デスノ 跡継ぎ 番外 | ナノ
pick your own
最近はワタリの運転で買い物に出かけることが増えた。何の変哲もないスーパーだけれども、産地や価格、その作物が育つ環境はどんなものか、またいつが旬になるのかまで分かるから、座学よりよほど効率がいい。
Lもお菓子が買えるという利点があるからだろう、スーパーに行こうと誘えば嬉しげにするのだ。ワタリも3人での買い物が楽しいのか、カートを押しながらにこやかにしていて、家族とはこういうものなのだろなと擬似体験を満喫する。
「ビショップ?」
スーパーの掲示板の前に立ち止まったLにどうしたのかと近づく。視力が少し弱まった私の目では、近寄らなければ何を見ているのか分からない。
見れば、近くの学校で定期演奏会があるとか、バザーの案内とか、献立に困る親に向けてなのか旬の野菜を使った献立などが貼られている。しかし、Lの目線を追えば、それらではなく、大きくリンゴが描かれたチラシだった。陽気さを感じさせる文字で「pick your own」と書かれていた。
なるほど、林檎狩りか。
「興味ある?」
「いえ、言葉の意味が分からなくて。果物を自分でもぎ取るという意味であってますか?」
「成る程。初めて見る単語の並びだから、分からなかったんだね」
確かにこの単語を教えた覚えはないし、テレビで見たこともないかもしれない。立ち止まって何をしているのかと思えば、あまり使わない文字列の意味を考えていたのか。
「あれは、果物狩りってことだよ。果樹園に赴いて、そこで収穫体験をするんだ。収穫した分は量り売りで購入して、その場で食べるもあり、持ち帰るのもありというものなんだ」
「面白い事を考えるんですね」
「昔は自分で野菜を育てるのは良くあることだったけれど、昨今は生活スタイルが変わったからね。それに、熟す前に収穫した物が店頭には並ぶから、熟した物を買いたいというニーズもあるんだよ」
「なるほど。需要と供給が合致しているんですね」
「そういう事。さて、ビショップ、我々もこの果物狩りに行ってみないかい?」
「え?」
「何事も経験さ。ビショップからの提案なら、ワイミーも喜ぶよ」
チラシの内容を頭にインプットして、レジに並ぶワイミーの所に向かう。繋いだ小さな手は少し緊張しているようで汗ばみ始めていた。
伝わる緊張の理由は、まだワイミーが苦手だからなのか、それとも自分が興味を持ったものにチャレンジすることを恐れているからなのか。どちらともいつか克服しなければならないことだから、ここは少し強行策をとらせてもらおう。
「ワイミー」
「ケイ、ビショップ、何処に行かれていたのですか。ビショップはお菓子を買わなくて良いんですか?」
スーパーに来たときに一つお菓子を買う約束をしているから、今日は買わないのかと疑問に思ったのだろう。気分を害されるだろうから口にはしないが、その言葉はまるで小さな子を持つ母親のようでこそばゆい。
「ワイミー、ビショップはお菓子より良いものを見つけたんだよ」
「お菓子より、ですか?」
ワタリはしゃがんでLと目線を合わせる。Lは私をチラリと見て助けを求めようとする。しかし、今回ばかりは助け舟は出さないでおこう。
私はいつまでもこの小さな手を引くことはできないから、自分から、ワタリに提案する力を身につけて欲しいのだ。
「あの、果物狩りを3人でやったら、楽しいのではないかなと……思いまして」
「果物狩りですか」
俯いてしまって声も細く小さくなるLに、今度はワタリが私をチラリと見てくる。2人して、私を挟んで会話をしようとするんじゃない。という言葉は飲み込んで、Lの言葉に情報を追加する。
「掲示板に果物狩りのチラシがあったんだよ。3人で行ってみないか?」
「そういう事でしたか。ではケイ、これを返してきて下さい」
渡されたのは旬の果物と野菜で、今日明日中に出かけるつもりなのだと分かる。
「分かった。ビショップ、これを元のところに戻してこよう」
「!はいっ!!」
Lもこの行動が示す先を理解したのだろう、嬉しそうに頷いて、渡された果物の袋を受け取る。
「予約は必要ですか?電話番号は?」
「予約は必要だよ。電話番号は……ビショップ覚えてる?」
「はい」
問えば、Lが朗読するように淀みなく電話番号を伝えて、やはり記憶力が良いなと再確認する。
pick your own
ケイが言うには、林檎農家の場所は北にあるから寒いよ、とのことだった。割と高地にあるようで、普段より厚手のコートを、車内で既に鎮座しているトランクの上に積む。
「せっかくですから、近くの宿を一泊取りました」
「それはそれは、楽しみだな」
昨日の夜に告げられた言葉に驚いたのは私だけだったようで、ケイはあっさりとワタリの行動を肯定した。その後はトランクに一泊分の荷物を詰めるようにと言われ、詰めて翌朝には車に荷物を積み、自分も乗り込むこととなった。
「では、行きましょう」
天気の良い空模様に、ケイは楽しみだな、と笑顔を見せてくれる。自分から提案しておいて具体案は何もなしで予約も何もかも全て2人に任せて、それで楽しくなくて2人をがっかりさせたらどうしようかと考えていたから、その笑顔に少し救われる。
「ケイは、果物狩りをしたことありますか?」
「私?私はないよ。ワタリはどうだ?」
「果物狩りとしてではなく、研究の一環で果物を収穫した事はありますね」
「つまり、全員が果物狩りは未経験ということだな」
ケイは笑みを浮かべたまま、楽しみだなと言う。
本当に、楽しみにしてくれているのだ。
「はいっ」
ケイは目を細めて、温かな手で私の頭を撫でてくれる。田舎道を走り抜ける間流れるラジオは、風景に合った穏やかな曲だった。
窓から見える景色は丘陵。なだらかな曲線の中に点在するのは家畜だろうか。未だに放牧して育てているとは、珍しい。あのエリア一帯が酪農家の土地なのだろうか。
「そんなに目をこらして何を見ているんだ?」
ケイがこちらに体を傾けて、同じように窓の外を見る。そこには私が見ている物と同じ景色が広がっているだけだ。
「家畜がいたので、珍しくて」
「ああ、確かに。ロンドンではまず見ないからな。へぇ、放牧しているんだな」
「牛舎とその近くを動き回っているとばかり思っていました」
「確かに、こういう飼育方法もあるが、放牧してストレスを与えない方が良い牛乳を出したり、上質な肉になったりするという意見もあるんだよ」
「そうなんですか」
「付加価値をつけて、他と差を付けているのかもしれないな」
「この地域のブランド牛は良質と言いますからね、きっと、酪農家たちの努力の賜物なのでしょう」
ワタリの言葉に、なるほどと納得する。人間だって一つのところに縛られていてはストレスが溜まり、心だけでなく体も次第に蝕まれ始める。それは牛も同じなのだ。
車はどんどん北へと進み、針葉樹が増えてゆく。きっと外はコートを着なければすぐに手足が冷えてしまうほどに寒く、そして丘を抜ける風の音だけなのだろう。今車内は適温で、耳に触れる音楽は柔らかなメロディだ。たった一つのガラスを隔てた外と中の違いに、外に追い出されていたあの家でのことを思い出す。
あの時は中が羨ましかった。みんな楽しそうにしていて、爪弾きになった気分だった。そんな過去の自分は時折心の奥底にずしりと重たい鉛を落としてくるけれど、今の現実はここで、隣にケイが居てニコニコと微笑みかけてくれるのだと思えば、自然とその鉛は溶けて消えてゆく。
いつか、私は過去と折り合いをつけられるだろうか。急に現れ、現実を光を一切通さない暗闇に染め上げてしまう過去を持て余してしまう。
「あそこですね」
ワタリが言葉を発して、私達が前を見ると、果樹園の看板が見えた。緩やかなカーブを抜けて、看板の隣の道を走るとすぐに大きな民家と畑が見えた。
外に出ると風の冷たさがまるで違って、持ってきたコートを羽織る。ケイも寒いのか、コートのボタンを全て閉じていた。ワタリはボタンは開いたままだけれども、そんなに寒そうにはしていない。
私より寒がりなケイと、私より寒さに強いワタリ。大人でも、こんなに違いがあるのか。新しい発見に、心が落ち着いてゆく。
ワタリに連れられて農園の人に挨拶しに行く。
農園の入り口は開放的な門構えで、絵本に出てきそうな薔薇の蔦が絡まるアーチが出迎えてくれた。
「予約していたワイミーです。大人2人、子ども1人です」
「ようこそいらっしゃいました。カゴと手袋、それからハサミをお一人一つずつどうぞ」
指定された場所には籠が三つあって、その中に小さな籠、手袋、収穫をするための物だろう枝切りバサミのような形をしたハサミが入っている。
私には子供用の手袋が渡された。
「では行きましょう」
「はい」
「楽しみだね」
農園には人がまばらにいて、家族で来ている人達、デートの人達と、性別年齢は幅広い。ワタリは最初に出迎えてくれた野菜エリアで足を止めて、私達も一緒に収穫をする。
「ビショップ、ニンジンを一本収穫してくれませんか?」
ワタリからの依頼に頷いて、ニンジンの絵が描かれた畑に移動すると、そこはまるでシダ植物のような葉が群生しているエリアだった。葉付きで売っているのを見ることはあるけれど、こんなに沢山の葉の部分を見るのは初めてだ。
手袋をした手は曲げにくいけれど、葉をかき分けて一つだけ引き抜く。すると細長い、ピーターラビットに出てくるようなニンジンが顔を出した。少し降って泥を落とし、白いカゴにオレンジのそれを入れる。
「ビショップ、カブも抜いてみたらどうだ?」
「カブですか?」
「カブ料理も良いですね」
「またコンソメで茹でたやつを作ってくれるか?あれ、美味しかったんだ」
「おや、気に入っていたんですか?」
私の知らない食べ物のやりとりをする2人に、ほんの少し寂しさを感じた。付き合ってきた長さが違うのだから仕方ないのだけれども、私が知らない2人の時間を実感してしまうと、溝があるように思えてしまう。
事実、溝なのだけれども。
「ビショップも食べような」
寂しい気持ちはあるけれど、過去2人が経験した世界を追体験させてもらえるのは、安心する。溝の間に橋をかけてもらえたような、そんな気持ちになるのだ。
「はいっ!」
カブのエリアに移動して、抜く。カブは丸い形をしていて、簡単には抜けなかった。ケイが後ろから手を貸してくれて2人で引けば、どうにか抜けた。
「おおきなかぶだな」
「抜き方もまさにそれでしたね」
2人の話しているのは、きっとロシア民話の事だろう。ケイはほんの少しだけ歌って、笑う。
「うんとこしょ、よっこいしょって言って抜けばよかったな」
「それはちょっと恥ずかしいです」
素直に言えば、ケイはまた笑う。ワタリもそれは恥ずかしいでしょう、と私に加担してくれた。
己が拒否しても笑って許されるこの空間の心地良さは、丘を吹き抜ける風を体で感じている今と同じだ。まるで体の中まで風が通っていくような、そんな感覚。とても体が軽やかに感じる。
「さて、そろそろお目当ての林檎のエリアに行こうか」
ケイが立ち上がって、手を差し伸べてくれる。その手を握って歩み出せば、開墾され柔らかい土の上に私の足跡とケイの足跡がついた。大きさのまるで違うそれに、沈む量も僅かに違うのだなと、先日学んだ重量と面積の話を思い出す。
「ビショップ?」
振り返っていた私が気になったのか、ケイが足を止めてしまう。何でもないのだと言う前に、何が気になった?と訊かれてしまった。ケイに誤魔化しなど出来るわけもなくて、素直に足跡の違いを見ていたと伝えると、何故かワタリを呼ぶ。
「ワイミー私たちの前を歩いてくれないか?」
「前をですか?」
後ろをついてきていたワタリが、何かいたずらでも思いついたのですか?と問うてくる。
「理科の勉強だよ」
「理科?前を歩くことで?」
「理科は自然と一体なんだよ。大丈夫、何もしないさ」
ワタリは教えてくれないんですねぇ。と言って前を歩き出す。その後に続く私たちは、ワタリの足跡を見た。我々2人より深い足跡だ。靴底の模様もくっきりとついている。
「我が家で一番重いのは誰だと考える?」
「ワタリです」
「その理由は?」
「靴の面積は私、ケイ、ワタリの順で大きくなります。なので、それでも深さが深いワタリが一番重いとなります」
「正解。面積を考えつつ答えを導き出せたのは素晴らしいな」
見た目からして当たり前だと言われたらそれまでだけれども、理科としての回答を褒められれば、やはり嬉しい。ケイは軍手を外した手で私の頭を撫でてくれた。
心地好い。
また手を繋いで、林檎の木が立ち並ぶエリアへ向かうと、そこも木が等間隔に立ち並ぶ、整理された空間だった。木々の高さもほぼ同一にされていて、枝の剪定も日光が当たりやすく風通しの良い形に整えられている。
人の作り出した、生産者が最適と思った造形なのだろう。事実、ここの林檎は日光を浴びて赤々としている。
風がふわりと甘い香りを運んできていて、これをアップルパイにしたら美味しいのだろうなと考える。そのまま食べても美味しいのかもしれない。
「ビショップはどの林檎が良い?」
木々を見上げていた私にケイは問うてくる。そうか、ぼんやり眺めているだけではない体験型なのだから、林檎を収穫するのだ。
どの林檎が良いだろうか?林檎の良し悪しなんてまるで分からない。ただ赤々としていたら、日光もよく当たっていて熟れているのだから美味しいのかなと考える程度だ。
斜め上に見える林檎を指して、あの林檎が赤いですね、と言えば、ケイはではあれを収穫しようか。と言う。
林檎の下まで来て、どこに三脚があるのかと考えていたら、いくよ、の掛け声も共に脇の下に差し込まれる手。
「わっ」
「ほら、ビショップ、林檎、林檎」
脇の下を支えられながら宙ぶらりんの状態で、手に持ったハサミをどうにか目標のところまで持っていでて林檎を切り離す。
パチン、と力の要るハサミだったけれども、切りごたえが手に伝わってきたのは楽しかったかもしれない。吊るされていた林檎が掌に落ちてきて、重さを感じた。
私が選び、私が収穫した林檎。それが掌にあるのは、とても不思議な気持ちにさせられた。
地面に下ろされて、改めて林檎を眺める。前面が赤く染まり艶やかな林檎。
「美味しそうだな」
「艶々してますね。まるでワックスを塗っているみたいです」
ツルツルとする触り心地に、普段売られているまだ青さが残る林檎のサラサラした感触を思い出す。
どうしてこんなに違うのだろう。
「林檎が成熟した証拠だよ。成熟するにつれて林檎は脂肪酸を出して、皮に含まれるロウ物質を溶かして外に排出しているんだ」
「ではこのワックスみたいなものは、熟れた証拠なんですか?」
「そういう事になるね。こういうのを『油あがり』とも言うんだよ」
「知りませんでした」
「林檎農家くらいしか、この言葉は知らないだろうね」
違う、私が知らないのは、林檎が成熟するとロウ物質を出す事や、油あがりという言葉全てに対してだ。
私は、まだまだ知らないことが多過ぎる。
「おや、美味しそうな林檎ですね」
ワタリが手元を覗き込んできて、朗らかに言った。
「もう少し収穫をしたら、イートコーナーに行って食べてみましょう。きっとこの林檎は美味しいですよ」
ワタリは私の選んだ林檎を褒めてくれる。併せて、他にも収穫しましょうと言って脚立を持ってきた。
ケイは私が抱き上げるのに、と言ったけれど、ハサミを使うのだから万が一があっては危ないでしょう?とワタリに諭されている。
「まぁ確かに、私がバランスを崩してビショップに怪我でもさせてしまったら、大問題だな」
「私には、ビショップもケイも、どちらが怪我を負っても大問題です。さて、ビショップ、他に気になる林檎はありますか?」
そちらに脚立を置きますよ、と言われて、また空を見上げる。ケイを見上げるようになったからか、空を見上げたからと言って昔みたいに背や首が痛くなることはない。
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