※早乙女学園入学前→デビュー後という時間軸で進みます





「目、閉じて‥‥」
「っうん」

ちゅ、と触れる唇。
離れた途端頭が沸くほど恥ずかしくなって咄嗟に音也の胸に顔を押し付けた。

「ね、もう一回しよ?」
「や、やだっ」
「なんで?」
「なんでも!」

恥ずかしい、恥ずかしいっ。

額をグリグリと薄っぺらい胸板に押し付ければ、音也は「えー」とぶー垂れながら私の髪をさらさらと撫でた。

(‥‥おとや、すき‥‥)

誰もいない教室。
窓の向こうの校庭からは生徒達の声が聞こえる。
それをバックミュージックにして、そよそよ流れる風に火照った頬を冷やした。







「じゃあ、この問題を‥‥一十木!」
「うぇっ、俺!?」

ちらりと横目で見れば、斜め左後方の音也は慌てて黒板と教科書を見やっていた。
頬についている痕、それは音也が居眠りをしていたのを証明している。

(ばーか)

心の中でクスクス笑う。

「えーっと、えっと、えー‥‥」

音也が首筋をぽりぽりと掻く。
これは困った時の音也の癖。

(横の毛も跳ねてる‥‥‥‥あ、)

ふと、音也の隣の席の涼子ちゃんが机の下でこっそりノートを見せてあげてるのが分かった。

「‥‥あっ、4分の3!」
「正解だが、次からは自分で解けよ」
「げ、バレてた?」

クラス中から笑いが起こる。
音也が涼子ちゃんに「ありがとね」と手を合わせているのが見えた。

(‥‥‥‥私も隣だったら教えてあげられるもん)

お気に入りのシャーペンを無駄にノックする。
芯を出してはスルスルとしまう。
出しては、しまう。
出しては、しまう。
自分のイラついた時の癖だということは重々承知だ。

(‥‥心が狭い)

音也はクラスのムードメーカーで、スポーツも出来るしかっこいいし私にはもったいない彼氏だと思う。
告白してくれたのは音也だけど、それでもずっと片想いをしてた私は有利な立場になんて立てやしない。
私ばっかり、音也が好き。
もどかしい、けど、どうしようもない。

「あのさ、ほんっとに悪いんだけど、今日先帰っててもらえる?」

帰り仕度をしている時だった。

「え?なんで?用事?」

音也と二人きりになれる下校時間は私がすごく大切にしている一時だ。
私だけが音也を独り占めできて、手を繋いで、分かれ道でこっそりキスをして。

「後輩がさ、ちょっとサッカー教えて欲しいって言うんだ。だから、名前には悪いし、先帰ってて?」
「あ、そうなんだ。‥‥うん、分かった」
「ごめんね!ほんとに!」
「ううん!頑張ってね、頼りになる先輩!」
「へへっ、ありがと」
「一十木せんぱーい!待ちきれないんで迎えに来ちゃいましたー!」
「あっ、ごめん今行く!‥‥じゃあね!名前」
「ばいばーい」

駆け足で教室を出て行く音也の背中に手を振る。

(‥‥嫌だ、なんて、言ったら終わり)

音也は皆の音也で、私の音也じゃない。
再確認した。








「俺さ、早乙女学園に入学したいんだ」
「早乙女学園?知らないや、私立?」
「うん。というか、アイドル養成所学校」
「えっ?」

思わず立ち止まる。
手を繋いでいる音也も必然的に立ち止まり、一歩後ろを歩く私に振り返った。
その顔は真剣そのもの。

「俺さ、アイドルになりたいんだ。歌歌うのも好きだし、ギター弾くのも好き」
「サッカーは?」
「サッカーはアイドルしながらでもできるよ。アイドルになって、アイドルじゃなきゃできないことをしたい」

初めて聞いた音也の本音だった。
確かにギターを弾くのも歌を歌うのも好きだということは知っている。
でも、まさかそれがアイドルだなんて。

「ま、受かるのめっちゃ大変なんだけどね」

へへっといつもの顔で笑って、行こっかと私の手を引いた。
私はついて行くのがやっとだった。

(音也が、アイドル‥‥)

分かれ道で二人どちらともなくするキスをこの日はできなかった。







不謹慎にも、落ちて私と一緒に普通の高校を目指せたら、と何度願っただろう。

「名前っ、受かった!!早乙女学園受かったよ!!」

わざわざ夜中に私の家の下までやって来て、わざわざ合格証書を私の眼前で広げて見せた。

「おめでとう!すごいね!」

にいっと口の端を上げる。
最近鏡の前で練習した、嘘の笑顔の作り方。

「俺、皆を笑顔にできるアイドルになりたいんだ。俺の元気を皆に届けたい!」

(‥‥音也はやっぱり、皆の音也だね)

「音也ならなれるよ!私もいつも音也から元気をもらってたから」
「ほんと?」

向日葵みたいに笑うなぁ。
キラキラ光って輝いて。

(眩しくて‥‥‥‥涙が出そう)

「‥‥おとや、別れよう」

最後に交わしたキスは今までで一番激しいものだった。
私が恥ずかしがって顔を背けようとしたら、両手でがっちり顔を押さえられてもう一度と唇を合わせる。
無理矢理唇を割って舌が侵入し、ぬるぬると歯列をなぞられた。
逃げる舌を逃さまいと追っかけられてくちゅくちゅ音を鳴らして舌を絡める。
ようやく離れた唇から覗く舌には二人を繋ぐ銀の糸が引いて、切れた。

「‥‥デビューしたら迎えに来るから。絶対だからね」

それだけだった。

こんなにあっさりした別れもあるんだなって冷えた頭がそう告げた。
もっと引き止められると思っていた、いや、引き止めて欲しかった。

「‥‥‥‥っう、っひっぐ‥‥、ぅ」

音也が角を曲がり見えなくなって、ようやく堰を切ったように涙がぼろぼろ溢れた。

「おと、やぁ」

大好きなのに。
大好きなのに、おかしいね。















「あっST☆RISHの雑誌出てんじゃん!」
「えっマジ!?今日発売だっけ!?」

友人たちは偶然コンビニで見つけたST☆RISHが表紙の雑誌を手に取り、興奮した様子でページを捲った。
そこにはもちろん音也の姿もある。

(‥‥かっこよくなってる)

あれからもう2年が経った。
音也からの連絡はただの一度もない。
ムカついて、忘れようとして、ケータイからアドレス帳を消そうとも思ったし、新しい彼氏を作ろうとも思った。
けれど、ダメだった。
結局私は音也が好きで、最後のあの言葉を信じている自分がいた。

「ぎゃっ、何このトキヤの衣装!えっろ!」
「わっ、マジだ‥‥‥‥‥‥って、ケータイ鳴ってるよ?誰だ?」
「えー?あたしじゃないよ」

私かな、と鞄の外ポケットに入っているであろうケータイを取り出す。

「!!」
「?名前どった?」
「ちょ、ちょっと用事思い出した!!」

慌ててコンビニから飛び出す。
なんでこのタイミングなの?
偶然?
それともわざと?

ディスプレイに表示された「一十木音也」という名前。
通話ボタンを押すのに大分時間が掛かった。

「も、しもし」
『やっと出た!久しぶり!』
「久しぶり‥‥」

懐かしい音也の声。
テレビで聴くのとは少し違う、あどけなさの残った飾らない声。

『雑誌、見てたでしょ?』
「っなんでそれを‥‥!」
『近くで見てるよ、って言ったらストーカーみたい?』

クスクス笑う声は変わらない。
ケータイを耳に押し当てる。
もっと、もっと音也の声を聴きたい。

『迎えに来たよ』
「おと、や」
『うしろ』

バッと振り返ると、サングラスをして帽子を被って変装した、随分身長も伸びた音也がそこにいた。

「おと、」
「取り敢えず場所変えよっか」

こっち穴場なんだよー、と学生の時と変わらない笑顔で私の前を歩く。
今ここにいるのがST☆RISHの一十木音也で、私の元彼の一十木音也?
超展開に頭がついて行かなくて、せめてもと足だけは彼に合わせた。

「いらっしゃいませー」

入ったのは喫茶店。
店長と顔見知りなのか音也が進んだのは店の奥の扉を開けた個別スペースのある広い空間だった。

「ここ、よく来るんだ。パンケーキ美味しいよ」

メニュー本を渡されて、とりわけ空腹だったわけではないけれどそれに目を通した。
メイプルシロップがたっぷりかかっていて確かに美味しそうだ。

「俺、コーヒー。名前は?」
「オレンジジュースと、じゃあパンケーキも」
「オッケー。すみませーん」

店員さんに纏めて注文をして、音也はにっこり笑って私を見た。

「‥‥」
「なに?」
「サングラス‥‥」
「あっ、忘れてた!外す外す」

帽子とサングラスを外した音也は、2年ぶりに会えた元彼の音也だった。

「コーヒー、飲めるようになったの?」
「まぁね。砂糖は入れるけど」

苦笑するけど、あの頃の音也からしたら大分進歩したと思う。

(‥‥‥‥あの頃の、音也)

蘇る記憶。
音也の別れ際の言葉。

「『デビューしたら迎えに来るから』って、あの言葉‥‥」
「うん。遅くなっちゃったけど、迎えに来たよ」
「‥‥音也は、今でも私のこと好きなの?」

核心をつく質問だと思った。

「うん、好き」

ら、あっさり答えが返ってきて驚いた。

「えっ?えっ?ちょ、」
「俺、ずーっと名前に一途だよ。この2年間もずっと名前のこと考えてた」
「じゃあなんで別れたの‥‥?もっと引き止めてくれても、」
「それじゃあ意味がなかったから」

やって来たコーヒーカップを啜り、ふうっと息を吐いて音也は続けた。

「俺だって別れたくなかったよ。でも、こうするのが最善だと思った。‥‥‥‥名前、別れる前から俺とよそよそしくなっていったでしょ?」
「!」

(気付かれてた‥‥)

「俺が他の人と一緒にいるのを辛そうに見てるの知ってたんだ、ずっと。でも、俺はアイドルになりたくて、どうしても名前だけに笑顔を見せるのは無理だった。でもこのままじゃ名前が辛そうにしてるのは変わらない。だから一度別れた」

カラン、とオレンジジュースの中の氷が鳴る。

「俺がデビューして、もっと大きな男になって、名前のそういう不安とか辛いことを取り除いて笑顔にできるようになったら迎えに来ようって決めてたんだ」
「おと、」
「名前のこと、愛してる。俺ともう一度付き合って下さい」

(お、とや‥‥)

音也、音也音也。
やっぱり、音也じゃないとダメ。

「‥‥音也はアイドルで、皆の一十木音也だけど、私だけの一十木音也に、なってくれるの?」
「もちろん。俺の心は全部君にあげる。ただし、名前の心も全部俺にちょうだい?」

目を細めて笑う大人っぽい仕草は初めて見る顔だった。
知りたい、まだまだ音也のこと。

「ずっと、音也のものだったよ」

テーブルに身を乗り出して、唇と唇をくっつけた。
一瞬触れてすぐに離れる。

「‥‥」
「‥‥」

互いに見つめ合って、私はもう一度瞼をゆっくり下ろした。

もう、逃げないよ。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -