モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
嗜み:
女主
:山根絢子様
「あ、西明さん。店先にいなかったものだから」
庭の手入れをしていたら、海女が庭まで回って来た。
こんにちは、と言えば、西明さんが庭の手入れをしている姿、初めて見ました。との言葉。
人が庭へ来る前に店先へ向かうから、見た事が無くて当然だろう。
尤も、今回は考え事をしていて来客に気付かなかったから、庭まで客に来てもらう事になってしまったのだが。
「如何なさいました?海で怪我でも」
「いいえ、違います。ヤマメが沢山採れたとお裾分けをされて、西明さんにもと思って、持ってきたんです」
「いつもありがとう御座います。助かります」
「いつも助けられているのは私たちの方ですよ。そうそう、これは私たちからのお裾分け」
そう言って渡されたのは貝。
今日明日の飯は、豪勢だ。
「もうヤマメの時期ですか」
「そうですね、もうすっかり、夏が訪れて」
二人で天を仰ぐ。
鮮やかな青。綺麗な色だ。
筋雲がいくつか尾を引いていて、それがまた鮮やかさを強調している。
「西明さんは」
名を呼ばれて、海女を見る。
太陽の光を浴びた視覚は、海女を少し緑に染め上げた。
「夏と言ったら、何ですか?」
「夏……ですか」
ぱっと頭に浮かんだものを、即座に取り除く。
ここで“虫”だと答えたら、海女は仰天するに違いない。
「やはり薬草ですかね」
「薬草?」
「この時期に採れる物が多いので、つい。貴女は?」
「私はナマコとかクロダイかしら」
「お互い職業病ですね」
「あらいやだ、本当」
海女が笑う。
嫌だと言いながら、自分の仕事に誇りがあるのだろう、嬉しそうだ。
魚が腐るといけないからと、海女は私に魚を渡すとすぐに去っていった。
また海に潜るに違いない。
私も腐らせないように、魚を家の保冷場に運んだ。
また縁側に腰かけて、下駄を履く。
庭に出て陽射しを浴びると、肌を刺すような暑さを感じた。
夏と云えば、か。
夏は確かに虫が増えるが、夏の風物詩が“虫”はないだろうに。
否、しかし……
にゃー、と声が聞こえる。
黒猫だ。
いつもならば何処にいるのやらと探すが、今ばかりは怖くて首が回らない。
だが、無視は、出来ない。
ゆっくりと、覚悟を決めながら振り返る。
見れば、やはり少し離れたところに黒猫。
にゃあ、と鳴いた黒猫は、足元に落としていたそれをまた銜えると、私の足に近づいてきた。
しゃがんで、黒猫を見る。
口元に銜えられているのは、イナゴ。
そう、イナゴ。
狩猟本能だか何だが知らないが、今までは鼠を捕っていたのに、夏になって虫が増えた今、虫を捕ってくるのだ。
しかもそれを誇らしげに見せてくるから、困る。
しかも見るだけではなく、叩かれ噛まれぐちゃぐちゃになった虫を、誉めて受け取らなくてはならない。
そう、猫は飼い主に誉めて欲しいのだ。飼い主が狩猟出来ないから与えてくるのだと、近所の人は言っていた。
なんでも、子供に餌を運ぶ感覚なんだとか。
勘弁願いたい。
虫は好きではないが、大の苦手といものでもない。けれど、これは流石に、無理だ。
手を出せば、ぼとりと元虫だったものが置かれる。
濡れて原型を残しながら中身を溢しているそれに、ぞっとした。
「ありがとう」
形ばかりの感謝に、笑顔も添える。
にゃあと鳴いて黒猫は擦り寄ってきた。
こうしていれば、可愛いのに。
左手で受け取ったそれをそのままに、右手で猫を撫でる。
可愛いには可愛いのだ。
そう、左手の物さえ無ければ。
「ごめんください」
今日は来客が多い。
しかも、聞き慣れた声の客ばかり。
「庭に居る」
大きめの声で返事を返せば、猫は不満げな声を出した。
「そんなに毛嫌いしてくれるな」
そうは言っても、嫌いな物は嫌いだと、黒猫は顔を背けた。本当に、仲が悪い。
高下駄鳴らしてやってくる男。
左手の虫を、どう処分しようか。
いつもなら黒猫が居ないうちに埋めるのだが、それが出来そうもない。
黒猫が居る前で捨てるわけにもいくまい。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
現われた薬売りを見て、尻尾と毛を立たせる黒猫。
何も、そんな戦う姿勢をとらなくても。
「図体ばかり大きくなって」
薬売りも黒猫に一言、突き放すように言う。
大人気ないにも程がある。
「今年は早いな」
「西明がまた変な仕事に手を出して、くたばっていないか、心配で」
変な仕事、とは、冬にあった隣街の除霊騒ぎか。
あれだけ大きな騒ぎが易々と生じるものではない。
心配せずとも、あんな事件が何個も此処に舞い込んでくる事は無い。私はあくまで、骨董の商いをしている商人なのだ。
除霊云々は小さいものしかしないと決めている。というより、あの事件を機会に、決めた。
「御覧のとおり、どこも悪いところはないよ」
薬売りはそれはそれは、と言って近づいてくる。
そして左手に持っている物を見て、何をしているんで?と問うてきた。
無難な質問だ。
「黒猫から土産を貰った」
「ほぅ、何、ですか?」
「見るか?」
「見ちゃあ、駄目なんですか?」
そうではないが、見て落ち込むのはお前だぞ。と言いかけて、やめる。
反応を見るのも悪くない。
ほら、と言って見せると、綺麗な顔が歪んで、少し面白い。
こんな顔もするのかと思って見ていると、手首を捕まれ、そのまま井戸の方に連れていかれる。
黒猫が啼きながら追い掛けてくるので、大丈夫だから遊んでおいでと告げる。
何が大丈夫なのだと尋ねられた応えられないが、とって食われることはないだろう。
命さえあれば、こいつとの関係で困る事はない。
多分。
黒猫は機嫌を損ねたらしく、にゃあ、と啼いて走り去ってしまった。
首に付けている鈴がチリンと清涼感ある音を奏でて、やはり黒猫は可愛いと親馬鹿にも程があることを思う。
「西明」
黒猫を見送る私に、焦れたような声。
あぁそういえば、薬売りが居たのだった。
黒猫との暮らしに慣れすぎていたからか、どうにも他人の気配に疎くなった。
自分以外の気配を一度受け入れると、少し鈍くなるらしい。
「それは、何、ですか」
「だから、黒猫からの土産だ」
「よく持てますね」
「贈り物、だからな」
「無理をして、いませんか?」
「無理はする為にあるんだよ」
手首を捻られる。
掌に置かれていたそれが、地面に落ちた。
薬売りは井戸に釣瓶を落として水を汲む。
「手を」
「その前に」
贈り物に、土を被せる。
それから手を差し出すと、洗うように水をかけられた。
土と、それからあまり認識したくない物が流れ落ちる。
「綺麗に、なりましたね」
「そうだな」
初夏の陽射しを浴びているからか、手が冷やされて気持ち良いと思った。
頬につけると、ひやっこい。
「黒猫に、言ったら、どうですか」
何を、とは言わない。
大方、虫を捕ってくるな渡すなと言いたいのだろう。
「本能なのだから仕方ないだろう」
「俺は、西明が大切なので、西明が嫌がる事は、排除したいのですよ」
「排除とは、物騒だな」
「それくらい考えている、ということ、ですよ」
「黒猫に手を出すなよ」
「珍しい」
そんなに執着しているのですか。と言われて、開き直りも不快感もなかった。
執着というより、情だ。
否、情を執着だというのなら、そうに違いない。
「猫は気ままな生きものだ。それを妨げるのは、薬売りであれ許さんよ」
「怖い、怖い」
わざとらしい言葉に笑う。
親心、と云うのは、きっとこういう事を言うのだろう。
自分が嫌だと思うことでも、その子が喜ぶのならば仕方がない、と受け入れるのも親心だ。
隣家の女性が、子供の為ならって思えば、親は頑張れるのだと言っていたのを思い出す。
その時はそんなものかと他人事のように感じていたが、成る程確かに、そういうものである。
とは言っても、黒猫は私の子供ではない。
家族、と言った方が正しいだろう。
寝食を共にしていれば、家族だ。
そう思うと、何やら不思議な気分だ。
生涯一人を貫くのだろうと思っていたので、動物であれ、共に暮らすものがいるのは変な感じがする。変、とは言っても、不快なものではなく、いっそ爽快な、視野が広がったような感覚。
これを人は、何と呼ぶのだろうか。
「西明」
「何だ」
「俺には、執着しないんで?」
「薬売りに?するわけないだろう」
何を言う、と小馬鹿にした笑みを浮かべれば、肩を下げられた。
正直に言えば、冬の間共に居た為に、別れ難くなっていた。
それは寝起きを共にし、衣食を共にしたからだ。
けれどそれは一時。
離れれば、もう他人だ。
いや、他人ではないか。
知人だ。
窮地を助けてくれたのだから、知人ではなく友と呼ぶべきなのかもしれない。
「薬売り」
「……」
じとりと睨まれる。
ついでに、薬売りは耳を塞いでしまった。
「こら」
「これ以上、落ち込む言葉は、聞きたくありません」
なんだそれは。と言えど、薬売りには届かない。
「薬売り」
拗ねた子供を前にした親の気持ちになる。
それでも厄介ではなく可愛いと思えてしまう私は、きっと黒猫のおかげで厄介事に慣れたに違いない。
手首を柔く手に取り、耳から離す。
力の無い手は、あっさり離れた。
「お前がずっと此処に居るなら、考えないでもない」
「可能性がある、と?」
「それはお前次第だ、薬売り」
薬売りは諸国を巡り、物の怪を斬る。
そのお前が此処にとどまる訳が無い。
だから可能性は、零だ。
けれど言葉なんて書面でも何でもないのだから、言うだけはタダだろう?
それにこれは私がどうこう出来るものではない。
私は可能性を提示するだけで、その可能性を選ぶか、別の道を選ぶかは薬売り次第。
薬売りが不適に笑う。
きっと何かを、思いついたのだろう。
けれど、尋ねる程の野暮さは持ち合わせていない。
選択権を男に預けるのが、女の嗜みだろう?
山根さんへ
萬打、おめでとう御座います。
心から、お祝い申し上げます。
さて、片っ苦しい話は抜きにしまして、
リクエスト頂戴!といって、快くリクエストをして下さりありがとう御座いました。
黒猫と薬売りと骨董屋店主でワイワイキャッキャにしようと思っていたのですが、ワイワイキャッキャは出来ませんでした。
今回、舞台を踵を返すED後の話にしたいと考え、夏にしてしまいました。年末になんという……。こんな可能性もあったのだという話として、捉えて頂けたら幸いです。
そういえば、山根さんは女主として読んでいたのか、というのが気になりまして……もしも男として読んでいたら、仰ってくださいませ。最後の方を変えさせていただきます。
ここまでお目通しありがとう御座いました。
萬打、おめでとう御座います!
- 55 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -