モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
食卓
薬を売る流れ者の男と向き合って、膳を前に朝餉を摂る。
音と云えば膳に食器を置く音、物干し竿で羽を休めている野鳥の囀り、何処かの猫が日当たりの良さに庭に寝転がって時折あげる欠伸のような声くらい。無理に何かを話さなければならない決まりは無いので、互いに静かなものだ。
もし、この状態が知りもしない誰かとならば、息が詰まることだろう。
味噌汁を飲んでいると、昨夜布団に入ってから明日の朝にでも話そうと考えていた事を思い出した。
しかし声を出すのが億劫だ。この沈黙を壊すのも惜しい。
認めるのは不本意でならないが、この沈黙は私にとって、とても居心地が良いのだ。内容も、今すぐ話さなければならないものではない。忘れて困る事柄でもない。
人とは元来居心地の良さを優先して悪い事は先送りにする生き物だ。私も類に洩れず、心地良さを選び、静寂が続く。
が、男はそうではなかったらしい。
「西明」
物干し竿で羽を休めていた鳥が、外敵を察知したかのように慌てて飛び去る。猫は頭を上げて一声啼くだけで、すぐにまた横になった。
「……何だ」
「不機嫌、ですね」
「不機嫌では無いよ」
「嘘は」
「嘘ではない」
男はそうですか。と気にした様子もなく話し出す。
昨日、書物と巻物の棚を漁っていたのだと言う。そこで見つけた書物の中に、分からない箇所があったのだと言った。
「夜も更けていたので、朝にでも訊こうと思っていたのですが、すっかり忘れていました」
「うっかりだな」
「うっかり、ですね」
「それで?その巻物は、どの様な内容だ」
「薬草についての、書物です」
「そのような書物は多い。今言われても分からないのだが」
「忘れる前に言っておこうと思っただけなので、食後にでも」
「そうだな」
また沈黙が降りてくる。
「薬売り」
相手が味噌汁に口をつけている時だったので、お椀で口元が隠れたまま、視線だけが此方を向いた。
「なんでしょうか」
「私からも一つ」
「はい」
「朝顔の種が牽牛子と呼ばれているのは知っているか」
「異国で、王の病気を朝顔の種で治した褒美に、牛を与えられたから、ですよね」
「そうだ」
「しかし、下剤の作用が強い」
「そうだ」
平安時代に異国から薬として輸入されてきたは良いが、実際は毒だった、と言われてしまうほどに作用が強い代物が朝顔の種である。なんでも過度に摂取すれば毒になると言うが、朝顔の種に関しては、見た目少ないと思っても効果が大きいために注意しなければならないのだ。
最近仕入れた異国からの書物に、牽牛子の容量の記載がおかしい物があった。それを伝えたかったのだが、流石薬売りと名乗るだけあって、知識はしっかりとある。わざわざ誤表記について言わなくとも大丈夫であろう。
「西明は」
「ん?」
「ある書物に記されていた、薬量の数値がおかしかった、と、言いたかったんで?」
「よく分かったな」
「俺が訊きたかった部分も、そこだったもので」
「同じところだったのか」
「はい、同じところでした」
なんという偶然だろうか。お互いに口元を緩め、笑う。
何が可笑しくて笑うのかなど、分かりはしない。ただ、何かが面白いのだ。沢山ある書物の中で、まさか同じ本の、同じ部分に目がいくとは。
偶然を笑う。
意味などなく、心のままに笑うのはいつぶりか。
ああ、静かに食べるのも良いが、やはり話して笑って食べるほうが、断然良い。
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