モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
初雪
底冷えする寒さに目覚めて障子を開ければ昨日予想したとおり、白い布を羽織った庭が広がっていた。曇天に羽のような白いものが舞っていて、天候に関する勘は鈍くなっていない事に安堵する。
誰に天気を言うでもないのだが、初の積雪を当てられたのは嬉しい限りだ。見慣れた庭は常緑樹も多く寒い時期でも命を感じさせていたが、今は印象を変えて息を潜めシンと静まりかえるように見える。
何処かでとさりと、雪が落ちる音がした。
寝巻きのまま窓辺に佇む私の足元に、温かい何かが触れた。
「おはよう」
しゃがんで頭を撫でてやると、黒猫は欠伸の様な啼き方。まだ眠いのだろうに、私が起きたら必ず自分も起きて挨拶をする律儀さを黒猫は持っていて、欠かさず毎日やってくれる。
最早日課に埋め込まれた黒猫との朝の挨拶。まだ小さい黒猫は初冬に臆することなく活発だ。猫は寒がりだと誰かが言っていたが、どうやら全ての猫に通用する性質では無いらしい。
身支度を済ませ、囲炉裏や七輪に火を灯しながら家の中を回る。土間に降りると、その段差からだろう、足を冷水に突っ込んだ感覚に陥る。
実際には冷水ではなく、冷気なのだが。
足下から奪われる体温に背筋が震えるが、これを嫌がっていては米も炊けやしない。軟弱な精神に渇を入れる為に布を水に浸し、絞る。
指先と足先が冷やされて、指という指は間接が硬くなってしまった。
適度に絞った布で顔を吹く。
すると先程まで纏わりついていた眠気はどこへやら、一瞬で消えて、ようやく本調子に入る。さて、と一息ついてから朝食の準備に取り掛かる。
釜で米を炊いている内に、冬に本領を発揮してくれる根野菜や乾物を切る。動いていると、火の元に居る事も相まって体は温かくなってくれた。
「おはよう、御座います」
まるで朝食が出来上がるのを見計らっていた様に現れた男。寝巻きのままで、相変わらず朝に弱い。
「おはよう」
「……西明はいつも、早い、ですね」
「お前が遅いだけだ。冷水で顔を洗ってシャキッとしてこい」
「寒い」
「そんな格好でいるから寒いんだ」
「着替えるのも、寒いんです、よ」
駄々を捏ねる男。
こういう言い争いになると予測されていたので、沸かしていた湯を使って濡らした布を渡し、顔を拭けと言う。男は湯気の上がる布を広げて適温まで冷ますと、顔を拭き始めた。
皿に食事を盛り付けていると、男が小さな声で何か言った。聞き取れなくて問えば、雪が降っている。とのこと。
「西明の勘は、当たります、ね」
「鈍っていなくて安堵したよ」
「そんなに俺が居なくなるのが、心配、でしたか」
昨日、雪が降らなければ男はこの地を離れると言っていたが、私はそんな事は気にしてすらいなかった。
勝手な解釈だ。男はどこまでも都合の良い考えが得意なのだろうか。自分に優しいその思考回路に呆れを通り越して、感心すら抱く。
「初雪の予測は毎年一度きり。勘が鈍くなってはいないかと気にかけただけだ」
「強がり、ですか」
「自惚れるなよ薬売り。お前がどんな解釈をしようと私には関係無いが、煩わしいのは勘弁してくれ」
「心配はして、いない、と」
「当たり前だ」
物の怪を退治する為に歩を進める男の心配をしようものなら、こちらの身が保たない。
確かに毎年夏と共に訪れる男を見て、今年も生き延びたのかと安堵する部分は、少なからずある。しかしそれは訪れた時にのみ思うことだ。去り際に来年また来るのだろうかと考えたところで、それは男の力量と都合にかかっているのだ。
もし訪れなければくたばっているか、何処かを旅しているか、何処かに定住しているかだ。
そんなのは男の勝手で私が気にするまでもないし、そもそも気にしたところでどうにかなるものでもない。
私はただ、訪れた時に受け入れるだけ。
唯それだけ。
「手厳しい」
「そういう人間なのでな。ほら、運んでくれ」
「はい、はい」
盛り付けた皿を乗せた膳を渡し、運ばせる。
黒猫の声が聞こえて、また喧嘩かと食事をしている部屋に入ればやはり黒猫が男を見て威嚇していた。朝から元気だな。黒猫も毎日喧嘩腰で、よく疲れないものだ。
「西明」
「躾は苦手なんだ」
膳から黒猫の朝飯の皿を取り、黒猫の前に置く。座って食事を始めるが、薬売りはつまらなそうな顔でこちらを見ながら器用に箸を動かしている。
そんな顔をされても困る。
私は子育ても、動物を飼った事もないから躾の付け方など知らないのだ。
躾は頭ごなしに叱れば良いと云う訳でも無いのだから、難しい。
「いや、しかし、やはり躾ねばならんな」
「何故」
「夏に困る」
「夏、ですか」
「薬売りを見ては喧嘩する性質のまま育っては、夏に薬売りが来た時が大変だ」
男を見やれば、沈黙が返される。箸を止めてポカンとした間抜けな面を向けられて、こちらは眉間に皺を寄せる。
何が大変か分かっていないのだろうか。
「黒猫だって成長する。夏に会った時、跳びかかられて引っ掛かれでもすれば掠り傷では済まんだろう?」
分かっていないだろう部分を説明しても、男は更に驚くだけだった。
解せない。
何が驚愕の対象なのだ。
「西明」
「何だ」
「自惚れ、です、よ」
「はあ?」
意味が分からない。
詳しく説明しろと言わずも、雰囲気で読み取ったらしい男は嫌な笑みを浮かべる。
何を、企んでいる?
「西明が俺をそう見ていたとは、嬉しい誤算だ」
「自己完結をするな」
「西明は、物の怪に俺が、やられはしない、と、考えて、いる」
「長い付き合いだからな、簡単にくたばらないとは思っている」
それが自惚れになるのだろうか。力を過大評価していると、この男は言いたいのか?
しかし、男がなかなかくたばりそうも無いのは事実だろう?
「毎年、俺が来ると、確信している」
「違うのか」
「違いません、が、それが俺は、嬉しいのです、よ」
訳が分からない。
だが、私に不利な内容なのだと、先程男が見せた不適な笑みから推測される。
自惚れ。
確信。
嬉しい。
「西明、眉間に皺が寄ってます、よ」
「考え中だ、話しかけないでくれ」
一度、一番謎めいた自惚れと云う単語を抜きにして整頓しよう。
私は男が夏に訪れると確信している。
これは良い。
男はそれが嬉しい。
何故嬉しい。
迎え入れてもらえるからか?
では自惚れとは?
しまった。脈が早くなって、きっと顔もじきに赤くなる。
これは、考えるべきではなかった。
「考え事が、終わったようで」
男が笑う。
ころころと鈴が鳴るような笑い方。
お前はどこの女児だ。
「嬉しいですね」
「私は嬉しくない」
「強がり、ですか」
「喧しい」
恥ずかしい。男が毎年来るのは約束を交わした上で行われるものではない。なのに、私は約束をしたような調子で、男が来ると確信を持った言い方をしたのだ。
それは勝手な思い込み。男を私の生活に埋め込んでいて、必ず私の元を訪ねて来ると心の何処かで勝手に決めつけていた証拠。
まさしく、自惚れだ。
男が自分の元を訪ねると、自惚れから決め付けていた。
恥ずかしい。
まるで来るのを心待ちにして、来た時は歓迎すると暗に言っているようなものではないか。
最悪だ。
自分から、こんな恥知らずな発言をしてしまうなんて。
「西明」
聞こえているけれど、返事を返す気にならない。
沈黙を返事とすれば、男は尚の事嬉しそうに甘ったるい声で笑う。
「雪が降って、いますね」
「……」
「雪解けまで、よろしくお願い、します、よ」
わざとらしい台詞。
今まで泊まる時に他人行儀な言葉を吐かなかったくせに、こういう時ばかりは意識させる様な発言が目立つ。
身から出た錆、とはまさにこの事。
私は心の底で、男がこの家に居る期間をまったく嫌がっていないと、むしろ迎え入れる気で待っていると、暴露してしまったのだ。
自分の要らぬ一言に、自己嫌悪するしかない。
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