………… 帰り道にふと真新しい小さな建物が目についた。新しく出来たお店だ。ケーキとコーヒーが美味しいって評判のカフェでお母さんがそう言ってた。 でも小さい私には縁の遠い話。コーヒーなんて苦くて飲めなくて、このお店にはジュース無いかなって思いながらカフェの外から見えるショーウィンドウの中の美味しそうなケーキばかり見つめていた。 「あ、あのときの」 後ろへ振り返ると、駄菓子屋さんで会った男の子に会った。遠くから吹く潮風で黒い髪をふわっとなびかせながら男の子はペコリとお辞儀をした。 「この間はありがとう」 「ううん、どういたしまして」 「ここって新しいお店だよね。綺麗だね」 「うん、そうだね」 あまり男の子と話したことのない私は会話なんて長続きしない。男の子はそんな私を見てんー、と小さく唸った後口を開いた。 「ここのケーキ美味しそうだね。何が好きなの?」 「ケーキ…あのイチゴのケーキ」 「ショートケーキ!僕もあれ好きだよ」 「同じだね」 そう言うと男の子は嬉しそうにしていた。 何故だろう。私は間違いなく男の子を見ているはずなのに男の子の顔はボヤボヤとしていて鮮明に見えなかった。 でも嬉しいんだって何となく分かった。 「そうだ。あのロボット動かせるようにしたんだ」 「動くの?」 「うん。良かったらおいでよ」 「……でもこれから帰らないとお母さんに怒られちゃう」 「そっか、仕方ないね。僕の所は学校終わりにいつでも来ていいよ。この道の近くの交差点から真っ直ぐ歩くとね…」 そこから先の声がだんだん遠のいてしまってよく聞こえなかった。 ………… 休みを言われたその日は少し昼寝をしていた。1時間程の長い昼寝、それでも夢を見ることが出来る。不思議な気持ちだった。ここ最近見る夢が紙芝居のように物語が進んでいく。いくら夢だからってこんなにハッキリとしているのだろうか?自分が見ている夢は意識して続きを見られるのかな。まさかね、そう思いながら目を閉じる。……夢は見られなかった。そう簡単に夢の続きが見られるわけがない。ただ眠って時間が過ぎたのだけは覚えている。外はまだ午後の筈なのに暗く、雨音が聞こえてくる。パラパラとした強い音から、かなり強い雨が降っているのだろう。部屋から出て旅館の周りを探してもいるのは旅館の人だけで誰もいなかった。まだみんなはフィールドワーク中なのかな。そう思いながら、部屋へ戻る。 部屋の中は程よく空調が効いていた。快適さを感じながらフィールドワークで調べた内容を整理しているとガヤガヤと話し声が近づいてくる。聞き覚えのある声からみんなが帰ってきたのだと分かり、部屋の扉を開けた。 「なまえちゃんって本当に不思議よね」 「不思議?」 「本科の人達のこと、憧れと一緒に不安もあったの。才能あるからって上から目線とかされたり見下されたりしたらどうしようって……。でもリーダーの左右田先輩は良い人だし、なまえも優しくて本当に良かったって思ってるんだ」 「本当に?ありがとう!」 そう思われていて嬉しかった。今まで冷ややかな目線を向けられていたことが多かったせいか、このフィールドワークはとても居心地が良かった。 他のメンバーの女子達も続いて話をする。 「特にみょうじさんって……良くない噂もあるし」 「ああ……うん。それは私が失敗しちゃったからね」 「失敗、ですか……。どんな失敗をされたのですか?…あ、聞いちゃいけませんでした?」 「う、ううん…。何というか、やってはいけないことをして、失敗して、先生達の期待に応えられなくて怒られただけだから」 「そうなんですね……。でも誰だってミスはありますし、気にしないでくださいよ!」 「ありがとう」 沢山みんなにお礼を言ってばかりだ。足手まといにならないように明日から頑張らないと。そう思いながら喝を入れるように頬を軽く叩いた。 翌日。みんなで手分けして街の中で歩いていると、ふと一軒の建物が目についた。壁の塗装がほぼ剥がれ落ちているものの、僅かにクリーム色の部分が残っている。扉の隣には剥き出しの棚とほぼ割れてしまったガラスが周辺に散らばっている。かつてショーウィンドウだったのだろうか?クリーム色の壁は……夢に出たカフェにどことなく似ていた。あのカフェはチェーン店だったかな?それにしてはこじんまりとした建物だよね。 ……いけない。何故夢に出てきたカフェとこの廃墟を重ねてしまっているのだろう。考えを頭の中で振り払い、探索に戻った。 ふと頭に水が落ちる感覚がする。小さな水はポタポタと頻度が高くなり、あっという間にアスファルトを灰色から黒灰色に塗りつぶしてしまう。折り畳み傘をうっかり忘れてしまった。 とりあえず戻ろうと来た道へ振り返ると電気の通っていない信号と十字路が見えた。その光景に息を呑んでしまった。この廃墟に目を止めていなかったらこの何気ない道も気づかなかったのかもしれない。 「……交差点を真っ直ぐ歩くと…」 私は雨に濡れたまま歩き出す。夢の中の出来事の筈なのに、あの男の子の声なんてあまり聞こえなかったのに、私は周りを見渡しながら歩いている。どこも見覚えがない、それなのに。 ___真っ直ぐ歩くと左手側に赤い屋根の家がある。 脳裏によぎった言葉に導かれて左側に視線を移すと確かに赤い屋根があった。 そんな馬鹿な。何でここに赤い屋根の家があるの?……違う。どうして突然頭の中に言葉が出てきたのだろう? ___そこから左に曲がって、2つ目の信号を右に曲がるんだ。 これはもしかしてこの街に住んでる幽霊の声なの?心霊現象に巻き込まれているの? ここは一旦引き返して誰かと一緒に来た方がいい……? 混乱した脳内の処理が追いつかない。ズキリズキリと頭が痛くなる。このまま進んだら私がどうなるかも分からない。 けれど、この先に進まなきゃいけない。そんな予感がしたのだ。何かがあるに違いなかった。危険ならすぐに逃げればいい。大声を出せば仲間達の誰かが気づく筈。大丈夫、大丈夫。深く息を吸い込み、私は赤い家がある道を左に曲がった。 降りしきる雨の中、ふらふらと歩いて行った道の左手側に自転車屋さんがあった。途端に後ろから突き抜けるような痛みが頭中に響く。蹲りそうな位の痛みに歯を食いしばりながら、ここだという確信を掴んだ。 自転車屋さんのシャッターを潜り抜け、埃まみれになった中を見渡すとカツンと足に何かが当たった。下を見れば黒褐色に錆びた物体があり、しゃがんでよく見るとそれはロボットだった。その瞬間私の思考が止まる。 ……おかしい。暫くしてからそう感じた。 一見すると錆びていてよく分からない鉄屑。誰もが鉄屑だって思う筈なのに私はロボットだってすぐに分かった。だってあの夢の中のロボットそっくりなのだから。何で、こんな所に…。首を傾げつつも他の場所を探る。 埃まみれになった自転車や作業場を丁寧に触れながら探すと、作業場の棚の奥に一冊の本が埃を被りながらポツンと佇んでいる。 導かれるように、本を手に取る。紙の所々が埃とカビの臭いがして思わず咳き込む。 何回か咳をして落ち着かせた後に本を観察すると、アルバムのようだった。表紙がザラザラとした生地で出来ている。文字は掠れてて見えないが、卒業アルバムのようだった。 表紙をめくり、何ページかめくるとクラス毎の集合写真が目にうつる。保存状態が悪いせいか色あせている。そう思いながら、ページをめくった瞬間、またズキッと後頭部が痛みだした。 ………… 「すごい!こんなに動くんだ!」 「うん、いいでしょ?」 自転車屋さんの中で男の子は小さいリモコンを両手に持って思いのままにロボットを動かす。男の子がリモコンを作ってロボットを動かせるようにしたらしい。 「色んな物を作るのが大好きなんだ」 「自分で作れるなんてすごい。天才だね」 「そ、そうかな?ありがとう」 「うん」 それから男の子と少し長く話し込んだ。互いの名前も教え、同じ小学校にいることも初めて知った。私よりの上の学年だから知らなくて当然なんだけど。 やっと、男の子の顔を見れたような気がする。ロボットを前に嬉しそうに目を輝かせる顔はこっちまで嬉しくなってしまう。 「僕ね、あの電車に乗りたいんだ」 「電車って?」 「大人が仕事で行く電車じゃない方だよ、海上電車の方なんだ」 「かいじょう、電車?」 「うん。海の上を渡る電車!」 そういえば学校でも友達が話していた気がする。休みの日にお父さんに連れてってもらったんだって友達が自慢げに話していたのをぼんやりと思い出す。 「その電車ってどこへ行くの?」 「この街の外れにあるキャンプ場まで行くんだよ」 「後は?」 「無い!」 「そのキャンプ場にしか行けないじゃん…」 「でも海の上を渡るんだよ、それだけでも僕はわくわくするな」 「そういうものなの?」 「男のロマン、みたいなやつだよ」 「ふーん」 海の上を渡る海上電車の話は今まで興味無かったけど、男の子の話を聞いて少しだけ興味が湧いた。 「行かないの?」 「行きたくても……僕のお父さんとお母さんは忙しいからさ…。それにこうして話すような友達もいなくて」 「お兄ちゃん、友達いないの?」 「……う、うん。自転車屋さんのお手伝いもあるから沢山遊べる友達がいないし…」 男の子は俯いて言いづらそうに呟く。 お手伝いもしなきゃなんて大変。それに遊びにも行けないなんてちょっと可哀想。 「じゃあ、一緒に行こうよ」 「え?」 私が言うと、男の子は驚いた顔をして私を見つめた。 「私、その電車に乗りたいな。運賃高いの?」 「…んーと、そんなに高くないよ」 男の子から聞いた運賃は確かにそんなに高くなかった。お菓子を買うお金を我慢すれば行ける金額だった。 「じゃあ、一緒に乗りたいな」 「ほ、本当に僕とでいいの?」 「うん!友達でしょ?」 「……友達……」 だってこうやって長く話しているし、何回も見かけたことあるから。当たり前のことを言ったつもりだった。それなのに男の子は友達、と呟きながら嬉しさを隠せずにいる。 「……友達じゃないの?」 「……ううん。なまえちゃんは友達だよ。ありがとう。でも今はお金が無いからお小遣いを貯めてからにするね」 「いいよ!1ヶ月後までには行きたいなー」 「分かった、それまで僕も家のお手伝い頑張るね」 自転車屋さんにあった時計を見るともうすぐ帰る時間になりつつあった。そろそろ帰らないと心配されちゃう。持っていたランドセルを背中に背負った。 「もう帰る時間だから帰るね」 「うん、分かった。じゃあね、なまえちゃん」 男の子は小さく私に手を振った。 ………… ページをめくった先にはクラスのページだった。沢山いる子供達の中から、夢で見たあの男の子の姿がいたことに安堵する自分がいた。やっと顔が分かった夢の中の男の子。この子の正体が分かるんだ。安堵も束の間。目線を下に移すと、思いがけない名前がそこに書かれていた。 ___こんなこと、あり得るのだろうか? まさか、まさか、まさか……ッッ! アルバムを戻し、私は街の中を走り出した。 パズルのピースのように記憶と記憶の空白が埋まっていく。軽い息切れを起こしながら辿り着いた先が最後のピースだった。古くなった一軒家だ。時たまに夢でぼんやりと映し出されたあの家とよく似ていた。 夢と違うのは、目の前の家は当然ながら暗くて古いということ。もう1つは、割れた窓から見える部屋は所々に黒い染みが点在していること。 「……うっ」 咄嗟に頭を押さえ込む。ハンマーで叩かれているような凄まじい痛みが襲う。冷や汗が体中から溢れ出そうなくらいに苦しい。ぐるぐると視界が回る感覚、それに伴い吐気が襲いかかる。大声で助けを呼んだら、余計に響いて苦しくなりそう。 「……!」 誰かが呼んでいる。振り向いてその声の主を見た瞬間、今までの頭痛とは比にならない程の痛みと脳内から"葬られた"筈の記憶がフラッシュバックし、目の前の視界が真っ暗になった。 ………… 今日は日曜日。お父さんもお母さんも朝からいた。 お母さんは私におつかいしてほしいと頼んできて、私は頷いた。 初めてのおつかい。隣町へ行く地図や買う物が書かれたメモ、布バッグに財布を入れて家から飛び出した。 分からない場所は近くにいた大人の人に声をかけて教えてもらった。街の人達はおつかいをする私に偉いねって沢山褒めてくれた。隣町へ行く為のバスに乗ると席には人がいっぱいだった。けれど近くにいたお兄さんが私に席を譲ってくれた。 隣町でもお店の人に褒められながらおつかいを済ませた。お父さんとお母さんに今日のことを沢山話すんだ。ウキウキ気分で来た道を戻ろうとしたときだ。 私の住んでいた街は私の帰りを待っていなかった。 しんと静かでどこか不気味だった。 さっきまでは色んな人が道を歩いていたのに…お母さんとよく買い物に行く商店街も人が1人もいなかった。 人がいる場所に人がいない。それだけですごく怖くなって走って自分の家へ帰った。 玄関の扉を開けて思わず鼻をつまんだ。 臭い。今まで嗅いだことのない生臭い臭いが襲いかかる。 「…………た、ただいま…」 反応は無い。 絶対におかしい。靴を脱いでリビングへの扉を開けた瞬間悲鳴をあげた。 テーブルの上には豪華なご飯と、大好きなショートケーキ。白いご飯が、大好きなハンバーグが、大好きなショートケーキ…全てが赤色に染まっていた。 そしてテーブルの周りにはお父さんとお母さんが大きな血だまりを作って倒れていた。 「お父さん!!お母さん!!」 2人の体を大きく揺する。ピクリとも動かない。どうしよう。救急車。警察。家の電話の受話器を取ってボタンを押す。1,1,0……1,1,9……何も反応が無かった。いつもならプルルルと音が鳴って、その先で声が聞こえてくるんだ。何も聞こえないなんてことはなかったのに!そんな、誰か助けを呼ばないと。 私は無謀にも外へ出て誰か大人を呼ぶことにした。 「誰か…っ、誰か助けて!!」 泣きながら、走りながら大人を探す。何回も転んで、起き上がって、走る。しかし、誰もいない。むしろ状況はどんどんおかしくなっていく。 街の奥へ進む内に家のベランダからぶらんと垂れ下がっている人の体や、道路に赤い跡が増えていっている。 生きている人が、いない。 学校で先生を呼ぼうとしても人のいる気配なんてなかった。そもそも入れなかった。毎日通っていた門の前に異臭を放った人が積み重なっていたのだから。 吐き気を抑えながらふらふらと街の中を彷徨う。誰でもいい。誰か……。 ビクリと肩が跳ねた。やっと街の中で生きている人を見つけた。しかも私のよく知っている人。 涙でぐしゃぐしゃになろうがその人の背中を掴んだ。 「和一お兄ちゃん!助けて…!お父さんとお母さんが、みんなが倒れてるの!電話が繋がらないよ、誰もいないの、助けて……!」 和一お兄ちゃんは後ろにいた私に振り向くことなくボソリと呟いた。 「……ごめんね」 「…え?」 「ごめんね…ごめんね……なまえちゃん…ごめんね」 和一お兄ちゃんは私の名前を呼んでずっと謝り続けた。背中から離れて和一お兄ちゃんの隣に立って顔色を窺うと、顔が真っ青になりながら、泣きながらブツブツと呟いていた。 どうして、和一お兄ちゃんが謝るの? その手に持っているのは…? …………… 「みょうじ?」 突然女子達が慌てた様子でみょうじがいなくなったと聞き、メンバー総出で捜索することになった。オレはあの街を、他のヤツには旅館周りの施設付近の捜索をお願いした。 ここ最近あいつの様子がおかしかったのは明白だ。オレの悪い予感がして、ある場所へ足を運んだ。 かくしてみょうじは見つかった。"かつてみょうじの家"だったその家の前であいつは頭を抱えていた。 明らかに様子がおかしい。傘をみょうじの上にさしながら名前を呼ぶと、みょうじはぐるりと突然オレを見ては崩れ落ち、わあっと大声で泣き出す。泣きじゃくりながら何かを呟いている。突然の行動に一瞬言葉が出てこない。 「お、オイッ、何があったんだ!?」 「どうして……」 みょうじの傍でしゃがんで耳を澄ませる。泣いていて声が上手く出ないのだろうか、しゃくり上げながらブツブツと独り言のように同じ言葉を繰り返す。 「その赤い包丁、どうして和一お兄ちゃんが持ってるの?」 戦慄。 心臓が跳ね上がり、目が見開く。同時にオレが調べていた研究内容が脳裏に浮かんだ。 “記憶喪失者が記憶を取り戻したとき、その者は心理状態が非常に不安定になり、記憶が消えたときの行動を取ってしまう” ……思い出しちまったか……。 小さい幼児に戻ったかのようにみょうじは泣き叫び、オレは傍で見守っていることしか出来ずにいた。 泣いている女の子がいたら背中をさすったり、声をかけたり、肩を引き寄せたりするのがイイ男のやることだろうがオレには出来なかった。 みょうじの親と友人、そしてこの街のヤツら全員を手にかけた男に手を差し伸べられたって何の意味もねェだろう? オレは予備学科のヤツらを待つことにした。外にいなかったら街の中の捜索を手伝って欲しいと頼んだからじきにやってくるだろう。 ヤツらが来てくれたのは大体5分後だろうか。オレには数時間以上待った感覚がした。 |