モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
悪戯
「薬売り」
「はい」
座敷で向き合う私達。薬売りは何も言わない私をじっと見ている。
私は何を言おうとしたのだろうか、全く分からない。そもそも、何故薬売りの名と言うよりは総称として扱われそうなそれを口にしたのか。何故向き合って座っているのか、分からない。
「好きだ」
口が勝手に動く。ぎょっとする私を他所に、身体は勝手に動いて。
「好きなんだ」
ちょっと待て。何を勝手に口走っている。
「本当、ですか」
薬売りが問うてくる。
馬鹿野郎。私がそんなことを口にする人間では無いとお前が一番良く知っている筈だ。なのに、何を呆けて真面目に聞き返している。
「愛して、いる」
いい加減にしろこの身体。熱っぽく言うな、気色が悪い。
いつの間に私は身体の自由を悪戯好きの霊に奪われたのだ。
分からない。だが今はいつ憑かれたとか何故だなど、どうでも良い。
薬売り、お前なら私が憑かれていると分かっているのだろう。いい加減、憑いて好き勝手している霊を追い出さないか。何を霊の茶番に付き合っている。
「その気持ちが、真なら、接吻を」
ふざけろ。お前、身体の自由が私に戻ったら、覚えていろよ。
殴る蹴るでは済まさない。門前払いだ。二度と、家の敷地内に入れたりはしない。
「分かった」
私の怒りなど全く関係無い身体は男に身を近づける。男の顔が近づいて隈取りした瞳と視線が交わり、絡め取られる。
やめろ。
やめてくれ。
ああもう畜生、せめて目は閉じろ。
視界が、脳が犯される。
もう嫌だ。
霊に身体を好き勝手されて、望まない行為をさせられて、たまるか。
「い……」
身体が止まる。
絶対に、私は、私から、接吻など……
「嫌だっ!」
身体が跳ねる。
上体を起こした格好。
息が弾む。頭がくらくらする。何だ、これは。
周りを見回す。ここは……座敷の上だ、私の、家の。
「おはよう、御座います」
隣から声がして、見れば誰も居ない。
「下、ですよ」
見下げれば、すぐ隣に薬売りが横になっていた。朱に縁取られた瞳に、息が詰まる。
「おはよう」
「うなされて、いましたね」
「……気にするな」
先程の光景がまざまざと甦ってきて、顔を直視出来ない。目線を逸らした私に、男は何を思うだろう。
しかし、なんて夢を見ているのか。恥ずかしい。
絶対に人に言えない、あんな夢。
「顔が、少し赤い、ですね」
「気のせいだ」
「……」
「何だ、不満な顔をして」
「夢に俺が、出たのですか?」
「どうしてそう思う」
「何となく、ですよ」
おかしい。そんなに人の夢に執着を見せる男では無かったはずだ。
それに的を射る発言が目立つ。よもや、寝言を言っていたのではあるまいな。
薬売り。と言おうとして、やめる。寝言でも言っていたかと訊けば、それは即ち夢で誰かと会話をしていたと暴露する事になる。
勘だけは良い男だ。私が何か聞かれたくない発言をしていたと勘付くだろう。ともすれば、顔を反らした相手が夢の中での対話人を示していると解釈されてもおかしくない。
居心地の悪さに立ち上がると、男は私を見上げた。
「顔を洗ってくる」
「左様で」
襖を開けて、縁側で下駄を履く。
そのまま井戸の方に行こうとしたら、男が小さな声で、しかし私に聞こえる声量で言った。
「夢はその人の望み、らしい」
「何が、言いたい」
屋内に視線だけを向ける。男はこちらに背を向けたまま、振り向きもしない。
「素直になれば、楽、ですよ」
「私は常に、自分の気持ちに素直だ」
だから勝手な発言をする口が憎かったし、勝手に熱を孕む声も嫌だった。好きとか愛してるとか、ふざけるな。私には断じてそんな気はない。
否、別にこの男が好きではないとか愛してないとか、嫌いだと言うのではなくて……ああもう、何を訂正に走っているのか、自分は。
兎に角、嫌いだったら家にあげない。その点私はこの男に好意を持って……いるのか?
否、でも、あんな夢で見た様な邪念混じりの好意ではなく、私はただあっさりとした好意を持っているのだ。好意と言うより、好感に近い。
なのに何だあの夢は。
ああいけない、気分が悪い。自分に言い訳をするとは、一体どうしたのだ今日は。厄日か。
兎に角、わざわざ気持ちを口にするのが私は嫌なのだ。羞恥が先立つ。それなのに、あんな発言をよくもぬけねけと。
……ああ胸が気持ち悪い。夢を思い出してしまったではないか。
一体私は今、どんな顔をしているのか。男が背を向けてくれていて、助かった。
「顔を、洗ってくる」
振り向かれる前に、井戸の方へ逃げる。
顔が少し熱い。
今日は確実に、厄日だ。
***
足音がいつもよりも雑で速い。西明がどの様な顔をしているのかを想像して、一人笑いを堪える。
ちょっとした、悪戯心。まさか是れ程まで効果があるとは思わなかった。
部屋に入ったら、西明が珍しく畳の上で仰向けになって寝ていたのだ。普段は見せない無防備な姿に驚きはしたが、それと同時にそれだけ心を許されているのだと嬉しくもあった。
その嬉しさと共に、沸き上がる悪戯心。夢枕に話しかけると黄泉と会話をする事になると聞いた事はあるが、それを信じてはいない。
西明の隣に横になって、耳元に囁きかける。吹き込まれた単語が夢に反映されているのか、西明は喉に引っ掛かる声を小さくあげた。
これは、面白い。
西明は起きる気配もない。ここは一つ、一人芝居でもうってみよう。
いつもは隠されている西明の本心が聞けるかも、しれない。
「薬売り」
「はい」
「好きだ」
一人でやってて、何をやっているのかと冷静な己が冷めた目線を向けてくる。しかしこれを見て咎める者は誰も居ないのだ。何を恥じる必要があるだろう。
「好きなんだ」
「本当、ですか」
「愛して、いる」
「その気持ちが、真なら、接吻を」
「分かった」
西明の表情が変わる。眉間に皺を寄せて、苦しいと云うよりも嫌そうだ。
そんなに、嫌、か。
気持ちが落胆していると、西明ががばりと起き上がり、慌てたように辺りを見回す。それから胸を撫で下ろして一つ息を深く吐く。
夢だったことに安心、か。
西明はこちらからの接吻を拒みはしない。だが自らは決してせず、常に受け入れる体制しかとらない。西明に少しでもそういった気があればと思っていたのだが、期待は期待のまま終わってしまった。
「おはよう、御座います」
声をかければ驚いた様子で周りを見回している。常に平静を保っている西明が動揺を見せるとは、珍しい。
西明はまさか隣で横になっているとは思わないらしく、少し上の方に目線を飛ばして見回している。
「下、ですよ」
ようやく存在を見つけた西明。まるで自宅が火事だと気付いた人間の様な顔を一瞬だけ、された。
「おはよう」
「うなされて、いましたね」
「……気にするな」
視線をそらされる。そこまで夢が嫌だったのかと問いたくなったが、顔色など殆ど変えない西明がうっすらと顔を赤らめているものだから、こちらが絶句してしまう。
無表情が常に面に張り付いていて、稀に怪訝な表情か穏やかな表情をするくらいなのに。
今日は、吉日だ。顔を赤らめる西明など、そう見られたものではない。
動揺している西明。こんな姿を見たら、もっといじってやりたくなる。
「顔が、少し赤い、ですね」
「気のせいだ」
視線を合わせずに言う。
表情は平静を保っているが、未だにほんのりと赤い頬がそれを裏切っている。どうして認めないのか。
西明はなかなか、手難い。
「何だ、不満な顔をして」
もう少し、つついてみようか。いつもは鉄壁で守られている西明の脆い部分が晒されているのだから、もう少し楽しまなくては損だ。
「夢に俺が、出たのですか?」
「どうしてそう思う」
「何となく、ですよ」
睨みを効かせた視線。西明は此方の発言が何を示しているかを詮索しているに違いない。
思考を巡らせているのだろう、視線が何処か一点を睨んでいる。
そして、立ち上がった。
「顔を洗ってくる」
「左様で」
西明にしては珍しい逃げの一手。少しは逃げるのではなく、体当たりをして欲しいものだ。そうすれば、受け止められるのに。
「夢はその人の望み、らしい」
下駄を履いて井戸に逃げようとしている西明に、振り向かずに声をかけると足音が止まった。
「何が、言いたい」
背中に視線を感じ、笑みが勝手に浮かぶ。西明はどの様な表情をしているのか。
気になるが、笑みを浮かべていては振り返るのは無理だ。
「素直になれば、楽、ですよ」
「私は常に、自分の気持ちに素直だ」
確かに、そう見える。
しかし西明は自分を押さえている部分があるように、思う。ただあるがままを受け入れる姿勢を保つ西明は、望みを表に出す事がない。
本当は何を思っているのか。
それが、知りたい。
しかしそれは西明の領域に土足で入る事になる。そんな真似はしたくない。
俺からは歩み寄った。後は西明が歩み寄ってくれるまで待つのみ。
いつか西明が自分から本心を俺に話してくれると良い。そんな淡い期待をしてしまっている。
何処の乙女だと言いたくなるような己の思考に、嘲笑しそうになった。
沈黙が訪れる。
西明は今、どの様な表情をしているのだろうか。
「顔を、洗ってくる」
少し上擦った声の後、足音は乱雑で速い。
思わず吹き出した。
きっと西明は今、赤い顔をしているに違いない。逃げるように駆けていくとは、思わなかった。
己の望む、理想論だと馬鹿にしていた世界が近いかもしれない。存外、西明は今日の事で俺に意識を向けるかもしれない。
それならば、良い。
「やはり西明は、期待を裏切らない」
今までを考えて、西明は此方が望む事柄を受け入れてきてくれた。今回は西明が受け入れるのではなく、此方が受け入れたい。
「気長に、待ちますか」
時間はいくらでもあるのだから。
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