………、
……また夢を見ているようだ。
今度は深い海の中に沈んでいく。それなのに一切苦しくないのは夢だからだろう。


「……なまえ!人間になるのは危険よ!」


…なまえ、そういえばみょうじくんの下の名前もなまえだったような。
そう考えていると、ボンヤリと目の前に影が見える。

それは複数の人魚達だった。その真ん中には僕がよく知る顔のみょうじくんがいたのだ。下半身が魚の姿であれどその佇まいは美しかった。


「…アンタ、姉達にも止められているじゃないか。アタシだってこんなの勧めないよ。何しろもう人魚に戻れないのだからね」


大人びた雰囲気を持つ人魚がみょうじくんを説得する。正に魔女という風格を持っているようだ。


「…それも覚悟して言っているのです。私はある1人の人間を幸せにしたいんです」


みょうじくんは決意を固めた表情で魔女の人魚を見つめると他の人魚達も魔女も諦めたような表情を浮かべた。


「…そうかい。それならこの薬も一緒に渡しておくよ。どうしても人間の世界で生きられなくなったとき、これを飲めば海の泡となって消える。…アンタは人魚だからね、せめて故郷で死ねるようにしたんだよ」
「ありがとう、でもこれを使うことはきっとないかもしれないわ」


彼女は2つの小瓶を受け取った後、僕の目の前を通り過ぎて地上へ泳ぎだしていく。その嬉しそうな表情は夢の中であろうと苦しく締め付けられる。この後の展開を知っていたからこそだ。


「ああ、なまえ…あんな人間の男の本性を教えても聞いてくれないなんて…」
「……仕方ないよ、なまえは恋がどういうものかも分かってない。だから本気なんだ。私達も姉としてしっかり教えてあげれば良かったのよ」
「アタシだって人魚が海の泡となって消えて欲しくないさ…せめて、なまえを愛してくれる人間が1人でもいればねぇ…」


嘆く人魚達や魔女を見つめた後に体が浮遊感に襲われる。海上へ一直線に向かって行く。
その浮遊感の中で僕は目を開けた。周りは見慣れたホテルの部屋だ。寝る場所のスペースが狭い、そうだ、確かソファで寝たんだ。

夢というのは目が覚めた瞬間に忘れるものなのだが、昨日今日といい夢の内容をしっかりと覚えていた。
夢の当事者であろう人物が眠るベッドを見るとそこには誰もいなかった。

ベッドは綺麗で、その上に来ていたであろう部屋着が畳まれて置いてあったのだ。


「みょうじくん…!?」


部屋の中を探しても誰もいなかった。
僕は彼女を探している中で核心に近づいたのだ。

夢の内容が本物だとするとみょうじくんは人魚だと。それなら何故人間になったかも、彼女が襲われやすいのかも全て理解出来る。
このままだと危ない。着替えを済ませて一刻も早くみょうじくんを探しに外へ出た。

街の人間が人魚を捕らえようとするなら、元人魚であるみょうじくんを放っておく筈がない。
昨日の怪しい商人の話が身の毛がよだつ思いにさせる。嘘であってくれとひたすらに思い続ける。

街中はやけに人が多かった。それに何かを祝っているような感じだ。人混みを掻き分ける中で聞こえるのは「有力者の息子の結婚パーティー」という言葉が多かった。
だからか、と納得しつつもみょうじくんの心を弄んだ男を思い出すだけでも憤りが溢れてくる。
街中を探してもみょうじくんの姿が見当たらない。今度は砂浜に行くことにした。


「…みょうじくん!」


いつも彼女が歌っている場所に向かうとそこに彼女はいた。彼女は歌を歌っていた。綺麗な透き通る歌声に感動しつつも彼女に話しかけた。


「…石丸さん」
「どうして僕といなかったんだ!?また昨日のような男に襲われたら大変じゃないか!」


彼女は驚きつつも嬉しそうな表情を浮かべるもののどこか物悲しげな雰囲気を出している。


「…私の正体、分かりましたか?」
「……!」


僕がその問いに頷くと彼女は少しずつ話し始める。


「今日はパーティーなんですよ、だから街の人達はこんな静かな所に来るはずもない。もう街はお祭り騒ぎでしょうね。何しろ人間にとって貴重な財宝を手にすることが出来たのですから」
「……人魚の涙、か」
「…ええ。……街の人達に呪いをかけたのも私です。人間が考えを改めてくれれば…なんて思っていたんですけどそんなの私の願望でしかなかった」


みょうじくんは遠い目をしながら海を見つめる。


「僕の夢の中に出てきたのもみょうじくんか?」
「はい、最初は脅してしまって申し訳ありませんでした。貴方と同じ調査に来た方はこれですぐに帰ってくれたんですけど」
「どうしてその人達に助けを求めなかったのかね?」
「実は人魚だって言ったらどんな目に遭わされるんでしょうね」
「……あっ、」


浅はかだった。今まで僕は街の人間に怒りを抱いていたが自分のいる場所である希望ヶ峰学園だって結局根本的には街の人間と変わりないこと。そしてその学園にいる僕も彼女からしたら街の人間と同じと思われてしまっているのだ。


「私は恋をしたのです。その人はこの街の有力者の息子さんでした。面白い話を聞かせてくれる人でした。その人と過ごした日々はとても幸せでした。何もかもが、世界が輝いていたんです!例え人魚だったあのような姿でも愛してくれたのです。
だから私は人魚ではなく人間になってあの人にもっと近づきたかったんです。だから海の底にいた魔女に魔法の薬を貰ったのです」
「……信じられない話だ。まさか君が人魚ではないかと思っていたものの、人魚なんて架空の生物だからまさかそんな訳ないと言い聞かせていたのだが…」
「普通の人間からしたらそう思いますよね。…人間になれば結婚も出来るしあの人を幸せに出来ると思って、一心不乱にあの人の元へ行きました…ですがあの人は私の人間の姿を見て怒り狂ったのです」


みょうじくんは目を伏せつつも続きを話してくれる。彼女の低い声はこれまで受けた仕打ちを想像させる声だった。


「あの人は…人魚の私を使って町興しをしようと企んでいたのです。そしてあの人には既に婚約者がいたのです。私は人間の金儲けに使われる愛玩動物としてしか見ていなかった!2人で約束したことは全て何もかも嘘だったんです!」


彼女の悲痛な叫びは僕の胸を強く締め付ける。彼女は涙を零し砂浜に落ちたその瞬間。なんと綺麗な宝石となったのだ。衝撃的な瞬間を目撃して驚きが隠せない。
何ということだ、人魚の涙は宝石になるという話は本当だったのか…!


「こ、これは…!」
「そうです、人魚の涙は宝石になるのです。これは人間になっても変わりませんでした。
…だからこそ、あの人に失恋した悲しみで涙を人間どもに見せたのが不幸の始まりでした。この街の人間どもは私に暴力をふり始めたのです。死なない程度に、私を泣かせるために。人魚の味はどうなのかと無理矢理抱かれたこともありました」
「な……ッッ!」
「昨日襲われたときも私の体が目的だったのでしょう。あわよくば泣かせて宝石も手に入れようと…石丸さんがいなかったら私はまた体に傷を増やすことになっていたでしょうね…。でもそれも終わりです。
魔女が人間になる薬と一緒に泡となって消える薬を貰ったのです。魔女と誓ったのですからもうどうしたって人魚には戻れません…。ですから私は海の泡となって消えゆく選択を選びます」


彼女は隠し持っていた小さな小瓶を取り出す。緑色の液体をちゃぷんと鳴らし、彼女はコルクに手をかけた。このままではいけない…!みょうじくんを止めないといけない!


「ま、待つんだみょうじくん!それは死ぬということなんだぞ!?」
「…でも、ここで生きている以上生き地獄ですよ?こんな世界で生きたって私はちっとも幸せになんかなれない!」
「………ぼ、僕では駄目なのか?」
「…え?」


彼女は一瞬ポカンとしていたもののすぐに柔らかい笑みを浮かべた。


「…ふふ、何を仰るのです?貴方は希望ヶ峰学園の人でしょう?」
「……ッ!」
「貴方自身は違うと私は分かっているんです、…………ええ、分かっているのですよ。石丸さんが心配してくれる姿を見て私も胸が温かくなりましたし、助けてくれたときは本当に私のことを思っているんだって幸せでした。…でも貴方がどんなに優しい人であっても、その希望ヶ峰学園は私を見逃してくれるはずもありません」
「……ま、待て!僕は君を幸せに出来る!それなら……そうだ、僕は人を殴ってしまった!
君を傷つけた男を殴った僕は学園を辞めさせられるだろう。…それで君と何処か遠くに行くことだって出来る!僕はまだ未成年で仕事はどうするかまだ分からないが…それでも君のことをこれ以上悲しませたりしない!」


自身の手が震えながらも彼女の手を握る。僕自身も涙で目の前が滲んでいるが真っ直ぐみょうじくんの目を見つめた。
彼女は僅かに震えた声で僕に笑いかける。


「……ああ、人間がみんな石丸さんみたいな優しい人達だったらどんなに幸せな世界だったのでしょうか」
「…絶対世界を変えてみせる、君が幸せに暮らせるような世界に!僕は一生君の味方で傍にいると約束しよう!だから、だから早まってはいけない…!僕はみょうじくんのことを愛して…!」


瞬間、僕の唇にみょうじくんの人差し指が置かれ、言葉を塞がれる。
彼女は泣きながら笑っていた。もういいんだよ、もう充分だよと彼女は囁いた。


「……ありがとう、石丸さん。その気持ちだけで充分幸せになれました。でも、私は人間に呪いをかけた悪い人魚です」


貴方にだけ優しい"まじない"をかけましょう。
どうか、私のことなんか忘れてお幸せに。


彼女は背伸びをして僕の顔に近づき、柔らかい感触が僕の頬に触れる。僕はみょうじくんに頬にキスされたと理解した瞬間に僕の視界が段々と暗くなっていき意識が薄れていく。
薄れゆく意識の中、ただ一言だけ彼女の声が聞こえた。

「石丸さんに会えて良かった」

みょうじくんを説得しようにも彼女は水平線の先へ足を運んでいってしまう。
僕が最後に見たのは彼女が水の竜巻に包まれる瞬間だった。


「………ここは、」


体全身に冷たい水を浴びせられる感覚を覚え、身体を起こした。
僕は浅瀬で気を失っていたようでいつの間にか全身はずぶ濡れだった。


「………ここはどこだ?」


どうしてこんな所に?
僕は希望ヶ峰学園で…学園長に命じられて…そうだ、街を訪れたんだ。
周りを見渡すと信じられない光景が僕の目に移る。

何も無かったのだ。

確か街があって、家や店が沢山あったのに、そこは瓦礫だけで人の気配なんて一切しなかったのだ。


「……!……石丸クンだ!」


聞き覚えのある声に振り向くと僕と同級生の苗木くんが荷物を持って僕の元に駆け寄った。


「な、苗木くん!」
「うわっ、びしょ濡れだよ!僕の着替えで良ければ着替えて!」
「う、うむ…すまない」


冷たい水を浴び続けていたせいか体全身の震えが止まらなかった。
何とか着替えをすませると苗木くんが何が起きたかを話してくれた。


「良かった、石丸クンだけでも無事で!」
「…だけ?」
「うん、ここの近くで台風とそれによる津波が起きて石丸クンが調査していた街は壊滅したんだ…」
「なっ、何だと!?」
「…季節外れの大型台風だって。だからボクが学園長に頼まれて石丸クンの捜索をしにここまで来たんだ。石丸クンが生きてて良かったよ…でも台風のせいでここの海も汚れちゃったから人魚はもう来ないかもね」


………人魚?人魚…?
そうだ、僕は人魚の調査に来て、それで……ん?
何故だ、そこから先が全く思い出せない。何かが思い出してはいけないような、そんな気がする。けど気になって仕方がない。僕は何か大切なことを忘れてしまっているのだ。
頼む、偉人の言葉も数式も何でも覚えられる僕なんだ。記憶くらいどうってことないはずなのに…!


「……石丸クンどうしたの?泣いてる…?」
「……え?」


苗木くんが心配そうにこちらを見つめる。僕はいつの間にか両目から涙が止まらなかった。
泣いている?……待ってくれ…僕は誰かに会っていた気がする。
誰、なのだろうか。………駄目だ、そこからどうしても思い出せない。
とうとう僕はおかしくなってしまったのだろうか。悲しくて悲しくて仕方がないのに何故悲しいのか考えても分からないのだ。

頭を抱えながら海を見つめた。潮風と共に綺麗な歌声が聴こえる気がした。
…僕は幻聴まで聴こえてしまったのだろうか。海を見ていると不思議と僕の疑問が解消される気がしたのだが、何かが引っかかるばかりでやはり何も思い出せない。ただ苗木くんに言われるまで波打ち際の音ばかり聞いて立ち尽くしていたのだった。


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