会おうと指定されたのは大通りから少し離れた、パリのシャルル・ド・ゴールを思わせるような、別に私はパリなんて行ったことがないから想像だけれど、そんなところにある小さなカフェテリアだった。
そのお店を選んだのは勿論レン君で、私は彼に連れられるままにアンティークのような可愛らしいそのお店に入った。

「おおお、ドリンクが890円から…」

人の良さそうな店員さんから受け取ったメニュー本には、やはり私には手が届かないようなお高めなメニューばかりが表記されていた。

「オレが払うから好きなものを頼むといいよ、レディ」

向かいに座ったレン君はにこりと微笑みながら私に甘い誘惑をくれた。

「でも、人に奢ってもらうなんてそんな…」
「気にしなくていいよお金はあるんだ、君も知ってるだろう?」
「まあ、はい、知ってますけど。でも、レン君はまだ学生じゃないですか、そんな人に奢ってもらうのは…」

私がいつまでも渋ったような態度でいると、レン君はクスクス笑いを溢して、いい子だねと伸ばした手で頭を撫でられた。

「今日はオレが君の時間をもらったんだ。だからその代金ってことで」
「え、でも、相談事があるって言ったのは私ですよ?」
「でも実質誘ったのはオレ。それに、レディは今お金を貯めているんじゃなかったかい?」

そう言われ、小さく頷く。
もう少しで真斗の誕生日がある。
真斗は聖川財閥の御曹司であるから、私がプレゼントできる物なんてきっと彼には不釣り合いだろうけど、でも、だからこそなるべく彼に見合う物をあげたい。
その相談を真斗のよき?ライバルであり、私達の恋のキューピッドでもあるレン君にしようというわけだ。

「…………じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」

申し訳なくてレン君に感謝のしるしに頭を下げると、レン君は大袈裟だよと笑った。

レン君と初めて出会ったのは、この近くの大通り。
私が学校の帰りにちょっと洋服でも見てみようかと、買う気が全くないウィンドウショッピングをしていたら声を掛けられたのだ。
所謂ナンパというやつ。
ナンパなんて初めてで、それに増して声を掛けてきた彼が驚くほどかっこよくて、私はバクバクいう心臓を宥めながら彼を見上げた。

『可愛いレディ、もしよかったらオレとこの後デートなんてどうかな?』

綺麗な笑顔を与えられ、思わず頷きそうになる自分を叱咤する。
こんな状況で、怖いという感情よりもかっこいいと思う気持ちが勝っていた自分にびっくりだ。

『あ、あの、すみません、私は…』
『おや、つれないんだね、可愛いレディ』
『えっ、すすすみませ…うわ!!』

顔を覗き込まれた反動で後ずさると、自分の右足を自分の左足に引っ掛けるというなんとも間抜けなことをしてしまった私は、派手に転びコンクリートの地面に膝を擦ってたらりと血を流した。

『ごめん!大丈夫かい!?』
『は、はは、大丈夫です』

手を差し出され反射的にその手を掴んで、ゆっくりと立ち上がらせられた。
それからレン君はわざわざ執事さんを呼び出して大袈裟に傷の手当てをしてもらい、お詫びのしるしにと超高級洋菓子店の一日限定10個のショートケーキをくれた。
それがきっかけで仲良くなり、紹介されたというほどきちんと紹介されていない真斗と出会い、いつの間にか好き合ってて、そうしてお付き合いが始まった。

「えーっと、ホットレモンティーをひとつ」

メニュー本に表記された文字を読み上げる。
畏まりました、と頭を下げた店員が去っていったのを見送ってから、レン君は怪訝そうな顔で私を見つめた。

「どうしてそれを頼んだの」
「どうして、って」
「一番安かったからだろう」

じっとりとした視線を浴びて、私は苦笑しながらも頷いた。
するとレン君ははああと大きな溜め息を吐く。

「まったく君って子は」
「え、すみません…?」
「遠慮なんてしなくていいんだよ。いいかい、デザートはレディが一番食べたいものを食べなきゃ駄目だよ?」
「…」

渋ってはみるものの、私はメニュー本に大々的に表示されている新商品のチョコレートブラウニーに惹かれていた。
それをレン君はあっさりと見破って、一番大きなサイズを頼んでくれる。

「で、あいつの誕生日プレゼント何がいいかだよね?」

お洒落にカフェオレが入ったマグカップを口付けるレン君に、私は居直ってから頷いた。

「レン君、真斗と同じ部屋だから、真斗が何を欲しがっているかとか、何を必要としているかとか知ってるんじゃないかと」
「うーん、仲良くないからね、そんなにあいつのこと知らないけど、でも、」

内緒話をするかのように小声になったレン君に、私は無意識に耳を近付ける。

「あいつが何を一番欲しいか、知ってるよ」

にっこりと笑うレン君に神のような神々しさを見た私は、すがるようにレン君に詰め寄った。
カチャンと鳴る食器を一度気にしてから、教えて下さいレン君!と頭を下げた。

「教えてあげるのは簡単なんだけどね、こういうのって自分で見つけないと意味がないんじゃないかな?」
「あ、確かに!ええと、じゃあ、習字セットとかですか?」
「違うねぇ」
「新しいお着物?」
「いいや」
「真衣ちゃんと過ごす時間?」
「ああそれも欲しそうだけど…一番ではないね」

それから真斗が欲しそうな物をいくつも挙げるも、レン君は首を縦に振ることはなかった。
一向に正解に辿り着かない私に、優しいレン君はヒントをあげようと言った。

「それはね、あいつが一番好きで、一番大切にしているものなんだけど、まだ一度も手に入れたことがないものさ」
「そんな物があるんですか?」
「ああ、たったひとつ」

愉しそうに笑うレン君を不思議に思いながら、私は先程運ばれたチョコレートブラウニーを小さくカットし口に運んだ。
外のさっくりとした食感と中のしっとりした口溶けにうっとりする。
濃厚なチョコレートに香ばしいアーモンドがよく合う。

「美味しいです、すごく!真斗にも食べさせてあげたい」
「ふふ、君も同じだね」

意味深な言葉に、私は首を捻る。
すると、レン君は私の頭を撫でながら最後のヒントをくれた。

「それはきっとレディも欲しいものだよ」






それから私はひたすらに真斗が欲しい物を考えた。
それでも出てくるのは、レン君に一通り違うと言われた物ばかりで、私は真斗をちゃんと理解できていないんだと少し落ち込んだ。

(あとは、私の欲しい物…)

真斗の欲しい物イコール私の欲しい物なんて想像がつかない。
だって私の欲しい物といったら、新しいブーツ、白いコート、新刊の漫画、なくなりそうなマスカラ、そんな物だ。
CDかとも思ったけど、それは大分最初にレン君に否定された。

(あと、欲しい物…。欲しい…ってことは、好きな物…。好きな、もの?)

あるひとつの答えが頭を過るが、私は頭を大きく振った。

「馬鹿な馬鹿な!いや、私は欲しいけどね!でも真斗は、いやいやいや!」

でも、もし、本当にそれだとしたら。
そう思うと胸がきゅうと苦しくなった。

そうして私は悩みに悩んだ末、結局何も買わずに真斗の誕生日を迎えた。





「よく来たな」

部屋の扉をノックすると、出てきたのは真斗だった。

「誕生日おめでとう!おめでたいね、いやあ、おめでたい!」
「どうしたんだ一体」

私がやけにテンションが高いのを真斗は不思議に思いながら、私を部屋に通し、コートを脱ぐように言った。

「あー部屋あったかい」
「名前が寒がると思ってな。外は寒いか?」

寒いよ、そう答える前に、頬に温かい手が重ねられた。
びっくりして心臓がひっくり返りそうになる。

「冷たいな」
「はは、寒かったから、ね。あ、レン君いないの?」

部屋の奥も覗くが、特に人がいる気配もない。
なんとなく分かってはいたけれど。

「…あいつは女子のところにでも行ったんじゃないのか」

何故か不貞腐れたような顔をする真斗に、どうしたのと膨れた頬をつつく。
真斗はちらりとこちらを見てから、小さな声で言う。

「名前は神宮寺にいて欲しいのか」
「え?いやいや、まさかまさか!」

なんとも可愛い嫉妬をしてくれるときゅんとしながら、私は真斗の大きく温かい手を握った。
真斗から熱をもらうようで心地好かった。

「二人きり、だね」
「…ああ」

微笑むと、真斗はつられて笑って、私の手を持ち上げてそのまま唇に触れさせた。

甘い雰囲気が漂う中、畳の上で足を崩しながら悶々と考える。
一か八か、言うしかない。
恥ずかしいけれど、それが正解であるならば、真斗も喜ぶだろうし、私だって嬉しい。

「緑茶でいいか?」
「あ、うん!」

キッチンからの呼び掛けに大きな声で返す。
あれ、私なに誕生日の人に給仕させてるんだ?
慌てて立ち上がるがもう遅く、湯気のたった湯呑みを持って真斗が帰ってきた。

「ほら」
「ありがと。頂きます………美味しい、これ」

緑茶の甘味とほんのりと苦味もあって、その味を気に入った私はもう一口お茶を啜った。

「名前が来るから、いい茶葉を使ったんだ」

美味しいと言われて嬉しそうにする真斗に、私はなんだか自己嫌悪に陥った。
どちらが誕生日なのか分かったもんじゃない。
恥ずかしい、なんて言ってられない。
私は崩した足をきちんと畳んで、改めて真斗に向き直った。
湯呑みも脇に置いて、背筋も正す。
私のただならぬ様子に気付いて、真斗も元から姿勢は良いけれど、きちんと向き直った。

暖房が効いて暖かいはずなのに、冷や汗が流れそうだ。
それに握り締めた掌には大量の汗。
バクバクという鼓動が身体を巡り、なんだかこのまま倒れてしまいそうだ、そんなことはあってはいけないけれど。

一度大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。
吐く時にカタカタ震えた唇に相当緊張しているんだと分かった。

「あの、真斗、」
「…なんだ?」
「えと、真斗の誕生日プレゼントなんだけど、その、」

爆発するんじゃないかって程に暴れる心臓。
私は意を決して言った。

「私じゃ、駄目ですか」
「………………は?」

素っ頓狂な真斗の声に、恐る恐る真斗の顔を見た。
雪のように白い肌が、びっくりするくらい赤かった。

「……その、それは、そういう意味か」

そわそわしながら尋ねる真斗にこくんと頷くと、真斗は俯きながら私の隣にやって来て座った。

「もらって、いいのか?」

小さな、情けない声が聞こえて、なんだか愛しいという感情が込み上げてきた。
畳の上にあった真斗の白い大きな手に自分の手を重ねる。

「真斗がよければ、もらってください」

ぎゅうと抱き締められた。
息苦しいくらい強く掻き抱いて、背中が反り返るんじゃないかってほどに体が軋んだ。

「名前、好きだ」

耳元の甘い囁きに鼓膜が震えて、連動するように身体も震えた。
骨張った背に手を回すと、さらに強く抱き締められ、もう隙間なんてどこにもない。

「名前、こっちを向いてくれ」

上からの優しい声に、私はいやいやと首を横に振る。
顔を見られたくない、恥ずかしい。
それなのに真斗は私の頬に手を添えて、半ば無理矢理に視線を交わらせた。

「可愛いな」
「うううるさい」

顔が赤い、と頬をゆっくり撫でられ、真斗もだよと返した。
鼻がくっつきそうな程顔を寄せ、言葉を紡ぐたび唇に吐息を感じる。

「キスがしたいな」
「すれば、いいんじゃない」
「そうだな」

ちゅ、と触れるだけのキスでさえ私にはもう十分刺激が強くて、唇が離れた瞬間真斗の胸に顔を埋めた。

「こら、キスができないだろう」
「もう、いい」
「よくない」

なんとか交わった視線を絡め、私はちょっと泣きそうだった。
こんなにドキドキして泣きそうになるなんて初めての経験だった。

「恥ずかしい、から」
「うむ、だから見たい」
「意地悪だ」
「そうか?」

長い睫毛が下を向いたと思ったら、唇にふわりと柔らかい感覚。
逃げる間もなくもう一回、もう一回。

「可愛い」
「ん、」

唇をぺろりと舐められ、意を決して少し口を開いて舌を出した。
すると真斗の舌が啌内に潜り込んできて、くちゅと唾液が鳴った。
上顎を擽られると背筋が震えた。

「…布団を、敷かないとな」

唇が離れての第一声がそれだった。
くらくらする頭でうまく思考ができないためか、立ち上がろうとした真斗の腕を掴んで引き止めた。

「いいよ、布団なくて」
「だが、それでは名前の身体が」
「畳の上だから平気だよ。だから、早く、」

早く、シよう?

向かいの真斗がカッと真っ赤になったのが分かった。
なんて恥ずかしいことを言っているんだろう、自分は。
頭の隅の理性が冷静に実況中継をする中、本能が私を動かした。
そうして全部本能のせいにする。
きっちりと締めてある真斗のネクタイに手をかけ緩めようとした。

「こら、名前、」
「好き」
「!」
「好き、だから、真斗とくっつきたい」

真斗は何度か瞬きをして、照れ臭そうに微笑んだ。
一度ぎゅうと抱き締められてから、耳元にキスをくれた。

「そんな台詞の方が恥ずかしいんじゃないか」
「そんなことないよ。真斗からの言葉の方が、」
「可愛い」
「だあああから言わないでいいってそういうのは!!」

真斗の腕をはたく。
加減を忘れたみたいで、ちょっと痛がっていたのが申し訳ない。

「でも、嬉しそうな顔をしているぞ」
「…」
「本当は嬉しいんだろう?」

顔を反らした私を覗き込んで、
真面目な顔で真斗は言った。
ずっと黙っていても、真斗は視線を外してはくれなかった。

「…………嬉しいに決まってるでしょ、ばか」

(好きな相手からの言葉なら尚更に)

真斗はすまんと嬉しそうな顔で謝って、私達は二人して畳に倒れこんだ。




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