「みょうじくん。生態についてまとめておいたぞ」
「ありがとうございます」
「それと君の仮説に基づいた実験結果についての考察だ。少し稚拙になってしまったが許してほしい」
「大丈夫ですよ。しかし先輩は他のメンバーの論文も見ているんですよね?この論文は私主体なので先輩はどうかゆっくり休んで」
「いや!君主体の論文に泥を塗らないよう僕は精一杯力を入れる!」


先輩はハキハキとそう答えた。お礼を告げて生態をまとめる。熱心な人とは聞いていたけど噂通りの人だった。寧ろこっちがサポートなのではないだろうかと思ってしまう。
稚拙と言っていたけど、大嘘つきだ。実験結果に倣った長文の考察はとても読みやすく深いものだった。


「蒸気霧……確かに考えたんですけど人型の霧なんてあり得ないって思って捨てちゃったんですよね」
「なっ!それはいけない!仮説は最初は信じるものだ!否定するのはあらゆる事象を検証して実証してからだぞ!」
「は、はい……」


私の発言に驚いた先輩は私の目を見てビシッと人差し指を指す。強い叱責を受けた訳ではなくただのアドバイスのつもりなんだろうけど先輩の気迫が強くて圧倒される。こういう可能性を捨てない所が大事なんだろう。反省せねば。
メンバーの子達とは相変わらず仲が良くならない。先輩は全員が集まる度に説得を続けているけど、事態は良くならなかった。寧ろ事態は悪化していた。先輩の言葉が鬱陶しく思ったのだろうか、メンバーの子達は話を聞かなくなっている気がする。夕食時の食堂は全員が集まる場なのに一言も言えないまま時間だけが過ぎていった。
あのとき、私がミスをしていなかったらどうなっていただろう。少なくともこんなことにならなかったのに。そもそもあの生物が死ぬことなんてなかったのではないか?
ごめんなさい、私がちゃんとしていたら。


「落ち込まないでくれたまえ」
「えっ」


1人で考え事をしていると先輩に声を掛けられる。周りを見渡すと既に見知った人は先輩だけだった。賑やかだった食堂はテレビの音だけが聞こえる。


「うわ言で呟いていたぞ。ちゃんとしていたら…ってな。君が落ち込むのも無理はないが誰だってミスはあるものだ」
「……ごめんなさい、いつのまにか口に出していたなんて恥ずかしいですね」
「君はスカウトされてここに入学してきた身だろう、誇るべきではないかね?数日君を見ていたが才能に頼っているようには見えないが……」
「実は自分の才能が好きではないんです。この学園の中だけにしか使われなさそうな、そんな気がして」
「それは根拠があってかね?」


ピリッと空気が変わる予感がする。これはまた何か言われてしまうのではないかと反射的に感じる。


「いえ……ありません」
「何故学園にしか使われないと?」
「私があのとき執行失敗したとき、かなり言われたんです。その中で『学園に必要なのに』とか『期待外れ』とかそう聞こえた気がしたんです」
「……それは災難だったな。だがそんな心無い言葉に縛られてはいけない」
「ありがとうございます」


石丸先輩は清らかで大らかな人だった。非現実的なことが知らない所で起きていた私の話を信じてくれていた。それだけでも荒んだ私の心が癒えていくのを感じた。
ふと外が騒がしくなる。それは他のメンバーが帰ってきた証だった。


「そろそろ食事の時間だが君は出席出来ないのか?」
「人の目が怖くて…」
「僕が隣にいても駄目だろうか?」
「……頑張ります」
「うむ。まずは出席することが大事だ。逃げてばかりだと何も進まないからな」


石丸先輩は孤立しつつある私を何とか輪の中に入れようとしてくれているのだろう。お節介な気持ちもするけど、先輩はこの対人関係のトラブルを目の当たりにして悩み続けた上でこう言ってくれているのだ。出席なんてしたくないけれど、たった数十分頑張るしかない。


「………」
「……そんな落ち込まないでくれ」


そう言われてもなぁと心の中で思う。
和気藹々と話していたメンバーの前に私が現れた途端静寂が生まれてしまった。石丸先輩が食事中話題を持ち出すも無視を貫いていたのだから、本当に私への思いは負の感情でいっぱいなのだろう。
今こうして励ましてる石丸先輩もあまりの深刻さに言葉が出てこないようだ。



「先輩、お願いがあるんです」
「何かね」
「こんな願いは無理を承知ですが…」
「構わない、言ってくれたまえ」
「夜、あの森の調査に行きたいんです」


皆が寝静まった夜、僅かな懐中電灯の光と共に森の中を歩いていた。前とは違って隣に先輩がいる。出来るだけ奥へ、そう告げると先輩は快く了承してくれた。暫く歩くと道は少しずつ上り坂へ向かっている。このまま行けば山の中へ入ることになるだろう。緩い傾斜だが、道はあまり整備されていなかった。
登り始めた途端ふと横を見ると隣にいた先輩がいない。後ろを振り返ると不意に手首を掴まれて道から逸れていく。
先輩、と声を出そうとした瞬間人差し指を口元におく動作を取り出す。静粛にという合図だ。まさか何かいたのだろうか。先ほど歩いていた道を見てみると思わず口元を覆った。
私達が歩いていた道の先に何かが蠢いている。それは以前目撃した白い人影に違いなかった。ふらふらと細い足で私達から反対側の木々の方へ向かっていく。


「……まさか本当にいたとはな。君の言っていた通りの者がいたとはな」
「一体なんなのでしょうか?」
「分からないが、どうする?」
「……後を追いかけたいです」
「では行こう」


1人だったらきっと怖気ついて帰っていたであろう。でも私達は希望ヶ峰の生徒だ。みすみす逃してはならない。それに危険になったらすぐに引き返せば良い。私達は遠い場所から後を追いかける。
果たしてそこには山小屋があった。人影は扉を開けてその中に入っていく。遠巻きに息を潜めては様子を伺う。扉を開けたってことはもしかして人間なのだろうか。疑問が膨らむ中考え事をする。何分経過したのだろう。突然山小屋の中から大きな音が聞こえた。何かが倒れるような音に似ている。先輩と顔を見合わせる。流石にまだ山小屋に近づくのは早いかもしれない。何が正解か分からないけどまだここで様子を見ることにする。


「おかしい。中に入って明かりをつけている様子もなく、あの大きな音から何も聞こえない」
「様子を見てみましょうか」
「……そろそろ行ってみるか」


山小屋に一歩ずつ耳を澄ませながら近づき、何も聞こえないまま山小屋に辿り着く。先輩が前に立って丁寧に扉をノックする。それでも何かが聞こえてくるという様子はない。それに先程聞こえた大きな音が急病で倒れていた音なら大変だ。お互いに頷き合いながら、恐る恐る扉を開ける。


「な、何だと……っ!?」


先輩が驚きの声を上げる。懐中電灯の僅かな光で見渡すと中はまるで書斎のようだった。古びた書物に紙束が積み重なっている。だけど不可解なことがある。誰もいないのだ。私達は確かに人影が入っていく様子を見たというのに。


「何故だ……?」
「分かりません…。ここは書物や論文が散乱していますね」
「まさか漁るのか?人が住んでいるかもしれないのに」
「この時点で不法侵入ですし…」
「ううむ、確かにそうだが」


真面目な石丸先輩を横目に部屋を見渡すと机の上の物に注目した。沢山の書類の中で見覚えのあるマークが描かれた紙があったからだ。1枚取り出そうとすると何枚か纏まって出てくる。どうやらレポートのようだ。表紙には題名しか書かれていない。


「みょうじくん?どうしたんだ?」
「いえ、少し気になったものを」
「気になったもの?」
「…このレポートに希望ヶ峰学園、いえ、希望ヶ峰研究所のマークがあったので」
「何だと?」


石丸先輩は私の隣でレポートを覗き込む。小首を傾げながらレポートの題名を読み上げた。


「FIRST REPORT……?」
「……先輩、そのレポートの裏側についている付箋は何ですか?」
「む、本当だ。読んでみるぞ、……みょうじなまえに捧ぐ……?」
「え…?」


先輩が疑問に思うのも無理はなかった。私だって理解が出来ないのだから。誰がこんなことを?そしてどうしてそのレポートを書いた人物は私のことを知っているのだろう?紙質からしてかなり昔の物なのに。
付箋は暗くて良く見えないが、シワの感じからしてかなり古い物のようだ。レポートと同時期に書かれたものだろうか?


「……このレポート、持ち出しましょう」
「しかし…この山小屋の持ち主に許可を貰うべきだが」
「私がみょうじだと言えばどうとなります……多分。でも何とかこのレポートについてその人物と話し合いましょう。それに夜も暗いですしこれ以上ここにいるのがもっとマズいと思います」
「……了解した。明日僕達のコテージにレポートの持ち主が現れたらしっかり返そう」
「はい」


レポートを離さないように持ち、周りを確認しながら山小屋から出て扉を閉める。周りの木々の葉擦れ音が僅かな恐怖を駆り立てた。何かがいる気がするようなしないような……漠然とした気配に弄ばれている気がした。


「みょうじくん」
「どうしました…っ?」


突然先輩は私の手首を掴む。そして私の耳元で囁いた。その小さな声は僅かに震え、緊迫としていた。


「急いで走るぞ、背後に、いる、」
「ッッ!」


切羽詰まった声と共に突然走り出す。先輩の握る力は強く、引っ張られるようにしておぼつかない足を無理矢理走らせた。後ろから追いかけてくるような音はしなかった。だけども恐怖が迫っているような気がした。森の外へ出て見覚えのあるコテージの風景を見ても私達はすぐに落ち着ける状態では無かった。コテージへ飛び込むように逃げ込んで、2人で互いに落ち着かせるように何回も大丈夫だと口にした。外の窓を警戒しつつもカーテンを閉め、眠りについた。


朝、目が覚めると周りの声が騒然としていた。カーテンの隙間から様子を伺うと消防車や消防隊、警察が沢山いる。何かあったのだろうか。火事だろうか?


「みょうじくん、大変だ!」


石丸先輩は慌てた様子で部屋に入るなり、息を切らしながらも口を開いた。


「山火事が起きたんだ!」
「は、はい。それは窓から消防隊の様子を見て…」
「それだけじゃない!消防隊の話によるとだな……山火事の出火した場所が、僕達が昨日行った山小屋らしい」
「……え」


ひゅっと喉から空気が通り過ぎる。それじゃあ、昨日山小屋の方から聞こえた大きな音と人影って…まさか山火事を起こした犯人?


「先輩、このレポート……詳しく調べたいと思います」
「ああ、僕も協力しよう」


フィールドワークは火事の為その日は中止となった。私達は空いた時間を使ってレポートを読み進めていった。
結論からすると、レポートの中身は信じられないものだった。そこには自然現象で起こりうる事象について書かれていた。特定の条件から引き起こされる怪奇現象を実際に実験した内容が主だった。先輩が指差した箇所に目を通すと思わず声が漏れた。

この山における蒸気霧の発生について。
この山に流れる川は少々特殊である。夜間における気温と風の方向、そして川の温度によって川の上に蒸気霧が発生する。


「こ、これは…」


石丸先輩が考察に書いていたものとほぼ同じだ。他にも自然現象を挙げては怪奇現象に結びつけ、そして最後には自然現象が巻き起こした人間の目の錯覚ということで論文を終わらせている。
まるで私達のテーマに良く似ていた。


「みょうじくんが求めていた論文が完成されているなんて……信じられない」
「つまり私よりも先に同じようなテーマで書いていた人がいたんですね…ん?」


あのときは暗かったから良く見えなかったけれど、あるページだけ変な文字が書かれていることに気づいた。紙の下部にはそれぞれページ番号が振られている筈なのに1枚の紙にだけ短い文字列が並んでいた。まるで文字を上下半分に切ったようなヘンテコな暗号のようだった。それなら他のページにあるのかとパラパラ見てみたがそのようなものはない。
モヤモヤだけ募っていくばかりだ。そう思って論文の裏表紙についていた付箋を剥がす。


「あ……」


剥がした付箋はやけに重かった。だって付箋の裏には黒いマイクロチップのような物が付けられていて、チップの下には先ほど見た小さい文字列のような物が書かれていた。これも上下半分に切られているような文字だ。


「この暗号みたいな記号が2つ、これを合わせてみます。……っ、」
「おお……見事なまでに文字が出てきたな。となるとこのマイクロチップの鍵か?」


どうしてこんな所に隠したのだろうか。石丸先輩はマイクロチップを怪訝に見つめながらノートパソコンに取り込んだ。マイクロチップには予想通りパスワードを要求する画面が出てきた。鍵を入力するとマイクロチップの中身が現れる。


「何だ、この暗い部屋の写真は……」
「……見たことがあります。入学してきたときに案内された地下室の執行部屋です」
「……なんと」


間違いない。大人に連れられたあの地下室だ。その後に続く写真や動画の数に先輩と私は言葉を失ってしまった。
人間がもう動かない動物を解剖しては電極のようなものを繋げて非道徳的な実験の様子が写し出されていた。そして動物から取り出された臓器や脳を粘土細工のように捏ねくり出し、青い染料や液体を加え、最後に何か機械の部品みたいな物を入れられている。その"完成品"に私は心当たりがあった。


「……先輩」
「……気分が悪いのだな。僕もこんなのは初めてだ」
「あの、これ、」


私が発した言葉に先輩は黙ってしまった。そして眉間に指を挟んで目をぎゅっと閉じて何かを考え込んでいる。


「私が殺した未確認生物です」


間違いない。スライムのような物体、針を刺したときに出てきた青い血液……あのとき見た重要未確認生物だ。そうなると…………つまり私は希望ヶ峰学園の手のひらで踊らされていたことになるのだ。


「……つまり僕達が躍起になって探し求めていた生物は希望ヶ峰学園が創っていたものだと」
「そういうことになりますね」
「僕はうっすらと仮説が出ているんだがその前に君に問いていいか?」
「はい」


先輩は疲れた表情を浮かべながら私に振り向いた。仮説が出ていると言っていたけどどうも納得いかない表情のようだった。


「仮に作り物だとして、あの生物は話していたのだろう?それは何故かね?写真の状態からして動物の内臓が言語を話せるとは思えないのだが」
「この写真です。得体の知れないものに機械の部品を入れている写真です。恐らく録音機能かスピーカーのような役割を持っていたんだと思います」
「どうして学園はこんなことをする?存在もしない生き物を全生徒に探させているんだ?」
「それは…私にもさっぱり。心霊や未確認生物なんて本当はいないという研究結果を出した人を探しているとか?」
「成る程。だがそのような心霊や未確認生物を探すというものは胡散臭いものだ。入学前からいないと思っている生徒は全員だと言っても過言ではない。それなのに僕含めた生徒がみんな探し求めている。そうなる理由としてはやはり実際に見た者がいたからだと思う。生き物に見せかけた作り物を、だ」
「その見た者が私ですか」
「次、じゃあどうして君が地下室に連れられたのか。そしてレポートにあったみょうじなまえに捧ぐの意味とは」
「……それは皆目検討がつきません」
「君の両親が学園の関係者とかは」
「……それも分からないんです」
「分からない?」
「物心ついたときには両親はいなくて、親戚も1人だけでしたので」
「………すまなかった」
「いえ…気にしないでください」


それにしても益々分からなくなってくる。今まで両親がいなかったりとか親戚も1人だけだったりとか不審に思わなかったけど、突然私の名前が書かれた付箋がこの場で出てきたのと関係があるのだろうか。でも両親は小さい頃亡くなった筈だ。……小さい頃の記憶を思い出そうとすると頭痛がする。これ以上考えても仕方ない。


「だが希望ヶ峰学園がこうしてみょうじくんに存在しない生物を造って見せ、挙げ句の果てにはわざとみょうじくんの成績を落とすという愚行を犯してしまったのはこの写真を見る限り間違いなさそうだ。学園は僕にみょうじくんの指導を命じていたが…それを行う必要なんて無かったんだな」
「ええ……きっと」
「すまなかった、みょうじくん」
「謝らないでください。それは先輩が悪くないですから」
「しかし……このレポートは希望ヶ峰学園の悪の部分が書かれている。持ち出した後に感じた何かの気配、そして山火事によりあの小屋は焼失。何か嫌な予感がする」


石丸先輩の言葉に不安が掻き立てられる。フィールドワークで黒い渦に片足を突っ込んでいるような感覚に陥るなんて。これを大人しく希望ヶ峰学園に渡してしまったら闇の中に事実を葬ってしまうのではないだろうか。今朝あった山火事によってこのレポートを消し去ってしまうつもりだったのではないだろうか。私達はとんでもない事実を知ってしまったのではないだろうか。これはあってはならないことであり、これからも残酷な実験の被害者を増やしてはならない。私の中の小さな正義感が同時に込み上げてくる。それが自分の立場を危うくさせるとしても。……そもそも自分の立場なんて低いのだから。


「先輩。このレポートを使って、新たにレポートを書き上げます」
「新たに?」
「私の実体験も踏まえた上で希望ヶ峰学園を告発します」


先輩にしか聞こえない声で呟いた。この人は私を監視している可能性だってあるのに口に出してしまった。
だけども少しだけフィールドワークで一緒になったとき、メンバーに馬鹿にされて仲間外れになっても仲良くしようと動いてくれた。それが建前だったとしても。
それだけじゃない。こうして希望ヶ峰学園の真実を知ったとき心底驚いているようだった。先輩は演技で嘘をつくような人ではない真っ直ぐな人だ。そう信じよう。


「高校生が大人達を動かせるとは思えませんが……でもこれはやらないといけない気がして。私だけでもやろうかと、」
「みょうじくん、それは僕がやろう」
「え?」
「君が矢面に立ってするべきではない。僕が主導してこのことを世間に伝えよう。君はそれを手助けしてほしい。そのマイクロチップは僕が持とう」
「これを、ですか?」
「ああ。それがあれば僕も内容をもっと理解出来るかもしれない」


先輩は私の目をまっすぐと見つめた。
信じる気持ちが少しだけ揺らいでしまった。相手の様子が急かしている…マイクロチップが目当てなんじゃないかとも思えてしまう。
私にとってこのマイクロチップは学園の弱みを握ったも同然で、学園からしたらこれは奪いたくなるものだろう。石丸先輩はフィールドワークで共に行動して、疑わしい行動なんて一切無かった。……私は、

04a マイクロチップを握りしめた。
04b 石丸先輩にマイクロチップを渡した。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -