モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
飽和する世界
チリン。と音がした。
今は陽が出て間もない時間。つまる所、朝食の最中だ。
昼や夕方ならまだしも、朝食の時刻に来客とは珍しい。
「客、ですかね」
「客だろう」
膳の上は残り一口程度。だが、客を待たせるのも忍びない。
箸を置いて立ち上がると、薬売りは見上げてくる。
「先に食べていてくれ」
「言われなくても」
囲炉裏のある部屋から出ると、途端に熱が冷たい空気に融けてゆく。
足袋を履いていない為、冷たい床に足裏の感覚は鈍くなる一方だ。
この温度では客も寒がっている筈。客間の火鉢は焚いているから、店先で仕事をするのはやめて客間に引き込もう。
「ごめんください」
侍の格好をした男が一人、戸口に立っていた。
キョロキョロと辺りを気にする侍に声をかければ、ぎょっとした様にこちらを向く。
その肩には霊が一人居た。否、霊は微弱過ぎて元が何だったのか分からない状態だ。一人ではなく、一匹かもしれない。
旅の最中に浮遊霊を引き連れて来たとしても、霊は微弱。憑かれている侍の身でも、まず気付かないだろうに、先程からの落ち着きの無い様子。
もし霊が憑いているのに気付いてお祓いをしてもらいに来たのならば、坊主の元へ行くべきだ。
それなのに此処に来るとは、憑いている霊以外に何かがあるという事。
「久倉西明と云う方は、此処に居られるか」
「久倉西明は私です」
侍は驚いて、慌てたように笠を外すと頭を下げた。
「まさかあなたが久倉様とは露知らず、とんだ無礼を」
「客に頭を下げられてはかないません。どうぞ頭をあげて下さい」
「はい」
上げられた面。
人の顔はそこそこ覚えているつもりなのだが、この侍は面識が無い。初対面の男だ。
見る限り、骨董の類いを持っているようには見えない。かといって、軽装の男は骨董品を買うつもりも無さそうだ。
肩に霊を引っ提げて、更に周りを気にかけている侍にの要件を予測して、気が滅入りそうになる。
私は妖怪や九十九神等を視る事が出来て、且つ骨董品という想いが詰まった物を扱っているためにたびたび相談を受けることがあった。
その度に小さい問題を解決していたらいつの間にか噂として広がったらしく、骨董品とは関係無しに物の怪や霊魂、神様と云った類いの話しが持ち込まれるようになった。
公にしたくない内容が殆んどであるこの依頼。侍の挙動不審な態度からして、今回もまさにそれだろう。
本日はいったい、どんな依頼なのか。
侍は戸を閉めようとするが、立て付けが悪い為に閉まらない。
力任せにガタガタと戸を鳴らしていて、このまま壊れたりはしないかと少し心配になる。この寒い日に戸を外されて隙間風が増やされるのは御免蒙りたい。
戸が閉まらなくて侍が慌てっぷりに、大人相手に手伝いなどと思う気持ちを無視して下駄を履いて土間に降り、戸を閉めるのを手伝う。
「ご覧の通り古い家でして、立て付けも悪くなっているのですよ」
「そ、そうでしたか」
背の高い侍だ。
見上げると、侍は困った様に目を反らし、肩にいる霊はゆらりと捻った。
戸を閉めたのは、姿を隠すのと話が漏れないようにとの考えてだろう。いつ客が入ってくるか分からない此処では話しにくい内容だと予想出来る。
「どうぞ奥へ。長旅でお疲れでしょう」
男の指先と鼻先は冷えきっていて、色が赤みを通り越して青白くなっている。
遠路遥々来たのだろう。火鉢で僅かにであるが外より暖かい客間に通した後、茶を煎れに客間を一度出ようと背を向ければ慌てたようで声をかけられた。
「久倉様、どちらへ」
「茶を煎れに。暫くお待ち下さい」
「あ、はい」
部屋を出て、囲炉裏のある座敷へ向かう。
座敷に入ると、薬売りがまだ飯をつついている。
食べるのが遅すぎやしないかと膳を見ると、私が出た時と変わっていない。
食べずに待っていたのか。
「終わり、ましたか」
「今からだ」
「今から、ですか?」
「見ない人間でな、どんな依頼かは知らんが骨董品売買の類いではないだろう。きっと長引く」
沸かしていた湯を急須に注いで、葉を蒸す間に新しい湯飲みを取りに行く。
薬売りの居る部屋に戻れば、男は変わらず箸を置いていた。
「医師として頼りに、でしょうか」
骨董品を扱うのが私の生業だが、品として存在する本を暇潰しに読んで生活をしていれば、自然と知識はつく。得た薬草や医学の知識を有効活用して、医師の居ないこの村で人助けをしているのは事実。
「紛い者の私を遠くから訪ねる者などいないだろう。それに隣街には松平と云う正規の医師がいる。お偉いさんのお抱えでもある名家だが、民にも平等の扱いをしてくれていると聞いた」
「正規の医者には、させられない事かも、しれません、よ」
娘や妻の墮胎を願いに来たと云うなら、あり得ない話でもない。
これが真実ならば、あの侍の肩にいる力の弱い霊が水子の霊だと予測も出来るし、納得も出来る。
だが
「そんな依頼ならば私は即座に断る」
未来のある人を殺す行為など、私には荷が重い。それに、そういう話題は一番嫌いだ。話題として出された瞬間に蹴飛ばしてこの家から追い出してやる。
「では、妖怪の類い、ですかね」
男はこちらが本命とばかりに口を開く。
最初に適当な事を言う癖はどうにかならないものか。この遠回しな会話は、時間の無駄だと毎度思う。
「かもしれないな」
「そう、ですか」
「どういった依頼の内容であってもこれは私の仕事だ。物の怪を斬るのが生業だからといって、でしゃばった真似はしてくれるなよ、薬売り」
「考えて、おきます」
首を突っ込む気満々、か。
この調子だと何を言ってもこの男は聞かない。言うだけ時間の無駄だ。
それに客を待たせるのは失礼に値する。早々に座敷を出て客間に戻ると、侍は辺りを見回していた。
「如何なさいましたか」
「あぁ、いえ」
侍の前に茶を置くと、侍は頭を下げてから直ぐ様湯飲みを持ち、飲み干した。
「湯飲みを」
「ありがとう御座います」
盆に乗せた急須を取り、茶を注ぐ。
屋内はまだ外より暖かいが、それでもまだ寒い。侍は白い湯気が立ち上る湯飲みを両手で握ると、飲まずにじっと暖をとっている。
「此処は骨董屋、ですか?」
「えぇ」
「久倉様は何を仕事に」
「ご覧の通り、骨董屋の主です」
「そう、ですか……」
侍は少し迷ったように口をもごつかせた後、こちらを見て、意を決したように口を開いた。
「もし人違いでしたら大変申し訳ないのですが、化け物退治をしていらっしゃる方ですよね?」
「はい」
事前に予測していた話なので、一部違うと思いながらも一切の否定はしない。人違いとの考えが杞憂と分かったのが余程の安心材料だったらしく、侍は胸を撫で下ろした。
「久倉様のご活躍を小耳に挟みまして……是非ご協力頂きたく、隣街からある方の遣いとして足を運ばせていただきました」
「松平先生の遣いですか」
侍がぎょっとした様子で私を見るので、やはりかと内心で舌打ちする。
勘は当たって欲しくないところで当たるものだ。
「この通り骨董屋なので、稀に旅の者が訪れるのですよ。その時に松平先生の周りで起こる奇々怪界な噂を小耳に挟みましてね」
噂の内容は医師である松平の切り盛りする病院は、深夜になると怪現象が起こると云うものだった。
噂など尾びれ背びれがついて勝手に泳ぎ出す事が多いので、その時は噂として旅人から話を聞いていたのだが、どうやら噂は真実だったらしい。
どこまでが真実かは知らないが、侍の反応から、松平宅で怪現象の類いが起きているのは確かだろう。
「まさか隣村にまで……」
酷く落胆している侍に、どうやらこの噂は松平としては隠し通しているつもりだったようだ。
「人の口に戸は立てられませんからね」
「ならば、尚更急がなくては。久倉様」
侍が荷を漁り、中から包みを取り出す。
少し雑に卓の上に置かれたそれは、硬い金属がぶつかり合う音を響かせた。中身は金か。
「物の怪退治、お願い致します」
「おしまい下さい」
大金を前にして冷静でいられたのは、あまりにも額が非現実的だったからだろう。
今回ばかりは、小さな金額しか見慣れていない自分に感謝するしかない。
「そんな……」
悲観に暮れる男に、罪悪感がチクリと胸を刺す。
しかし、しかし、だ。
私は化け物退治が本業ではない。
怪現象を起こせる程の力を持った霊と戦うのは、はっきり言って面倒臭いし骨の折れる作業だ。当然ながら危険もある。
私だって命は惜しい。
それに此処で金をすんなり受け取れば、金で動く人間だと思われる。
それが周囲に広がれば相談は民間人ではなく、隠密に事を済ませたがるお偉い方から来てしまう。
別に私は高尚な人間ではない。だから金で動く人間だと思われるのが嫌だと云うつもりは毛頭無い。
ただ、私はあくまで民間人であり、同じ身分の中で話を聞いて小さな問題を解決する程度が調度良いのだ。お偉い方の相談を聞いてお抱えになりたいと云う考えは、無い。
それにお偉い方関係で物の怪退治をすれば、内容が内容なので周りに知られたくないと口封じに斬り捨てられる可能性だって発生する。
だが、しかし。
ここの地域一帯の物の怪騒動は出来るだけ消化すると、勝手に決めた自身への枷がある。
嫌だと本能が言ったところで、断るという選択肢は元から無いのだ。
「受けないとは言っておりません。ただ、金は受け取らないと決めています」
「……え?」
「物の怪退治、引き受けましょう」
「あ、ありがとう御座います!」
相手はその場に手をつき、土下座をした。
流石の私もそれには目を見開く。
大の大人、しかも男が、仕える君主以外に頭を下げるとは。
確かにあちら側からすれば願ってもないことだろう。深く内容を訊いた上で断られては、隠密に事を済ませたいと考えている松平の方は痛手となる。
訊かれる事も無く金も受け取らずに引き受けてもらえるのだから、それは喜んでも普通か。
だが、頭を下げられるのは私が嫌だ。
「どうぞ頭を上げ……」
背後の襖が、スッと音を極力立てずに開いた。
人の仕事に口を挟むなと言っておいたというのに。
本当に、厄介な奴だ。
「何を、しているんで?」
分かっているのに、そ知らぬ顔をして訊いてくるのは悪い癖だ。
派手な背格好の男が急に現れたせいで、侍は姿勢を崩して目を白黒させている。
「お気になさらず、助手の様なものですから」
「助手、ですか……」
「薬売り」
振り返って、薬売りを見上げる。
薬売りは紅い隈取りの成された瞳で私を見下げた。
「此処に」
隣を叩けば薬売りは私の隣に座って、頭を下げた。
「薬売り、ですか?」
「はい。ただの、薬売り、ですよ」
「愛称ですから、こだわらなくて良いですよ」
侍は困惑している様だが、そうとしか言いようがない。この男だけを示す名など、無いのだから。
侍は姿勢を正し、一つ咳払い。
「では久倉様、今すぐにでも来ていただけますでしょうか」
「今すぐですか?」
「はい」
まだ朝飯も食べ途中なのだが。
余程急いでいるのか、相手の事を考え無い人間なのか……。
仕方ない。
「仕度が有ります故、暫しお時間をいただけますかね」
「はい」
「では、どうぞ此処で寛いで居て下さい」
立ち上がり、襖を開けて部屋を出る。
一口分だけ残していた食べ物を行儀悪くもそのまま口に放り込み、すでに台所に運ばれていた男の膳と一緒に片付ける。
隣街への遠出だから、帰ってくるのは数日先を見た方が良い。黒猫は隣家に預ければ良いだろう。
黒猫が気に入っている縁側に行けば、やはりひなたぼっこしていた。
寛いでいる最中に申し訳ないと思いながら抱き上げてお隣さんに頼み込めば、快く受け入れてくれた。
「お仕事?」
「はい」
「道中気を付けてね」
「ありがとう御座います」
今回は除霊の類だが、一般人には受け入れられない仕事なので隣人にはたまに遠出する時は骨董品の関係で、と言っている。
頭だけを下げて、その場を後にした。
部屋に向かっている最中、薬売りが通路の奥に居て、真直ぐに見つめられる。
「西明」
「何だ」
「松平宅、ですか」
「知っているのか」
「噂を、ちょいと耳に挟みまして、ね」
「そうか」
腕にまじないを彫った短刀を巻き付けて、固定する。
変な客が来た時にと腰には常に護身用の短刀を刺しているが、松平家に上がる際に見えるところにある刀が没収されてしまう可能性は高い。
そうなったら丸腰だ。
私は人を余程の付き合いでない限り信用しない人間なので、知らない人間の家で丸腰など冗談ではない。
だからこそ、お守りの意味も兼ねて、隠し刀として物の怪相手にも意味を持つ刀を身に宿す。
「物騒、ですね」
「他人といる時は、これ位しなくては命を守れやしないよ」
荷を纏める。
必要無さそうだと思える品も、もしもを考えて荷物にしてしまうのは悪い癖か良い癖か。
一つ分かるのは、荷が重くなって嫌な思いをする事だ。
「西明」
荷を纏めているというに、しつこいな。
今度は何だと薬売りの方を向けば、落ち込んでいると言いたげな表情。
そんな表情をする時は大概演技だと私が気付いているのを、薬売りは知らないのだろうか。
「怒って、いますか」
何を怒ると言うのか。
でしゃばった真似をした事か?
それならば、今更だ。
私が口を挟むなと、ついてくるなと言ったところで薬売りの意思を覆すことは出来ないし、行動の自由をを奪うことも出来ない。
「何を言っても、ついてくるのだろう?」
「はい」
「ならば、何を怒る」
「寛大、ですね」
「過大評価をどうも」
荷を詰めた箱は若干薬売りの荷と似ていて、共に歩むのだと想像すると少し嫌だ。
しかし荷が多くて、この箱以外に良い箱が無い。
「一つだけ、言っておく」
「はい」
「薬売りには薬売りのやり方があるように、私には私のやり方がある。私はお前のやり方に手を出さない」
「はい」
「代わりに、薬売り、お前も私のやり方に手を出すな」
薬売りが私を見る。
私も薬売りを見た。
薬売りは仕方ない。と言うように溜め息を吐いて、頷いた。
「出来るだけ、そうするように、します」
相変わらず曖昧な言葉であるが、これが薬売りの妥協する姿なのだ。
荷を背負う。
さて、行く先には何が待ち受けているのやら。
先に山道を通った者達が作り出した轍はぬかるんでいて歩き難い。
跳ねる泥に裾が汚れるのを最初こそ内心で呻いたが、途中からは気にもならなくなった。
こういう時に開き直りの重要性を思い知る。
山道を通って着いた隣街は、私の住む村とは似ても似つかない位の人、人、人。とは言っても、日はすでに没しているので街道に人は少ないのだが。
それでも軒を連ねる家屋と往来する人に、山一つ隔てたら此れ程までに人口密度が違うのかと思う。
ここに来る度に、自分にはあの村が良いと思い知らされる。
闇夜に揺らめく店先の灯りに強く照らし出された通り。途中で少し横道に逸れると途端に闇が支配していて、灯りに慣れていた目に僅かな月明かりは弱過ぎる。
暗闇の中を進むと、目的の場所が現れた。
闇に佇む巨大な家屋。松平家は代々医者の家系なのだと遣いの者が言っていたが、まさにそうだろうと思わされる門構えである。
由緒正しき家なのだろうが、私は近付くのも嫌だ。
死霊が念や怨霊に変わって、そこかしこを縦横無尽に飛び交っている。
これは亡くなった者を供養していないからではない。まるで漂う浮遊霊を此処に集合させて、霊同士の微弱な力を合わせる事で強大な力を持たせているような。
此処は霊の通り道でも集まる場所でもないのに霊が集まっている。
これは、何かが、ある。
薬売りが私の耳元で囁いた。
「厄介、ですね」
「本当に。多過ぎる」
「視えて、いるのですね」
私は住まいが骨董屋故に、八百万の神や霊に囲まれて生活をしていたからか、そういった類いを関知する力が研ぎ澄まされて視えるようになっている。
しかし薬売りは感覚で何か居ると捉えても、視えていないのだ。
こんな世界、視えないに越した事は無い。現世に居ないモノを視ても、得するどころか損するばかりだ。
「どうぞ、こちらです」
侍女と話し終えた遣いの者に入るよう促され、足を踏み込む。
大きな門構えの一線を越えると、身体が粟立った。
空気が重たく纏わりつく。
此処が診療所とあっては、治る病も治るまい。まるで粘性のある溶液中を泳いでいるようだ。
母屋に辿り着く迄に、何度足首を掴まれて転びそうになった事か。
「久倉様。ようこそ、いらっしゃいました」
通された部屋には、清潔な白服に身を包んだ優男が座していた。座布団が二つ向き合う位置に用意されていて、座わる。
「御足労をおかけして申し訳ない」
「お気になさらずに、仕事ですから」
松平が笑うと、周りを漂う霊魂がさざめき合う。
除霊者の私が来たからなのか、それとも他に何か理由があるのだろうか。
霊がこれだけ居るのと松平の因果関係が分かっていない以上、下手に推測をして勝手な思い込みをしない方が良い。先入観は人の視野を狭める。
挨拶を済ませていると、侍女が茶を運んできた。
外を歩いて芯こそ熱いが、表面は冷えきった身体にとって湯気の立つ深緑の茶は大変魅力的だし、喉は長旅で渇いている筈なのに、空気が淀んでいて飲む気がしない。
「して、そちらの御人は」
「同業の者です。気になさらずに」
渦中の薬売りは茶を平気で飲んでいる。
松平は気の抜けた返事だけを返してきた。
本当ならば私が一人で来ると思っていたのだろう。私だって本来ならば一人で来るつもりだったのだ。なのに居る薬売りを気にするのは仕方のない事。
それにしても、薬売りはよく無事なものだ。こんなに怨恨が交じった重苦しい空気の中で、平然と茶を飲むとは信じられない。
私は茶を飲む気にもならないし、長時間の滞在も勘弁願いたいくらいだ。長居すれば間違いなく体調を崩す。
この一件、さっさと終わらせよう。
「怪現象とは、どう云ったものですか」
「私は体験したことが無いのですが、呻き声が聞こえたりするそうです」
「いつ頃からですか」
「ここ最近、ですね。年が明けてからでしょうか」
「そうですか」
おかしい。
年明けな筈が無いだろう。
昨年の夏にはもう噂が立っていた。
霊が住み着いているというだけで印象が悪くなるから誤魔化したのだろうが、わざわざ除霊に来た者に嘘を吐くとは。
実に厄介な依頼人だ。
「今日は長旅でお疲れでしょう、部屋を用意しましたので、どうぞそちらでお寛ぎ下さい」
松平はまた明日にでも、と言って話を中断させた。
わざとらしい。
これ以上は話したくない、訊いてくれるなと云う姿勢に、仕事が長引きそうだと内心で溜め息を吐いた。
夕飯を部屋まで運んでもらったは良いが、どうにも食う気がしない。
「薬売り、私の分も食って良いぞ」
「食べなくては、駄目ですよ」
「食欲が無いんだ。残すのは悪いだろう、お前が食えば百姓も喜ぶ」
打ち直したのか、柔らかい布団に身体を沈める。きっと何も無しにこの布団に眠れば快眠に違いない。なのに身体の上に人が乗っているような重たさを感じる。
部屋の壁に札は貼ったから霊魂こそ入ってこないが、この家を覆う空気までは変わらない。
「体調が、悪そうですね」
「お前は平気そうだな」
「西明ほど、敏感ではないので」
「嘘を吐くな」
怨霊の居場所を直観的に見つけられる者が鈍感なものか。
薬売りはただ慣れているだけだ。
こういう場に何度も足を踏み込んで、知らず知らずの内にこれが普通だと感じている。 ただそれだけのこと。
勝手に口から漏れる溜め息に、男が名前を呼んでくる。
何なのだ。
「何故、こんな仕事を、受けるんで」
その言葉の裏に、私の仕事は骨董品の売買であって、これはする必要も無い筈だと言っている。
「お前には関係無い」
「西明」
「しつこいぞ」
「西明」
威圧的な口調に口を閉ざす。
何故叱られているような気分にならねばならんのだ。気に入らない。
「こんな坊主がやるような事を西明がするのに、関係無いでは通用、しませんよ」
「薬売りには関係の無い事だから関係無いと言ったまでだ」
「関係、あります」
「ほう?」
言ってみろ、と言わずとも私の纏う雰囲気で伝わったのだろう。
薬売りは静かに、地を這う声で語り掛けてくる。
「これを生業とする俺が居るのに、西明のような半端者が仕事を引き受けるのは、危険極まりない」
「半端者、か」
薬売りや坊主からすれば半端者。それは違いない。
しかし念仏さえ唱えればどうにかなると考えている生臭坊主に比べたら、まだ良いほうだろうに。
それに、自分の持つ性質を生かしているのだ。何が悪い。
「西明の本業は、骨董。もし妖怪の類を引き受けるにしても、小さなものに止めておく、べきです」
「出過ぎた真似だと言いたいのだな?」
「そうです」
確かに、今回のは出過ぎた真似だ。
本能のままに言わせてもらえば、引き受けたくはなかった。
しかし自分で作った決まりがある。
ここ一帯の怪奇現象は私が解決して、薬売りの傷を減らすという、身勝手で我儘な決まりがあるのだ。
それを止めるわけにはいかない。
「引き受けたのだから、今更尻尾を巻いて逃げるつもりはない」
「実に西明らしい、が」
床が軋む。
瞼の上に置いた手を退かして瞼を上げれば、覆い被さる様にしている薬売り。
首に、男の手が絡み付く。
次の事態が予測されて、歯を食い縛った。
「首を絞めているだけですよ」
瞬間、首に巻きついている手に力が入る。
すぐに手から力は抜けたが、急に狭まった気道はひゅっと音を出して空気を流し込むから、咳き込んでしまう。
咳き込まないようにと歯を食い縛ったところで、口を閉ざしたところで、条件反射には適わない。
一瞬の衝撃だったのに、どこまでも身体は素直で苦しさと痛みに視界が滲んだ。
「こんな痛みでは、無いんですよ」
「そう、だろうな」
咳がようやく治まる。
たかが一瞬の圧迫。
それで涙が滲む私は痛みに慣れていない。
痛みに慣れたくなんぞない。
出来れば経験もしたくない。
「薬売り……」
なのに薬売り、お前は慣れているのだな。
こんな痛みに慣れて、お前は何を得る。
いつ死ぬかも分からない事に首を突っ込んで、人の卑しい部分を見せ付けられて、それに慣れたなど。
「強く、やりすぎましたか?」
心配の色を含んだ声音。
いつも通り鼻で笑ってやると、安堵したようだ。
心配されるのは好かない。どんな状況であってもいつもと変わらない調子で居たい。
だから早く終わらせて、帰ろう。
そう、心に誓った。
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