※HAYATO化します。




合鍵を使って入ったトキヤの自宅は彼女である私が手をつける必要がないほどきちんとしている。
掃除だってこまめにしてあるし、洗濯物だってソファに放ってあるなんてことはあったためしがない。
朝急いでいたのか、朝食で飲んだのだろうコーヒーのマグカップが流しに置きっぱなしのことが多々あるくらいだ。

今日もそのマグカップをひとつだけ洗った私は、それ以外にやることもなくて革張りの高いソファに腰を下ろした。
物欲はないトキヤだけど、こういった日常的に使うものはそれなりにいいものを買っている。
永く保たせたいから、だそうだ。
時間も早いけれど特にやることもないため、キッチンに戻り冷蔵庫に詰めておいた食材を取り出した。
ハンバーグを作るつもりだが、ただのハンバーグではなく豆腐ハンバーグだ。
トキヤの食生活に合わせた料理は、最初の頃は大変だったけれど、今では創作料理のようで楽しめている。
長いな、としみじみと思った。
学生の頃に出会って、付き合って、もう3年になる。
第一印象はあまりよくなかったし、まさかこうなるなんてお互い思ってなかっただろう。

玉ねぎを微塵切りにして、油を挽いたフライパンに投入。
それから飴色になるまで低温でじっくり炒めたハンバーグが私もトキヤもお気に入りだ。
トキヤの帰ってくる時間まで余裕もあるし、いつもよりもう少し長めに炒めてみようかな。
そう思った時だった。

ガチャン。

ドアの鍵を開ける音がした。
この家に鍵を開けて入ってこれるのは私かトキヤだけだ。
そうなると、必然的に今のはトキヤの帰宅ということになる。

「トキヤおかえりー」

手が離せないため玄関に向かって少し大きな声で呼び掛けた。
少ししてからリビングと廊下を繋ぐ扉が開き、トキヤが入ってきた。

「おかえり、早かっ、」

と思ったら、キッチンにそのまま入ってきて後ろからぎゅっと抱き締められた。

「……おかえり?」
「ただいま」

耳元で小さく返事があった。
この様子からすると、トキヤは仕事で大分疲れてきたらしい。

「豆腐ハンバーグ作ってるから、待っててね」

穏やかな声で話し掛けて、首筋に埋められた頭をよしよしと撫でてあげる。

「名前のハンバーグ、好きです」
「ありがとう」
「名前はもっと好きです」
「……ありがと」

疲れて帰ってきたトキヤはたまにこうして甘い言葉をふわっと言うもんだから堪ったものじゃない。
ドキドキする正直者の心臓を誤魔化して私は木べらで玉ねぎをひと混ぜ。
いつもならここでトキヤは荷物を置きに部屋に戻るんだけど、今日は違うようだ。
構ってくれないと思ったのだろうか、抱き締める腕をきつくして首筋に額をぐりぐりと押し付ける。

「トキヤ?」
「……名前ちゃんはボクのこと好きじゃないのかにゃ?」
「え?」

普段の声よりワントーン高い猫なで声で囁かれたのはHAYATOの口調。
トキヤは、私が思ったより相当疲れているらしい。

「好きだよ」
「どのくらい?」
「どのくらい……すっごく?」
「それじゃあ分からないにゃあ」
「うーん……世界一好き」
「ボクも」

ふふっ、と嬉しそうな笑い声とともに甘えたように私の身体をべたべたと触るトキヤ。
そこにいやらしいものは感じられず、多分小さな子供が母親にくっつくそれと同じなんだと思う。

「名前ちゃん、キスしたい」
「うん?していいよ」
「名前ちゃんからして欲しいにゃ」
「はいはい」

首を後ろに捻ってすぐ近くにあるトキヤの唇に自分の唇を重ねる。
ちゅ、と音が鳴る程度のものだったけれど、それでいいらしく、何度も何度もトキヤからちゅっちゅっとバードキスをくれた。

トキヤがHAYATO化するのは年に数回のことだ。
トキヤはストレスを作っても、あまり家には持ち込んでこない。
というか、私の前では見せてくれないのかもしれない。
極稀にストレスを持ち込むと、なんとなく苛々しているのが分かる。
その次のストレス段階が、甘えた。
その次、最終段階がHAYATO化だ。
HAYATOにならないと甘えられないトキヤを可哀想にも思ってしまうけど、それを分かっている私は存分に彼を甘やかそうとそう決めている。

「名前ちゃあん」
「なあに」

伸びてきた手が私の手から木べらを奪った。
そのままコンロのツマミを捻って火を消してしまい、くるりと私を向かい合わせにする。

「ご飯、遅くなっちゃうよ」
「いいもん」
「そっか」
「…ねえ、おっぱい触っていい?」
「胸?」
「うん」

正面から見たトキヤは、きりりとした眉はへにゃりと下がっていて、目尻までも下がっている。
下心はないようなので私は許可を与えて頷いて見せた。

「…柔らかい」

胸に当てられた掌が優しく揉みしだく。
子供みたいな稚拙な触り方に母性が疼いて、いい子いい子とトキヤの頭を撫でて指をその髪に絡ませた。

「きもちい」
「もっとする?」
「うん」

紺色の黒っぽい髪は本人が気にかけているだけあってさらさらでキューティクルまでしっかりしている。
私はトキヤの髪を撫でて、トキヤは私の胸を揉んで、端から見たらちょっと可笑しな光景だろう。

「名前ちゃん、もっと」
「もっと?」
「もっと名前ちゃんとくっつきたいにゃあ」

髪を撫でていた手を耳から頬へ頬から首筋へと移動すると猫なで声で私の名前を呼ぶトキヤ。
一応私が癒している側なはずだけど、私の方も大分癒されている気がする。

「じゃあベッド行く?」
「んー、でも今勃たないかも」
「シないからいいよ」
「……それもそれで寂しいいい」

名前ちゃあん、甘えた声で呼んで、自分の体重のことなんか忘れたように覆い被さってくる彼をなんとか支えてズルズルと引き摺るように寝室に向かう。
途中で足が縺れること計2回。

「結局いつもの飴色玉ねぎだなあ」

私がなんとなく呟くと、トキヤはいつもので十分美味しいよと満面の笑みで褒めてくれた。




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