「お父さんってさー、お母さんになんてプロポーズしたの?」

唐突に娘から発せられたそれは私はもちろん、珍しく夕食を一緒にとっていたトキヤをも驚かせる内容だった。

「…何を言うんですか急に」

こほん、とわざとらしく咳き込んだトキヤはグラスからお茶を一口。
動揺しているのがバレバレだ。

「だってお父さんがどんな台詞をどんなシチュエーションで言ったか気になるじゃん!」
「えー?」
「名前、答えなくていいですよ」
「ケチ!お父さん嫌い!」
「な!」

カチャンと箸を落とす。
思春期の娘の嫌いの一言でいちいち落ち込みすぎだ。
堪えきれずクスクス笑うと隣のトキヤがじと目でこちらを見てくる。
私はその視線を一瞥してすぐに娘に向き直る。

「聞きたい?」
「聞きたい!」
「ふふ、あれは貴方が生まれる3年前のことなんだけどね…」











「……」

これはこれは。

週刊誌の表紙にでかでかと書かれた文字。

「“一ノ瀬トキヤ、共演女優と夜の密会”ねぇ」

夜の楽しみにアイスを買おうと仕事帰りにコンビニに立ち寄ってみれば偶然見つけてしまったこの週刊誌。
すぐに手に取り、アイスと一緒にレジカウンターに持って行く。
既に日は昇っていないというのに蒸し蒸しとした空気は肌にじんわりと汗を浮かばせる。
このじっとりとした空気にアイスが溶けていくであろうという懸念はしかしながらこの週刊誌によってどこかへ弾き出された。
トキヤが浮気なんてするわけない。
分かってはいるけれどこれは酷く心をえぐる事態だった。
溶けかけのアイスを冷凍庫に放り込み、目的のページ、巻頭ページを開く。
繁華街でトキヤがドラマで相手役を務めた最近話題の女優さんと体を寄せ合っている写真だ。
記事にはこのあとラブホテルに入っていったとも書いてある。

「…くだらない」

こんなの、どうせ打ち上げで酔ってしまった女優さんをトキヤが介抱してあげている写真か何かなのだろう。
記事もデタラメに違いない。

「……」

そうであるはずなのに、この心にチクチク残る刺のような痛みはなんだろう。

「……嫉妬」

そう、嫉妬だ。
例のドラマでトキヤとこの女優さんは恋人同士の役柄だった。
トキヤには珍しい砕けた話し方をしてふんわり笑う優しい彼氏役。
彼女が大好きで、いつも甘やかして。
そんなラブシーン満載のドラマの影響か、巷ではこの2人はプライベートデキていると噂され更にお似合いのカップルだとも言われていた。

(…ムカつく)

トキヤが選んでくれたのは私なのに。
世間は、それを知りはしない。

はーっと大きな溜め息を吐いた時だった。
バタンッと大きな音がして、驚いて振り返ればそこには正真正銘写真なんかじゃない本物のトキヤがいた。

「え?トキヤ、」
「っはぁ、それ、もう、見たんです、ね、」

肩で息をしながら眉間に皺を寄せて息も絶え絶えにそう紡ぐ。

急に不安になった。

トキヤがここにいる理由。
まさか、謝るために、別れるために?
テレビ越しで見ていた彼を家で迎える時、いつも素直に喜べない自分がいた。
彼が、一ノ瀬トキヤが、遠く儚い存在であるようにどうしても感じてしまっていたのだ。
ブラウン管越しの彼が本物?
私の目の前にいる彼が本物?

本物の彼はどこにいるの?

「え、うん……というか、トキヤ仕事は?今日遅いんじゃなかったっけ?」
「打ち合わせ、だったので、社長に言って、ずらして頂きました」

私は立ち上がってキッチンに向かい、グラスに一杯水を注ぐ。
はい、と手渡せば「ありがとうございます」とゴクリゴクリとグラスは一気に空となった。

「おかわりいる?」
「いえ、もう大丈夫です」
「そう?ならいいけど、」

踵を返しグラスをシンクに置こうとした時、ふいにぎゅっと後ろから抱き締められた。
驚いて手からグラスが滑り落ち、ガシャン、と嫌な音が響いた。

「トキ、」
「これを、貴方に」

後ろから回された腕が、私の手に何かを握らせた。

「え?」
「貴方を、…名前を、私のものだと言いたい…」

耳元で切なげに囁かれたその告白に私は酷く心を震わせた。
私の全てを見透かされているような言葉。

「誰でもない、貴方を愛していると。二人だけの世界ではもう満足できないんです…」
「っ」

胸が熱くなって、目頭にじわりと涙が滲んだ。

(トキヤ、トキヤ…)

ぽろぽろ、ぽろぽろ、雫が溢れる。

「名前が私の全てです」

手の中の四角い箱をギュッと握り締める。
見なくても、中身が何かなんて決まっている。

「私と、結婚して下さい…」

トキヤの火照った身体を背に感じながら、その瞬間、心の奥底から私は世界で一番の幸せ者だと感じた。

「……トキヤを、独り占めにしていいんだ?」
「…ええ」
「皆に、トキヤは私のものだって、言っていい…?」
「ええ」
「…へへ、嬉しい、なぁ…」

後ろから抱きしめられていて良かった。
こんな、涙でぐっちゃぐちゃの不細工な顔、トキヤに見せられないから。

「ずっと、我慢をさせてすみませんでした」
「っ」
「貴方は、私には勿体無いくらいよくできた女性です」

よくできた、だなんて。
こんなありきたりな私に彼は好きだと言ってくれた。
私が嫌いな自分も、彼は愛してくれた。

ぎゅううっと力を込められた腕に、私も縋りつくように抱き締め返す。

幸せだ。
これを幸せと言うんだ。









「…なんかドラマみたいにロマンティックな話だね」
「煩いですもう随分昔の話です忘れて下さい」

ソファで一部始終を聞いていたトキヤは頬を赤くして、誤魔化すように新聞を広げて顔を隠した。

「でもね、お父さんって昔っからちょっと格好がつかなくて、結局婚約指輪のサイズが合わなくてつけられなかったの」
「し、仕方ないでしょう!何号かも調べることなく事務所帰りに急いでジュエリーショップに行って買ったんですから!!」
「ええ?私は計画性のない男ってやだぁ」

娘からけちょんけちょんにされる不憫なイケメンアイドルはソファの上で身体を小さくした。

「まあまあ。お母さん、すんごい嬉しかったんだから」

ね?とトキヤに目配せして見せると、トキヤはふっと笑って「懐かしいですね」と穏やかな口調で言った。

トキヤ、私をいつまでも幸せにしてちょうだいね。
貴方にもその分たくさん返すから。




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