愛しくて堪らない私の恋人は、どうやらあまり私に興味を持っていないらしい。

気になってしまってから、その思考は私の心の中で真っ黒い靄となってぐるぐると渦巻いていた。
らしくもなくその悩みをレンに愚痴ってしまうと、イッチーも可愛いところがあるんだね、と鼻で笑われてしまいそれっきりだった。
あの男はきっと付き合った女性から興味を持たれなかったことがないのだろう。
ちっ、使えない。
なんて、とばっちりとも言える悪態をレンに吐いてみた。
そうしたところでスッキリするわけでもない。





前に私の部屋へ彼女を呼んだ時だった。
私は、その直前まで聖川さんから借りていた分厚い哲学の本を読んでいた。
色々なジャンルの本を読んでみてはいたけれど、こういった方面のものは新鮮で、随分前に淹れたブラックコーヒーが冷えているのも忘れて夢中で読み進めていた。
そんな時に控え目にインターホンが無音の部屋に鳴り、私は驚いて壁にかかっている時計を見上げた。
彼女と待ち合わせている時間。
何度か咳払いをして、全身鏡の前で身なりや髪の流れをチェックした。
そうしてから慌てて玄関の戸を開け放った。

「お邪魔します」
「はい、いらっしゃい」

目が合うと溢れる笑顔。
私もつられて目を細める。
私はこの笑顔に惹かれたんだ。

脱いだ赤いパンプスは礼儀正しく玄関の端に揃えられ、静かに私の後ろを付いてくる。

「何か飲みますか?」
「うん!なんでもいいよ」
「私はコーヒーを飲んでいたのですが…貴方は好きではないですよね?」
「あんまり飲まないけど、私コーヒーがいいな」

そう言うので、自分では割とこだわっているコーヒーの豆を挽きながら電動ポットで湯を沸かす。
本と一緒に置いてあったコーヒーカップを持ってきて、それと彼女用の新しいカップにそれらを注ぐ。

「ブラックは飲めませんよね?」
「うん。お砂糖欲しい」
「ミルクは要りますか?」
「いる!」

横で私の手元をじっと見ている名前にちょっとドキドキしつつ、注文通りに砂糖と温めた牛乳を注いだ。
私の真っ黒なコーヒーと比べて茶色くなった彼女のコーヒー基カフェオレがなんだか愛らしい。

「はい、できましたよ」
「うん、ありがとうトキヤ!」

カップを両手で包んであったかーい!と顔を綻ばせる彼女に、私も自然と笑みを零す。
ソファに向かったところで、彼女はローテーブルに置いてある例の哲学本に目をやった。

「なーに、これ」
「哲学の本です。聖川さんからお借りしたんですよ」
「へーえ!ちょっと中見ていい?」
「ええ、どうぞ」

カップをコツンと起き、小さな両手に分厚いその本を持ち上げた。
パラパラと捲っては、眉間に皺を作る。

「どうです?」
「全っ然分かんない。パスカルとかは聞いたことあるけど…」

難しい顔をしたまま名前はページを捲った。
そして、ふと手が止まる。

「もしかして、さっきまでこの本読んでた?」
「ええ…それが何か?」
「もうちょっとでこの章終わるよ!読み切っちゃう?」

付属されている栞を見つけて、名前はこちらを見上げた。

「ああ…いいです、せっかく名前が来ているのに」
「いいよいいよ!遠慮しないで!私待ってるから、読んでいいよ!」

ね?と本を差し出されてしまえば、私は受け取る他ない。

「…ありがとうございます」

確かに続きが気になっていたといえばそうだ。
しかし、わざわざ来てくれた名前を待たせてまで読みたいなどとは思わない。
渋々栞の挟まったページを開き、そこに並ぶ小さな活字を黙々と目で追った。
隣では名前がコーヒーカップを両手に抱えて私を穏やかに眺めていた。





他には事務所で。
私のパートナーである作曲家の七海君と新曲の打ち合わせをしている時だった。
家に今回の打ち合わせで使用する楽譜の一枚を忘れてきてしまい、丁度近くに来る用があるといった名前に届けに来てもらう約束をした。
予定とほぼ同じ時間に名前は事務所に訪れ、先に話を通していたためすんなりと受付を済ませてこの部屋までやってきた。

「失礼します」

コンコンとノックのあとに呼びかけられる声は紛れもなく名前の声で、どうぞと扉の向こうに返事をするとひょこっと覗かせた顔がにこっとして迷わず来れてよかった!とはにかんだ。

「あ、初めまして!苗字名前といいます」

私の向かいの七海君にお辞儀をすると、七海君も慌てて立ち上がり大袈裟に頭を下げた。

「はっ、初めまして!七海春歌です!一ノ瀬さんにはいつもお世話になっています!」
「こちらこそ!お世話になってます」

あははと笑う##NAME1##に七海君も安心したように微笑む。

七海君には名前という恋人の存在を教えていたので、名前にはどうやら頭が上がらないらしい。

『一ノ瀬さんの恋の歌が素敵なのは、苗字さんのお陰なんですね!』

前に興奮気味に七海君はそう言っていたが、多分その通りなのだと思う。
切ない恋心も燃えるような愛も、全部名前が教えてくれた。

「はい、トキヤ。これで大丈夫?」
「ええ、これです。ありがとうございます。本当に助かりました」

クリアファイルにきちんと入れられた七海君の手書きの楽譜を取り出し、私は名前の頭を撫でる代わりに目を細めて微笑んだ。

「それにしても、一ノ瀬さんが忘れ物だなんて初めてですね」
「すみません。朝、慌てていたら昨日広げていた楽譜を全部集めていなかったようで…」
「朝に慌てていたんですか?」
「ええ。目覚まし時計の電池が切れてしまったようで、アラームが鳴らず寝坊したんです」

苦笑してみせると、七海君は災難でしたねと眉を下げた。

「トキヤ、私戻るね」

振り返ると名前が踵を返して手を振った。

「え、もう?」
「うん、仕事場までの時間考えるとそろそろ出なきゃだから」
「そうですか…」
「お仕事頑張ってね!七海さんも、よろしくお願いします!」
「あっ、はい!」
「じゃあ、バイバーイ」

そうして名前は手を振って出ていった。





よく出来た彼女だと言えばそうなのかもしれない。
私の我が儘にも応えてくれるし、その逆に我が儘など聞いたことがない。

けれど、自分よりも私の本を優先することも、七海君といる私に嫌な顔をしないのも、ドラマでラブシーンを演じても何も言わないのも、仕事ばかりで恋人らしいことができないのに文句の一つも言わないのも、裏を返せば私に興味がないからなのではと思ってしまう。
きっと世間の男性からしてまれば、なんて贅沢な悩みか、聞き分けがよくていい恋人ではないか、と怪訝そうに言われてしまうだろう。
しかし、私はもっと名前に求めて欲しいと思ってしまう。
束縛されるくらいの方が愛を感じれる。
そう、思ってしまうのだ。

こんなこと彼女本人に言えるはずもなく、私は机に突っ伏して名前…と呟いた。
その名が愛しい。
彼女の存在そのものが愛しくて堪らないのに。

「呼んだ?トーキヤ」

ガバッと顔を上げる。
そこには、にこにこしながらやっほーと暢気に手を振る名前がいた。

「な、ななななんでいるんですか…!?」
「ん?なんかレンが、イッチー悩みがあるみたいだから聞いてあげてよ、って言って場所教えてくれたから」

向かいの椅子に腰掛けて、両肘を机につき、頬杖をつきながら悩みってなーに?と首を傾げた。
いちいち可愛い。
ムカつく。
私ばかり彼女のことが好きみたいだ。
君がいなければもう生きていけないくらい、私は君のことが大切で大切で愛しくて堪らないというのに。

「………………貴方は、私を、もっと愛すべきです」
「えっ?」

名前はキョトンと丸い瞳を更に丸くして素っ頓狂な声を上げた。

「だから、貴方は私を」
「こんなに愛してるのに?」
「え?」
「えっ?」
「…え?」

バツの悪い顔をされると思っていた。
なのに、名前は本当に驚いたとでも言いたげな面持ちで私を見つめた。

「…だって貴方、自分より本を優先させるし、七海君のことをなんとも思ってないですし、嫉妬なんてしないですし」
「あははっ、トキヤって案外子供っぽいね!」
「は?」
「理由が可愛い!だから愛されてないって思っちゃったの?」

心底可笑しそうに名前が笑うものだから、私は調子が狂ってしまいもっと連ねようと思っていた不満も引っ込んでしまった。

「私は、好きな人に好き好き言ってベッタリするのだけが愛情表現だとは思わないよ。見守るとか、影で支えるとか、応援するとか、そういうのもちゃんと愛してる証だと思う」
「……ええと」
「つまり、本を読んでるトキヤの横顔を眺めて綺麗だなって思ったり、トキヤと七海さんのお仕事を応援したり、ドラマとかでトキヤの活躍を喜んだり、全部トキヤが好きだからだよ」

頬杖をついていた手が机を這って私の手に触れた。
ポカポカと温かい手が指が私の指に絡まる。
ぎゅっと握られて、その感覚に酷く心が安らいだ。

「……恥ずかしくないんですか、その台詞」

細い指を握り返して彼女の目をちらりと見ると、少し潤んだ瞳を見つけて少し驚いた。

「は、恥ずかしいに決まってるでしょ!こんなこと言うつもりなかったのに」
「…」
「……でも、トキヤが言葉にして欲しいって言うならそうするし、行動に示して欲しいならそうするよ」

ガタッ。
名前が椅子を引いた音がやけに大きく響いた。
目の前に、少し胸元の開いた服の隙間から谷間が覗けて、柄にもなく私はそれに動揺する。

「トキヤ、だいすき」

そして、唇にちゅっと触れるだけのキスを落とされた。

「!!!!!!」

ダブルショッキング。
私は触れた唇に指を当てて身体を震わせた。

私も、彼女を見習わなくては。

目尻を下げて微笑むと、名前も同じように目を細めて「トキヤもこれくらい大人にならなきゃね」と私に笑いかけた。

そんな君も愛しています。




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