全てのものは二つに分かれる。 表か裏か、嘘か誠か、光か影か。 それらは二つが合わさりやっと一つとなる。 片一方が欠けてしまえばそれらの均衡は一気に崩れ、秩序というものは存在しなくなってしまう。 そう、今現在のように。 「もういいよほんとに!」 「何がいいんですか、私はまだまだ満足してませんよ」 目を細めて笑う彼、一ノ瀬トキヤ。 彼はどちらかというと尽くしたがりな性分の持ち主だ。 そして、私。 困ったことに私も極度の尽くしたがりである。 人の世話をするのが好き、頼られるのが生き甲斐。 学生時代も委員長やら部長やらみんなを引っ張る役回りばかりをこなしてきた。 そんな性格のため告白してくれる男の子は所謂“年下キャラ”ばかり。 しかしトキヤと出会い、彼と付き合うことになったのは今思えば至極不思議なことだ。 正直性格が合うとは思っていなかった。 似た者同士、とでも言おうか。 トキヤの友達に音也くんって子がいるけれど、ああいった子の方が私には合う。 とにかく私は筋金入りだ。 だからトキヤと付き合い始めても私の尽くしたがりは変わらず。 トキヤもしっかり者だから私がコーヒーを入れようとしたら彼が既に入れていたり。 皿を洗おうと思ったら既に済んでいたり。 負けず嫌いな私は意地でもトキヤに尽くそうと奮闘したり、同様に負けず嫌い(で意地悪が好き)な彼はそんな私の目論見を知って余計に私より先に行動しようとしたり。 まあ、そんな感じに若干のフラストレーションを感じつつも楽しくやってきたわけだ。 なのに、今日。 トキヤは突拍子もなくこう言った。 『今日一日、私に貴方を甘やかさせて下さい』 似た者同士な私たちだけど流石に彼の思考回路までは読むに到らなかった。 甘やかす? それなら私がトキヤを甘やかしたいわ! トキヤには一日中ソファに寝そべってもらって、私が家事を全部やって飲みたい時に飲みたいものを、食べたい時に食べたいものを運んで…。 ああ、なんて幸せなんだろう。 それなのに、その逆をさせようとするの? 鬼か、鬼なのかお前は…っ! 『やだよ。私がトキヤを一日中甘やかすならいいけど』 『いつもそうしてるじゃないですか』 『はい?あれが?私の本気を舐めるな』 『はぁ。…私だって貴方を甘やかしたいんですよ』 『……そ、そんな顔したってダメだからね』 『どうしても?』 『……卑怯者っ!!』 私はトキヤの顔に弱いのでした。 シャカシャカシャカ。 「痒いところはないですか?」 「んーない」 「はい」 シャカシャカシャカ。 シュールなこの絵面、誰が想像できようか。 湯船に浸かっている私(全裸)の髪の毛を風呂用椅子に座ったトキヤ(着衣)が洗っているこの図。 「では流しますよ」 「はーい」 「目を瞑って」 シャワーの丁度良い水圧を感じながらなんだか私は悟りを開きそうな勢いだ。 なんだこれ。 どんな甘やかし方だ。 まさかここまでやるとは思わなかった。 「あとはコンディショナーと…」 「トキヤ、なんかすごい手馴れてるね。美容師目指してたことあるの?それとも前の彼女にもこうしてたの?」 「ふふ、どっちもハズレです」 コンディショナーを馴染ませていた手が止まったため上を向いてトキヤの顔を伺おうとしたら、私の丸出しのおでこにちゅっとキスを落とされた。 動揺してバシャンとお湯が波立つ。 「貴方だから尽くしたくなるんですよ。私は貴方と違って興味のない方にはとことん冷たいですからね」 「…嘘ばっかり」 「本当ですよ。さあ、流すのは後にして体を洗いましょう。そこから出てください」 「は、え?え?そこまでするの?」 「当然です」 妥協はしません、とか自信満々に言っているけれどそれは使い時が違うと思う。 第一この状況(全裸の私と着衣のトキヤ)にだって羞恥である。 湯船に浸かったままでいいというからそれこそ私が妥協したのに。 「トキヤ服濡れちゃうよ」 「構いませんよ、着替えればいいだけの話です」 「…や、うん、いいよそれは。自分でできるし、うん」 「いつまでもそうして渋っているのなら湯船から引きずり出しますよ」 「わかったよお!!もう!!」 本当にそうしそうだから怖い。 ザブンと波柱を立てて湯船から出る。 一般家庭の一般的なバスルームだ、二人もいたら狭いし何より近い。 (ううう裸見られてる…こんな明るいところで…トキヤは服着てるのに…死にたい…) 縮こまって体を隠しトキヤに背中を向けて椅子に座れば、トキヤは黙々と体を洗うネットを泡立てる作業に入る。 滑らかに背中を擦られ、最初は恥ずかしかったもののなんだか気持ちよくなってきた。 「次は左腕」 黙って差し出せばその腕をとって肘から二の腕、脇までも丁寧に洗ってくれた。 「はい、こっちを向いてください」 「えっこのままでいいよ」 「脚が洗えないでしょう」 確かに正論だけれども。 その、恥ずかしいじゃんか。 「なんですか、私がセクハラでもするとでも?」 「い、いや、違うけど…」 「ご所望ならして差し上げましょうか?」 「ひぃっ、」 泡のついたトキヤの手が腰をいやらしく撫でるものだから思わず変な声が出てしまった。 「っ違うってば!は、恥ずかしいでしょ、ふつうに!」 後ろを睨みつけてそう叫べば、彼はちょっと驚いた様子を見せたあと、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。 「ふ、貴方もそんな風に思うんですね」 「人を何だと…っ」 「心配しなくても貴方の全てを愛していますので、何も恥ずかしがることはありませんよ」 穏やかな声音で囁かれてしまえば私に成す術はない。 肩を掴まれぐるりと椅子ごと体を反転させられた。 目の前で膝をついて腕をまくっているトキヤ。 全裸の私。 「そんな顔をしないで……どこもかしこも可愛いです」 私を見上げる彼は泡だらけの手で私の両手を握って微笑みかけた。 トキヤはそうは言うものの羞恥で涙が出そうだ。 トキヤが私の左足を少し持ち上げ、アキレス腱から踝、ふくらはぎを通って膝、 太腿を優しく擦る。 体を低くしているトキヤにはきっと胸も下も丸見えなんだろう。 恥ずかしい、恥ずかしい恥ずかしい。 足の裏から指の間までも一本ずつ丁寧に洗われ、その行為は右足にシフトする。 それが終わってしまうとネットはお腹を擦りだして、じわじわと上に上り、とうとう胸に辿り着いた。 「っ」 「恥ずかしいですか?」 「そ、そりゃあ、」 「大丈夫。綺麗ですよ」 ソフトタッチにネットが胸を脇腹を頂きを擦る度、私はなんだかむず痒い気持ちになった。 トキヤは相変わらず真剣に体洗いに専念しているし、いやらしい態度など微塵も感じない。 このシュールな状況に対応してきた適応能力の高い私は段々と羞恥心も消え失せて、トキヤの指示通り体を差し出し(股を洗われる時は流石に抵抗した。引いた)、寝かせておいたコンディショナーのついたままの髪の毛と一緒に洗い流してもらった。 私はただ突っ立ったまま、トキヤがシャワーを充てながら立ったりしゃがんだり。 一国のお姫様でもここまで手厚いお世話はされないだろうって程。 「はい、終わりましたよ。お疲れ様でした」 「…ん、ありがと」 「待って、タオルを持ってきます。拭くのも私にさせてください」 「はいはい」 もうここまで来たら恥ずかしいも躊躇いもない。 尽くされるのは苦手だったけれど、私に触れるトキヤの指一本一本が優しくて、心配する彼の優しい声に愛を感じた。 たまには、いいかもしれない、なんて。 「お待たせしました。…どうぞ?」 大きなバスタオルを両手に持って広げたトキヤ。 ええと、飛び込めと? 「え、っと」 「ほら、湯冷めしてしまいますよ。早く」 急かすようにタオルを上下に揺らすものだからそれに釣られて一歩前に出る。 すると、バスタオルと一緒にトキヤの腕にぎゅっと包まれた。 「!」 「私は貴方が愛しくて堪らない」 タオル越しのトキヤの腕がキリキリと私を締め付ける。 体も、心も。 「貴方は頑張り屋さんですから時々心配です。たまに、こうして、私に甘えて…」 切ない声が耳道に震えて伝わる。 伸ばしかけた腕がまだ濡れているのに気付いてちょっと躊躇ったけれど、私も彼の広い背中にぎゅうと抱きついた。 「…名前」 「…ありがとう、心配してくれて。私は好きでいつもみたいにしてるけど、たまにはこういうのもいいかもね」 ありがとう。 もう一度お礼を述べたらトキヤは体をゆっくりと離して私を見下ろして私の好きな彼の顔で微笑んだ。 「すみません、途中でしたね」 相変わらず私に触れる手つきは優しくて、タオル越しの手が大好きですって言ってくれていた。 着替えるのは彼が私の箪笥の引き出しから選んだ下着(その時のトキヤの真剣さといったらない。引く)に、パジャマパーティーで好んで着るワンピースタイプのお気に入りのパジャマ。 それらも全部着替えさせられて私がようやく一人前の格好になった時、トキヤははーっとやりきったようないい顔で伸びをした。 「はは、おつかれ」 「ええ、無事に第一段階は終了です」 「え?今なんて?」 「ですから、無事に第一段階が終了したと」 「だ、第一段階!?まだあるの!?」 「当然ですよ。私の最初の言葉、覚えてます?」 風呂上がりのボヤボヤした脳みそに鞭を打ってフル活動で思い出す。 ええと、ええと、……『今日一日、私に貴方を甘やかさせて下さい』。 「あ」 「そう、私は今日一日と言いました。お風呂だけで終わりませんよ」 「ええっもういいよ!十分だよ!」 「まだです。私としては少なくとも髪を乾かしてあげるのと歯磨きと耳掃除とフェイスマッサージ含めた全身マッサージと保湿パックと爪切りと…」 「多い多い!!」 「おや、君も知っているでしょう?私の辞書に“妥協”という文字がないことを」 心底楽しそうに笑うトキヤ様。 ちょっと前まではお姫様気分だったのに一周回ってトキヤ様だ。 トキヤ様様だ。 「………今度のデートはひたすらに私がトキヤを甘やかす日だからね」 「ええ、覚えておきましょう。さあ、まずはこちらに」 ソファまで導かれ、こちらと示された場所はトキヤの膝の上。 「‥‥重くっても知らないよ、もう!」 ダイブして飛び込んでも、トキヤは私の好きな顔で笑って容易に受け止めてくれた。 |