デスノ 跡継ぎ | ナノ
生まれる前に
ケイは意気揚々と私がLになれると言うが、私は不安でならなかった。
はたして私が事件を解決出来るのだろうか。
孤児院で過ごし始めて、この年になってやっと文字が読めるようになった私が?
それだけの知能があるのかと悩む私に、ケイは意気揚々となれると言う。
それがかえって、ケイが軽率な考えなのではないかと思わせる。尤も、ケイは事件を解決出来るくらいの知能を持った女性で、私に軽率な考えだと言われるような人では無い。
それでも不安でならないのは、私が自分に自信が無いからだ。
跡継ぎ
生まれ落ちる前に
夕食はワタリが作ってくれていて、出来上がったばかりの温かい食事はどれも美味しくて、それに今回は量が少ないから出されたすべてを食べ終えて更にデザートも食べられた。
お風呂を済ませた後は私に設けられた部屋で勉強をする事になった。ケイと一緒に部屋に入るけれど、部屋は最初見た時と同様にやはり広くて、背中ががらんと空いている気がして落ち着かない。
私にデスクの椅子に座るように言った後、ケイは部屋にある椅子を動かして私の隣に置いた。机は大きくて、私たちが二人並んでも机からはみ出る事は無い。
「まずは算数からやろうか」
教材を机に広げて、ケイが隣から教えてくれる。
計算式を埋めていくのだけれど、ペンを持った事は孤児院に入ってからで、まだ私は持ち慣れていないから思うように字が書けない。
ケイのようにペン先から流れる様に、字が書けない。
なんて汚い字なのだろう、ミミズがのた打ち回ったような、気持ち悪い線が沢山だ。
ケイは字も満足に書けない私に幻滅するかもしれない。
「L、少し休憩しようか」
下手な字で計算をしていると、ケイは休憩をとろうと言い出した。
やはり、字がまともに書けない私に失望したのだろうか。
呆れたのだろうか。もうやらなくて良い。と言うのだろうか。
「パソコンをやろう。計算式なんて、Lには実際問題あまり必要ないんだよな。まぁ、生きていく上では必要だけど。それは生活していく上で勝手に身に着くから良いよ」
ケイは自分の目の前にあったパソコンの画面を軽く叩いて、立ち上がる。
「L、椅子の手摺りを掴んでおくんだよ。今から動かすからね」
私の椅子には車輪がついているからなのか、ケイは私が座ったままなのに椅子を動かした。滑るように動く世界。車とはまた違う感覚は少し面白い。
ケイの前にあったパソコンが私の前に現れて、構えられているようだ。
「まず使い方を教えるよ、ここを押して」
示された部分を押すと、起動する音。
ケイは使い方を教えてくれる。
ペンを持って書くのではなくマウスを動かしてキーボードをタイピングするだけなので気が楽だし、画面を見るだけだから覚える気が無くても頭に入ってくる。
文字を書くより、マウスを動かしてキーボードで打ち込む方が楽だ。それに、命令を打ち込めば指示通りに発動するのが楽しい。
パチパチとキーボードを押していると、急にケイに頭を撫でられた。
隣に居るのがケイだと分かっていたのに、体は勝手に震えてしまう。
「Lは凄いな。覚えるのが速い」
動けない私にケイはゆったりとした声をかけてくれる。
その声は低くて母ではないのだと証明してくれているし、なによりこの空間には母は居ないのに、どうして私は怖がってしまうのだろうか。
隣りに居るのはケイなんだ。
俯いた格好のまま、ケイを視線だけで見るとケイは実に嬉しそうにしていた。
こんな人を怖がって得しまう自分が情けない。
悲しくて、それと同時に嬉しくて、胸が締め付けられるような感覚。
今までこの私が人に褒められる事なんてあっただろうか。
褒められたのが、どうしようもなく嬉しい。
「L、そろそろ終了しようか。一気にやったら目が疲れてしまうからね」
パソコン操作をしている最中、私が指示通りに起動させられるとケイは毎回頭を撫でてきた。
頭を撫でられるのは、嫌ではないけれど、最初の方はどうしても頭に手を置かれるとビクリとしてしまい、ケイはその度に笑って話しかけてきた。
だから今では、どうにか慣れてきている。
「君はまだまだ成長する時期なんだから、睡眠も沢山とらなくちゃな。私はもう成長しないけど」
ケイは笑って、パソコンの電源を切ろうと言った。
電源を切ると、ケイは私の手を握る。今日は散歩の時ずっと手を繋いでいたから、手を繋ぐのには馴れている。
だからケイを困らせる様な反応を出さなくて済んだ。
手を繋いだまま椅子から降りると、トイレは?と訊かれるのでトイレに向かう。
場所は覚えたのに、ケイは私をトイレへと誘ってくれた。
その後は部屋に戻って、大きくてフカフカしたベッドに乗る。すると何故かケイも私のベッドに腰掛けた。
「ねぇL、今日も一緒に寝ないか?」
昨日はこのベッドが使えない為にケイと共に寝た。
今日はこのベッドは使えて、ケイの部屋にあるケイのベッドも使える。
なのに何故、今日も共に寝るのだろうか。
「駄目か?」
問われて、返答に困る。
「Lは私が居たら眠れないか?」
そんな筈は無い、と思う。
ケイが居ても私は確かに寝ていた。
だがそれは昨日があまりに疲れていたからなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
「私はLが居てくれた方が、怖い夢を見なくて済むんだよ」
ケイはだからさ、と言うが、その後は続けなかった。
「嫌なら嫌だって言ってくれて良い」
嫌かと問われると何が嫌かが分からない。
ただ緊張してしまうのだ。
人が居るとなると緊張する。
隣に人が居るのに無防備に寝るのは怖い。
隣にいるのが母だったらと考えると、背中を虫が這い上がってくる様な気持ち悪さを感じる。
私は嫌なのではなく、怖いのだ。
「じゃあこうしよう」
いつまでも返事をしない私に苛立つ事もなく、ケイはある提案をしてくる。
ケイはベッドに乗り、壁を背もたれにすると私を手招きした。
「L、私の足の間に座って」
ケイは私が今日ソファの上で座っていた格好をしている。
私はどうすれば良いのか、またケイが何をしたいのか分からず途方に暮れる。
「私の腹を背もたれにするんだよ」
本当にケイは何がしたいのだろうか。分からないままに、言われた通り足の間に腰を下ろし、ケイの胴体に背中を預ける。
「もっともたれかかった方が楽だろ。遠慮はしないでやってごらん」
そんな事を言われても、と思っていたら、ケイの両腕が横から伸びて来て、私に後ろからしがみつくようにしてきた。
私は圧迫感に似た恐怖に、母が私の腹を踏みつけた時を思い出した。
声は出ずに空気を吸うだけの悲鳴に似た変な音を出す喉。
視界が暗闇に覆われる。
「L、大丈夫、私だ。ケイだ。ケイ・クウォークだよ」
優しく頭を撫でる手。
なのに私の身体は筋肉が引きつっている。
実際はケイの腕にはまったく力がこもっておらず、圧迫感は自分自身が作り出した幻覚だ。
「済まない。何も言わずにこんな事をしてしまって。驚いたよな。配慮不足だった」
悔しかった。
母から離れる事が出来たのに、母の残像に、虚像に怯えている自分が情けなかった。
何故?
もう母から逃れたじゃないか。
怖がるな。
もう怯える事なんて、無いではないか。
頭ではそう思っても、身体が反応してしまう。
自分で自分を制する事が出来ないのが、歯痒かった。
「L、聞いてくれ」
女にしては低い、声変わり前の男の人のような声。
ケイの声は、金切り声を上げる母とはかけ離れている。
「泣きたい時は我慢しては駄目だ」
我慢。
私は別に泣きたいわけではない。
泣く理由も無い。
第一、涙とはいつ出るのだろう。
涙なんてずっと流していなかったから泣き方を知らない。
「L」
私の腹の前で組まれた指。
腕を輪にしたケイ。
私は今ケイの腕の中に納まっている。
「もっとよりかかる方が楽だろう」
ケイは私の身体を自分の方へ押し倒す。
ケイも私も暫くそのままでいた。
後頭部にケイの心臓の動きを感じる。
一定のリズムでゆっくりと時を刻む心臓。
人の心音を聞いたのは初めてだ。
自分の心音は嫌と云うほど聞いてきた。
例えば――
例えば、極度の緊張に陥った時、鼓膜の近くに存在する様に煩く鳴る心音とか
暴力を受けて痛みに蹲る時に、脈打つ心音が聞こえたとか
母が寝てシンと静まり返った空間の隅で蹲って耳を手首につけると、生きてる証拠をまざまざと教えられたときとか
気がつけば私は膝を抱えて蹲る様にしていた。
「その格好を見るのは2回目だ」
ケイが軽快に言う。
ケイは知らないのだ。私がこの格好をとるのは大概嫌な考えを持っている時とか、保身の為とかが理由なのを。だからそんな口調で話しかけてくる。
「今から私は少し動くよ」
ケイはそれだけ言って、私の腹の前で組んでいた指を解き、私の脛の前に組みなおす。
ケイが今度は猫背になり、私にもたれかかってくる。
暫く座りやすさを求めて身動きをした後、ケイは落ち着いた。
「この格好、辛くはないか?」
やわく包む様な形のケイに私が辛さを感じる事はない。
背中に少し当たる部分からケイの心音を感じる。
密着する様な格好だけれども涼しいので不快感は無く、保身の格好は心地良くて、私は目を閉じる。
瞑想と云うわけでは無いけれど、私はこの蹲る様な格好で目を閉じるのが好きだ。
何者にも侵される事の無い空間に入り込んだ様な気分。
暴力も無く
蔑みも無く
哀れみも
悲しみも
苦しみも
総てが無になる
総てが無になって私が何なのかが分からなくなる空間
溶けていなくなってしまうような感じになる
私は何なのか
『私』とは何なのか
分からなくなる
否、元々分かっていないだけなのか、それとも定義などないのか
目を開けた。
「おや、起きちゃったのか」
後からの声に驚き身体が勝手に固くなる。
背中には確かに壁が当たっていて、人が立てる場所など無いはずなのに声がする。
「私だ。ケイだよ、L」
言われて、あぁそういえばと思い出す。
私はケイに包まれる様な格好なのだった。
「寝て少ししか経ってない。まだ寝た方が良いぞ。この格好のままだと筋肉が凝り固まってしまうから、横になろう」
私は首を横に振る。
あまり疲れていない今、私はこの格好でいるのが一番落ち着くし、眠る事が出来るのだ。
横になって眠るのは余程疲れている時か、もしくは暴力で立てない時だ。
だがケイは普通の人で、普通の人は横になって眠る。
普通の人がこの格好で眠るのは、ケイが言うように筋肉が凝り固まってしまうのだろう。別々に寝眠るほうが互いに良い筈だけれど、ケイには何らかの考えがあって共に私にも横になって寝ようと言っているのかもしれない。
私がケイに何かを言うのは身の程知らずにもほどがある。
それに何より、私は相変わらず口を開けても声が出ない。
何に緊張しているのか。
簡単だ。
自分よりもだいぶ優れた人に何かを言うだなんて、自分の意見を碌に口にした事が無い私に出来るわけが無い。
「Lはこのままの方が良いか?」
頷いた。
「じゃあこのままで寝よう。で、Lがこの体制に疲れたら私の手を叩くなり、何かしらの方法をとってくれ」
ケイはこのままでいるつもりなのか?
ケイが寝れないのではないのか。
口を開ける。
漏れるのは息だけ。
私は話せないわけでは無いのだから、舌を動かせば声は出る筈なんだ。
昨日は話せたし、今日も話せたのだから、声の出し方を思い出せ。
「……あ、……あの。ケイは寝れるんですか?」
「私の心配か?君は優しいな」
頭を撫でられるけれど、少し身構えるだけで済んだ。
「眠れるよ、私は」
ケイは笑った。
「さ、寝よう?君は育ち盛りなんだから、食べて寝なくちゃ」
頭を一撫でして、手は私の前でまた組まれた。
「おやすみ、L」
「……おやすみなさい、ケイ」
〜戯言〜
急いで変わろうとすると、性格はいびつに歪む事がある。
自分と向き合わずに自分を変えると新しく作った自分と過去の自分が身体に共存してしまう。
しかも新しく作った自分と過去の自分は逆の関係が多く、アンバランスになってしまう。
だから焦らなくて良いのだ。
自分と向き合ってゆっくりと進歩すれば良い。
自分造りを急ぐ事などないのだから。
焦る事など、無いのだから。
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