女子という生き物は些か面倒臭い。
ことあるごとに記念日を定め、その度彼氏にプレゼントを強請る。
忘れていようものなら彼氏に文句を言い、「一週間エッチ禁止!」などとよく分からない決まりを制定し相手を困らせる。
そう、女子というのは困らせるの大が好きで「仕事と私、どっちが大切なの!?」と同じ天秤に掛けられるはずもない2つを比べてみたりする。
自分は恥ずかしいからと好きだ愛していると言わない癖に、彼氏には「言葉にしないと伝わらないじゃん!」と捲し立てるのだから全くもって屁理屈だ。

そんな女子の正反対を生きる私は今日も遅くまで仕事をこなし、終電ギリギリの普通電車に乗り込み最寄駅までうとうとしながら揺られていた。
家に帰ってまずケータイを充電器に差し込む。
生憎今日はポータブル充電器をうっかり家に忘れてしまったため夜頃にケータイの充電がなくなってしまったのだ。
社内にいる内は内線があるため仕事の電話等に支障はなかったけれど、プライベートの電話やメールには一切対応できていない。
特に何もなければいいけど、と待受画面に表示されていた着信アリの表示をタッチする。

「!?」

履歴に埋まる「一ノ瀬トキヤ」という彼氏の名前。
21時頃から何件も着信があったようだ。
何かあったのかもしれない、と慌ててリダイヤルボタンを押そうとしたその時、タイミングよくケータイがブルブルと震えた。
ディスプレイにはまたも「一ノ瀬トキヤ」。
丁度良いと私はすぐさま電話に応答した。

「もしも、」
『名前!』
「えっ、うん、どうしたの?」
『良かった…ずっと電話に出ないので何かあったのかと…』
「ああごめん。電池切れちゃってて」
『そうだったんですか…』

ホッとケータイの向こうで安堵の溜息が聴こえる。

「トキヤは?何か用があって電話したんでしょ?」
『ええ。…名前は今日が何の日だったか覚えていましたか?』
「ん?…えーっと今日は…何日だっけ?」
『21日です』
「えー…トキヤの誕生日はまだ先だし、私もまだだし、えー…」
『本当に覚えてないんですか?』
「付き合った記念日…は確か冬だから…」
『1月16日です。忘れないで下さい』
「ああスミマセン…。で、今日は何の日だったの?」

はあ。
深い溜息がはっきりと聴こえた。
そんなに呆れる程忘れてはいけない日だったのだろうか。

『初めて私のことを一ノ瀬くんからトキヤと呼び直した記念日です』

全然重要じゃない記念日でした。

「…なんでそんなの覚えてるの?」
『むしろ何故忘れられているのかが不思議ですね』

彼と私は価値観がまったく違うようだ。

『ですから、今日はたくさん私の名前を呼んでもらおうと思いまして。それなのに貴方と連絡が取れないから』
「うん…?」

素直に納得できない私を屁理屈な奴だと咎める人がいるだろうか。
いないと信じたい。

『呼んで下さい。あと30分で今日が終わってしまいます』
「えー……と、ときや」
『もう一度』
「…トキヤ」
『もっと』
「は?」
『ほら、早く』
「……トキヤトキヤトキヤトキヤトキヤトキヤトキヤトキヤトキヤ!」
『はぁ、いいですね…』
「え、いいんだ?」
『そろそろ着きます』
「ん?何が?」

意味がよく分からないのはきっと上手く聞き取れなかったせいだとケータイを耳に押し付けたら、ピンポーンとインターホンが鳴った。
パッと表示されるインターホンのディスプレイには電話の相手である一ノ瀬トキヤがケータイを片手に映し出される。

「え!?」
『早く開けてください』

ケータイ越しに催促され、私は大慌てで玄関の鍵とチェーンを外した。

「こんばんは」
「え?なんで来てるの?え?」
「あと15分ですか…丁度良い時間ですね」

私の問いに答えることなくズカズカと遠慮もなく部屋に上がり込んだトキヤはまるで自分の家であるかのようにキッチンで何やら作業を始めた。

「何してんの?」
「コーヒーを作っているですよ」

なんで?
という単純な疑問はトキヤに投げ掛けたら「また覚えてないんですか?」と呆れられた。

「はい、飲んで下さい」

カップの1つを渡され、私は躊躇う。
それはコーヒー。
苦味が強くて美味しさをほとんど感じられず、正直コーヒーはあまり得意じゃない。

「まだ飲めないんですか?」
「…」
「仕方ないですね」

からかうような調子で問われたのでじと目で彼を黙って睨みつけるとふっと笑ったトキヤは自分のカップに口をつけてコーヒーを飲んだ。
しかしそれは喉を通ることはなく、私はいきなり両肩を掴まれてグッと引き寄せられた。
唐突なその行動に目を白黒する私に、トキヤはまたも唐突に唇を重ねてきた。

ただのキスではない、少し開いた口からコーヒーが流し込まれたのだ。

「ん、んん!」

コーヒーを口に含んでしまったパニックと訳のわからないトキヤの行動に身を捩るがトキヤにがっしり固定されているせいでびくともしない。
唇の端から溢れ落ないようにトキヤの唇がきっちりと私の唇を覆う。
飲み込むしか術はなく、私は眉間に皺を作りながらなんとかそのコーヒーを飲み込んだ。

「っはあ、……あれ、苦くない」
「砂糖とミルクをたくさん入れましたからね」

トキヤは手の甲で口元を拭うと、ふわりと笑って彼の左手の腕時計を示した。
0時1分を指している。

「一年前の今日も、貴方はコーヒーを飲みました」

コーヒー嫌いな私が?
うろ覚えの記憶を手繰り寄せて、トキヤの言う一年前の今日を探す。

「………あ、」
「思い出しました?」

ああ、思い出した。




あれは一年前の今日、トキヤの家に遊びに行った時だった。
まだ付き合いたての頃で、私はひどくトキヤに劣等感を抱いていた。
私なんかが彼と付き合っていていいのだろうか。
女子の僻みや悪口を浴びせられ、なかなか自分に自信が持てなかった。
そんな時、トキヤの家でのデートで何を飲みたいかと尋ねられた時に私は咄嗟にコーヒーが飲みたいと答えた。
常日頃トキヤが飲んでいるのを知っていて、どうしても彼と釣合いたいという一心で飲めもしないコーヒーを頼んだ。
当然飲めるはずもなく、涙目になりながらなんとかカップの中身を減らそうと努めていた気がする。
しかしトキヤはそれに気付いて「無理をしなくていいんですよ」と微笑みながら私の頭を撫でてくれた。
その言葉はコーヒーだけに向けられたものではないと気付いた。
無理はせず、ありのままの私でいよう。
そう思えたのはあのトキヤの言葉があったからだ。





「今日は貴方が私を想ってコーヒーを飲んだ記念日です」

それはどんな記念日だ。
なんて普段ならツッコミを入れていただろう。
しかし、今はそんな気分にはならなかった。
何より今日は「私が私らしくなれた記念日」でもあるのだから。

「来年は美味しく飲めるといいですね、コーヒー」

温かな笑みでカップを持ち上げるトキヤに、私も笑ってカップを持ち上げた。

「飲めなくても、またトキヤが飲ませてくれるんでしょ?」

ふっと笑ったトキヤは、カップとカップを合わせた。
チン!と軽い音が鳴る。

「来年も再来年もずっと、砂糖をたっぷり入れておきますよ」

記念日も悪くないなぁなんて、私は大分彼に感化されてしまっているらしい。




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