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裏返しの言葉たち
人を好きになるのって本当にタイミングだと思う。
相手に好きな人が居たらこちらを見てくれないし(だって私に魅力は無いもの)
相手に恋人が居たら無理だし(むしろ仲良しな二人を見て落ち込む)
相手に妻が居たら不可能だ(世帯持ちとか本当もうね!鴦夫婦の間に割り込める筈が無い)
とまぁ、前置きはこれくらいにして、私は絶賛恋する乙女だ。
しかも相手が悪い。
否、相手は悪くない。
タイミングが悪かったのだ。
諦めるしかないというのも分かっている。
でもやっぱり諦めるなんて出来なくて(諦められる恋ならさっさと諦めて心安らかにしている)
諦めきれない恋心を一人で抱えるなんてそんな芸当、愚かな私には出来ない。
恋をすると誰だって愚かになる。
そう、私は今、とんでもなく愚かな生き物になりさがった。
だって自分では諦めきれない訳で、だから誰かに諦めさせてもらうしかない。
その誰かが誰って問われたら、それは恋する相手に決まっている。
他人にどうこう言われて諦められない恋愛だから、困るのだ。
相手に諦めたまえ、とか、嫌いだ、とか、君は恋愛対象としては論外だ、とか、そんな事を言われたら、きっとこの恋心は終止符が打てる。
けれど、何て言えば良いのだろう。
好きです、とか、愛していますと伝えて、断られたらその後は気まずくて会えなくなる。
それは厭だ。
私にとって彼の傍に居られない日は呼吸も忘れそうなぐらい息苦しいのだから。
裏
返
し
の
言
葉
達
目指す先には古書の店。
私の統計学からすると、今の時刻は中禅寺さんの奥さん――千鶴子さん――が買い物に出かけていない時間だ。
だから、今が中禅寺さんと話す絶好の機会。
そう思って眩暈坂を登る。
「あら」
前から下ってきたのは日傘をさした和服美人の千鶴子さん。
まさか出くわすとは。
出くわすとは、思っていなかった。
出鼻を挫かれた感じが否めないが、それは仕方ない。
「こんにちは、千鶴子さん」
いつも通りの挨拶をして、いつも通りの表情を浮かべる。
千鶴子さんは綺麗に微笑んで、こんにちはナマエさん、と言った。
それだけで、ああ、適わないなと思い知らされる。
「中禅寺さん居ます?」
「ええ。地蔵ですから」
千鶴子さんは変わらず笑顔。
本当に、適わない。
「夕飯の買い出しですか?」
「そうよ」
じゃあ、行ってきますね。と千鶴子さん。
私ははい、と返して、千鶴子さんが下る坂を上った。
坂の天辺に来て、振り返る。
千鶴子さんの日傘がもう無い事を確認して、私は駆け出した。
京極堂と書かれた看板。
お邪魔します、と一声かけて、中に入る。
するとそこには中禅寺さん。
相変わらずの不健康そうな青白い肌。
そして仏頂面がお出迎えしてくれた。
これで幸せだと思えるのだから、恋は実に盲目だ。
「また来たのか」
「客に対して失礼ですよ、中禅寺さん」
「君が此処で本を売買した記録は一つも無いのだがね。それを客と云えるかどうか」
「一応店先から入っているじゃないですか」
「それを客と云うなら、関口君や榎さんまで客になるね」
私の言葉はあっという間に中禅寺さんに丸め込まれてちり紙の如くごみ箱に捨てられた。
こんな会話すら、言葉を交わせて幸せだと思えるのだから、私は愚か者だろう。
「で、今日は何の用だい?千鶴子は今出掛けているよ。昼食はもう食べた。夕飯はまだ先だ」
一気に言う中禅寺さん。
いつも私は千鶴子さんの淹れたお茶を喜んで飲んで、千鶴子さんが作った昼食を喜んで食べて、千鶴子さんが夕食を作り出したら作り終わるまで待って、夕食を喜んで頂戴して帰っているのだ。
だから中禅寺さんは、君が求める物は無いと言いたいのだろう。
中禅寺さんにとって、私は千鶴子さんの食事を頂く為に此処まで足を運ぶ人間のようだ。
本当は、中禅寺さんの日常に入り込みたくて、厚かましくも居座っていただけなのだけれども。
「中禅寺さんに質問です」
中禅寺さんは棚に本を入れる手を止めて、私を見た。
薄暗がりでちょっと黴臭い古書の店内。
中禅寺さんは黒い着物を着ているから、床からぬっと生えた影みたいだ。
顔と袖から伸びる骨張った腕や手が、闇に浮いてて不思議な感じ。
「中禅寺さんが愛している人って誰ですか?」
「何だい、急に」
「良いから答えて下さい」
「そりゃあ君、千鶴子に決まっているだろう」
覚悟していた台詞。
私が中禅寺さんへの恋心を終わらせる為に必要な言葉。
なのに、ああ、泣きそうだよ。
「千鶴子さんを愛していると」
「そうなるね」
そうか。
そうだよね。
そうでなければ、千鶴子さんと夫婦になったりしないよね。
「中禅寺さんが羨ましいです」
「僕が?」
「当たり前じゃないですか!あれだけ美人で素敵で優しくてお茶美味しくて料理も美味しい、まさに素敵な奥さんの代表のような千鶴子さんを嫁に出来た中禅寺さんが羨ましくて仕方ないです。何で出無精で仏頂面の中禅寺さんが千鶴子さんの旦那なんですか!」
「よく言われるよ」
「私が男だったら千鶴子さんを嫁にします」
「残念ながら、僕の妻だ」
「私は女だから養子で千鶴子さんの家族になりたいです」
「家事手伝いをいっさいせずに、人の家に勝手に上がり込んでごろごろして、飯だけ食べて帰るような君を家族にはしたくないな」
「あ?迷惑でした?」
「否、千鶴子は喜んでいたよ、妹が出来たみたいだとね」
「ああ善かった。千鶴子さんに嫌われたら私は生きていけません」
「……」
「あ、私同性愛者ではないですよ?千鶴子さんだけ特別です」
「分かっているよ」
「千鶴子さん泣かせたら許しませんからね!」
「大丈夫だよ、僕は愛妻家だからね」
「……」
「なんだい、その眼差しは」
「いえ、何でもないです。とにかく、中禅寺さんが千鶴子さんを……!」
「ちょっと待ちたまえ」
中禅寺さんが手を上げて私の顔の前にかざす。
大きな手。
思わず開けかけた口を閉ざしてしまう。
「千鶴子」
中禅寺さんの声に、驚いて振り返る。
すりガラスの向こう。
人の佇む姿があった。
千鶴子と呼ばれたその影は、申し訳なさそうにこちらに入ってきた。
血の気が一気に引くとは、こう云う感じだろう。
千鶴子さんの姿に、私は目の前が一瞬真っ白になった。
何でいるの?
買い物に行ってたはずなのに。
「ごめんなさい、財布を忘れてしまって」
千鶴子さんは困ったような微笑み。
私は顔が真っ赤になった。
「千鶴子、君もずいぶんとミョウジ君に愛されているね」
千鶴子さんはキョトンとして、それからクスクスと笑った。
「私、帰ります!」
「ナマエさん、また食事をしに来てちょうだいね」
「はい喜んで!」
千鶴子さんの言葉に良い返事を返して、私は急いで古書の店を出る。
走って走って走って、逃げる。
情けなくてみっともなくて恥ずかしい。
惨めで悲しい。
何でこうなのだろう。
何で私はこんなに馬鹿なのだろう。
何でこうもタイミングが悪いのだろう。
『中禅寺さんが羨ましいです』
(千鶴子さんが羨ましいです)
『千鶴子さんを嫁に出来た中禅寺さんが羨ましくて仕方ないです』
(中禅寺さんを旦那に出来た千鶴子さんが羨ましくて仕方ないです)
『何で中禅寺さんが千鶴子さんの旦那なんですか!』
(何で千鶴子さんが中禅寺さんの嫁なんですか!)
『私が男だったら千鶴子さんを嫁にします』
(私がもっと早く出会えていたら、中禅寺さんの嫁になりたかったです)
『千鶴子さんに嫌われたら私は生きていけません』
(中禅寺さんに嫌われたら私は生きていけません)
口を突いて出たのは裏返した言葉ばかり。
中禅寺さん。
貴方が大好きです。愛しています。
中禅寺さんが千鶴子さんを愛していると分かっても、やっぱりこの恋心は無くならない。
私は薄暗い道端に蹲って、泣いた。
〜戯言〜
千鶴子さんは本能的に何かを読んで、帰ってきたのだと思います。
中禅寺さんは、すべてを見抜いたうえで話しています。
10.02.01
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