モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
夢と現
スパンと小気味良い音が部屋に響き渡った。突然覚醒させられた脳は靄すらかける暇が無いのか、晴れ渡っている。
反射的に飛び起きて音源を探せば、それは両手で勢い良く左右に開けた襖の中央に立っていた。相手が知れて、盗人ではないと安心した体は寒さに気付いて震える。
今日は細い月だからだろう、光源のない夜はほぼ闇である。こんな夜中に、何の用だ。
「どうした」
「……」
安眠妨害をした本人はだんまりを決めこんでいて、まるで癇癪を起こした子供だ。寝癖がついているだろう髪を掻き上げて、溜め息を吐く。
それは、許しを出す合図。
「こちらに来い、薬売り。其処に居られては風が入ってきて寒くて仕方ない」
すると男はすぐに中に入って、後ろ手に襖を閉めた。そして少し足早に布団の傍にやって来て、正座。
窓から入る頼りない月明かりが男の肩辺りまでを冷たい色で染め、いつもの雅な衣装ではなく寝間着姿が浮き上がってくる。ここ数日は毎夜見る姿ではあるが、脳はやはり覚醒しきれていないようで何かが違うと訴えてきた。
私の中で男はあの着衣でこそのようだ。
否、遠目でもパッと見て分かる派手さが脳に刷り込まれているだけで、現に今はもうおかしいと思いはしないから、頭もしっかり覚醒したのだろう。
「何があった」
「何も……ありませんよ」
こういう返事を返す時の男は、本当に手強い。以前にも一度あったが、私が理解するまで何も言わないし表情すら変えないのだ。のっぺらぼうとの対話など冗談ではない。つい溜め息が出そうになって、飲み込む。
溜め息は駄目だ。相手を追い詰めることになりかねない。
では、何と問おうか?
月の位置から考えて、丑の刻。一度は眠っただろう時間だ。深夜に目が覚めて、急ぎ私の所に来たのだと考えれば、予想されることは一つ。
「夢を見たか?」
「はい」
「どの様な」
「総てが、無に、なる」
「ふむ」
「西明が、居ません、でした」
「それはそうだ。無なのだから私が居るわけない」
「西明」
「永遠など無いのだよ」
「俺は」
「薬売り」
私だっていつかは消滅する。いつ訪れるとも知れない消滅は男より早いかもしれないし、遅いかもしれない。
だから、そんな悲しい顔をしないで欲しい。
男が無を畏怖するのは、男が求める理も真も無い、無秩序で混沌とした世界だからだろうと私は考えていて、そしてその考えが合っていて欲しいと心のどこかで願っている。
私が居ないから等と、言ってくれるなよ、薬売り。
支えられて相手の重荷になるのも、甘えて自立心を損なう己も嫌いだが、誰かの心の支えになるのも嫌だ。そんなのは、私には大役過ぎる。
支えにされても支えきれない。
一時支えて居心地の良さを教えた後に途中放棄するのは、最初から何もしないのよりも残酷だ。私がこの男の最期まで共にいられるとは思わないから、私は最初から安受け合いなどしないし、一時の気休めにしかならない優しい言葉も吐いてはやらないと、そう、決めている。
「薬売り」
「はい」
「私もお前も、いつかは朽ちる身なのだよ」
「俺は、西明と共に、朽ちたい」
「そんな都合良く物事はいかないよ」
「ならば……」
「もう止めよう、薬売り。未来の事など誰も分からない。これ以上話しても何にもならん。鼬の追いかけっこだ」
畳み掛けるように言葉を被せるのは卑怯だろう。でも、これ以上は駄目だ。今でさえそうなのに、更に耳を塞ぎたくなる事を言ってくるに違いない。
私は、お前の願望は、叶えてやりたいと思ってしまうのだ。だからもう何も言ってくれるな。
それなのに男は言葉を細い絹糸を紡ぐ様に、繊細に発した。
「無の中に、独りは、嫌です」
何と返せば良いのだ。
否、男は返事など求めていない。
心に留めておくのにそれはあまりに重すぎるから、ただ吐き出したいだけなのだ。
外では、一人旅をしている男が弱音を吐く事は隙を作り死へと直結するのと同意義。だから話したりはしないだろう。しかし今は私の家で、そして友と呼ぶにはあまりに曖昧な関係だが、交遊関係の間柄に位置する私が居る。
吐き出すには調度良いのだろう。
「西明」
男の手が、頬に触れて撫でてくる。
私は触られる事を好まない。むしろ、毛嫌いしている。
しかしこの男に限っては、触られても気持ち悪いとは思わないから、拒絶はしない。好きなようにさせてやる。
視線をしっかりと合わせ、見詰め合う。
「西明は此処に、居ます、よね」
「今は」
「ずっとは」
「お前の望む永遠は、無理だ」
「……」
「今此処に居るのでは不満か」
「不満、です」
「自分に正直だな」
「はい」
頬を撫でる手が顎を撫で、髪の生え際に流れてくる。
外気に露出された頬では互いの体温は似たようなもので、相手が少し冷たいかと思う位だったが、髪や着物の衿で外気から守られていた首の付け根に触れられて、背筋がぞわりとした。
そのまま引き寄せられ、相手の肩に顎が乗る。
首筋に、息がかかった。
「何故、死ぬのですか」
「理だ」
「そんな理、要りません」
「どんなに足掻いても、こればかりは覆せやしないよ、薬売り」
腰に腕が回される。きつく抱き締められて、息が詰まりそうだ。
「嫌な夢を見たのだな」
「はい」
「怖いのだな」
「はい」
相手の髪に指を入れ、髪を梳く。
癖毛だが柔らかい髪質。この手触りが、私は好きだ。
薬売り。と呼ぼうとして、止める。
今だけと期限をつけてならば一緒に居てやれると、どうして言えるだろう。永遠に一緒に居てやれる等と云う嘘を私は吐けないし、万一言ったところで、男は真実を知っているのだから気休めにもならない。
一緒に終焉を迎えられたら良い。
この願望は叶わないのだと知っている為に、口に出せない自分が憎らしい。せめて一言、叶わないと、約束をしても果たせないと知っていても願望を口にしてしまう愚かさがあれば。
塵のように軽い約束でも、それを心の糧にして生きられるのだろうか。
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