「いらっしゃいませ!今日は何になさいますか?」 手作りのお惣菜に拘る当店は、朝に店長が大鍋で作った数種類の煮物が店先のショーケースに並ぶ。 お客さんにはお望みのグラムを言ってもらい、私たち店員はその通りに煮物を透明のパックによそって提供する。 保存料を入れない、その「お袋の味」を気に入ってくれた主婦や会社帰りのサラリーマンが利用してくれるそんなお店だ。 そんなお店に、最近気になるお客さんがいる。 「いらっしゃいませ!」 来た! 紺色の髪を見掛けて私は胸を弾ませた。 「今日は何になさいますか?」 ショーケースをじいっと見るそのお客さん。 このお店の利用者といったら朝はおばあちゃん達、お昼は休憩時間であろうOLさん、夕方は夕食の買い出しの主婦、夜は会社帰りのサラリーマン。 そんな中、このお客さん、きっと私と同じ大学生くらいの男の人は、夕方の主婦たちに混ざってよくこのお店を利用している。 こんな若い人、しかもおまけにすんごいイケメンな男の人が常連さんのように訪れてくれるから、私はもちろんのこと他のバイト仲間の間でもちょっぴり有名人だ。 今日はたまたま私が接客することになったからちょっと嬉しい。 「そうですね…」 ショーケースに並んでいるのは、筑前煮、肉じゃが、きんぴらごぼう、サバの味噌煮、小松菜のおひたし、それからちょっと変わったメニューとして大根の旨煮や鶏肉とピーマンのにんにく醤油炒め、するめいかと里芋の煮物やイカのすり身と蓮根の甘酢合えなんてものもある。 「今日のお買得品は鶏肉とピーマンのにんにく醤油炒めですよ?」 顎に手を当てて悩んでいる様子だったため、恐る恐る声をかけてみた。 「そうですか。ではそれをお願いします」 少し微笑まれて、思わず胸がドキンと高鳴った。 こんな綺麗に笑う人、そうそういないと思う。 誤魔化すように手際よくパックを用意して、鶏ピー(と、当店では略す)専用のトングを持つ。 「何グラムになさいますか?」 「そうですね…」 「またお二人で食べられますか?そしたら250グラムくらいが丁度良いかと…」 「覚えてらっしゃるんですね」 「!!あ、はい」 恥ずかしい! 愛想笑いを浮かべてお鍋の中をトングでぐるっとかき混ぜた。 初めてお店に来たとき、何グラムにしようか悩んでいるのを見て「何人で食べられるご予定ですか?」と聞いたときに「二人です」と言っていたのを覚えていた。 ただでさえ若いお客さんで珍しいのにかっこいい人だったから印象に残っていたのだ。 それを自らバラしてしまったようでなんだか気恥ずかしい。 「お客のことをひとりひとり認識しているなんて良い店員さんですね」 「そ、そんな…。お客様がいつもいらして下さるから覚えていただけですよ」 と、微笑んでみせる。 イケメンだったから覚えていただなんて口が滑っても言えない。 鶏肉をひとつひとつ丁寧によそっていると、すみません、と声を掛けられた。 「はい?」 「すみませんがあまりピーマンを入れないで頂けますか?」 「あ、分かりました。お嫌いなんですか?」 言って、口を滑らせてしまったとちょっと後悔した。 あまりプライベートなことを聞きすぎるのもよくないと思ったからだ。 けれど、お客さんは気にする様子もなくちょっと苦笑して「私ではなく、一緒に食べる人が苦手なんですよ」と言った。 「か、彼女ですか?」 心の中にしまっておくべきだったその問いは案外あっさりと私の唇から発せられていた。 「えっ!?」 目を見開いた彼はびっくりした様子で、そしてぶんぶんと手を横に振った。 「ち、違いますよ!ただの同居人です!」 「ルームシェアの方…とかですか?」 「そ、そのようなものですね…」 気まずそうに首筋を摩る彼は頬を赤くしている。 私にはこう言ったけど、多分彼女なんだろう。 「…玉ねぎなど他のお野菜は入れてしまっても大丈夫ですか?」 「ええ…」 鍋の底に埋まっている玉ねぎを引っ張り出そうとするが、トングがスルリと滑ってうまく挟めない。 (……なんで落ち込んでるんだろう…) ついて行けない自分の感情に、私はうまく「またご利用ください!」と笑うことができただろうか。 「はい、ではポイントが全て貯まっていますのでこちらで500円引きさせて頂きます」 このお店で無償に渡しているポイントカード。 500円ごとにスタンプひとつを押して、25ポイント貯まると商品を500円値引きできるというお得なカードだ。 「やぁだ、悪いわねえ」 「いいえ!では裏面の方にお名前とご住所をお書き頂けますか?」 「はいはい」 ポケットからボールペンを出してお客さんに手渡す。 ショーケースの上でスラスラとそれらを書き込み、ありがとねとボールペンとポイントカードを渡された。 「ではこちらが新しいカードになります。またご利用くださいませ!」 にっこりと笑って頭を下げる。 お客さんの背中を見送ったあと、トレーに残っているお金をレジに戻した。 「すみません、」 「はい、いらっしゃいま、!」 顔を上げるとあのイケメンのお客さんだった。 「き、今日は何になさいますか?」 あの日以来初めて会って、なんだか緊張していた。 来てくれて嬉しい!じゃなくて、心臓がバクバクして声が上擦って、まるで…。 「ええと、では肉じゃがを250グラムで」 「畏まりましたっ」 そそくさと肉じゃがのトングを持ってごろごろと大きいそれを掴む。 人参と玉ねぎと豚肉と糸こんにゃくとさやえんどうをバランスよくカップに詰めて、私はそれを量りに乗せた。 電子板が250グラムピッタリを示す。 「こちらで250グラムぴったりです。この量でよろしいですか?」 カップを斜めにして中を見せる。 「ええ、大丈夫です。一度でぴったり量れるなんてすごいですね」 「っ」 ふふっ、と相変わらずの美しい笑顔を向けられて私は一瞬言葉に詰まった。 前だったらただ、イケメンだなあで済んだのに、今は違う。 ただ微笑まれただけで、話し掛けられただけで心臓をぎゅっと握りつぶされたかのように苦しくなってしまう。 「は、量り慣れてるので…」 頬の筋肉をにいっと上に持ち上げる。 きっと、私は彼にうまく笑顔で返せてないだろう。 蓋をぐっぐっと押して汁の漏れがないようにして、それを袋に入れる。 その作業の間は彼の顔を見なくていいのが、というか私のこの情けない顔を見せなくていいのが、ありがたかった。 「ではお先にお品物を失礼致します」 手渡しする袋を手と手が触れないようにパッと渡した。 「ではお会計、740円です」 トレーを差し出すと、彼は財布の中から1000円札と10円玉を4枚、それからこのお店のポイントカードを置いた。 「お願いします」 「はい、お預かりします。…あ、こちらポイントが全て貯まっていますね。500円引きになりますのでお会計変わります」 「あ、本当ですか」 レジに500円を値引き、と打ち込む。 「240円です」 「はい」 彼は1000円札を財布に戻して、代わりに100円玉を2枚出した。 「では丁度お預かりします」 240、と数字を打ち込んで印字ボタンを押すとチン!という軽い音と共にレジが開く。 レシートだけ返してから、お手数ですが…とボールペンを渡した。 「カードの裏面にお名前とご住所をお書き頂けますか?」 「はい」 ボールペンを受け取って、彼はスラスラと文字を連ねる。 私はその間、ドクドクいう心臓を自覚しながら彼の長い睫毛が下を向くその美しい顔をじっと見つめていた。 書き終わった彼は、それをはいと私に返した。 ありがとうございます、と営業スマイル(できていたかどうかは分からないけど)で受け取って新しいポイントカードを用意した。 「では、こちらが新しいポイントカードになります。またご利用ください」 真新しいそれを渡して、いつものように頭を下げようとした時だった。 コンコン、と彼がショーケースを鳴らして私に合図を出した。 「はい?」 思わず顔を上げる。 周りをちらりと気にした彼は、私の方に顔を寄せ、小さな声で言った。 「連絡、待ってます」 「え?」 意味が分からなくて彼の顔を覗き込むと、ちょっと目を逸らした彼は指で先ほど私が受け取ったポイントカードを指差した。 「え?」 「では、」 くるりと踵を返して彼はそそくさと立ち去ってしまった。 「ま、またお越しくださいませ!」 その背中に挨拶をしてから、私はそっとポイントカードをひっくり返した。 (う、そ) バックンバックン。 心臓が壊れるんじゃないのかってくらい激しく脈打つ。 (これって、期待、しても、いいの、かな……?) そこには規定通りに書かれた「一ノ瀬トキヤ」という名前と住所、そして彼の連絡先であろうケータイの番号が角ばった字で記させていた。 トキヤsideも書きたいです。 |