モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
水煙草
がたん、と戸が壊れる音と神々の悲鳴が麗らかな午後に突如響いた。
慌てて店先に向かえば、そこには浪人風情の男。
その足元には今し方蹴り破られたのだろう戸。
「どちら様ですか」
「薬売りを出せ」
「薬売り?」
「出せと言っている!」
男が刀を振る。
その刄は私ではなく、棚に飾ってあった品に向けられていて、がしゃん、と割れる音が響いた。
水煙草が床に散乱する。
周りの品も悲鳴を上げて、恐れ慄いている。
「早く出せ」
「生憎、薬売りは居りません」
「庇うつもりか!店の品をぶっ壊すぞ!」
大股で荒々しく近づいて来た男に胸ぐらを掴まれる。
幾分高い背。
面を見据えれば、尋常ではないとすぐに知れた。
「何故探すのですか」
「あいつは妻を殺した!切り捨ててやる!」
漠然とだが、理解する。
男は薬売りに妻を斬られたのだ。
薬売りが斬るということは、この男の妻は物の怪になってしまっていたのだろう。
あいつも大概説明不足だ。
ただ殺されたと勘違いした奴が稀に、追跡した結果我が家までやってくる事がある。
厄介この上ない。
斬り殺されて恨み、その憎しみを糧に生きる男の心情を私は想像からしか理解できないので、同情の一言も言ってはやれない。
その痛みを味わった事が無い者が何を言っても、それは薄っぺらでしかないのだから。
安い同情をする方が失礼だ。
それに
「貴方も同罪だ」
隙だらけの足をはらう。
すると簡単に男は倒れて、すぐに刀を持つ手を踏み付けて刀を没収する。
男は刀を奪うと狼狽して腰を抜かしたのだろう、這うように店を出ていこうとして、ひっと短い悲鳴を上げた。
水煙草を見て身体を震わせている。
着物の合わせを直して様子を見ていると、男はまるで化け物でも見たかのように顔を真っ青にして、店から脱兎の如く逃げ出した。
水煙草に近づく。
割れた硝子を持ち上げると、涼しい音を奏でてくれた。
「形あるモノはいずれ滅びると言いますが、やはり気分は良くないですね」
水煙草は砕けた身体にも関わらず軽快に笑う。
西明が気にすることではないよ。
そうは言っても、悔しいし、悲しい。
幾年と生きた水煙草の結末がこんなものだと、誰が予測しただろう。
水煙草は使用されてこそだと言っていたのに、私が煙草をやらないので我が家に来てからは誰も使用しなかった。
せめて一口くらいは吸ってやれば良かった。
無念だろう。
無念でならないだろう。
しかし先の男はいかんな。西明に掴み掛かるなど。
「構いはしませんよ。慣れてますから」
心配だよ。
「私は大丈夫ですよ」
身を案じているのではない。
「おかしなことを言いますね」
心を案じているのだ。人がすべてあれだと思うてはならんよ。善い人間も沢山居る。
「それは母国の教えですか?」
そうだ。
水煙草からは遠い国の話を沢山聞いた。
これからは聞けないのかと思うと、余計悲しくなった。
「安らかに」
西明もな。
声が遠くなる。
口の部分を持って、口付けて吸う真似をする。
長年使われていなかった水煙草は土と、ほんの少しの煙の味がした。
〜終〜
さよならの口付けを
08/08/06
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