デスノ 君と私は足してゼロ | ナノ
6日 不昧不落
霧の街だとか、食べ物がすぐに黴びるだとか、なかなかに酷評を頂くロンドンで晴天は珍しい。
せっかくの晴天だ。
ぶらりぶらりと自由気ままに途中下車の旅をしたい、カフェに入って窓辺に座って街を往来する人を観察したいという気持ちが首をもたげたけれど、そういう訳にもいかない。
先ほど出てきたホテルにはLがいる。
Lは甘い物を待っている。
正直、Lが甘い物を待っていようがいまいが本来ならば私に関係ない。
けれど今ばかりはそういう訳にはいかないのだ。
私はワタリさんからの命を受けて此処にいるのだから、職務は全うしなければいけない。
そう、自分の職まで捨てて此処に来たのだから途中で投げ出すなど言語道断だ。
今までの生活で休日はカフェでお茶したり、金曜の夜から車を走らせて遠くで休日を過ごしていたものだから、ついつい天気が良いと自由に時間を使いたくなる。
うっかり駅の方に向かう足先。踵だけを地面につけて半回転して、デパートに向かう。
陽射しを浴びるから出かけたくなるのだ。
それならば、地下に潜ってやる。
君
と
私
は足して
ゼロ
不昧不落
毎日同じデパートに来てデザートを買って帰るだけの運動は正直厭きる。
本当に何処かに行ってしまおうかと悪い考えが浮かんできたので、ワタリさんを思い浮べて一掃した。
それに天気も崩れ始めているしね。
「ただいま」
リビングのソファに座るLは両手にデザートの袋をぶら下げた格好の私を見て、一目散に玄関まで来た。
Lはデザートの方にだけ意識を向けているらしく、目線の先にはデザートの袋。
「今日は何を買ってきたんですか?」
唇に人差し指を当てていて、良い年した男が取るポーズではない。
しかも甘味を買ってきた時に発せられるLの声だけは意気揚揚としていて、無表情の顔と不釣り合いすぎて気色が悪い。
まぁ、外でこの姿を晒すわけでもないから良いか。
「クリームブリュレ、チーズスフレ、エクレア、ラスク、ゼリー、ガナッシュ、レモンケーキ、シュークリーム、それからチキンソテーシチリア風」
「最後はシャリのですか」
「最後以外も私のだよ。全部二つずつ買った」
「それはそれは」
Lは実に嬉しそうな顔だ。
私が甘い物を半分は残すと見込んだのだろう。
事実私は極端な甘党ではないから残すけれど、こうも嬉しそうにされると全部食べてガッカリさせたくなる。
「さっそく頂きましょう」
「そうだね」
ケーキの準備をよろしく。と言ってLにケーキの入った箱を渡す。
「シャリは何を食べますか?」
「チーズスフレ」
「では私もそれにします」
「女子かよ」
「偏見ですね。女子は仲間意識が強いと言いますし事実仲間意識が強くて同じ物を選ぶ傾向はありますが、すべての女子がそうとは限りません」
「傾向が出ているならばそういう偏見持たれても仕方ないんじゃないの?紅茶はアッサム?」
「ミルクティーが良いのでいつもと同じで。偏見は視野を狭めます。自覚しながら偏見を持つとは、あまり良い傾向ではありませんね」
「私は推理も何もしない、偏見を持つ大人の社会に生きている一社会人だから偏見を持ってもそれは“普通”とみなされる訳で別に構いはしないんだよ。セイロンね」
「才能を潰していますね」
「潰しているのではなく開花させているんだよ。ワイミーズでは身に付けられなかった社会向けのスキルをね」
コンロの火を点す。
ヤカンが沸騰の汽笛を鳴らすまでの間にティーセットの準備だ。
Lはチーズスフレを箱から器用に取り出して、メインディッシュ用の大きなお皿に盛り付けている。
大きなお皿にポツンとあるケーキが淋しそうだ。
私はティーポットに茶漉しをセットする。
「なかなか沸きませんね」
Lはチーズスフレを早く食べたいのだろう、紅茶の準備を急かしてくる。
そんな事を言われようが、火力が足りないのだから仕方がない。
「おとなしく待ちなよ」
Lはつまらなそうにして、皿にケーキを盛り付け始める。
一つの皿にケーキをどんどん盛り付けるL。
何してるんだ。こいつ。
「何してるの」
素直に問えば、Lは馬鹿が居るという表情。
その表情、そのまま返すよ。
「こうやって盛り付けたら、ワクワクしませんか」
「しませんね。ケーキが乾燥するとしか思わないよ」
「早めに食べれば問題ありません」
袋に入っていたラスクまで皿に出している。
紅茶一杯で何個か食べるつもりか。
「紅茶一杯でケーキは一つだよ」
「今日は難解な事件を解決しました。ご褒美です」
「それでケーキを一気に食べるって?」
「そうです」
「いつ私が許可したの」
「シャリの許可が必要なんですか?」
「ワタリさんからLの食生活を任されている身分なのでね」
「ワタリはこんなに厳しくなかったです」
「ワタリさんは優しいから嫌だって言えないんだよ」
「シャリはワタリに理想を求めすぎです」
「自分でも理解してるけど紅茶一杯にケーキ一つは譲らないから」
ピーと、ヤカンが音を鳴らす。
一度ティーポットにお湯を入れて、ティーポット自身を温める。
ティーポットからお湯を捨てたら茶葉を入れて、ピーピー鳴っているヤカンから熱湯を注ぐ。
今から三分が、茶葉の浸出時間だ。
砂時計の上下をクルリと交換する。
「三分後ね」
「丁寧に淹れますね。嫌がらせですか」
「美味しい紅茶を作ってあげているのにその言い草は何だ」
三分待ちなと言ったら、Lはこんなに長い三分は初めてです、と言う。
私が以前居た会社の秘書なんて、お茶を淹れた後にトッピングとして雑巾の絞り汁を数滴入れていた。
隠し味に雑巾の絞り汁の紅茶を淹れる奴に比べて私の優しさと言ったら言葉に出来ない程だろうに。
「で、何の事件解決したの?」
「ロサンゼルスの事件です」
「へぇ。って、近!」
「此処はイギリスですよ」
そうだ、此処はイギリスだった。
それにしてもロサンゼルスとは。
私の住居からそう遠くはない。
最近新聞を読んでいなかったしニュースも見ていなかったから、ロサンゼルスで起きていた事件を私は知らない。
まぁロサンゼルスは常に犯罪に溢れているからね。
そんなのいちいち意識してはいられないよ。
「どんな犯人だったの?」
「爆弾魔、と言うべきでしょうか?」
そんなに大きな犯罪なら、知っているはずだ。
Lを見る。
Lはお茶の席で話しましょう。と言って皿を持ってリビングへ行ってしまった。
砂時計を見る。
後数秒で、砂が無くなるところだった。
ローテーブルを挟んでソファに座って、紅茶とチーズスフレを胃に納めながら犯罪の話を聞く。
事件が解決したから今は寛ぐ時間なのだろうか、食事を楽しみながらLは楽しそうに話をする。
正直に言うと事件等には米一粒程度も興味が無いが、テレビもつまらないので良い暇潰しにはなった。
次の事件は無いのか、他に抱えている事件もあるだろうのにLはつらつらと様々な事件を話す。
事件の話を私が聞いて問題にならないのか気になるけれど、Lの事だからそこは分別しているだろう。
私は気にせず話を聞く。
紅茶を何杯飲んだだろう、気が付けばもう夜になっていた。
「実際の写真を見ますか?」
「結構。ケーキが不味くなる」
「では私が頂きましょう」
「自分の分は自分で食べるからお構い無く」
「私とシャリの間柄じゃないですか。遠慮はいりませんよ」
「正直に言うよ。私の分は私の物だから手を出すな」
伸びてきた手を叩き落とせばLは頬をぷうっと膨らませた。
本当にお前は私と同い年かよ。
甘ったるいクリームブリュレをスプーンで掬って口に運ぶ。
バニラの香りが鼻にまとわりつく。
味覚を占めるのは甘味。それからカラメルの焦げた苦味。
正直に言おう、甘すぎて頭痛が起きつつある。
舌を砂糖漬けにされているみたいで気持ちが悪い。
「不味そうに食べますね」
「美味しすぎて感覚がおかしくなってるんだよ」
「そんなに不味そうに食べては、パティシエに失礼ですよ」
「ここにパティシエは居ないから構わないね」
「私が居ます」
「Lが居たらなんだっていうのさ」
「お菓子を幸せそうに食べられる私が食べずに、不味そうに食べるシャリがお菓子を食べるのが許せません」
「知るかよ」
一刀両断すれば、Lは恨めしそうに私の皿を見る。
私の皿には食べかけのクリームブリュレ、エクレア、ラスク、シュークリーム。
チーズスフレ、ガナッシュ、ゼリー、レモンケーキは食べた。
夕食のチキンソテーシチリア風も食べたうえでなのだから、かなり頑張ったほうだと思う。
それに比べLは完食している。
尤も、Lはチキンソテーシチリア風を食べていないのだから食べきれる量だったのだ。
とは言え、全部が甘味というのが問題なのだけれど。
「エクレア下さい」
「嫌だね」
本当はいらないからあげても良いんだけどね。
でも、全部自分の物だと言った手前、渡すのはプライドが許さない。
取られそうになるエクレアを皿から奪取して、Lの手が届かないようにソファに深々と座る。
背もたれの柔らかいソファだ。流石スウィートルーム。
そんな事を思いながらエクレアを頭の上にあげていたら、Lは何を思ったのかローテーブルに手と膝をついて身を乗り出してきた。
「ください」
Lの手から逃れようとエクレアを移動する。
Lの手も追って動く。
「意地汚い」
「食い意地だけは人一倍です」
「甘い物へのね」
「異論はないです」
Lはいよいよ身を乗り出してくる。
私は逃げようと思ったが、ソファに深々と座っているため瞬発力が無くて手首を捕まれた。
「離せよ」
「離したらエクレアが逃げます」
「これは私のエクレアだよ」
「知りません」
知らないときたか。
そんなの許すと思うなよ。
ソファに寝そべるようにして下に身体をずらす。
するとローテーブルに膝立ちのLは態勢を崩してこちらに倒れこんできた。
私の手首を離すか受け身くらい取れよ!と言いたくなったがもう遅い。
「ぐぇっ!」
Lがそのまま倒れこんできて、Lの腹が私の顔面とぶつかる。
ソファとLに挟まれて動けない私の頭上から、Lのいただきますの声。
しまったと思った時にはもう遅い。
頭上に掲げた右手に持っていたエクレアに僅かな動きを感じた。
Lは私の手首を掴んだまま、ソファに座る私の上に膝立ちして、且つ私を拘束するために私の顔をソファと自分の腹で挟んで、私が手に持っているエクレアにかじりついているのか。
「えうえあううあ(エクレア食うな)」
押し潰されながら声を発すれども、Lは頓着の無い様子でエクレアを食べている。
「手の力抜いてくれませんか?持たれている部分のエクレアが食べられません」
誰が言われた通りに手から力を抜くだろうか。
こんな状況で従うほど私は従順ではない。
いっそエクレアを握り潰してやろうか。
「シャリ、指噛みますよ」
「あえうおおあああんえいあ(噛めるものなら噛んでみな)、いでっ!」
こいつ、本気で噛みやがった!
不昧不落(ふまいふらく)
意志が強く、欲求に惑わされたり堕落したりしないこと
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