デスノ 短編 | ナノ
同士
私には血縁者がいない。
親に捨てられて孤児院にやってきたのだが、孤児院は集団生活。
人付き合いが苦手な私にとってそこでの生活は苦痛ばかりだ。
例えば
皆が遊びに庭に出ても私は一人院内に残ったり
そうしたらお節介な先生が私を庭に引っ張り出して皆の輪に入れようとしたり
その時皆は嫌がるのに先生が入れなさいと言うから渋々と私を仲間に入れたり
そういうのはだいぶ堪えるのだ。
放っていて欲しいと思う。
仲間に入った後の皆の白い眼がどれだけ苦痛かを分かって欲しい。
先生は子供を一人救ったと勝手に満足するのだろうが、それは子供を救うどころか針の筵に放りこむだけなのだ。
皆の眼が『またこいつ先生を使って仲間に入って来たよ』と非難してくるのだ。
何度、『先生が勝手に私を連れてきたんだ。私は先生を使ってなんかいない』と言いたかったか。
何度、『私にかまわないでくれ』と言いたかったか。
無論、一度たりとも言えた事はないのだけれど。
多勢に無勢。私がなんて言おうと誰も耳を貸さないと分かっていたから。
同士
その日も、皆は遊びに庭へ出掛ける。
天気が良いのだから当たり前か。
同室にいた私に声を掛けてくる人は誰一人として居なくて安心するが、その安心も長くは続かないだろうから、立ち上がる。
部屋に一人で居れば、またお節介な先生がやってきて私を皆の遊びの輪に混ぜようとするに違いないから、部屋に居続けることは出来ない。
けれど、部屋から出て何処に行けば良いのだろう。
行き先が無い。
本を持って、部屋から出たは良いけれど、庭では皆が遊んでいるし、裏庭は女子達のおしゃべり場だ。
人が集まりそうもない所と考えて、庭と裏庭を繋ぐ花壇がある場所の、建物側のコンクリートに座った。
私が座ったのは南なので、陽が当たる。
花壇で咲く花の甘い蜜の香が鼻孔を刺激して、気持ち良い。
本を開いた。
ここは私のお気に入りになるかもしれない。
「こんにちは」
隣りから声がした。
文字通り、座った私の横にしゃがんだ人が声を掛けてきたのだ。
私の隣りに来たのは、最近来た女の先生。
確か名前は『リキ・シキ』だった気がする。
「こんにちは」
私が言えば、女の人はニコニコと笑った。
「私はリキ・シキっていうの。君は?」
「……Lです」
「エル?変わった名前だね」
「自分でつけた名前です」
「自分で?」
「はい」
本当の名前は、決して良い意味ではなかったから、自分で付けたのだ。
親が唯一くれた元の名前は私を『必要でないモノ』『愛する対象ではないモノ』と言っていて、良く言われる最初に親から受け取る愛の形とされる名前だが、私のそれには親からの愛情など、ひとカケラも無かった。
だから捨てた。それに大人は嫌な顔をするのだと分かっているけれど、私は私の意思で生きたいから宣言をするようにしている。
「L君は何を読んでいるの?」
先生は私の隣りに、しゃがむのではなく座っていた。
ここに長時間いるつもりか。
「マクベスです」
「……」
「シェイクスピアです」
「難しそうなのを読んでるねぇ」
大人から見れば私は可愛げのない子供なのだろう。
笑わない
懐かない
話しかけてこない
話題が子供らしくない
単独行動が目立つ
難しい本を読んでばかりいる
これだけ揃えば可愛げも無いはずだ。
愛想良く出来ない自分に非があるのは重々承知している。
愛想は良くないし、見た目も猫背で体育座りばかりしているのだから、自他ともに認める無気味な存在だ。
「シェイクスピアの言葉は、精神論ばかりだよね」
「……」
難しいと言いながら、この先生も読んだ事があるのか。
「あ、ごめん。精神論って分かる?」
子供だからと先生は難しい言葉を分解して説明しようとしてくるが、いい言葉の言い回しが思いつかないのか、次の言葉が出てこないようだ。
仕方ない、助け舟を出そう。
「はい」
精神論の意味が分かるのだと、相変わらず無愛想な返事をしてしまった。
しばらくの沈黙
近くからなのか遠くからなのか、皆の笑い声。
静かだからだろう、余計に声が響く。
「天気が良いね」
「……そうですね」
淡い青の空。
水色や空色に、更に白を混ぜた絵の具を空のパレットに塗ったようだ。
雲がちぎれちぎれに在る。
綿菓子みたいだ。
風はふわりふわりと、心持ち柔らかな綿が頬に当たるような感覚で、風の運ぶ甘い香りは気持ち良い。
「L君は遊ばないの?皆遊んでるよ」
あぁまたこの質問。
私は決まりごとを言うように口を開いた。
「私は本を読んでいる方が楽しいんです」
こう言うと、必ずと言っていい程
『本を読むのはいつでも出来るから外で遊びなさい』
とか
『皆と遊ぶのは本から得られないよ』
とか
『天気が良いのに勿体ない。ほら外に遊びに行こう』
とか、お節介をやいてくる。
―私は本を読んでいる方が楽しいんです―
この台詞が悪いのかもしれない。
周りに馴染めずに意地を張って一人でいる方が良いと言ってるように思われるのだろう。
だが私にとってこの言葉は真実であり、別に意地を張ったのではない。
同い年の人達とは話題があわないから話さない。
程度が低いのだ。
遊ばないのは、話さないのだから親しくなれるはずも無くて、会話で交遊関係を築いてから次のステップの遊びに入るものなのだから、最初のステップが無い私には到底無理な話しなのだ。
「そうなんだ」
リキ先生はそれしか言わなかった。
その沈黙は私にとって気持ち悪いものだった。
いつもと違う反応だから落ち着かない。
新種類の人に会ったから、対処法に迷う。
知っている種類の人ならどうせまた可愛げのない子供だと思っているのだろうと分かるから放っておくのに、リキ先生は何を考えて何を思って、どういう結論を出してあのような返事をしたのか。
一般の人とは違う考えを持ったから出来た返事。
「リキ先生はどんな本が好きですか?」
私が初めて人に対して疑問文を使った瞬間だった。
「シェイクスピアが書いたのでは、タイトルを忘れちゃったんだけど確か……When we are born we cry that we are come.To this great stage of fools.だったかな。こんな文があるやつ」
訳は『我々は生まれ落ちるや、泣く。阿呆ばかりの舞台に生まれたことを悲しんでな。』だ。
「リア王ですね」
「確かそんなタイトル。凄い台詞だよね。産まれた事に歓喜して泣くなら分かるけど、悲しんで泣くんだよ?」
そう言って軽快に笑った。
私はそれを読んだ時、同意したのを覚えている。
辛い思いばかりする世界に人が産まれるのは子孫繁栄の本能があるから。
その本能のせいで生命は産まれる。
人間は自分より弱者が欲しく、貧富の差をつくり弱者と強者に分ける。
こんな階級に分けられた世界に産まれるのは悲しい。
シェイクスピアが言っている事は私には正しいのだ。
それは私が変わっているからだろう。
そう考えると、普通の意見を言うリキ先生も周りの人と何も変わらない人なのだ。
新種類なんかではない。
私が一緒に居て違和感を感じる事は無かったのだ。
「どうかな?」
「?何がですか」
「一般論はいかがかなと」
「……リキ先生の意見ではなかったんですか?」
「うーん。私の意見でもあり私の意見ではないかな?」
どっちなのだろうか。
「時と場合によってだよ。今みたいな天気の良い日に陽を浴びて暖かい風を感じて、こういう時は一般論」
時と場合によってか。
確かに、一概に産まれる事はすべてが苦痛ではないのかもしれない。
日の光を浴び、穏やかな風を感じている私は少なくともそう思えた。
「本って楽しいよね」
話題が変わった。
「私も本が好きだよ」
人と本を主題に話すのは初めてだ。
同い年の人達は漫画や絵本しか知らないし、年上の人は子供のくせにって蔑んでくるので話した事がない。
「L君はシェイクスピアが好きなの?」
好きというより、これしかないから読んでいるだけだ。
院内で年に数回祭りをする。
その時に上級生が劇をする。
その劇に、シェイクスピアが使われる。
だからこの院にシェイクスピアの本があるのだ。
あるから読む。それだけの事。
それが分かったのか、リキ先生はそうかぁ。と呟いた。
「私ね、本が好きで無節操に読み漁ってるから、私の本からなら気にいるのもきっとあるよ」
「貸してくれるんですか?」
「うん。気に入ったのがあったらあげるよ。私は手元にあるのはもう読んだし」
気前の良い人なのか、孤児だからと哀れんでか。
「リキせんせー!」
リキ先生は庭の方を向いた。
庭で遊んでいた人が呼んだのだ。
「あー、見つかっちゃった」
リキ先生は立ち上がって髪を束ねてくくる。
「L君は良くここに来るの?」
「いえ……」
「そっかぁ。じゃ、何歳?」
「7歳です」
「分かった。明日にでも教室に本を持って行くね」
私たちは年で教室が分類されている。
一人で背中を丸めながら教室にいる惨めな私。
惨めな私がいる教室に来られるのは嫌だから、慌てて背中に声をかけた。
「明日もここに来ます」
「ん?あぁうん。分かった。じゃあまた明日ね」
リキ先生は皆が遊んでいる庭に行ってしまった。
私は一人、暖かい光の降り注ぐ場所で本を開いた。
起き上がるとベッドが軋んだ。
懐かしい夢を見た。
懐かし過ぎた。
リキ・シキ先生。
ワタリが経営している孤児院に働きに来たリキ・シキ先生は一風変わった人だった。
私が先生の中で唯一会話が続く人だった。
夢の続きに想いを馳せた。
翌日、リキ先生は約束通りにやって来た。
そして自分も新しい本を買ってきたと言い出して私の横に座り本を読み始めたのだ。
それからというもの、リキ先生と私はよくあの場所で本を読んだ。
そして時折話をしたりと、のんびりした時間を過ごしたのだ。
今思うと、リキ先生も孤児院に馴染めていなかったのかもしれない。
他の先生といる所をあまり見なかった。
子供の相手も張り切って、走り回って髪を振り乱し息を切らしていた。
私といる時間だけ、素でいた気がする。
きっと私とリキ先生は、互いにあの空間に馴染めなかった者同士で、あの場所だけが逃げ場だったのだろう。
リキ先生はある日、私に言った。
『私はL君が来る前からあの場所に行っていたんだよ』
そう言って軽快に笑ったのを覚えている。
ずっとあの場所を逃げ場にしていたと、笑いながら言ってきたのだ。
そしてその日に、リキ先生は先生を辞めた。
理由は分からなかった。
今も分からない。
そしてこれからも分からないだろう。
リキ先生が先生でいたのはたったの半年で、その時に借りていた本を返しそびれた。
私は例え好きな内容の本があってもずっと返却し続けた。
好きなジャンルを知られてしまうと、リキ先生が読んだ他のジャンルが読めなくなりそうで、それが嫌だったから。
私は本棚からそれを取り出す。
返しそびれた本。
何回も何回も読んだ。
返せなかった本は文庫本で、今は角が丸くなり表紙はくたびれていた。
想い出は、私だけが持っているのだろう
リキ先生はきっと私の事を忘れているに違いない
角が丸くなり表紙はくたびれた本
この本だけが
私とリキ先生を繋げる
唯一のモノ
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