「私はずっとトキヤの味方だよ…!」

言いました。
言いましたよ、それは認めます。

だけどさ、まさか2度目があるとは思わなかったよね。

「うーん、スーツケースに入りきらないですね…」
「…ちょちょちょ、ちょっと待って。一泊二日の熱海温泉旅行にそのお菓子の山持っていくの?」
「え?持っていかないんですか?」

昔のトキヤだったらものすごーく嫌っていた油で揚げた某チップスや、板チョコ、バターたっぷりのクッキーに醤油煎餅、ポップコーンにキャラメルにグミに水飴にと種類豊富なスナック菓子や駄菓子をスーツケースに詰め込み、それを自らの体重で無理矢理締めようと躍起になっている。

「そんなにしたらお菓子割れちゃうよ」
「多少は大丈夫ですよ。胃に入ってしまえば同じです」

嗚呼、言っていることがデブみたい。
いいや、デブでした。

「ふぅ、いい運動になりましたね」

荷造りひとつで何を言っているんだ。
その一言は彼のプライド(もうあるのかさえ分からないが)のために喉の奥にぐっと堪えた。

簡潔に言うと、トキヤはリバウンドをした。

きっかけはまたストレス。
今まではちょっとしたストレスなら一緒にカラオケに行って翔くんの男気全開Go Fight!を大熱唱すれば大概は治まっていたのだけれど、今回はどうやら監督さんと派手にやらかしたみたいで映画の撮影が終わった途端ブクブク太り始めた。
撮影期間に太らなかったのは役者魂だと褒めるべきところなのだろうか。

早乙女社長も流石に2度目の事態にご立腹で「とっとと痩せないとMr.イチノセはクビでーす!!」と怒鳴られてしまったので、私の提案でストレスを解消するために慰安旅行として熱海温泉に行くことをトキヤに持ちかけた。
お風呂大好きのトキヤは温泉に釣られてひとつ返事で行くことを承諾。
これでまたスリムな一ノ瀬トキヤに戻ってくれるだろうと安堵していたのだけれど、行く前から雲行きは怪しくなってきている。
そもそも熱海の美味しいご飯に舌鼓を打ってより太ったりしないだろうか…?
嫌な汗が頬を伝う。

「名前?荷造りが進んでないようですがお手伝いしましょうか?」
「あ、ううん、大丈夫。もうすぐ終わるよ」
「おや、荷物が少ないですね。……空いてるスペースにこれ入ります?」

差し出されたのはビッグサイズのチョコレートバー。

「……ここには入るけど、トキヤのお腹の中には入るの…?」
「余裕ですね」

ぎゅむっと押し込まれるチョコレートバー。
私はやけに重たく感じるスーツケースを廊下まで転がし、大きく溜息を吐いた。








「わぁ、海見える!ほら、トキヤ!」
「ほうへんへふよ、あはみに」
「ちょ、何言ってるかさっぱり分かんない」

旅のお供に欠かせません!と駅弁を2つ買い込み(私の分はまた別にある)車内でガツガツとかきこむ姿はどこからどう見てもアイドル一ノ瀬トキヤではない。
お忍びデートを忍ばなくていいのも楽ではあるし堂々としていられるのも喜ばしいことだけれど、これは喜んでいい事態ではない。
危機感を覚える由々しき事態だ。

「というかよく食べられるねぇ?さっきお菓子の袋3つくらい開けてたよね?」
「別腹と言うじゃないですか。貴方もよく使うでしょう?」
「度合いが違うけどね」

プニッとトキヤの贅肉がついた横腹をつつく。

「ちょ、何するんですか」
「今日の別腹は明日の脇腹、ってその通りだよね」
「っ、くすぐ、ったい、です」

ムニムニ摘んでいたらトキヤは大きな身体を捩らせて私を軽く睨みつけた。
お肉に支配された顔は切れ長のトキヤの瞳さえお肉に埋もれさせてしまっている。

スリムなトキヤ、カムバック。







「よいしょ、と」
「いい部屋ですね。奮発した甲斐がありました」
「どれどれ?…っおお!絶景だあ!」

朝より明らかに軽くなっているスーツケースを部屋の隅に並べ、襖を開けて手招きするトキヤの横に並ぶ。
オーシャンビューとでも言おうか、見えるのは木の茂った緑と遠くに広がる青い海だった。


「空気も美味しいし、気持ちいいね」

「ええ、清々しい気分になります」

隣のトキヤを見上げれば穏やかに微笑んでいて、これはストレス解消になるのではないかと期待を胸に抱く。
そして何より。

「あっほら、お部屋に露天風呂ついてるよ!」

奥の襖を開けると小さいながらに外の景色を一望できる露天風呂が設置されている。
風呂好きのトキヤのために選んだこのオプション。

「寝る前に入りましょうか、一緒に」
「一緒に!?」
「ええ」

私が過剰に反応するとトキヤは面白そうに笑って「今更照れるところですか?」と馬鹿にしたように言ってきた。

仕方ない、いつまで経ってもトキヤが太っても私はトキヤが大好きなのだ。

「うるさいなぁ。さーてまずは大浴場行こう」
「では風呂上がりに夕食を持ってきてもらうよう言っておきます」
「うん、そうだね」

部屋に備え付けてあった浴衣と着替えの下着や洗面用具をショップバッグに入れトキヤと並んで部屋を出る。
男湯と女湯の別れ道で手を振り、私は1人大浴場での入浴を楽しんだのだった。







私が部屋に戻ってから暫くしてようやくトキヤが戻ってきた。

「お帰り、ゆっくりだったね」
「ええ、たまの温泉は気分がいいですからね」

湯上りにと思い冷やしておいたお茶のペットボトルを備え付けの簡易冷蔵庫から取り出しトキヤに差し出す。
気が利きますね、と褒められて嬉しくなる私はさぞ扱い易いだろう。

「浴衣、似合いますね」
「えっ、そう?」
「夏祭りくらいでしか見ませんから、久々に見ると可愛いですよ」

(!!)

その顔で微笑まれるのは反則だ。
火照る顔に冷たいペットボトルを押し付ける。

「そ、そういうトキヤこそ浴衣似合ってるよ………お、お相撲さんみたいで」
「貴方、褒めてるんですか貶してるんですか」
「えっ!?あははははは」

褒めようと思ったら本物のお相撲さんみたいだと思ってしまったのだ、許して欲しい。

「失礼します。お夕飯をお持ち致しました」
「あっ、はーい」

仲居さんがたくさんの小鉢をテーブルに手際よく並べ、私たちは向かい合って座布団に腰を降ろした。

「では、失礼致します」
「ありがとうございます。美味しそう…」

メインはお魚料理で新鮮な魚を使ったお刺身や、煮付け、煮物や小さなお鍋、お吸い物、冷奴と純和風な料理がテーブルを彩る。

「量多いけど、ちゃんと入る?」

行きの新幹線の中で貪っていた駅弁やお菓子を懸念して尋ねると、トキヤは目を丸くしてからドヤ顔で言うのだ。

「愚問ですね」

気にした私が馬鹿でした。

「では、いただきます」
「いただきます」

きちんと手を合わせて食事を始める。
まずはと身が透き通った白身魚のお刺身を箸に乗せ、醤油の小皿に浸し口に運ぶ。

「…ん、美味しい!」
「料理が美味しいところを選びましたからね、当然です」

たくさんの熱海パンフレットに付箋まで付けてチェックしていたトキヤは相当自信を持ってこの旅館を選んだらしい。
流石一ノ瀬トキヤ、几帳面な男である。
美味しい料理に舌鼓を打ち、晩酌を用意してもらい二人でお猪口で乾杯する。
私は日本酒はあまり得意ではないので、主にトキヤに注いであげる。

「こういう静かなところもいいですよね」
「ねー。老後は田舎で暮らしたいなぁ」
「気が早いですね」

のどかな縁側でおばあちゃんになった私とおじいちゃんになったトキヤと2人座って熱いお茶を啜る。
そんな何十年も先の未来を想像して、私は心を温かくした。
そうなりたい、トキヤと。

「…さて、そろそろ入ります?」
「ん?」
「露天風呂ですよ」

お酒の力で程よく火照った身体に夜風の中の入浴は気持ちが良さそうだ。

「そう、だね」

少し返事が吃る。
トキヤと一緒にお風呂なんてあまりしないことで少しドキドキしてしまうのは仕方のないことだと思う。

「私先入るから、あとから入って来て!ね!」

脱いでる姿を見られるのが恥ずかしくてそう言うと、トキヤはお察しのようで分かりましたと笑った。
襖を締めて部屋で浴衣を脱ぎ、露天風呂の戸を開ける。

「涼しい」

夜風が気持ちいい。
ちゃぷん、とゆっくりと爪先から湯に入ればお湯は丁度良い熱さだった。

「ふーぅ」

たっぷりと息を吐く。
大きく伸びをすれば凝り固まった肩もほぐれていく気がする。
お風呂は何度入ってもいいものだとつくづく思った。

「名前、入ってもいいですか?」

カラカラと戸が少し開けられる音がした。
私は慌てて背中を向けて大きな声で返事をする。

「い、いいよ!」

ここでひとつこの露天風呂の特徴を述べておこう。
作りは檜などの木ではなくすべてが石で、大きな石の隙間を小さな石が埋めている。
そして私がいるこの湯船は大の大人2人が入ればもう十分なほどに小さく、私はそこで奥に詰めて身体を縮込めてしゃがんでいる状況だ。

不運だった、と言うしかない。

「っうわ!」

背後で叫び声が上がったため反射的に振り返ると、こちらに突っ込んでくるトキヤがスローモーションのように感じた。

(ありゃ)

助けてあげることもできず、私はぎゅっと目を瞑った。
それと同時にドボーン!と派手な水音を鳴らしてトキヤが湯船に落ちてきた。

「大丈夫?」
「っぷはっ」

ツルツルの石の床に足を滑らせて顔面から落っこちたトキヤがザバッと湯の中から現れる。
痩せていれば水も滴るいい男と言えるだろう。

「滑りました…」
「だろうね。前のトキヤなら滑ったくらいじゃ転ばなかったと思うけど」

痛いところをついたのかトキヤは眉を顰めた。

「とにかく怪我はしてない?」
「ええ」
「ならよかっ…っへくしょんっ!」

肩がふるるっと震えたことに違和感を覚えて周りを見回すと、先程の衝撃で湯船のお湯が半分ほど溢れてしまっていた。

「ありゃ、これは肩まで浸かれないねぇ」
「……」
「トキヤ?」

見るとトキヤも肩を震わせている。
厚い脂肪を持っているトキヤでさえも流石にこの夜風には堪えるのかな?と思ったら、トキヤは水中で両の手で拳を作って震えていた。

「私は…」
「え?」
「私はっ、肩まで浸かれない風呂など風呂とは呼べませんっ!!」

自分の体重が重いせいで湯が減ってしまったことをここまで嘆くデブがいるだろうか、いいや彼くらいだろう。

そうして一ノ瀬トキヤはダイエットに励み、見事半月という短いスパンで元の体型に戻したのだった。

彼の完璧主義には凄いを通り越して呆れる時がある。




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