シャワーの水飛沫に打たれながら名前さんのことが気が気じゃなかった。
風呂上がりの蒸気した肌に、化粧のしてない普段よりあどけない顔、シャンプーの優しい香り。
こんな興奮材料を全て纏った彼女が野生の勘で生きているような音也と一緒の空間にいるかと思うと‥‥!

いつもは湯船に1時間は浸かる私ですが、今日はシャワーだけで済ませて急いで浴室を出た。
まさかリビングがあんなに冷えきった空間になっているとも知らず。







「お待たせしましたっ」

タオルは首に掛け髪が濡れたままなのも厭わず、私はリビングに通ずる扉を開けた。

「あ、トキヤ、」

ソファに座っている音也がこちらに気付き、少し腰を持ち上げた。
彼の顔が少し困っているのに気付く。

「名前さん‥‥?」

音也の隣で、私に背を向けているため顔が見えない名前さんの名前を呼ぶ。
ゆっくりと振り返った顔に、いつもの笑顔はなかった。

「あの、」
「トキヤくん、少し、お話、いいかなぁ?」

ゆっくりと紡がれた言葉には戸惑いの色が浮かんでいた。

「‥‥はい」

私も言葉を返すのに一瞬遅れる。

「私の部屋で、話しましょう」

こっちです、と示すと、名前さんは素直に立ち上がりそのままあとをついてきた。
扉を閉める時に視界に入った音也が「頑張れ」と口をパクパクさせて手を振っていた。

「お邪魔します」
「どこでも好きなとこに座ってください」

彼女は少し考えて、床にぺたんと座り込んだ。
ベッドに腰掛けてもよかったのに、その言葉は喉元でつっかえた。
何故か言ってはいけない気がした。

「ああ、飲み物を忘れてしまいましたね。取ってきます」

もう一度立ち上がった時、つんと服の裾を引かれて私はそのまま中途半端に腰を上げた格好になる。

「大丈夫、ありがとう。飲み物があるとそれに逃げちゃうから‥‥」

彼女に言われるまま私は向かいに座った。
俯く顔に垂れている髪が乾いているのに気付いて少し安堵する。

「それで、話とは‥‥?」

私から口火を切ると、名前さんは適当な言葉を探しているようで一言一言確実に言葉を続けた。

「トキヤくんがアイドルの卵って、さっき音也くんから聞いたんだけど、それって本当?」

‥‥そのことですか。

胸がキリリと痛んだ。
確かに、私はアイドルになるべく早乙女学園に通っている。
それは隠すべきことではないのだが、どうしても名前さんには伝えられなかった。
伝えたくなかった。

「‥‥本当です」
「どうして、言ってくれなかったの?」

真っ直ぐな瞳を向けられ、私は唇をぐっと噛み締めた。
言えません、そんな。
そんな、馬鹿みたいなこと。

「私には、教える価値なんて、ない?」
「え?」
「仲良くなれたって思ってたけど、トキヤくんの中では、私たちはまだ、お客さんと店員?」

ふるふると首を横に振る。

「そんなわけ、ないじゃないですか。貴方は、もう私にとって大切な、」
「じゃあ、どうして?」

ひたむきなその眼差しに気付いてしまい、私はもう逸らすことはできなかった。
はあ、と溜息がひとつ溢れる。

「‥‥‥‥こんな恥ずかしいこと、本人には決して言いたくなかったんですけどね」

やはり、私は貴方に弱いみたいです。
ポタポタと毛先から落ちる雫をタオルで拭いて、邪魔になる前髪を後ろに掻き上げる。

「最初に知り合った時に言うことだって可能でした。でもそれをしなかったのは‥‥‥‥ありのままの一ノ瀬トキヤで居たかったからです」
「ありのまま‥‥?」
「私を知らない貴方が、私が芸能人であるかそうじゃないかを抜きにして私と接して下さるのが嬉しかったから」

足をきちんと組み、私は掌を腿の上に揃えた。

「貴方には、ただの“一ノ瀬トキヤ”を好きになって欲しいんです」

名前さんの瞳が丸くなって、そうしてそれは細められた。
ゆっくりと弧を描いた唇からくすくすと笑い声が漏れる。

「心配して損しちゃった」
「名前さ、」
「私、トキヤくんが好きです」

きらきらの、私が好きになったあの笑顔で、名前さんは私を好きだと言ってくれた。

「かっこいいところも好きだよ。でも、真っ直ぐなところとか真面目なところとか優しいところとか、それ以外で好きに」
「もう、やめてください」
「?」
「心臓が、もたない‥‥」

バクバク激しく高鳴る心臓がキリキリと締め付けられて私は呼吸もままならなくなってしまう。
シャツの上から胸の辺りをぎゅっと握っていると、すすすと近寄ってきた名前さんが私を下から見上げた。

「なに、」
「教えて?」

名前さんの小さな掌が私の指に絡まり、そのまま脇に退かされた。
そのまま空いた胸にぽすんと名前さんが倒れ込んでくる。

「ちょっ、」
「‥‥速いね。ドキドキ言ってる」
「‥‥‥‥‥‥私も、貴方が、好きですから」

そのままきつく抱き寄せると、名前さんは頬をすりすりと私の胸板に擦りつけた。

「ん、トキヤくんいい匂い」
「‥‥同じシャンプーを使ったから貴方も同じ香りですよ」
「まーたトキヤくん色に染まっちゃった」

ちょっと不服そうな声がして、私は慰めるようにしっとりした彼女の髪を撫でた。

「心はいつでも貴方色です」
「私の心もトキヤくん色だからおあいこだよ。プラスマイナスゼロってやつ」

可愛いことを言う胸の中の愛しい人に、もう「また会いましょう」なんて言ってあげない。

「私と、付き合って下さいますか?」

一度肩に手を置いて、その瞳を見つめて紡ぐ。
貴方の頬が赤いのは湯上りだから?
それとも私のせい?

「‥‥もちろん。よろしくお願いします、トキヤくん」

はにかむ笑顔が可愛くて仕方ない。
私が貴方を好きになったきっかけも、その眩しい笑顔でした。

「ねえ、トキヤくん。ぎゅってしていい?」
「ええ、どうぞ」

さっきよりもきつく。
隙間なんてどこにもないくらい。

「と、ときやくん、ちょ、くるしい‥‥」
「貴方が言い出したんですよ、我慢して下さい」
「うええ‥‥」
「もう、離しません」



また、なんてありません。
ずっと一緒、ですから。



誓いのキスは控え目にしかできなくて、気付かれないようにそっとこめかみに落とした。




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