こんなことって漫画だけじゃないんだなーってどこか他人事のように感じていた。
実感が沸かない というのがきっと正しい表現なのだと思う。

(‥‥よし!)

全身鏡の前で頭の先から爪先までを確認して、この前に立ち続けてかれこれもう十分。
ようやく私は満足して、扉の前に置いておいたお出掛け用鞄を引っ掴んだ。
チャームがカチャリと鳴った。







待ち合わせ時間より20分前。
少し早く来過ぎてしまったけれど、待たせるよりずっといい。
しかし、待ち合わせ場所の目印にしていた駅前の時計のオブジェに歩を進めると、えっと思わず心の中で叫んでいた。

(もう来てる‥‥!)

慌てて小走りでそちらに近付く。

「あ、あのっ」

そのオブジェを背にスマホをスライドさせていた男性に声を掛ける。
俯いて前髪で隠れていた端正な顔がこちらを向いた。

「あ、こんにちは」
「こ、こんにちはっ」

スマホをポケットに入れて微笑んだトキヤくんは私服だとそのイケメンさにより拍車を掛けていた。

「お待たせしてすみません!」
「いえ、全然待ってないので大丈夫ですよ」
「そ、そう‥‥?」

貴方を待たせなくて良かったです、そう続けた彼に私はドキッと胸を高鳴らせた。

「先に映画を見てから昼食にしましょうか」
「あっ、うん」
「まだお腹は空いてないですか?」
「大丈夫!」
「はい」

横に並んで歩幅を合わせる。
というか、合わせてもらっている。
初めて横に並ぶトキヤくんは、私が思っていたよりもずっと背が高い。

今日という日が設けられたのは、お互いが見たい映画が丁度被っていたから。
あの日、私が勇気を出してトキヤくんに電話をした時から、私たちのメールのやりとりが始まった。
正直、少し疑っていた部分もある。
お客様として対応していた時はとても丁寧で好印象な人だったけれど、こんな稀に見るイケメンだ、私みたいな平凡な女の子をからかって遊んでいるんじゃないかと勘ぐってみたり。
だから、急に電話を入れた時に「私のこと、からかって遊んでいたりするんですか?」と直球で尋ねてみたら「えっ!?そんなことあるわけないじゃないですか!私は真剣に‥‥っ」とすごい剣幕で弁解されたため今ではすっかり信じている。
メールのトキヤくんは真面目でお固いような印象だけど、不意に電話を掛けると「ももももしもし!!」と第一声から面白い反応が聞けるため気に入っていたりする。
そんな私たちはいつか会えたらいいねと話していていたわけで、今日がその第一回目となったわけだ。
映画を見たあとはご飯を食べて、そのあと私の買い物に少し付き合って頂こうと思っている。

「チケット買ってきます。ここで待っていて下さい」

映画館に到着して、そのまま発券カウンターの方に行ってしまいそうになるトキヤくんに慌ててついていく。

「一人で待ってるの寂しいし一緒に行く!」
「あ、はい」

ちょっと驚いたような顔をしたトキヤくんは少し笑みを浮かべて私のことを待ってくれた。

「何か買う?ポップコーンとか」
「いえ、私は。名前さんは?」
「えっと、トキヤくん買わないんだもんね。じゃあいいや」

(キャラメルポップコーン‥‥)

少し後ろ髪が引かれる思いだったけれど、一人だけ食べるのもなんだか気が引けるし。

「食べたいのなら私に構わずどうぞ。ポップコーンですか?塩?キャラメル?」
「‥‥‥‥キャラメル」
「では買いに行きましょう」
「ご、ごめんねなんか!トキヤくんにもあげる!」
「ふふっ、ありがとうございます」

私の心の声を察したように、トキヤくんは私に親切にしてくれてありがたい。
カウンターでキャラメルポップコーンを注文したトキヤくんはそのままの流れでお財布を出そうとしていて慌ててガシッとその腕を掴む。

「わ、私出すよ!ふつうに!」
「‥‥」

ちょっと考えているようなトキヤくんは渋々といった感じで腕を引いた。

(な、なんか、カレカノみたいだ‥‥)

さり気ないトキヤくんの優しさにいい気になって調子に乗りそうになる自分に慌てて言い聞かせる。

(付き合ってない、付き合ってないから!!)

キャラメルポップコーンのバスケットを抱いて指定された席に着く。
後ろの真ん中辺りのベストポジションを獲得した私たちはコートやマフラーを外して落ち着いた。
バスケットは二人の席の真ん中に置いて、上の方のキャラメルがたっぷりかかったところに手を伸ばして口に運んだ。

「ん、おいし。トキヤくんもどうぞ」
「ああ、どうも」

トキヤくんはあまりキャラメルのかかっていないところをとってそれを咀嚼した。

「そんな遠慮しなくていいのに」
「いえ、私はあまり甘いものは‥‥」
「あっ、ごめん!苦手?」
「苦手ではないんですが‥‥」

曖昧に笑うトキヤくん。
劇場のブザーが鳴り響いてその話はそこで終わった。







「あそこでヒロインが別れる選択をするところが酷だよね」
「そうですね。あんなの彼のことをより苦しめるだけだというのに」
「だよね!それでも女の子ってああいう選択肢選ぶんだからずるいよね」
「泣いてましたもんね、名前さん」
「えっ、なんで知ってるの!?」
「鼻を啜る音が聞こえましたよ」
「えええ」

パスタ屋さんに入った私たちは食べながら先程の映画の感想を述べた。
元よりお喋りな私はまるでマシンガントークのようにほぼ一方的に語っていたが、メールでも感じていたようにトキヤくんとの価値観はぴったりだった。

「このあとですが‥‥」
「あっ、私ちょっと洋服見たくて‥‥」
「はい、いいですよ」
「ごめんね、付き合ってもらっちゃって」
「いいえ」

和風パスタをフォークとスプーンを使って器用にクルクルと巻くトキヤくん。

「女性の洋服を見るのは初めてです」
「えっそうなの?今までの彼女さんは?」
「特にそういう方はいなかったので」
「えっ、そうなんだ」

(トキヤくん、彼女いたことないの?こんなにイケメンなのに?こんなに優しいのに?)

なんて、トキヤくんのたった一言で私の心に靄がかかった様だ。

少しは自覚があった。
お客様として気になった存在だったあの頃、勇気を出して渡された番号に電話を掛けたこと、メールのやりとり、そして今日。
ここまでトキヤくんと関わってきて、更に仲良くなりたいと思えたのはきっと友情という感情だけがきっかけではない。
ドキドキするのもこの靄も、このぐちゃぐちゃの気持ちに名前をつけるとするならばそれは。

(恋)







「春服がもう出てるからさ、見たかったんだ」
「まだ二月だというのに‥‥女性はお洒落に敏感とは本当ですね」
「そうかな?」

私のお気に入りのブランド店に入った私たちは店内の一番目立つコーナーにある春物のブラウスを見た。
やはり春物ということで淡い水色や淡いピンクなどパステルカラーやふわりとしたデザインのものが多い。

「名前さん、こういうのはいかがでしょう?」

後ろから呼ばれて振り返る。
トキヤくんの手には小さな花が散りばめられ裾にフリルのついたワンピースがある。

「可愛いけど‥‥私に似合わなから」
「そうですか?可愛い貴方に似合うと思いますよ」
「そっ、そういうキャラじゃないから!」

首を横にブルンブルン振って拒絶の色を見せると、トキヤくんは渋々といった感じでそのワンピースをコーナーに戻していた。
ほっと一安心、かと思いきや今度は黒っぽいワンピースを持って戻ってきた。

「色違いなんですがこちらは?黒なので多少はシックになりますよ」
「うっ‥‥」

私がいいも悪いも言わずに黙りこんだら、トキヤくんはにっこり笑って指でフィッティングルームを指した。

(なんかトキヤくん楽しそうだ‥‥人の買い物に付き合うの好きなタイプなのかな)

言われるままフィッティングルームに入った私は、よし、と着替え終わって最後に鏡でチェック。
ワンピースではあるけれど、確かにトキヤくんが言うように可愛さの要素は薄くなっている。
上に何か羽織るのであればそれこそあまり気にするところではない。

「‥‥‥‥着たよー」

仕切りのカーテンをシャッと開けると、トキヤくんが腕を組みながらそこで待っていてくれて、上から下までじっと見つめたあと一言。

「買いましょう」

その有無を言わせないほど力強い言葉に私はこっくりと頷くしかなかった。






「うあーまたバイト入らなきゃ‥‥!」

両手の紙袋がガサゴソという音で私がどれほど服を買ったのかお分かり頂けると思う。
当初はこんなに買うつもりはなかったのだけれど、トキヤくんが色んな服を持ってきて着せて可愛い似合うとおだてるものだからついつい調子に乗ってレジカウンターに持っていってしまった。

(うーん、これが惚れた弱みというやつですか‥‥)

「どれも名前さんに似合っていましたからいい買い物でしたよ」

隣でトキヤくんがにこにこしている。
人の買い物に付き合っただけだというのにどうしてこうも楽しそうで疲れを感じていないのだろう。
当の本人はもうクタクタだというのに。

「トキヤくん友達の洋服見立てるの好きなタイプの人?」
「いいえ?特にそういうわけでは」
「そうなの?なんだか楽しそうだったけど」

話が噛み合わなくて首を捻ったら、トキヤくんは「ああ」と自分は分かっていますといったような反応を見せた。
なーに?とトキヤくんを見上げると、彼は私の目を見てから、少し笑って言った。

「貴方を私色に染めているみたいで楽しかったので」

ピタッとその場から動けなくなったのは、私。
一歩先に歩みを進めたトキヤくんは、私がついてこないのに気付いて後ろを振り返った。

「名前さん?」

(‥‥ずるい、ずるいずるい‥‥!)

「わっ、私もトキヤくんを私色に染めたいっ」

勢いよく彼の腕に抱きつく。
その腕が、肩がビクッと強張ったように固まった。

「‥‥‥‥名前さんって、たまにキュンてすること言いますよね‥‥」
「えっ!?」

トキヤくんはその白い肌を赤く染めながら、腕に掴んでいる私の手を解いて、そして握った。

「帰りましょうか」
「‥‥はーい」

その指は温かく、指先からトキヤくんの早いテンポの鼓動を感じて、私はそれをとても幸せに思った。




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