モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
甘露
庭の樹が色づき、葉がひらひらと散る。男に箒を渡して葉を集めてもらっていれば、落ち葉の山に飛び込む黒猫。
「……」
黒猫を叱るのは私の役目だと言いたいのか、箒の柄を持って動きを止めた男が私をじろりと見てくる。黒猫は落ち葉の中を暴れまわって、折角集めた落ち葉がまた広がってゆく。
「こら」
言っても聞かないのは重々承知だが、一応一声掛けて黒猫を枯葉の山から引っ張り出すと、紅葉した葉がいたるところについて、綺麗な黒毛が飾られている。これはなかなか、面白い。
一度頭を軽く叩いてから地面に下ろす。これをすると黒猫は私が怒っていると思うらしく、猫撫で声で擦り寄ってくるのだ。それを無視すれば、黒猫は賢いので「これをすると飼い主が怒ってしまう」と認識して、その行為をしなくなる。
本当に、賢い。
「よし、終わった」
今朝方、隣の家からお裾分けだと頂いたさつま芋。洗って泥を落とし終える頃には、指先が悴んでいるので握っては広げてを繰り返して血行を促す。
「西明、此方も終わりましたよ」
「ご苦労様」
先程黒猫に散らかされた落ち葉を集め終わった男は、箒を定位置に立てかける。暗黙の内に存在する家の規則をしっかり守ってくれるその心遣いが、私は好きだ。
「では焼こうか」
去年は隣の家に招待されて一緒に食べた焼き芋。男は今まで冬に訪れる事が無かったので、男と焼き芋をするのは初めてだ。
もちろん黒猫とも。
火を灯せばあっという間に全体に燃え広がり、煙が一筋、天に昇る。
これぞ冬の風物詩。
「まさか自宅で焼き芋をするとは思わなかった」
縁側に腰掛けて炎と煙を眺めていると、隣に座った男が不思議そうに尋ねてきた。
「今までは、していなかったんで?」
「呼ばれて、その家で頂いていた」
「そうですか」
天高く昇る煙。
まだ怒っているのかと足元でそわそわしている黒猫を抱き上げ、太股の上に乗せる。葉の粉を取り払って撫でてやれば、それはもう怒っていないという合図。
「甘やかして、いますね」
「そうでもないさ」
「甘やかして、いますよ」
黒猫を眺めるだけで、決して触れようとしない男は少しつまらなそうだ。しかし、これで甘やかしていると言われては、少し困る。
私は甘やかしていると自覚している存在が別に在るのだ。
隣の男を見る。ぼんやりと煙を見上げていた顔が、滑らかな動作で此方を向いた。
「何ですか?」
「いいや」
「西明が何かを押し黙るとは、珍しい」
「まるでいつも思いついた事を口にしているような言い方だな」
「事実、でしょう」
「言ってくれる」
男に遠慮をしないのは事実だから、言い返すつもりは無い。
煙が昇る枯葉の山を見る。今ではすっかり火達磨だ。
パチパチと火の粉が煙に乗って舞い上がり、そして散る。
何処かの子供が親に自分も焼き芋がしたいと強請る声が聞こえた。きっと煙を見て、子供は直感的に焼き芋だと感づいたのだろう。
少ししてから、子供の喜ぶ声。
どうやら望みは叶ったらしい。
おめでとう。と心の中で呟く。そして親には頑張れ、と。
綺麗に掃かれた庭に、はらはらと新しい落ち葉が散る。
葉の色は、まさに枯葉色。きっと感受性豊かな者ならば、此処で一句、と筆を滑らせるに違いない。残念ながら、そんな感性を私は持ち合わせていないので、猫を撫でるだけに留まる。
ただ、平和だなと思うだけ。
それで幸せになれるのだから、私は手間のかからない生き物なのかもしれない。
ああしかし、本当に平和だ。
隣を見ると、男もあまりの穏やかさに気が抜けたのか、うつらうつらと舟を漕ぎ始めている。常に気を抜かない男が、珍しい事もある。
いつもならやれ物の怪の気配だとか、やれ真と理だとか、そんな事ばかりに目を向けて、神経を張り巡らせているのに。
諸国を旅して物の怪を斬る男が、この穏やかな空間で芋が焼けるのを待っているうちに転寝をしているのだと思うと、少し可笑しい。
カクンと頭が落ち、男は驚いたように目を覚ます。
「おはよう」
「寝て」
「いたよ」
バツが悪いとでも言いたげに、男は顔を天に向けた。
そんなに気を抜くのが嫌か。
確かに、男にとっては気を抜く事は死を表すのだろう。しかしそれは物の怪か怪しい人間が近くに居る中、気を抜いた場合だ。
今のように物の怪の気配を感知するのが近くにもう一人居て、怪しい人間が居ない今ぐらいは、気を抜いても良い筈。たまの休息を得なくては、身体を労わってやれない。
男は眠気を覚まそうと目をぎゅっと閉じてから瞬きをしている。
まったく、手のかかる男だ。まるで子供の相手をしている気になってくる。
黒猫の尻を押し、遊んでおいでと言う。猫は恨めしそうに私達を見た後、駆け出した。
「薬売り」
「何、ですか?」
「膝が空いてしまった」
「猫を退かしたのは、西明、でしょう」
「膝が寒くてかなわん」
「そう、ですか」
「お前は温そうだな」
「指先は冷たいですよ」
「末端冷え性か」
「はい」
この減らず口が。
私が自主的に、遠まわしに甘やかそうとすると跳ね除けるのは悪い癖だ。素直に甘えれば良いものを、可愛げがない。
「膝枕をしてやると言っているんだ」
単刀直入に、飾り気も無く言えば、男は勝ち誇ったように笑う。
「先日、膝枕は一度きりだと豪語していたのを、覚えていますが」
「さあ、そんな事言ったか、忘れたな」
「言いましたよ」
「では私も、一週間前に二日後にはまた旅に出ると言っていた男を覚えているのだが」
「おや、誰でしょうね」
「貴様だ」
私の言葉など意に介さないと言うように、急に人の太股に頭を乗せてきた。そして人の腰に腕を回し、下腹部に顔が押し付けてくる。
図体がでかいだけの、子供だ。
「芋、どうします?」
「火はいずれ消える。火が消える時が頃合だから、放って置けば良い」
「冷めます、よ」
「冷めても尚旨いのが芋だ」
「屁理屈を」
「薬売りの癖が移ったようだな」
「人のせいにするのは、良くない、ですよ」
「喧しい。冷めたなら干し芋にするさ。ほら、眠いのならさっさと寝ろ」
「せっかく西明を抱きしめているのに、寝るのは勿体ない」
「それでは膝を貸した意味が無い」
「気は抜けていますから、良いんです、よ」
この男、そこまで気付いていたのか。してやられた気分になる。
もしかしたら最初から計画のうちだったのではないかと疑いが浮かぶが、考え出したら収拾がつかなくなりそうなのでその思考は遮断した。
「西明は本当に、甘い」
男が呟いた声が下腹部に振動を与える。聞こえないように言ったつもりなのだろうが、残念ながら聞こえてしまった。
まんまとこの男の手玉にされたのか。悔しいったらない。
腹いせに尖った耳を少し引っ張ってやれば、男は尚のこと笑う。
これ以上何かをしても、無駄だ。
天を仰ぐ。
一筋の煙がゆらゆらと天に伸び、雲ひとつ無い空に一線描いていた。
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