霧雨の向こうの景色がぼんやりと朧げに映る。 下校時刻を少し回ったこの時間には生徒の行き交いも少く、ここ、靴箱の前で友人が通るのを待っていても期待はできない。 (…まあ、これくらいの雨なら走ればそんなに濡れないかな) ローファーが泥まみれになったら仕方ない、洗えばいい。 制服が濡れたら乾かせばいいし、冷えた身体はシャワーを浴びれば容易に温められるだろう。 私は覚悟を決めて屋根のあるそこから一歩踏み出そうとした。 「名前?」 右手と左足を出したマヌケな格好で私の名前を呼ぶ声に振り向けば、不思議そうな顔をした遙がそこに居た。 そうして私は目敏く彼が傘を持っていることに気付く。 「遙!入れてください!」 「え?……ああ、これか」 遙は傘を持ち上げて見せてふっと笑った。 水溜まりを踏まないようにそろりそろりと歩けば同じ傘に入っている遙もそのテンポに合わせて私の横をついてくる。 当たり前のように傘を持ってくれて、極々自然な形で傘は私を濡らすまいと傾いている。 七瀬とよく付き合ってられるね、なんて友人に言われたこともあるけれど皆が思うほど遙は不思議ちゃんじゃないし難しくもない。 「助かったよ、ほんとに。でも、なんであの時間にまだ学校にいたの?」 「雨が降ってたからプールに入れないなって考えてたら教室で寝てた」 「さっすが」 マイペースなんだから、と遙のその単純な思考と行動が面白くて笑えば、遙は少し口元をへの字にして分かりやすく「気に入らない」を伝えた。 「あははっ、ごめんって」 「……俺は“マイペース"だから言うけど、」 そんなに気に障ったのだろうか。 マイペース、を強調して遙はもったいぶったように一番大切なところで口を噤んだ。 雨音でかき消されないように続きに耳を傾けて、身体を寄せればワイシャツの中に隠れるその引き締まった固い筋肉にぶつかる。 「俺の家に来い」 「えっ、ちょ、待って、はる、!?」 玄関の戸を開いたと思ったら中に押し込められて、ピシャン!という派手な音とほぼ同時に唇を塞がれた。 こんな強引なキスも早急なキスも彼らしくない。 後ろ手で器用に鍵を掛けながら覆い被さる遙に私は段々と受け止めきれなくなり終いには玄関マットに尻餅をついた。 その間遙の唇が離れることはなく、執拗に舌を絡め上顎をなぞり溢れる唾液を喉を鳴らして啜るのだ。 「っんん、んーーーっ、っはるっ」 ようやく離れた遙は目をとろんと潤ませ、唾液に濡れた唇をぺろりと舐めて見せた。 その酷く扇情的な表情に私の身体が反応してしまったのは致し方ない。 「っはぁ、遙、どうしたの、」 「……足りない」 「え?」 「足りないんだ、水が」 そう述べた遙は性懲りもなくまたも唇を重ねてきてべちゃべちゃになるほど口内を荒らしていく。 ぎゅっと瞑っていた瞳を開くと、頬が赤く高揚している遙が写り、私は気恥ずかしくてもう一度目を閉じた。 遙の大きな手が肩から背中に回り腰に辿り着き服の中に侵入した時、初めてやけに冷静な思考が戻ってきて慌てて遙の背中を叩く。 「遙っ、ここ玄関!」 「だからなんだ」 「なんだって…こんなとこでしたくない!」 「……」 私の拒絶に遙はあからさまに不服そうな顔をしているがこれは譲れない。 目と鼻の先にベッドがあるというのにどうしてこんな寒くて背中が痛くなりそうなところで致さなくてはならないのか。 「…移動すればいいのか?」 「うん」 「…分かった」 遙はスニーカーを脱ぎ捨てて、座り込んでいる私の履いたままだったローファーをまるでお姫様にするみたいに脱がした。 その姿や手つきがあまりにもスマートで、ときめく単純な私。 しかも遙は私の背中と膝裏に手を回したと思ったら「よいしょ、」という掛け声で所謂お姫様抱っこをしてくれたのだ。 友人の真琴ならともかくあの遙がこんなことをしてくれるなんて。 重くないかな、大丈夫かな。 感動と恥ずかしさで身体を縮こませて遙に身を任せていたら、ふとおかしなことに気付く。 「え?遙?どこ行くの?」 「風呂場」 「…は?」 ジタバタと暴れる前に脱衣所に到着。 抵抗しようとすれば遙が宥めるようにキスを落とすものだからそのまま流されてすっぽんぽん。 「名前は先にシャワー浴びてろ」 「え?一緒に入んの?」 「当たり前だろ。風呂場でするんだから」 「ええ!?」 とっとと入れ、と今度は風呂場に押し込められてなんと雑な扱いだと愚痴るも私はもう覚悟を決めてシャワーのひねりを回した。 反抗したってどうしようもない。 遙が頑固者で一度決めたことはなかなか曲げないのは古くからの付き合いで重々知っている。 冷やりとした玄関先とは違い風呂場は温かく白い湯気に包まれた。 曇りガラスに映る私の顔は朧で輪郭さえも正しく認識できない。 私が身体を温め始めてすぐに扉が開き遙が入ってきた。 相変わらず程よくついた筋肉が美しい。 水泳部である遙の上半身は見慣れているしこういうことだって何度かしたことはあるが、電気が煌々と灯してある風呂場での背徳的な行為は私を興奮させた。 「っひ」 「名前…」 後ろから抱き込んだ遙は首筋や肩口に唇を押し当て痕の残らない程度に柔く吸う。 頭上からシャワーの湯で水のベールを作り二人してその中に入った。 温かいを通り越して、熱い。 遙の手が胸や腹を擽る度、そこが焼けるように熱くなりチリチリと火傷を残していくような感覚。 「はる、か」 「…ん?」 ぶらりと垂らしていた腕を持ち上げ耳の裏にちゅうっと吸い付いている遙の頭を撫でれば、遙は忘れていた呼吸をぷはっと言うことで取り戻した。 まるでエラ呼吸をする魚みたいに自然と水の中に佇む遙。 「もう、シャワー浴びれて、満足?」 私の言葉の意味を読み解こうとしているのか、遙は考えるように虚空を見つめ、そうして私の身体に回していた腕に力を込めてより密着してきた。 布一枚隔てていない今、遙の体温も遙の鼓動も嫌というほど丸分かりだ。 「満足だと思うか?」 その言葉と共に押し当てられた遙のもの。 「!」 「もっと、溺れないと」 濡れた身体に舌を這わせて遙は喉をごくりと鳴らす。 本当に溺れるのは、どっち? |