モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
年の瀬
「昆布巻き、黒豆、伊達巻……」
重箱に詰めながら、忘れ物はないかと考える。
栗金とん、田作り、かまぼこ。
一の重はこれくらいか。
足元をうろうろとしていた黒猫が急に啼き声を上げた。
それだけで、誰が来たのか分かってしまう。
ニャアニャアと威嚇されながらも気にする様子もなく、近づいてくる足音。
気にせず重箱と睨めっこをしていると、後ろから男が重箱を見て、口を出してきた。
「西明」
「何だ」
「足りなくは、ありませんか」
言われて、何が足りないのかと見るが思い付かない。
何を忘れているのだろうか。
「ほら」
「ほらと言われても」
黒猫は煩く啼きこそしないが、毛を逆立てて男を威嚇していて、そちらが気になって仕方ない。
いつか男に跳びかかって、引っ掻いたりするのではないだろうか。
そんな考えが頭を過ぎていては、思い出せるものも思い出せやしない。
何が足りないのだと男を見れば、男はどうにか思い出させようと、促してくる。
回りくどいことをしてくれるものだ。
「何が足りないか、はっきり言え」
「数の子、ですよ」
「あぁ」
本当だ。
見事に忘れていた。
「しまった」
せっかく買ってきているのに、塩抜きすらしていなかった。
今から水につけて、塩抜きして、膜を剥がして……ああ、年内には無理そうだ。
「本当に、忘れていたんで?」
「すっかり忘れていた」
「それは、それは」
「私とは無縁の品なので」
「子孫繁栄、ですよ」
「子孫繁栄など、私と無関係の品だよ」
「……」
「数の子自体が処理に時間がかかるし無縁の品だからいつも買っていなかったんだ。頂いた時は少しだけ手元に置いて、残りはお隣に渡していた」
しかし今年は男が居るからと買ったのに、綺麗に忘れていた。
危うく腐らせるところだった。
「西明は毎年、どのような正月を、迎えているんで?」
「日々と変わらんよ」
「風情が、無い」
「夏もその格好をしているお前に言われたくはないな」
「心頭滅却すれば、ですよ」
「夏に北上するくせによく言う」
数の子を水に浸す。暫くはこのまま塩抜きをしなければならない。
暇が出来た今の内にと黒猫を撫でてやると、黒猫は威嚇の体勢から打って変わって、喉を鳴らして擦り寄ってくる。
「薬売り、そろそろ蕎麦を食べるか?」
「そう、ですね」
二つの鍋で、湯を沸かす。
「除夜の鐘まで、どれくらい、ですかね」
「さぁ、分からんな」
調理にばかり気をとられていて、時間の経過が分からない。
沸騰した鍋。
片方には蕎麦を入れて茹で、もう片方には出汁を作る為に昆布や鰹節などを入れる。
バラバラに動く麺を眺めていると、名前を呼ばれた。
「西明、今年も、お世話になりました」
耳慣れしない言葉に、思わず振り返る。
男は笑みを浮かべていて、私の反応を楽しんでいるようだ。
いつもは夏に訪れる男だから、年末年始の挨拶は一度たりともしていない。
馴れない言葉を言うのは苦手なのだが、これは年に一度の礼儀だ。
言わなければならない。
「こちらこそ、お世話になりました」
頭を下げてやれば、薬売りが少し驚いた顔をする。
何だお前は。私を礼儀知らずだと思っていたのか。
薬売りには絶対に敬語を使わない性格をお望みなら、それで居てやる。
「来年も、よろしくな」
口の片端だけを吊り上げて笑ってやれば、落胆したような顔をされる。
何だその顔は。
しとやかにすれば驚いた顔をするくせに、少し意地悪く笑えば落胆とは、どこまでも失礼な奴だ。
「薬売り、その顔は何だ」
「よろしくをしたい顔ではないように、見え、ました」
「それでそんなに落ち込むのか」
「はい」
「いつからそんな繊細な生き物になった」
「元から繊細、ですよ」
「今年最後の嘘か」
「西明は口が、悪い」
「元からだ」
「そうですね」
この野郎。
鍋がグツグツと沸騰して、吹き零れる。
「そろそろ煮えたかな」
「そう、ですね」
「器を頼む」
「はい、はい」
器に麺を入れ、汁を入れる。
その上に、先程作っておいた天ぷらを乗せれば出来上がりだ。
運ぶ最中、耳元で小さく名を呼ばれて男の方を向けば触れるだけの温もりが唇に降ってきた。
器を取り落とさなくって、良かった。
睨み付けると、男がクスリと笑う。
「来年も、よろしくお願いしますよ西明」
誰がお願いされるかと言おうとしたが後半刻で除夜の鐘だと外から騒ぐ声が聞こえて、年末ギリギリまで口論をするのが馬鹿らしくなった。
「蕎麦、食べるぞ」
「はい」
足早に行こうとして、やはり言っておかなくてはと、歩みを止める。
「それから、薬売り」
「はい」
「こちらこそ、来年もよろしく」
薬売りが笑う。
「言われなくても」
〜良いお年を〜
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