「大体ですね、あの人は何も分かっていないんです」

(おお、始まった…)

私は持っていたグラスの氷をカラカラと鳴らしながら、「あーうんそうだね」と適当に相槌を打った。

「私は原作のファンだったんですよ?もちろんこの作品は何度も読みましたし、他の作品だって好んで読んでいました。なのに監督ときたら、そこはそうじゃないだろって……私だってね、拓海はどうしてこう行動したんだろうってずっと考えてましたよ。難しい場面ではありますが、難しいシーンですからね、妥協は許されません。そうしてこれだと思った演技をしたら、はなっから否定してきたんだすよ?」
「へえ、ひどいね」

うん、いい感じに面倒臭くなってきたぞ。

普段はあまり仕事に関しての愚痴や不満は私に対して漏らしたりなんてしない。
それがトキヤの気遣いなのか、素人の私に言ったところで何にもならないと見限られてなのかは分からないけれど、そういう面を出さないトキヤは大人だなって感心してたし、逆にちょっと心配でもあった。
トキヤの性格上、誰かに不満を打ち明けたり相談を持ちかけたりするようには思えない。
せめて恋人の私といるときは心穏やかにいて欲しいと思い、仕事の話はほとんどせず、トキヤのしたいようにさせようと決めている。
と言っても、トキヤは私のことをベタベタに甘やかしてくれるからなかなかそうもいかないのだけれど…。

そんな時は決まって二人でお酒を飲みに行くのだ。
私が酔ったら元も子もないから、度数の低いお酒をちびちびと飲んで、トキヤにはこれでもかと言うほど飲ませる。

そうするとこの通り。

「あの人は何も分かっていません!共演者の方も言ってるんですよ、横暴なやり方だって。まだ新人だからといって斬新なやり方をすれば自分のものになるとでも思ってるんでしょうか!」

うん、面倒臭い。

「やな監督だねぇ」とあんまりよく分からないけどそう返事をすると「ですよね!」と満足そうに頷いてお猪口を煽った。
面倒臭いけど、適当な相槌をしておくと納得してくれるんだから簡単っちゃ簡単だ。

そして最後にこの台詞も忘れずに。

「トキヤはお仕事頑張ってて偉いね。そんなトキヤが大好きだよ」

漆黒の髪をさらりと撫でると、トキヤはひっく、としゃっくりをひとつして、目を細めた。

「………私もだいすきです」

そう言って、すすすっと私のところに寄ってきて私の膝の上にこてんと頭を乗せた。
猫を撫でるみたいに、よしよしと頭を撫でてあげる。

「おやすみ、いい夢を」

とろんと落ちる瞼に優しくキスをして、そのままトキヤが眠りにつくのを静かに待った。

明日も、お仕事頑張ろうね。




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