モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
合図
向日葵が真上を見る時刻に、骨董屋の店先に飛脚が訪ねてきていた。
「どなたか居ませんか?」
飛脚が声をかけても返事はない。強い陽射しから逃げるように勝手に店に入り床に腰掛けてまた名を呼ぶけれども、己の声が拡散していくだけで音は生まれない。
つまるところ、受取人は家を留守にしているのだ。他に誰かが居れば文の受け渡しを頼まれてくれたかもしれないが、生憎骨董屋に人は居ない。
次の仕事もある飛脚は手早く文を渡して早々に次の地へ走りたいのだが、如何せん渡す相手が居ないのだ。普段ならば文を置いてさっさと次へ駆けてゆくのだが、今回の文は大切な預かり物。
必ず本人にと言われ、金も奮発されたので飛脚は動けない。
「西明に御用かな?」
突然の声にギョッとする飛脚。
目を白黒させる飛脚に口の片端だけを上げた笑みを向けるのは、妙齢の女だ。黒髪を上で結上げ、上品な瑠璃色の簪が刺さっている。いつの間にか背後に居た女に飛脚は驚愕の色を隠せないままに、文を持ってきました。と少し震える喉で告げた。
女はふむ、見せよ。と言って真夏の海辺町にしては白すぎる手を差し出してきて、飛脚は戸惑ったものの女の放つ威圧感に怖ず怖ずと文を差し出した。
女は受け取ると差出人を見て、一人納得して、渡しておこう。と言う。
「お願いできやすか?」
「我を誰と思うておる。文を渡すなど、容易い事よ」
「ありがてぇ」
「感謝は要らぬ、さっさといね」
飛脚は女の態度に腹を立てることもなく、ただ女の放つ現世離れした雰囲気に不気味さを感じて早々に走り去った。
その頃西明は、海に居た。その隣には、当然のように薬売りが有る。
今晩の食卓を飾る魚を買いに、水揚げ場に来たのだ。
目当ての魚を買って、ついでに瑞々しい夏野菜も買って帰っている最中、見慣れない飛脚が走り抜けていった。
「飛脚とは、珍しい」
「本当にな」
此処は特産品もろくにない為か、ほぼ孤立した村と言っても過言ではないくらいに、通りすがりの旅芸人くらいしか外部から人が入ってくることはない。だから飛脚が来る、即ち物が外部から届くなどなかなか無いのだ。
しかし二人は自分達と関係が薄い飛脚のことは早々に忘れ、今日の献立の話をしながら家までの道のりを歩く。話題は絶えず、話しながら暖簾をくぐると、店に女が立っていた。
「お帰り」
西明は一瞬眉間に皺を寄せ、それから淡泊にただいま、と返した。薬売りは西明と女を見比べて、西明の表情から何かを汲み取ったのか口を開きはしない。
「文が届いた」
「……」
「おお怖い。そう睨んでくれるな」
「文は何処に」
「しかし相手も毎年厭きないものだ」
「無駄話は好みません。文は何処かと訊いている」
「見つけられるか?」
女はせせら笑う。西明は変わらず無表情のまま、少し目を細めた。
「御灸を据えましょう」
「それは私を見つけてから言うのだな」
「些細な変化であれ見逃さないのが、主人の務めです」
そう言って、西明は袂から一枚の札を出し、それを店棚の壺が犇めきあっている所に隠れる様にある瑠璃色の簪に貼った。途端に女は腰が抜けたかのようにその場に座り込むが声は出ず、西明を見上げるばかり。
「文は」
西明が今一度問うと、女は口をぱくぱくとさせた。簪から札を剥がすと、女がか細い声で右隣の壺の中に、と言うと直ぐに再度札を貼られた為に女はまた何も喋れなくなる。
西明は文を見つけると、暫くそうしていなさいと冷たく言い放って家の奥へ消えた。
「簪、だったんですね」
薬売りの問いに、女は頷く。
西明が商品に手を出すことなど今まで見たことなかったので、薬売りは西明がどうしてあそこまで苛立ちを見せたのかが気になった。平素何に対しても感情の波を立てない西明がたった一通の文でそこまで感情を左右されたのは、それは内容がよほどの事だという証である。
「あなたは、何かを、知って、いるんで?」
簪に付いた札を少しだけ剥がすと、心持ち女はふぅと一息をついて、それから実に楽しげに頷いた。
「我に訊くのかえ?」
「西明に訊ねても、答えはしないでしょう」
「実に頑固な子よの」
女はくつくつと笑い、薬売りは口紅の描き方で笑みに見える口をそのままに、女の言葉を待つ。
「あの手紙は、西明が助けられなかった子の親からだ。毎年盆の時期になると子の骨の欠片と文を寄越してくる」
ふふ、と女は笑った。いつも微笑を浮かべているように見える麗容な顔を少し歪めた薬売りに、女は満足したように頷く。
「人はげに恐ろしい。罪の無い人間に罪を押しつけ、己を救済する」
薬売りの耳に女の言葉は届かない。床を睨む薬売りの思考は、西明の身に起こっている現状を理解する為のいくつかの仮説が成り立っていた。
その思考に沈み過ぎていたせいだろう、薬売りは蝉の声すら耳に入らず、女の後ろに人が来たことにも気付きはしなかった。
「お喋りが過ぎる」
暑さが吹き飛ぶ程に酷く冷たい、いつもよりも幾分低い声音。薬売りが弾かれたように面を上げるのと、簪の女が声を上げる間もなく霧の様に拡散して消えるのはほぼ同時だった。
西明の手には、簪に貼った物とは違う札。
「お前も悪趣味だな」
冷ややかな言葉と同時に向けられる視線は侮蔑の色を滲ませている。少し悩んだ後、薬売りは素直に謝る事に決めた。
西明の性格は把握しているつもりだ。謝罪の前に言い訳を連ねたら、聞く耳すら持ってもらえないと経験上知っている。
西明が怒りを露にする時は、決して逆らわないことだ。
「謝るくらいなら、するな」
とは言っても、いつかまた、お前は同じ事をするのだろうな。と溜め息混じりに呟いた。溜め息を吐くのは、赦しの合図。赦しと言っても、呆れと諦めがないまぜになって出る妥協案なのだが。
それでも雰囲気は幾分か柔らかくなったし、西明も平素の無表情だ。
「手紙に、骨がついて、いるんで?」
「あぁ。とは言っても、小さく斬られていて、何処の部分かは分からないがな」
「何故、そのような」
「息子が死んだのだから、無理もないさ」
「西明が殺したわけでは、ないでしょう」
「救えなかったのだから、見殺しにしたのと変わらないよ」
西明は蝉の啼き声と湿度に、額に張り付く髪を掻き上げた。その仕草は何処か乱暴で投げやりに見えて、薬売りは目を細める。
話は終わりだと公言こそしないが打ち切るつもりらしく、西明が奥の自室へ向かうので、薬売りは下駄を脱いで後に続いた。
蝉の声が耳を犯す。
打ち水を今日はまだしていないからか、家屋を横断する風は昨日に比べて幾分暑い。西明の私物が並ぶ部屋に入ると、西明は文を差し出してきた。
「良いんで?」
「見たいのだろう?」
見られて困るものでもない。そう言って差し出された文。
薬売りは受け取り、達筆な文字を追った。
ときのながれにみをまかせれば
がをうしなうがごとく
びどうだにしなかったこころも
ときとともにうつろいけり
女性からの文は、どれもひらがなで読みづらい。目で追っても要領を得ないので、薬売りは声に出して朗読した。
「時の流れに身を任せれば、我を失うが如く。微動だにしなかった心も、時と共に移ろいけり」
西明は肩を竦ませる。薬売りは文を畳みながら、西明に視線を向けた。
「想像していたよりも、前向きな、詩、ですね」
毎日悲しみに暮れるのではなく、たまに感傷に浸る日常を送るというのならば、それは前向きで良いではないか。薬売りはそう思っての発言だったが、西明は首を横に振るう。
「詩はおまけで、真意は頭文字だ」
言われて、薬売りは文の頭だけを読む。
「とがびと……ですか」
西明は頷く。
「救えなかったのだから、仕方ない」
「しかし、必ず人を助けられる医者など、居やしません」
「そんな理屈、悲しみの前では塵以下の存在だ」
「何の病、だったんで?」
「さあな。私が患者を診たのは半刻もない。もう息を引き取る寸前だった」
それでも分かったのは肺炎くらいか。と述べる西明に、薬売りは眉根を少しばかり寄せた。息を引き取る寸前の子供を連れてきた親が、こんな手紙を出すだろうか。
職業病というべきか、真相を求めたい薬売りは食い下がるように、どうして、と問う。そんな薬売りに西明は滑稽なものを見るかのように、少し皮肉めいた笑みを浮かべた。
「名家だから、お抱えの医師が居た。そいつが匙を投げて、患者を私に回してきた。しかし匙を投げたと知られれば立場が無い。だから口八丁に嘘を並べ、私が見殺しにした事にしたのだろう」
まるで他人事のような口調。薬売りが自分の事でしょう。と言えど、西明は憶測など被害妄想の賜物だと薄く笑うだけだった。
名家お抱えの医師は、自分が子供を助けられないと気付いて、このままでは自分の地位や名誉が危険だと思って死ぬ間際の子を西明に渡した。これは西明の被害妄想ではなく、事実だろう。感情論より理論を求める西明の事だから、事実を組み合わせて一番可能性のあることを告げたに違いない。
なのに確実な事実でない限り、所詮は妄言だと自分をたしなめてしまう。それは他人の思惑にまんまとはまった事を真実として受け入れるのが悔しいからなのか、それともそんなことは取るに足らない事だからなのか。
西明が悔しがりもせずに、甘んじてこの状態を受け入れているだけの姿勢から、前者は無いのだと知れた。もし悔いがあるならば、西明の性格上、他人には決して話したりはしないだろう。
自分の汚点をわざわざ公言するほど、西明は子供でもなければ心脆くもない。
しかし薬売りは納得できなかった。
冤罪を押しつけられているのだ。これで良いのかと問いたくなったが、問うたところで西明は何も言わないだろう。
西明は事の有様は説明しても心の有様は言わないのだ。
「骨は、どうしているんで?」
実子の骨を砕いて手紙に添える親は、もはや鬼と言って過言ではないだろう。憎しみが心を蝕んだ結果を甘受けする西明は、何を思っているのか。
それすらも聞き出せず、事の有様のみを訊く薬売りは、己の立場を呪った。
「其処に」
視線だけで告げられた其処には、小さな壺。
「幼児用の骨壺だ。砕かれているので何処の骨か分からないから納骨は届いた順に入れているだけなのだが、骨は骨。一応骨壺に入れることにした」
本来ならば骨は身体を折り畳んだ姿に入れるのだが、如何せん何処の骨か分からないので届いた順に壺に収めているらしい。瞼を閉じて、ゆっくりとした動きで小さな壺を撫でる西明。
薬売りは黙って見届ける他無い。
つるりとした陶器を一撫でした西明は薬売りを見て小さく笑みを浮かべた。
「さて、魚が腐っては勿体ない。調理するから、手伝ってくれはしないか」
気晴らしに何かをするのは生きていく上で必要なことだろう。家事に客人は手を出すなといつも言っている西明が誘っているのだ、断る気にはならない。
「仕方ない、ですね」
いつもの口調で返せば、西明は口元を僅かに緩めた。
それがこの話は終わりという、合図だった。
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