「一ノ瀬くん、あのさ…」 背筋をきっちり伸ばし、文庫本サイズの本を黙々と読んでいる一ノ瀬くんに声を掛けるのは少々気が引けたがそれなりに急ぎの用だったため勇気を出して呼び掛けた。 ゆっくり上がった視線が私の視線とかち合う。 何ですか。 読書を中断されて不機嫌なのか問い掛けた瞳は冷たいように思った。 「あの、さ、文化祭のことなんだけど。ファッションショー…」 「勝手にしてください」 そう一言言い放つと、視線はまた本に戻ってしまった。 これ以上話し掛ける勇気は私には皆無と言っていいほどないため、仕方なくその場から離れて心の中で溜め息をひとつ吐いた。 彼、一ノ瀬トキヤはSクラスの中でもトップクラスの成績を持っている。 学識も高く、歌やダンスの技術も並ではない。 おまけにアイドルコースなわけで容姿端麗。 それだけ聞くと女の子にモテモテな完璧男子に思えるけれど、完璧かと言われるとそうではない。 私がこんな風に一ノ瀬トキヤを分析していると彼が知ったら、不愉快です、なんて冷たく言われるのは目に見えているけれど、それは置いておいて取り敢えず彼は一言で言うと協調性がない。 別にうるさくして輪を乱すというわけではなく、何事も我関せずな所謂一匹狼的存在だ。 最初の頃は本当にいつも一人でいたけれど、最近では翔ちゃんやレンとつるんでいる、というかつるまれている姿を度々見かける。 嫌そうな素振りを見せてはいるけれど、なんとなく楽しそうにしているから良い傾向なんじゃないかなと私は勝手に思っていたりする。 けれど、やはり冷たいのは相変わらずのようで、私は自分が文化祭の実行委員を引き受けてしまったことを少し後悔した。 Sクラスの皆は個性が強い。 兎に角強い。 このクラスを纏めて皆でひとつの目標を目指して頑張る、なんて無理な話だと思う。 そんなことクラスの皆も重々承知で、それ以前に文化祭に力をいれる暇があったら卒業オーディションの練習をしたいという意見さえもちらほら出ている。 そんなわけで実行委員なんて進んでやりたいと思う人は誰もいなくて、決定締め切りの帰りのHRでは嫌な空気が教室を漂っていた。 こういうことも後々良い経験だったと思えるもんだ。 そう言った日向先生の言葉は確かにそうだろうなと納得した。 けど、流石にこのクラスを纏めるには荷が重すぎる。 誰もが口をつぐんでいたときだった。 「あのさ、苗字やったらよくねぇ?」 斜め後ろを振り替える。 軽く手を上げて発言した翔ちゃんは、私と目が合うとちょっと笑って言った。 「このクラス皆我が強いっつーか、なんか上手く纏まらなさそうだけど、苗字ってそういうの纏めるの得意じゃん?リーダーシップがあるって言うか」 別に嫌がらせのつもりはさらさらないんだろう、分かってはいるけれど翔ちゃんを恨みたくなった。 「いいんじゃない?レディにならオレは協力するよ」 クラスの中でも取り分け協調性のないレンがそう言ったことにより、苗字がいいよな、そうだそうだとあっという間に実行委員が私に決定の方向に進んでいってしまった。 「そうだな、苗字お前やってくれないか?」 日向先生にまでそう言われてしまっては断ることなんてできない。 「…実行委員、やります」 私はそう宣言した。 「で、そっちは何やるの?」 食堂で向かいに座っている音也がカレーライスをスプーンでかき混ぜながら尋ねてきた。 その食べ方やめた方がいいよ、って確か昨日も言った気がする。 「うーん、うちは…。そういうAクラスは?」 「こっちはねぇ、ロミオとジュリエットの劇!ロミオがマサでジュリエットを七海がやるんだよ」 「え、すごい!もうそんな決まってるんだ!」 「聖川がロミオか…なんか面白そうだな」 音也の隣、私の斜め前に座っている翔ちゃんがハンバーガーを頬張ってから頷くように言った。 「でしょ?俺すんごい楽しみでさー。衣装係とか大道具係とか決めて盛り上がってるんだ」 ニコニコしながら言う音也に私はなんだか胸がちくりと痛かった。 音也は私と一緒でAクラスの文化祭実行委員をやっている。 前向きで真っ直ぐで頑張り屋で皆から愛される性格の音也は実行委員に適任だと私も思う。 そんな音也と比べ私は…。 落ち込んでいる私に気付いた翔ちゃんは、ハンバーガーの付け合わせのポテトを私のパスタの皿の端に置きながら笑顔で言った。 「でもこっちも進んでは来たよな。ファッションショーやるもんな?」 「う、ん。そのつもり。だけど、キャストが揃わなくて…」 そうSクラスは音楽と融合したファッションショーをやることに決定した。 案はレンが出してくれて、発案者のレンや翔ちゃん、他にもアイドルコースの子たちがモデルとして出ることが話し合われた。 のだけれど、皆からオファーが来ている一ノ瀬くんがあまりやる気ではないよう。 勝手にしてください、そう言われてしまう。 そりゃ勝手にして出演者の欄に一ノ瀬くんの名前を書くのは簡単だ。 でも、私はやりたくない人に無理してやって欲しいわけでもないし、折角の文化祭だ、皆で楽しみながらやりたい。 そう、思ってはいるのだけれど。 「…私、一ノ瀬くんに嫌われてると思う」 無意識に出た言葉に、向かいの翔ちゃんや音也よりも私自身が一番驚いた。 「や、別に嫌われてないと思うぜ?」 「うん!俺もそう思う!」 フォローに撤してくれる二人がすごくありがたかった。 それなのに、それに反して出てくるのはマイナスな言葉ばかり。 「だって一ノ瀬くん話し掛けても冷たいし、いやクールなのは知ってるけど私だけ異常に冷たい。目でうざいって言ってるもん。あんまり文化祭にも協力的じゃないし、私が実行委員なの嫌なんだよきっと。指図されたくないんだよ私に」 うじうじと出てきた言葉に翔ちゃんと音也は顔を見合わせて苦い顔をしていた。 何よ、何か言いたいことがあるの。 じとっとした目で二人を見詰めると、音也が渋々と言った感じで口を開いた。 「あのさ、苗字はさ、トキヤが嫌い?」 嫌い? 私が一ノ瀬くんを? 考えたこともなかった、だって私が彼に嫌われているのだから。 「別に嫌いじゃないよ…?」 「じゃあなんでトキヤだけ一ノ瀬くん、なの?」 「え?」 なんで、と言われても。 分からなくて眉間に皺を寄せたら、今度は翔ちゃんが口を開いた。 「俺は翔ちゃんだろ?音也は音也、レンはレン、聖川はまぁ様、那月はなっちゃん、クラスの男子たちのことも下の名前で呼んでるだろ」 「え、うん…?」 翔ちゃんが何を言いたいのか分からなくて私は首を捻った。 音也は少し笑いながら、カレーライスの最後の一口を頬張って言った。 「トキヤにも、俺たちと同じ様に接してみてよ」 音也に言われてなんとなく気付いた。 そうか、私、一ノ瀬くんと話すときだけ緊張してたんだ。 嫌われているかもしれない、うざいと思われてるかもしれない、そんなことが無意識に頭を過って私は一ノ瀬くんに対してよそよそしくなっていた。 苦手意識を持っていたのは私の方だったんだ。 放課後の教室には生徒たちはもういない。 一人を除いて。 ガラガラ、静かな教室に響くやけに大きなその音に私は心臓を羽上がらせた。 それは教室の中にいた人物、一ノ瀬くんも同じだったようで、いつも読んでいる本を片手にびっくりした顔でこちらを見ていた。 トキヤはいい奴だよ。 音也の言葉が蘇る。 「…あのさ、ファッションショー、モデル、やる気ない?」 少し震えた小さな声。 いかんいかんと自分に叱咤する。 「…勝手にしてくださいと言ったでしょう」 「あああのさ!!」 口から出た声の大きさに驚いた。 でも、もう引き返せない。 「私、モデル、トキヤにやって欲しい!スタイルいいし、かっこいいし、似合うと思うんだ!」 しんとする教室。 自分でも随分と大胆なことをしたと思った。 本に視線を落としたままの一ノ瀬くんは微動だもせずただ黙っている。 「……」 「……」 長い沈黙。 この状況を打開するには私が何か言うしかない。 ない頭でぐるぐる思考を張り巡らせていた時だった。 「君が…」 一ノ瀬くんの声に顔を上げる。 「君が、そこまで言うなら、頑張ります」 かち合った瞳。 私は何より一ノ瀬くんの白い肌が赤く色づいていることに目がいった。 「……では、私はこれで」 席を立った一ノ瀬くんが足早に教室を出ていく。 ぽかんとしていた私は、数秒後にようやく意識がはっきりしてきた。 「あっ、一ノ瀬くん、本…!」 机の上に置き忘れられていた本を手に取り、そして驚いた。 音楽の本だろうと思っていたそれは、美しい姿勢やポージングの練習などが書かれていたモデル初心者のための本だった。 私がトキヤと恋をするのはもう少し先のお話。 |