玄関の鍵がガチャンと回る音がして、ああトキヤが帰ってきたんだなーと呑気に思った俺はバラエティ番組から一旦目を反らして「おかえりー!」と声を掛けた。
いつもならその内にリビングへと通じる扉が開いて「ただいま帰りました」とかって言って入ってくるはずなのに、なぜだか未だに玄関でゴタゴタしている。
何かあったのかなと思って俺はのっそりソファから上体を起こし、玄関とリビングを仕切る扉を開けた。

「私は大丈夫ですので早くお風呂に入って下さい」
「え、でも、悪いよ」
「貴方に風邪をひかれては困ります」
「そんな、‥‥あ、お邪魔してます」
「あ、いえ‥‥?」

女の子がいる!
しかもトキヤと揃って2人ともずぶ濡れだ。

「音也、バスタオルを用意してください」
「えっ?あ、うん!」

言われた通り洗面所からバスタオルを持ってきてトキヤに手渡したはいいものの、俺はクエスチョンマークが頭に浮かぶ。
この女の子、誰?

「これで軽く体を拭いて‥‥。お風呂はあそこ、この男が出てきた扉です。着替えは用意しておきますから、早く体を温めて下さい」
「‥‥うん。ごめんね、ありがとう」

その女の子は俺の横を会釈して通って洗面所に消えた。
ふうっと溜息を吐いたトキヤに、おかえりともう一つ用意しておいたタオルを渡す。

「おや、貴方にしては気が利きますね」
「失礼な。で、あの子だーれ?見たことないけど、Sクラスの子?」
「‥‥‥‥いいえ、ただの友人ですよ」
「ふーん?」

絶対ただの友人ではない雰囲気で語るもんだから嘘に違いない。
けれど、こういう時にしつこく聞いてもトキヤは教えてくれないって知ってるから俺はそれ以上は追求しなかった。

(‥‥けど気になるからあの子にかるーく聞いちゃおう)

「音也」
「えっ!?うん、なに!?」
「何をそんなに慌ててるんですか‥‥。着替え、何を貸してあげたらいいと思います?」
「えー、ふつうにスエットとかでいいんじゃない?」
「そう、ですかね」
「むしろ下着どうすんの?パンツとかまでずぶ濡れなんじゃない?」
「パ‥‥!?貴方最低ですね!!」
「なんで!?ノーパンとか抵抗あるかなー」
「‥‥‥‥」

トキヤが眉を潜めて黙ってしまった。
考えてる考えてる。

「‥‥ここには女性ものの下着はありませんし、貸すのは論外」
「あっ、コンビニとかで売ってるよねこのご時世!」

俺が思いついて言ったらトキヤはカッと目を見開いて俺の頭をガシッと掴んだ。
なに、いたい!

「貴方、たまには良いこと言いますね!」
「褒めてたの!?あいたたた」

そうと決まればとトキヤが飛び出して行きそうだったから、俺は慌てて肩を掴んでそれを止めた。

「俺行ってくるよ!トキヤはその濡れた体を拭いときなよ」
「‥‥‥‥明日はカレーを作りますね」
「やった!」

俺は上機嫌で玄関を飛び出し、エレベーターの下行きボタンを押した。

(‥‥あ、ブラのサイズが分かんないや)

まあいっか!と、俺は持ち前のポジティブさでなんら気にすることなく夜のコンビニへと突き進んだ。







俺が買った物をトキヤに手渡すと、トキヤはその中身をちらりと確認して「ありがとうございます」とだけ言ったらそれを洗面所まで持っていった。
少ししたら女の子が出てきて、トキヤと洗面所前の冷たい廊下で何やら話をしているのを俺はソファの上からぼーっと眺めていた。
何言か交わすと、トキヤはちらりと俺の方を向いて「私が入浴している間、彼女をお願いしますね」と女の子をお願いされた。
ああそっか、俺とふたりっきりになるんだ!

「いーよいーよ、よろしくね!俺一十木音也っていいます」
「あっ、苗字名前です!突然ほんとにすみません!」
「こっちおいでよ、廊下寒いでしょ?なんか飲む?」
「わあ、お構いなく!」

すすすっと寄ってくる名前ちゃんを横目に、トキヤは洗面所へと消えた。
最後の瞳が「何かしたらただじゃおきませんからね!」とドスの効いたものだったから“ただの友人”とは到底思えない。

「うーん、じゃあ俺今ミルクティー飲みたい気分だからそれでいい?」
「あ、はい!なんでも!手伝います!」

キッチンまでついて来て、そのペコペコとした腰の低い雰囲気が可愛くて俺は割りと名前ちゃんを気に入った。

「名前ちゃんは、トキヤのなーに?」
「えっ、と、友達です!」
「ほんとに?」
「ほ、ほんとに!」
「はい、これに牛乳入れて。半分くらい」
「はい!」

牛乳パックを渡したらこくんと頷いて器の半分辺りをじーっと見てトポトポと慎重に注いでいる。

「ほんとのほんとに?」
「ほんと‥‥‥‥あっ、でも前はお客さんと店員でしたけど!」

出来ました!と丁度半分満たされた器を受け取ってそれを俺が用意していた紅茶と中和させる。
甘い香りがキッチンに充満して自然と温かな気持ちになる。

「店員‥‥って、もしかして、あのお惣菜の!?」

俺が恋焦がれてた筑前煮を売ってるあの!?
店名を続けると名前ちゃんはそうです!と大きく頷いて、あそこでバイトをしているのだと話してくれた。

(なーるほど)

俺はようやく、トキヤがお惣菜を買っていた経緯からあの夜のトキヤの電話、そうして今が全て繋がった。

「君がね!そっかそっか!」

確かにトキヤが話していたように礼儀正しくていい子そうな子だ。
この子が、トキヤの想い人。

(わーなんか俺、お節介したくなっちゃう)

ミルクティーのカップをひとつずつ持って、ソファにぽすんと座る。
さっきまで見ていたバラエティは音量を少し小さくして(消さない辺り俺って空気読める)少し緊張気味な名前ちゃんににっと笑って見せた。

「ささ、飲んで飲んで」
「いただきます」

カップに口を付けてゆっくりと傾ける。
俺も一口。

「‥‥美味しいです!」
「でしょ?俺、これだけは人一倍上手く作れるんだ」

これ以外は全然だけどねと笑ったら名前ちゃんも釣られて笑顔になる。

「じゃあいつも料理はトキヤくんがしてるんですか?」
「そうだよー、あ、でも俺もするよ?たまーーーーーーに」
「すっごくたまになんですね」
「まあね、トキヤの料理美味いからさ」
「‥‥あれ、もしかしてピーマン苦手なのって音也くん?」
「そうだよ!もうバレちゃってるのそのかっこ悪い情報!」
「お店に来た時トキヤくんが同居人がピーマンが苦手って‥‥」
「うわー言いふらすなよなぁ、アイツ」

苦い顔をしたら名前ちゃんはちょっと笑って、そして安心したように微笑んだ。

「‥‥私、その同居人の方ってトキヤくんの彼女さんかと思ってたから‥‥」
「‥‥気になってたんだ?」
「うん、‥‥あっ、えっと、はい!」
「いいよ、タメ口で!」
「ありがと‥‥っへくち、」

肩を揺らしてくしゃみをした名前ちゃんに、俺はあっと声を上げる。

「髪!濡れたまんま!乾かさないとそれこそ風邪ひいちゃうね!」

ドライヤー持ってくるね!とトキヤの部屋に勝手に侵入する(俺はいっつも自然乾燥派だからね)。

「わああ、わざわざごめんね」
「ううん、トキヤのだけどこれ使って!あと、これも使っていいよ、トキヤのだけど!」

瓶を2つ名前ちゃんの前に並べる。

「‥‥化粧水と乳液?」
「男用とか女用とかあるのかな?ごめんね、俺分かんないや」

ドライヤーで靡く髪がさらさらと揺れる。
その風に乗って香るのはトキヤがいつも使ってるシャンプーの香り。

(トキヤ、絶対こっち使って下さいって指定したな)

内心ニヤニヤ笑ってやる。
あのトキヤが好きな女の子に翻弄されてわたわたする姿が意外すぎて面白い。

「トキヤくんってこんなお手入れまでしてるんだね。だからあんなにお肌ピチピチなんだ?乾燥肌なのかな?」

ほぼ乾いたところでドライヤーのスイッチを切り、名前ちゃんは俺に向かって首を傾げた。

「乾燥肌かは知らないけど、アイドルとしてお肌の手入れは当然です。ってのがトキヤのモットーだからね」
「えっ?」
「ん?」

名前ちゃんは目を丸くして俺を凝視していた。

「‥‥おとやくん、ごめんね、今なんて言った?」
「え‥‥っと、トキヤが乾燥肌かは知らないけど、アイドルとしてお肌の手入れは当然です。っていうのがトキヤのモットーで‥‥」
「‥‥トキヤくんって、‥‥アイドルなの?」
「アイドルっていうか、その卵‥‥ていうか‥‥」

あれ、俺まずいこと言っちゃった?

「‥‥トキヤ、言ってなかった?」
「‥‥学生で、私と同い年って‥‥」
「学生なのは嘘じゃないけど‥‥」

これは、もしかて、もしかしなくても、修羅場ってやつですか‥‥!?

(トキヤ、早く風呂から上がってこい!!)

俺の手の中のミルクティーは冷める一方だった。




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