半分のこのご時世、健やかに産まれてくれたことを何故感謝しない。
嗚呼、畜生。
このまま悪態を思っても状況は改善されないのだから、次に移らねば。
赤子は自分が今どんな状況なのかを知らずに地面で寝ている。
居間に移動させるべきだろう。
赤子を抱くのは決して初めてではない。
しかし首が座っているのかも分からない赤子だ。
ゆっくりと、注意しながら抱き上げる。
抱き上げて気付くのは軽さと、大きさ。
産まれたばかりだろうか。では、生後何日か。
洗いざらしの麻布に包まれた子。
麻布を剥がせば、薄い木の板に文字。
木炭で書かれたのだろう、殴り書きのような文字の羅列に、少しの嫌悪感を感じる。
己の子と別れると云うのに、この殴り書きはおかしいだろう。
子供を思う親ならまずこんな事をしないのが当たり前なのだが、やむを得ない事情故に置いていったのならば、ちゃんと文字を連ねるはずだ。
それなのに、走り書きも良いところ。
元々字が汚いとしても、これはやりすぎだ。
本当に要らない子だったのか、衝動的に置き去りにしたのか。
それとも第三者が、子が邪魔で置き去りにしたか。
決定付けるものがない以上、どれが正解か分かりはしない。
それにどちらにしろ、子が置き去りにされた、という事実しか私には分からないのだ。
チリン、と客が来たことを告げる鈴の音。
血迷った行為だと気付いて、子を迎えに来たのかもしれない。
そう思って私は店先へ急いだ。
悪い事態は一度生じると連続するから手に負えない。
「何で貴様なんだ」
「出会い頭にそれは、失礼じゃ、ないですかね」
今はまだ暁の刻だからヒヤリと涼しいが、そう、今は夏。
薬売りがいつ現れてもおかしくない季節だ。
だからと云って、今日はないだろう。
「何か、あったんで?」
「あったから、虫の居所が悪いんだ」
「悪い時に来ました」
「そう思うなら出直してくれはしないか」
「嫌、ですよ。面倒くさい」
勝手に上がってくる男。
面倒くさい、は私が言いたい言葉だ。
居間に入った男が一寸歩みを止め、そしてまた歩き出した。
荷を部屋の隅へ下ろし、赤子に近づいてしゃがんだ。
そんなにマジマジと見るな、子に穴が空く。
「西明の、子で?」
「言うと思った」
「違うんですか?」
「私の子であって欲しいのか」
「冗談は、よして下さい」
しゃがんだままの男に、睨み付けられる。
何をそんなに本気で怒る必要があるのか、私には甚だ理解できない。
溜め息が口をついて出た。
「今朝、店先に置き去りにされていた」
「今朝?まだ陽も昇がっては、いませんが」
「昼間に来たら村人に捕まるから、この時分なのだろうな」
「なる、ほど」
薬売りが長い爪を携えた指で子に触れる。
怯えもない手付き。子の扱いに慣れているのだろうか。
「薬売り」
「似てない、ですね」
「何がだ」
「造りが、西明に、似て、ません」
「まだ疑っていたのか、暇人だな」
「これは、命に関わる、重要な問題、ですよ」
「大袈裟な」
「否、しかし」
似て、ない。とのこと。
駄目だ。こいつの話に付き合っていては進まない。
「赤子は何を飲む」
「母乳、でしょう?」
何を訊いてるんだという顔。
こちらもこの状況から何でその回答を寄越すのかという顔をしているに違いない。
「母乳がない場合は?」
「離乳も兼ねて、粥を」
「この子はそれを食えるのか?」
私は子の体調を見る事はあっても、養育する場を見た事は片手で事足りる回数だ。
薬売りは本当に何も知らないんで?と言いたげな顔をこちらに向けてくるので、私は子の世話をしたことが無い。と伝える。
すると嬉々として、教えますと言いだした。
その態度に些か不満を覚えたが、私は初心者、相手は上級者。
薬売りに教わりながら子の世話をするしかない。
ぐずりだしたらあやす。
泣けば下の世話か、空腹か。
キンキンと響く鳴き声は頭痛の種にしかならない。
「薬売り」
「お手上げ、ですか」
「泣きやまない」
「それは、西明が困った表情、だからですよ」
泣かれているのだから困った顔をするに決まっている。
どうしろと言うのだ。
「笑って、あげて下さい」
「笑顔はお前の方が上手だ」
「西明」
名前を強い口調で呼ばれ、ぐうと言葉を詰まらせる。
いっそ私もこの子に倣って泣きたい気持ちだ。
泣いている子を腕の中で優しく揺すり、笑えているのか笑えていないのか、よく分からない表情をする。
余計泣かれたらどうしよう。
そんな気持ちばかりが胸を閉めて、心は常に陰鬱だ。
しかし子は瞬きをして大粒の涙を流すと、「あー」とか、「うー」とか、喃語を発しながらへにゃっと笑った。
「……笑った」
「良かった、ですね」
小さな手を伸ばして、私に掴まろうとしているのだろうか。
片手で抱いて、その小さな手に指を一本触れさせてみると握られた。
小さい掌なのに、結構な握力。
少しは心を開いてくれたのだろうか。
率直な子供の行動に、だから親は子育てが出来るのだと理解する。
可愛いと、素直に思った。
笑いかければ笑ってくれる。
ならばこの子には笑顔を向けておこう。
「西明」
「何だ」
「その子は、どうするつもりで?」
あえて目を向けていなかった現実に、溜め息を漏らす。
「こんな小さな村では里親になってくれる人もいない」
「では」
「迎えが来るまで、面倒を見る」
元より独り身だ。
一人ぐらいなら養えるだけの財力は持っている。
迎えが来るとは思っていない。
捨て子など、この世では珍しくもないのだから。
近隣は我が家からする赤子の泣き声に店先へやってきた。
野次馬精神と言うか、何と言うか。
仕方なしに店先に子が捨てられていたのだと告げれば、隣人の奥さんが大声で驚いたために、あっという間に村中に知れ渡って小さな村では珍しく一騒ぎとなる。
どうするんだいと言われ、育てるつもりですと告げれば、周りの人は無理はいけないよ、分からない事があったら訊くようにと支えてくれた。
情けないが、それに背を押してもらえた気持ちになる。
その日の午前中はずっと色んな人が店を訪問して、赤子を見にきた。
「西明先生、この子の名はもう決まっているの?」
親に連れられて赤子を見に来た少女が、物珍しげに赤子を見た後、笑顔で私に問うてきた。
「まだだよ」
名前はまだつけない。
まだ私は、心のどこかで親が迎えに来るのではないかと考えているのだ。
尤も、期待などするべきではないと、十二分に理解しているのだが。
子育ては初の試みである私と、何故か熟知している薬売りとで、交替で赤子の世話をする。
「済まないな、せっかく来てもらったのに、子の世話を手伝わせて」
こいつにとって私の家で過ごす数日は、本業から解放される期間だ。
なのに疲れさせてしまっている。
一人で赤子の世話を出来ない己が不甲斐ない。
薬売りが去った後は、一人ですべてせねばならぬというのに、何を甘えているのやら。
「西明が謝るとは、珍しい」
「己の非くらいは認める」
「俺は、嫌では、無いですよ」
建前はいらないのに。
この男は弱っている相手に対して優しい。
その優しさに漬け込む輩がいると、こいつは気付いているのだろうか。
ありがとうと、せめて感謝の意を伝えようと口を開きかけた時、薬売りは子を抱き上げて笑った。
「西明と、まるで夫婦になったような、気分です」
にこやかに云う台詞に、喉元まで出かかった言葉は飲み込まれた。
ふざけろ。
こいつは現状今日を楽しんでいる。
何で楽しめるのかは分からないが、確かにこいつは楽しんでいるのだ、現状を。
「お前の寛大さには感服する」
何でも受け止められるその心が私にも欲しい物だ。
すでに私はちゃんと子を育てられるのかで不安が蓄積している。
子育て経験皆無の私だ、病気云々の知識は豊富なので子を死なせることはないだろうが、努めて一般的と言われる、俗世から外れない子に育てられるかが心配でならない。
なんせ此処は骨董屋で、幽霊だとか、九十九神だとかが住み着いている場所だ。
子に悪影響はないかと、肝を冷やしている部分は、ある。
薬売りが私の名を呼ぶ。
気がつけば畳の目を眺めていた。
垂れていた頭をあげると、薬売りに頭を撫でられる。
「西明、大丈夫ですよ」
「……ありがとう」
弱い、私らしくもない自分に内心で溜め息をつく。
もう弱いままではいられない。
私は私がやるべきことをせねばならないのだ。
隣で赤子を寝かしつけながら、自分も横になっていると、戸口の方でカタリと音がした。
最初は鼠かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
骨董品も騒いでいるようで、私は足音を忍ばせながら店先へ向かう。
動く人影はどうやら神や霊ではなく、人間のようだ。
「どちら様ですか」
声をかければ、こちらが驚くほどに肩を上下させた。
「あ……あの……」
女性の声に、直感が働く。
闇の中で蠢く影に近づいて、逃げようとする手首をとっさに掴んだ。
女性が動いて何かが香る。
確かめるように嗅いでみれば、乳の匂い。
これだけで、合点が行った。
「……赤ん坊を、お探しですか?」
女性は体を震わせる。
そして、たっぷりと時間を使った後、震える声で謝罪を口にした。
「申し訳、御座いません。本当に、申し訳……」
後半は、嗚咽交じりになっていた。
事の顛末は、こうだ。
彼女は働き先の呉服屋の旦那との間の子を身籠った。
旦那の妻は子宝に恵まれておらず、彼女が産んだ子が男児であれば彼女の子が世継ぎとなる。
産まれた子供が男児であれば、妻に三行半を突き付けて彼女を正妻にすると、旦那とその親も承諾した。
つまり、男児が産まれれば彼女が呉服屋の妻の座に座れるという事。
しかし、産まれたのは女児で、世継ぎにはなれない。
あれだけ子宝に恵まれた事を喜んでいた旦那とその両親を思い出し、女性は怖くなったのだと言った。
男児であれと思う気持ちあればこそ、たかがお手伝いの娘であった自分にあれを食べろ、安静にしていろと優しくしてくれた方々が、掌を返したように冷たくなったらと思うと、怖くて仕方が無かったのだと言う。
それで彼女は女児など要らないと思い、産みたての身体で我が家の前まで来て、赤子を置き去りにした。
けれど子供を抱くのを楽しみにしていた旦那を思い出し、今夜、また此処に来たのだと。
沢山の謝罪を言ったあと、彼女は子供を抱いて去って行った。
「良かったんで?」
薬売りが、問うてきた。
「良かったも何も」
私自身、どうすれば良いのかなど、分かりはしない。
ただ、親元で育った方が幸せなのではないのだろうかと、一般的な意見から、子供を彼女に抱かせた。
彼女の話を聞く限り、彼女は子供を愛してはいない。
衝動的であれ、子供を置き去りに出来る親なのだから。
彼女は何も考えてはいなかったのだ。
おおかた、帰り道に冷静になって、出産に行った自分が子を持たずに帰った時の状況を考えて、慌てて子を取り戻しに来たのだろう。
「私には、どうする事も出来ないよ」
そう、どうする事も出来ない。
唯一出来たのは、お守りをあの子供を包んだ服に忍ばせる事だけ。
あのお守りが、あの子を守ってくれるように、願うだけなのだから。
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