デスノ 跡継ぎ | ナノ
初対面
孤児院に連れて来られて数週間が経った頃、ワイミーという男の人が私を引き取りたいと申し出てきた。どんな人なのかも分からない初対面の相手だけれども、孤児に里親を選べるわけもない。
沢山ある施設の中で、沢山居る孤児の中から自分を選んでもらえただけでも感謝しなくてはならないのだ。周りの子供達から嫉妬の視線を感じながら、黙って男性の車に乗り込む。
着いた先は、孤児院にある角が擦り切れた絵本や写真でしか見た事がないような、とても大きくて綺麗な建物。
高い塀を見上げていると、格子の門が少し錆びついた高い音を奏でて開いて、男性に促され手入れの行き届いた庭に入る。
不安がお腹の中でどんどん広がって、代わりに内臓が圧迫された様な感覚に陥った。
跡継ぎ
act.01 初対面
「どうぞお入り下さい」
今までは子供相手という事もあり、優しい口調で話しかけられることはあったけれど、敬語というのだろうか、丁寧な口調で話し掛けられるのは初めてだ。子供相手に、拾った孤児相手に敬語を話す老人に戸惑いを感じながらも、玄関に足を踏み入れる。
床はピカピカの大理石。まるでお城のような外装と同じ内装に、やはりここはお金持ちの家なのだと確信した。
何故、沢山居る孤児の中からこの家に引き取られる事になったのが私になのだろう。ここは何不自由せずに生きてきた人が暮らす屋敷だ。私のような人間が住む場所ではない。
何人の人がここに住んでいるのかは分からないけれど、この広い屋敷に子供の元気な声を響かせたいと考えて私を引き取ったのならば、それは大きな間違いだ。
私は母に叩かれた時、声を出すと余計に叩かれるし食事も貰えなかったから、声を出さずに育ってきた。そのせいで今だって声を出すのは苦手だ。だからこの広い空間に声を響かせるなんて出来ない。
近所の人が母の罵声に耐え兼ねて児童相談所という場所に連絡をしたらしく、最近私は母の元を離れて孤児院に入ったのだけれど、児童相談所の人が家に突然入ってきて暴れる母を取り押さえた光景は、未だに記憶に鮮明に残っている。あの叫び声も暴れる音も、相談所の人が怒鳴る声も、警察が銃を構えて威嚇するような大声を出して入ってきたのも、耳にこびり付いてとれない。
目を閉じると、あの時の光景が、まるで眼前でテレビを見させられているように流れるのだ。
こんな生い立ちの私が、こんな綺麗な空間に居るのは場違いだ。
ひどく、居心地が悪い。
「初めまして」
青年くらいの人の声が、文字通り降ってくる。
顔は上げずに目だけで相手を確認すると、声でお兄さんかと思った相手は細身の女性だった。
女性は口に笑みを浮かべて私の前にしゃがみこむ。目線が同じになって、見られているのが落ち着かなくて、怒られるかもしれないと思ったけれど視線を床に逃がしてしまった。
「私は……あーっと、ワタリ、良いか?」
後ろにいる男性をシスターはワイミーと呼んでいた筈なのに、彼女はワタリと言って視線を向けている。
「構いませんが、玄関で立ち話は失礼ですよ」
「そうだな。済まない」
女性は立ち上がって、こちらに手を伸ばしてきた。
上から自分に伸びてくる手に、身体が勝手に震え上がる。
心臓が破裂しそうなほど大きく脈打って、胃がキュゥと縮こまって、中にある物を吐き出しそうだ。
息が上手く吸えない。
頭がくらくらする。
「この家は他と違って土足禁止なんだ、玄関で靴を脱いで、ついておいで」
そう言って女性は靴下を穿いた足で、ピカピカの廊下を歩きながら、奥に向かう。
「どうした?立ちっぱなしは疲れるだろう。こちらに来ると良い」
急いで靴を脱いで、女性について歩く。
大理石の床を歩きながら、廊下に置かれている珍しい物に目を向ける。綺麗な物ばかりだ。アンティーク、と言うのだろうか?よく分からないけれど、高そうだから触らないほうが良い。
部屋に入ると豪華なソファとテーブル、それから大きなテレビがあった。この家の住人は綺麗な物を集めるのが好きなのだろう、どれもこれも凝った作りで綺麗だ。
「この椅子に座るといい。一番座り心地が良いよ」
指定されたのは一人掛けのソファだった。
腰かけると、本当に座り心地が良い。こんなソファは初めてだ。今までのどのベッドよりも柔らかい。
女性は私の斜め前にある一人掛けのソファに腰を掛けた。
「ワタリ、お茶を淹れてくれるかな」
「畏まりました」
またワイミーをワタリと呼んでいる。
もしかしたらワイミーというのは私の聞き間違いで、本当はワタリなのかもしれない。
「少年、好きな飲み物はあるかな?リクエストをどうぞ」
太股に置いた自分の手を見ながら考える。
最近孤児院で飲んだジュースは甘くて好きだ。好きだけれど、他人に対して要求なんて抵抗があって言えない。第一、自分の要求を口にしてそれが叶った事は一度も無い。口を開いても、漏れるのは声では無く息。
喉が痙攣して発言を妨げる。
話さなくてはならないのに、相手が回答を求めているのに、呼吸がまたうまく吸えなくて、苦しい。まるで洗面器に顔を押し込まれているみたいだ。
寒い。目眩がする。
「『はい』なら手を一回叩く、『いいえ』なら手を二回叩くとしようか」
パチ、パチパチ、と手を叩く音。拍手のように手を合わせた女性がこちらを見て笑っている。
女性の提案に、頷く事でどうにか返事をした。
「甘い物は好き?」
太股に置いた手が、いつの間にか拳になっていた事に気付く。
緊張に固まった関節を動かして、広げた手を一回叩くけれど音はほとんどしなかった。ただ手を合わせただけの格好だ。
「分かった。ワタリ、甘い物が好きらしいよ」
女性が台所に居るのだろう男性に声を掛けた。
「聞こえておりますよ。ココアでよろしいでしょうか」
「ココアなんて、この家にあったのか?」
「先日買いましたよ」
「成る程。流石ワタリだ」
女性はこちらに視線を向けたようだ。視線を感じ取るのは敏感になっているから分かる。見られているのは緊張する。
合わせたままの手を外し、また拳を握った。
「改めて、初めまして。少年」
おじぎをする。
「見ず知らずの人間に突然こんな場所に連れて来られて、落ち着かないだろう」
女性は軽快な口調で言った。
シスターのようなおっとりした口調ではなく、どちらかというと孤児院に居た、もうすぐ大人になるだろう男の子が発する声に似ている。
「落ち着かない状態の時に済まないが、君にはこれからここで生活してもらうつもりだ」
そうなるだろうと理解はしていたのだけれど、いざそうなると思うと濡れた布を口の中に詰め込まれたような気分になった。
家に入ると大勢の人が居ないから、叩かれたりしても気付いてもらえない。
ましてこんな豪邸だ、周りは絶対に気付かない。
否、家に入れば必ず殴られるわけではないのだ。
孤児院に居た子供達の中には、暴力を受けていない子もいた。
けれど私の経験が、家に居ると、周りに多数の目がないと、暴力から逃げられないと訴えてくる。
「嫌なら断ってくれて良いよ。君にも選択権はあるのだから。君が望めば孤児院に戻れる」
またあの集団生活に戻り、周りから浮いた存在で居続けるか。
それともまだ叩かれるか分からない家庭に入ってみるか。
前者を選べば私はいつまでも周りから可哀想な子、不気味な子として扱われ続けるのだろう。
後者を選べば、今からの人生が変化するかもしれない。
今が人生の分岐点。
変わらない日常か、新しい日常か。
私は今の生き方が苦痛で仕方ない。
少しでも可能性があるほうを選びたい。
私は、変わりたいのだ。
ならば、変化を選択するしかない。
「嫌なら手を一回叩いてくれれば良い」
首を横に振った。
『ここに居ます』とすら言えない自分の弱さに苛立ちを覚える。
「良いのか?」
返事をしようと思ったのに、やはり口から漏れるのは息でしかない。
なんて情けないのだろう。
「そうか」
「どうぞ」
ワタリと呼ばれた男性が、テーブルに湯気が立つ茶色の液の入ったマグカップと、皿に乗ったケーキを置く。ケーキは一度だけ児童相談所に連行された時に口にした事がある。
とても美味しくて、好きな物。
「有難うワタリ」
女性は自分の前に置かれたティーカップの黒い液に、小さな白い四角い物を入れた。次いで、白い液を淹れてスプーンでかき混ぜるとティーカップに口をつける。
その動きが綺麗で、この人がとても素敵な大人なのだと知らせる。
一口飲んだ女性は、私に笑いかけてきた。
「これからよろしく、少年。私はケイだ」
女性はケイという名前らしい。
対する私には名が無い。
母が出産届というのを出していなかったらしく、名前も無ければ、この世に存在も認識されていなかった。
それをケイは知ってか知らずか、私の名を訊いてこなかった。
それが救いだった。
「少年、君にはこれから、この家の中では『L』と名乗ってもらいたい」
私に名前をつけようとするケイ。
やはり、私に名前が無い事を知っているのだろう。
「まぁ、Lというのは肩書きや称号で、別に本当の名前をつけないとならないんだが……」
ケイはまた一口飲んで、ティーカップをテーブルに置いた。カチャリと、陶器と陶器がぶつかる音が静かな空間に響く。
ケイの言う肩書きとか称号とか、よく分からない。
ただ分かるのは、『L』が本当の名前ではないという事。
「名前を考えるのが苦手なんだ」
肩を下げて、溜め息混じりに言うケイ。
「まだ肩書きと言われても、分からないかな?まぁ分かるまで君には『L』と名乗ってもらえると有難い」
とりあえず呼び名が当分は『L』になったようだ。
分かったと言いたくて、でも言えなくて。
ヒュッと息だけが出ると、ケイは『はい』なら手を一回叩くんだよ。と言ってくれたから、一回だけ手を叩く。
「ワタリ、この子が次のLだ」
「了解しました。ですが現在は貴女が……」
「分かっているさ。けれどそれはややこしい話だから、今は止めよう。ところでL、ココアを飲まないのかな?」
Lと呼ばれて戸惑う。
私を示す単語とは、変な感じだ。初めてだから落ち着かない。
それに、ココアという物も生まれて初めて見た。
湯気が立つ泥のような液体。これは飲んで良いのだろうか?
「安心しろ、毒なんて入っていない」
ケイは湯気が立つ茶色の液の入ったマグカップを、戸惑い無く口につけて傾けた。
「甘いよ。飲んでごらん」
マグカップを受け取って、一口飲む。
温かい液が口内を満たして、舌の上を甘い液が通過する。
甘くて温かくて美味しい。
「ケーキも食べるといい」
ケーキにフォークを刺す。
以前食べたケーキよりもスポンジがふわふわで甘くて、クリームも油っぽくなくてずっと美味しい。フォークを刺しては食べてを繰り返すと、ケーキはすぐに姿を消してしまった。
「私の分も食べるか?」
テーブルに置かれていたもう一つのケーキを差し出されるけれど、これはケイのケーキであって私の物では無いから、食べてはいけない。
「私は腹が減っていないから食べてくれると嬉しいんだが……」
私が食べるとケイが嬉しがる?なんで?
人を喜ばせる事が出来た試しは、一度も無い。もしかしたら今の言葉は嘘で、不機嫌にさせてしまうかもしれない。
けれど、もしも喜んでもらえるならと思ってケーキの乗った皿を受け取って、フォークを刺して、口に運ぶ。それは先程と同じ物なのに、緊張から味をろくに感じない。
人の物を奪ったと叩かれたらどうしよう。
「有難う」
震えて固まっていた喉が、あっさりと口の中にあった物を下す。
驚いてケイを見ると、ケイは嬉しそうに笑みを浮かべているから、余計に驚いた。私が何かをして相手が笑みを浮かべて有難うと言ってくれることは今まで一度も無かったから、嬉しい。
私が誰かに感謝された事が。
私という存在が誰かの役に立った事が。
ケイは笑みを浮かべたまま、動きを止めていた私に
「お腹が一杯なら無理して食べては駄目だよ」
と言った。
首を横に振って、ケーキを口に運ぶ。ケーキは甘くて、スポンジはしっとりしていて、とても美味しかった。
「この家を案内しなくてはならないな」
ケーキもココアも残さず食べた後、ケイが伸びをしながら言う。
ワタリは食器を引き下げていた。
「この家はどうにも広いからな」
ケイは立ち上がった。
「L、ついておいで。君の部屋も用意してあるんだ」
ソファから降りて、ケイの後ろに着く。
「そういえばL、トイレは平気?」
手を一度叩いて返事をする。
「行きたくなったら早めに言ってくれ。それか手や服を引っ張ってくれ。この家はさっきも言ったが無駄に広い。つまりトイレに行くまで時間が掛かるから」
私は、また一度だけ手を叩いた。
〜戯言〜
ケイさんが竜崎(L)の一つ前のLです。
Lは称号なんですよね?
だから、何代にも受け継がれているんじゃないかなと妄想して……。
(05年に書いた代物なので、現在の情報と若干異なっております。ご了承くださいませ)
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