「トキヤってキス上手そう」 ピクリと反応する耳。 通り過ぎるはずだった雑誌コーナーで立ち止まった私はなんら興味のないファッション雑誌を手に取りページを捲る。 神経だけはその会話に集中させて。 「あー分かるう。レンとどっちが上手いかなあ」 「それはレンっしょ!経験の差」 「でもトキヤも経験値高そお。芸歴長いでしょ?女優喰ってきてるって噂だよお」 「うっそマジで!?イメージ崩れたー。でもでも喰われてはみたい」 「あっは、馬鹿じゃーん」 (馬鹿じゃん) 心の中で呟く。 アイツは経験値も何もない。 私が初めての恋人なんだから。 苛々してラッグに雑誌を戻す動作が乱雑になる。 ありがとうございましたー、と感情の込められていない挨拶を聞いてはっと思い出した。 私何も買えてない。 コンビニの入り口のマットを踏み越えたあとだ。 また戻るなんて恥ずかしい真似できない。 苛々に苛々が重なって足取りが重くなるのは仕方のないことだ。 ケータイを取り出し、これから会う約束だった友人らに一斉送信で遅れることを伝える。 ここから待ち合わせ場所までの道のりにコンビニはある、はず。 そこで買おう。 夏の茹だるような熱さにも苛々が募って、苛々苛々苛々苛々。 大きく深呼吸をして、なんとかその嫌な感情を誤魔化した。 「ごめん、遅れた!」 「知ってるー」 「名前が遅刻とか珍しいね。どったの?」 「あー、コンビニで色々あった」 「なんそれ」 大学の友人3人とあまり人の入らない喫茶店に入る。 ここは私たちの溜まり場みたいになっている。 人も少ないし、ゆっくりできるし、お店の人もいい人だし、お気に入りの場所だ。 所定の位置に座って、いつもみたいに近況を語り合おうとしていたら、一人の子、割りとミーハーな子がじゃじゃーんといった感じで一冊の雑誌をテーブルに広げた。 「買っちゃった!」 「あ、それって」 「そお!ST☆RISHの特集組んでるやつ!」 「なんだよ、買わないとかって言ってたじゃーん」 「バイト代今月よかったからさ!ねえ、見よ見よ」 盛り上がる3人を他所に若干テンションの下がる私。 因みにその雑誌ならもう4周見てるわ。 「この翔かっこいー」 「やっぱオシャレだよね!あ、でもこの真斗の服好き」 「アンタほんとにそういう格好好きだよねえ。真斗しか似合わないからね、実際」 「皆レンを忘れるな」 「出たーレン担!」 「超かっこいいじゃん!付き合いたいいいいい」 「妄想で付き合ってろ」 いつもならこういったノリに乗ってキャッキャするけど、話の話題が話題なためなかなか入れない。 いや、入ったらマズイ。 「どったの名前?トキヤもいるよー」 そう言ってトキヤの特集ページを見せられる。 その右端の上目遣いトキヤすっごい好き…………ってのは置いといて。 私は満面の笑みを浮かべてまるで興奮しきったような声を上げる。 「うっわ、このトキヤ超かっこいいいい!」 「名前もトキヤ担だよねぇ。私ずっと音也好きだったんだけどさ、最近トキヤに浮気中」 「マジで?」 「そう!………なんかさ、」 こそこそとした話し声に自然と耳を寄せる体勢になる私たち。 「………トキヤの身体、えろくない?」 凍る私。 盛り上がるその他。 「アンタそれ、あははっ」 「だって、見てよ次のページ!いい?いくよ?」 前置きたっぷりで開かれたページはトキヤの上半身裸のカットが載ってるページ。 私も初めて見たとき悲鳴を上げた。 今現在の彼女らのように。 「ええええええっろ!!!」 「やっば!!なにこれ!!卑猥だよこれは!!」 「うっそ、お尻の割れ目見えてるよ!!」 「きゃああああああ」 「は、はははは」 引きつった笑い声しか出てこない。 そのページも既に穴が開くほど見詰めたわ。 「これはトキヤ株上がるわ!」 「巷で噂になってたのってこれかあ!!」 そう、この写真。 すべてはこの半裸の写真が原因だ。 この雑誌が世に出回ったのが二週間ほど前。 大して経ってもないのに、もうこの雑誌の、特にこの半裸トキヤが巷で有名なのだ。 先程のコンビニでの女子高生のように、道を歩いていただけでトキヤの話をしている人に何度も会った。 とにかく感想はえろいのただ一言だ。 そのえろいから発展して、トキヤはキスが上手そうだの、トキヤはセックスが上手そうだの、挙げ句の果てにはトキヤはセフレの女優がわんさかいるだの、世間はトキヤの話で持ちきりだ。 トキヤが売れるのは嬉しいし、かっこいいって言われてるのも嬉しいし、頑張って欲しい。 だけどもさ。 こういった下世話な話を彼女である私がニコニコしながら穏やかに聞いていられるだろうか。 否! 私はこの二週間で限界に達していた。 合鍵を取り出してガチャンと派手に音を鳴らして扉を開ける。 部屋の奥から明かりが漏れていた。 この時間にトキヤが家にいるのは昨日聞いていた。 ヒールを玄関に脱ぎ散らかして、でもやっぱり端に揃えて、ふわふわと錯覚する廊下を真っ直ぐに進んだ。 物音に気付いたのであろう、トキヤの方からリビングと廊下を繋ぐ扉を開けた。 「おや、いらっしゃい」 「………うん」 「どうしたんですか?」 黒いエプロンをつけて、手にはお玉を持っていた。 料理中だったらしい。 「どうもこうも…」 肩に食い込んでいた鞄をソファに放って、ケータイをチェックする。 大学の先輩から呑みのお誘いメールが来てたけど無視。 あとで返そう。 「何かあったんですね」 「…まあね」 含んだ言い方をしたら、トキヤはお玉を一旦置いて手を水で漱ぎ私の元にやって来た。 「火は?」 「弱火で煮込んでいるだけなので大丈夫です」 そして、頭を引き寄せられてトキヤの胸に額を押し当てられた。 「苛ついているでしょう」 「あれ、分かる?」 「貴方は苛つくと行動が雑になるんですよ」 その通りだと思った。 「さ、話してください」 「えー」 「話したいくせに」 「…」 「だからここに来たんでしょう?」 トキヤはすべてお見通しなんだ。 私が言わなくても、言いたいけど言えないことも、なんとなく雰囲気で察してくれる。 私がして欲しいことも、全部。 「……それもあるけど、単純にトキヤに会いたかったのもあるからね」 「おや、珍しい」 くすくす笑う声が耳元で響く。 額から伝わるトキヤの鼓動が心地よかった。 「……トキヤの妄想がむかつく」 「………私、妄想なんてしましたっけ?」 「違う違う!世間の女の子が、トキヤの妄想をするの」 「あぁ」 納得、といった様子。 私はそんなに落ち着いてなんかいられない。 一旦言葉にして口に出してしまうとヒートアップするのは人間の性だろう。 「トキヤ、なんて言われてるか知ってる?キスが上手そうとかセックス上手そうとかセフレがいっぱいいるとか女優を喰ってるってさ!」 「ふふ、困りましたね」 「困ってないじゃん!」 苛ついている私とは裏腹に、トキヤは楽しそうに笑った。 額を離して上を見上げ睨むと、トキヤが優しく微笑んでいる。 調子が狂う。 「名前は嫉妬をしたんですね」 「嫉妬っていうか…」 嫉妬とはちょっと違う気がする。 嫉妬って、私の彼をとらないで!みたいな気持ちでしょう? それは全然感じてない。 とられたなんて微塵も。 でも、なんだろう。 トキヤが皆の妄想で飾られていくのがすごく苛つく。 それは、トキヤじゃない。 皆のトキヤは、トキヤじゃない。 私の知ってるトキヤが、トキヤ。 トキヤは、私の…。 「……独占欲」 ぽろりと零れた言葉。 そうか。 私の彼をとらないで!じゃない。 彼は私のものよ!だ。 「独占欲?」 「みたい」 こくりと頷くと、トキヤはまた穏やかに微笑んで私の唇に自分の唇を重ねた。 しっとり合わさった唇がゆっくりと離れ、互いの瞳を見つめ合う。 「キス、上手いと思います?」 「さあ?私、トキヤとしかしたことないから」 「奇遇ですね、私もです。セックスだって貴方としか経験がありませんのに」 「セックスは上手いと思うよ」 「そうですか?」 「うん、いつも気持ちいい」 「初耳ですね」 トキヤの唇が頬を伝い耳に触れる。 首筋を通って、出ていた鎖骨を通って。 「何年も前から、私は貴方のものですよ」 そしてぺろりと舐められる。 「そして、貴方は私のもの」 背中に回された手が、ワンピースの背中のチャックに触れる。 ジーーとゆっくり下ろされるチャック。 「するの?」 「したかったでしょう?」 ………ほんとに、よく分かってらっしゃる。 「私もしたかったので、おあいこです」 ふふっと笑って、スカートの裾から手を入れてきた。 その手を制す。 「?」 「火。止めないと」 キッチンに目配せすると、トキヤは数秒そちらを見たあと私から離れてキッチンに向かった。 カチリと捻りを回した音がした。 「名前が私のものでよかったです」 そう苦笑しながらトキヤが戻ってきた。 私もトキヤも、貴方がいなければ生きていけないみたい。 |