モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
偽者 参
囲炉裏に火を灯し、湯を沸かす。
先刻までは慌ただしかった事と緊張からだろう、体は寒さをさほど感じていなかったのだが今は寒いったらない。
「寒い」
「ならば、玄関先を、閉めたら、どうですか」
「駄目だ」
きっぱりと切り捨てると、薬売りは、俺が寒いのですがね、と呟いた。
それでも玄関先と、襖を少しは開けておかなくてはならない。
もうじき犯人がやってくるのだから、開けておかなくては入ってこられないだろう。
「湯でも飲んで体を温めることだな」
「そうします」
まだ沸いていませんが、と薬売り。
寒さにそんなに弱いのか、貴様は。
暫らく寒さに耐えていると、チリン、と可愛い鈴の音。
寒さに固くなった身体を動かして、手ぬぐいを持って店先に向かうと、そこには黒猫がいた。
初めて会った時よりも毛がゴワゴワして、濡れそぼった黒猫が情けない表情で私を見上げていた。
「お帰り」
言うと、黒猫はそろそろと店の中に足を踏み入れた。店先を閉めて風の通り道を塞いだ後、手拭いにくるんで抱き上げる。
安心した様に啼くのでやわく額を指で弾いてやると、黒猫は吃驚を隠しもせずに大きな目を瞬いている。これだけで済んだ事を喜ぶならまだしも、驚くとはどういった了見なのだろうか。
固まったように動かない黒猫を抱いたまま囲炉裏のある部屋まで向かい、冷気が入らないようにと襖を閉める。
薬売りは変わらず湯呑みを握ってじっとしていた。
「黒猫、お前、人に化けられたんだな」
黒猫は分からないと云う様に首を傾げ、私を見上げてくる。
「黒猫はいつものお礼のつもりでやったのだろうが、あれはやってはならないことだ」
子猫に話しかける私は傍から見ればさぞ変態だろう。
薬売りも湯呑みを握りしめたまま、少し怪訝そうな顔で見ている。
「西明」
「何だ」
「黒猫が、犯人なんで?」
「そうだ」
「まだ、子猫ですよ」
「ほんの子猫だな」
「変身するだけの、力を持っている、と」
「きっと、此処にある品々がこいつに力を与えてしまったのだろう。こういう場所に居れば自然と妖力が付いてくるものだ」
だから私も見えないモノを視るし、話だって出来る。除霊も出来る。
本来必要ないと蓋をされている力なのだが、周りに霊力が溢れていれば、蓋がずれてしまうのだろう。
それに、そう云う場所に居れば力も研ぎ澄まされてゆく。
「本当に、変身出来るんで?」
「しつこいぞ薬売り。黒猫、私に化けてみろ」
黒猫は頭を垂らして小さく啼いた後、簡単に私に化けて見せた。
流石の私も、こんな簡単にこいつは化けられたのかと驚愕する。
唯一の違いは、目の前に居る私は全身ずぶ濡れ状態なのと、首につけた鈴のみ。
「似てますね」
「本当にな」
「何処まで、似ているんでしょうね」
薬売りが近づくと、黒猫は薬売りを思い切り睨む。
溜め息が、勝手に口から洩れた。
「人語は喋れるのか」
黒猫は首を左右に振る。
髪についていた雫が飛んで、畳に染み込みシミを作った。
「人語は理解出来るのだろう?」
肯定。
ならば話は簡単だ。
「二度と、盗みを働くな」
猫はまた首を垂れる。
頼むから、私の顔でそんな情けない表情をしないでくれ。
「西明は、落ち込むと、こんな表情、なのですね」
「そういう発言は控えろ薬売り。黒猫、ついてこい」
「何処へ」
「隣の部屋だ。お前が居ると話しづらいったらない」
同じ容姿の人間が向き合って、片方は説教、片方はしょげっている、という構図では物珍しくて見たくなるのも分からないことはない。
しかし凝視されていては居心地が悪いし、私……ではないが私の顔をした黒猫を観察して西明はこんな表情をするのですね、と言われれば、平素無表情を決め込んでいる私は苦虫を噛み潰したような気分になる。
なので、薬売りだけを残して私室に移動した。
「黒猫」
「にゃあ」
「……分かった、私の姿では喋るな。喋るなら猫になれ」
私の顔で、にゃあと啼かれるとは。
こんな肝を冷やす気色悪い物を見る羽目になるなんて思いもしなかった。
黒猫は素直に猫になり、俯いていた。
私は棚から目当ての札を出して、黒猫を呼ぶ。
「悪いが、お前の妖力は制御させてもらう」
黒猫が寂しそうにしょげる。
一瞬同情しそうになった、と思ってしまう自分に嫌気がさした。
例え変身出来るのを遊びの一環として楽しんでいるだけなのだから遊びを取り上げるなんて可哀想だと言われても、今は折れるべきではない。
もし黒猫が私に化けて周囲を闊歩し、先刻みたいに『にゃあ』と啼いてみろ、私は異常者決定だ。
なによりコロコロ変わる表情で周りをうろうろされては、きっと私は引き籠りになる。
それはごめんだ。
「悪いな」
黒猫の首輪の紐を札にする。
元々長い札だったので、首周りには十分だ。
それに水に濡れたら破れるような品でもない。
もし破れる時が来たら、それはこの札の力よりも黒猫の妖力が勝った時のみ。
黒猫が気落ちしたまま動かないので、手拭いで拭きながら時折頭を撫でてやる。
するとようやく折れてくれたのか、猫撫で声を上げ始めた。
「西明、入っても良いですか」
「良いぞ」
薬売りが部屋に入ってきて、黒猫を一瞥。
残念そうに、わざとらしい溜息を吐いた。
「これから、どうするんで?」
「黒猫の妖力は抑えた。もう二度と私に扮した盗人は出ないさ」
「盗まれた家々には、なんて言うんで?」
「何も」
説明すれば、黒猫が化け猫扱いされるし、安全だと言っても人は異形を受け入れはしない。
盗人が私でないとあの追いかけっこを見て皆理解しただろうし、その後盗人が出なければ、川に落ちたので懲りたと解釈されるだろう。
後は時間の経過で忘れ去られていくだけだ。
「何も知らないふりをするよ」
「それが、賢い」
「違いない」
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