モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
先入観
天気が良かったので、誘われるままに草履を履いて庭へ出た。柔らかい陽射しが心地良くて、両手を上げて伸びをする。肺を満たす冷たい空気に、体の隅々まで目覚めるような感覚を覚えた。
古い書物に埋もれて少し黴臭い空間に居るのも嫌いではないが、やはり外の空気は格別だ。
天気も良いし、風も穏やかな日に家に居るのは勿体無い。せっかく草履を履いたのだから、少しばかり遠出をしよう。
庭に移植したものの、根をつけなかった薬草がある。今日はそれを探して、また植えてみるのも悪くない。
雨ざらしになった籠を手に取り、そのまま川沿いへ向かう。
根をつけなかった薬草は、以前河川敷から一株だけ頂戴したものだ。群生する種類なので同じ場所に行けばまた出会えるはず。
土手から下りて目当ての場所まで足を進める。草花を掻き分けて歩いていると、着物の裾に冷たい水滴が染み込んできた。
夜露か、それとも霜か。
どちらにしろ、夏ではすぐに蒸発してしまう水滴が葉についているとは、季節の巡りの早いものだ。
「あら久倉さん、こんにちは」
声のする方角を見れば、土手に女性が二人。
「こんにちは」
「何かお探しですか?」
そうだと言えば、彼女達は快く探し物の手伝いをしてくれるのだろう。しかし至急必要な物でも無いので手伝わせるのは忍びなく、草花を眺めているだけだと伝える。
その後は日常的な会話をして、それではと頭を互いに下げた後、女性達は去っていった。
川上に向かって歩みを進めると、白い花を携えて群生する植物が視界に入ってきた。目当てのものだ。しゃがみこみ、近くに転がっている石を使って一株だけを掘り起こし、籠に入れる。
土塗れとなった手を洗おうと川に浸ければ、思わず手を引っ込めたくなる冷たさだった。筋肉がぎゅうっと縮こまろうとするが、硬くなった関節を広げて手を洗う。
「よし」
帰ろう。
土手へ上がり、すれ違う人と軽く挨拶を交わしながら辿り着いた家は、店の戸口が少しばかり開いていて、来客があったのだと告げていた。
最近は戸の立て付けが悪く、しっかりと閉めるにはコツがいるのだ。
だから人の出入りがあればすぐ分かる。
まだ客は中に居て私を待っているのか、それとも出直しているのか。
戸を開けると、見慣れた人物が適当な場所に腰をかけているのを見つけて、客ではなかったのかと息を吐いた。勝手知ったる他人のなんとやら。奥の座敷の棚から取ってきたのだろう巻物を広げている男が、顔を上げた。
「居なかったので、上がらせて、もらいましたよ」
「それが賢い」
外で待たれるのはこちらが嫌だ。
父が存命だった頃から稀に訪れては何泊かしていく男だ、家に上がって好きにしていても、私としては気にもならない。目線を巡らせれば、来訪者がいつも背負っている薬箱は座敷の隅に置かれていた。
チクチクと刺さるような視線を感じて男を見やれば、紅い隈取りが施された目が籠をじっと見ている。
「仙人草、ですか」
「ご名答」
「以前庭に、植えましたよね」
「移住が嫌だったようだ」
「枯らしたと」
「あぁ」
座敷に上がって裏庭に行こうとして、足を止める。籠から土が零れたらまた畳の上を掃かなくてはならない。それは面倒だ。それならばこのまま外に出て、裏庭に回ろう。
踵を返して外に出る私の思いを汲んだのか、相手は何も言わなかった。
裏庭に回って、枯れてしまった仙人草から少し離れた場所に穴を掘る。これで根がついてくれれば、嬉しいのだが。
「仙人草は馬も食わない、と言われますけどね」
家屋を横断して、縁側に来ていた男が口を開く。興味を持つなら手伝えば良いものを、高みの見物とは質が悪い。
「毒が強いからな。使い方次第だ」
「なる、ほど」
手をはたいて土を落とし、雨水を溜めた甕から水を一掬いして、土と根が馴染むようにと願掛けをしながら水をかける。
一通りの作業を終えて縁側の男に視線を向ければ、男は正座していた。わざとらしい他人行儀に、何かあるなと勘が働く。
「して、薬売り」
「はい」
「何を御求めだ」
促すつもりで言えば、男の口端が上がった。
こちらが感付いてやらねば何も言わないとは質が悪過ぎる。受け入れる体制を相手に取らせた後に要求を言うのは、巧い買い手の戦法だ。
「仕入れたい物が、御座いまして」
「ほぅ、それは何だ」
「耳を……」
ろくな物ではない。
そう、遠巻きに言われている。
しかし何だと訊いた手前、耳を貸さないわけにもいかない。
深く息を吐いて、男の隣に座る。
わざとらしく手を当てて、耳元でボソボソと紡がれる言葉たち。
「……そんな物は、無い」
睨みながら言えば、男はおや、と声を上げた。
「西明が少し怪我をすれば良いだけ、ですよ」
「生憎私は二足歩行だ、人魚ではない」
人魚の血を使って、この男は何を作るつもりなのだ。肉を食らっては八百比丘尼のように永遠の命を持つことになる。血だけを使うとすれば、長寿薬として売りに出すつもりか。
「変わり種の血が必要ならば、自分の血を使えば良いだろう」
「手前はただの薬売りで」
「ぬかせ」
尖った耳も退魔の剣を抜いた時の姿もただの人間だと言うのなら、この男の眼球は機能が劣っているとしか言いようがない。
「無い物は、無い」
「ありますよ、西明の中に」
「喧しい」
話はこれで終わりだと手を振って立ち上がると、床が少し軋んだ。そろそろ板を張り替えなければ、抜けそうだ。
「西明」
「何だ」
まだ何か用かとねめつければ、男は降参だとばかりに両手を顔の横まで上げる。まだ粘るつもりだったのか。しつこい奴め。
「昼、食って行くのだろう?」
「暫くは居るつもりなんですが……」
「好きにしろ」
はぁと息を吐いて、台所へ向かう。突然の来客にも動じることがなくなった自分に、馴れの恐ろしさを知る。
結局人魚の血を何に使うのかまるで分からなかったが、下手に詮索しようものなら沼地に足を突っ込むのと同じだ。関心が無いので、考えないでおく。
それに、伝説の生き物を使ってまで作る薬などに興味はない。せいぜい此処にある古からの巻物や書物でも読んで、現実にありふれた薬草に意識を向けていれば良いのだ。
つまるところ、実用的であれば良い。
「西明」
「何だ」
振り向くと、後ろに男。気配を消して後ろに立つなと何度言えば分かるのか。
振り向きざまに二の腕辺りの服を掴まる。
「何だと訊いて……」
男の手がそのまま後ろに流れるものだから、きっちりと着込んでいない私の着物は簡単に肩を露にしてしまう。あぁまずいな、と思った時にはもう遅い。
肩口に埋まる頭。
男の鋭い犬歯が肌に食い込んでくる。
木のささくれが刺さるより遥かに痛いそれに、眉根が寄った。
生温く湿っていてざらりとした感覚が、皮膚を割かれて肉を露にした部分を這う。痛みを堪えて好きなようにさせてやれば男は暫く私の肌を嘗めた後に咽を鳴らし、満足したのか顔を肩から離した。
「御馳走様、でした」
「私は飲食物では無いのだが、御粗末様」
濡れた肌に回りの空気は冷たくて、拭えば血がべたりと付着している。
拭ったのが手で良かった。血は洗ってもなかなか落ちないのだ。
「こんなところでは、血の搾取は出来ないだろう」
「もう、仕入れました」
「腹にか」
「はい」
成る程。
確かにこの男、血を何に使用するかを言わなかった。
薬売りだから薬に使うのだと、私が勝手に思い込んでいただけだ。
先入観とはやはり恐ろしい。
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