……躊躇った。私はまだどこかで石丸先輩を信じきれていないのだろうか?


「……ああ。無理はしないでくれたまえ」


私の行動を察した石丸先輩は戸惑っている表情を抑えられていなかった。その表情に申し訳なさを感じるものの、自身の決断を信じることにした。


それから数日後のことだった。
教室に忘れ物を取りに行った際に1階へ向かう石丸先輩を見かけた。てっきりその時は風紀委員の見回りかと思い、邪魔にならないように声をかけなかった。
教室の私の机の上にぽつんと佇むペンケースを手にとった瞬間、違和感を覚える。

石丸先輩は何故1階へ向かったのだろう、と。
見回りって確か……まだ教室に残っている生徒を見かけたら寄宿舎に戻るように声をかけるとかそんなものだった気がする。
けれど1階は教室なんて無い。あるとしたら、警備室、保健室に進路指導室と……理事長室。嫌な予感が頭の中をよぎりながら1階へ向かった。
警備室は誰もいないようだ。保健室は女生徒が掃除をしているようだ。進路指導室は誰もいない。理事長室のドアノブには『お話中』なんて小さい看板が立てかけられていた。
ここまで見てきて石丸先輩はいなかった。まさかと思いながら隣に位置する進路指導室に入る。進路指導室といいながらも夏休み明けは誰も使われていないみたいだ。冬が近づくとこの部屋は進路に悩む生徒達がよく集まる。
去年の冬からあまり取り出されていないのだろうか。埃を被った教科書や参考書が本棚の中にきっちりと入っている。しんとした部屋だが、理事長室の壁の方に向かうと微かだが話し声が聞こえる。


「君は今何と言ったんだ?」
「その決断もう少し待ってもらえませんか?」


……どういうことだろう?私からしたら何を言っているのか分からなかったが、石丸先輩は何か異議を唱えているようだった。


「急に何を言うんだね、石丸君。もうあの生徒は使えない。いわばゴミのような人間だ」
「いえ、それは間違っていますッ!みょうじくんは毎日夜遅くまでレポートを仕上げてきたのだ!それらのレポートが全て駄作とは言えない、寧ろ先生方の評価に疑問を抱く程に彼女のレポートは素晴らしかった!」
「………」
「先生方も是非読んでいただきたい!彼女の評価が、そして先程の決断の意思が変わる筈です!」


……私のことを言っている?石丸先輩と理事長がどうして私のことについて話しているのか分からないけれど、私はきっと危うい立場にいるのだろうと背筋が寒くなった。
そのとき。


「反逆だっっ!!」


突然の怒鳴り声に体がビクリと跳ねた。しゃがれた声からして理事長だった。反逆、というのはどういうこと…?


「こいつを地下へ閉じ込めろっ!石丸君。失望したよ。あんな出来の悪い生徒の味方になるなんてね」


地下へ…?それは一体どういうこと?
何が何だか分からなくなった私は隣の部屋から聞こえる足音に過敏に反応してしまう。
___逃げなきゃいけない。
大きな足音が聞こえ、急いで進路指導室から離れ、早く、そしてつま先を使ってこっそりと階段を降りる。いくつもの階段を降りて昇降口を抜けた。靴が地についた瞬間に思い切りかかとを踏みつけながら走る。音を立てて外へ飛び出した。行くあてなんてどこにもないけどまだ捕まる訳にいかないって理解している。
先輩を助けないといけない。だけど、足が動かなかった。私1人で何が出来るんだと自分自身で弱い自分を問いただした。そうしている内に自分は弱い人間だと罪の重さを感じた。


「そこ!」


心臓が跳ね上がる。そこには理事会に所属している男性が私を見下ろしている。
見つかった。マズい。冷や汗が背中へ流れ、呼吸が更に荒くなる。しかし、そんな私の警戒とは裏腹に男性は頬を僅かに緩める。


「そろそろ寄宿舎へ戻る時間じゃないか」
「え?」
「早く戻りなさい。門限を過ぎたら反省文を書かなければいけないよ」
「……あ、はい…」


何事も無かったかのように男性は優しく声をかけてくる。その優しさが不協和音のように心の奥底で不穏を駆り立てた。自分の部屋に戻ったがとても落ち着かない。その日は恐怖で眠れなかった。

翌日、石丸先輩は事故で入院したと聞かされた。
嘘。そんなの嘘だ。
先輩は地下に閉じ込められているんだ。
何度か人の目を盗んであの地下室へ乗り込もうとしたが数々のセキュリティに屈するしか無かった。自分の無力さを呪いながらずっと先輩の無事を祈るしかなかった。何が執行人だ。ハッカーとか機械に強い才能があれば先輩のいる地下へ行けるのに。自分の部屋で何回も何回も独り言のように謝り続けた。どうすればいいのか分からずじまいだった。

そしてあれから1週間のことだった。先輩が退院して学園にいると生徒達の会話が聞こえた。その会話を聞いた瞬間、先輩の教室へ行こうとふらふらと歩くと廊下を歩く人物に目がいく。


「あれは…」


紛れもない、あんな背筋が伸びた後ろ姿は石丸先輩だった。
ああ良かった、無事だった!姿を見るなり、駆け寄って先輩と呼ぶ。先輩は声に反応してくるりと私の方へ体を向けた。


「先輩、ごめんなさい……。1週間もあんなことになってしまって私のせいです!本当に…」


言いたかったことを思いのままに目の前の人物に吐き出し、深く頭を下げた。
先輩の返事はまだない。当たり前だろう。自分のせいで地下に閉じ込められてしまったのだから許せる筈がない。
目を見て謝罪しようと頭を上げて先輩を見ると、先輩は私を見てぽかんと口を開き、眉を潜めていた。
…………悪寒がする。


「………申し訳ないが、君は誰かね?」
「_____え?」


思わず、拍子抜けしてしまう。先輩はそんな冗談を言う人では無かった筈だ。それなのに心の中ではそうであって欲しいと願っている。


「せ、先輩。みょうじです、みょうじなまえです!79期生の超高校級の執行人の…」
「みょうじくん…?ああ!」


石丸先輩のハッとしたような顔にホッと胸を撫で下ろす。なんだ、冗談だったんだ。先輩ったら、とぼけ方が下手ですねって笑い返そうとしたとき


「あの未確認生物を殺してしまった、落ちこぼれの生徒か!」


屈託のない笑顔で言い放たれてしまい、自分の顔が固まった。
同時に何かが崩れ去る音が脳に響き渡る。


「超高校級の執行人が情けないぞ!君はこれからの実技試験、ミスなんて許されない!」


違う。


「噂は聞いている。君はレポートや筆記試験でも最下位にいるそうじゃないか!希望ヶ峰学園の生徒として誇りを持たねばならないんだ!」


この人、石丸先輩じゃない。


「僕から言いたいことは山程あるのだがこれから授業の為失礼する!みょうじくん、是非努力を惜しまず勉学に励んでくれたまえ!」


姿や声は先輩のものなのに。
先輩はひとしきりの言葉を吐き捨て、私に背を向けてどこかへ行ってしまう。何も言えずに突っ立っていた。何も言えなかった、のが正しいのかもしれない。その日から数日かけて柄にもなく先輩の周りを探る。
見る限りで分かったことは、石丸先輩はクラスメイトに今まで通りの会話をしていることから記憶喪失ではないということ。
けれど石丸先輩は私を初対面かのように接してきた。私のことなど覚えてないかのように。
先輩は理事会の大人達に地下で何かされたのだ。そうに違いなかった。

そう思い立って理事長のいる理事室へ足を運ぶ。秘書と思わしき人に理事長に会わせてほしいと願い出た。
今思えば無謀な突撃だった。何の証拠も、何の許可もなく学園長よりも偉い存在との対話を望んだのだから。突然秘書の人に門前払いをくらい、その次の日の朝に担任から唐突に自室での自粛を命じられてしまった。そして、これ以上踏み込んだら退学処分を考慮するとも言われてしまった。
それでも理事室へ向かおうとすると、それを見た先生達が私を引き止めてくる。みんながみんな、やめてくれの嵐だった。
ハッキリ言って異常だった。きっと理事長の命で言われているのだろうとすぐに分かった。
先生達の切羽詰った願いにより、結局石丸先輩のことを聞き出せないまま時間だけが過ぎていった。

私は上層部の人間に監視されながらも卒業が出来た。不当な成績評価であったものの、先生達がギリギリ卒業出来るレベルまで引き上げてくれた。今思えば先生達も被害者だったのだろうか。
一方先輩は史上最年少の総理大臣に選ばれたのだ。現実ではあり得ない出世、しかしその非現実さが国民の注目を浴びた。
けれど私はそんな石丸先輩を受け入れられなかった。
傀儡のように動く先輩をどうしても見ていられなかった。
先輩は生きている。希望ヶ峰学園の"操り人形"として。
あのとき私が助けていれば、あのとき先輩を止めていれば、あのとき私が先輩の代わりになれれば……自分の逃げた行為がもたらした最悪の結末だった。
この先の人生、死ぬまで、私はこの罪を償わなければならない。赦してくれる相手がいないこの世界で。

卒業して直ぐ、逃げるように都会から出ていった。地元へ帰ってテレビなどの情報源を全て断つことにした。元気な声で私の名前を呼んでくれた先輩の姿、短い期間で共に論文を書いたかつての思い出を思い出す度に胸が苦しくなり、涙が止まらなくなる。

私に笑顔を向けてくれた、
孤独だった私に手を差し伸べてくれた、

あの石丸先輩は死んでしまったんだ、と。

END


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