地上は豪雨だった。冷たい雨に打たれ、ドロドロになった土に塗れながら最期の滑稽な死を感じていく。

私は神に仕える天使だった。このままいけば大天使になれると思った矢先、嫉妬した下級の天使に嵌められ、そして神の怒りを買い地上へ堕とされてしまった。誇らしかった真っ白な翼も今はそんな面影もない。神によって翼を燃やされてしまい、翼の生えていた背中が燃えるように痛い。目の前がだんだん暗くなる。このまま眠りについたら次はどこへ行ってしまうのだろう。
意識を手放す直前、耳元で大きな音がした。草を踏む音だった。誰かがそこにいるのだろうか。


「だ、大丈夫か!?」


男の声は雨音を遮るように私に問いかける。声を出そうにも寒さにやられて上手く声が出ない。


「すぐに体を温めるべきだ!いや、まずはタオルでその泥を……待っててくれたまえ!」


答えを返す間もなく男は走り去ってしまった。私がその間に意識を保てたのは男が私の近くに置いていった傘のおかげだろう。

……

気づけば私は男の家に着き、温かいお湯で体を温めた。お風呂を半ば強引に使わされ冷え切った体温を取り戻す。お風呂にあった鏡で背中を確認すれば翼なんてどこにもない。あるのは火傷の跡だけだった。
まるでお前はもう天使ではないと烙印を押されたようだった。


「よく似合っているではないか」
「……服、ありがとうございます。後でお返ししますね」
「いや、持っていって構わない。僕は使わないからな」


申し訳ない、と言おうとしたが男の好意に甘えることにした。あの服1枚だけではどうも心細かった。男の服で少し大きく感じるが着れるものだ。
男と少しばかり会話を交わす。何故あんなことに?と聞かれてしまったが行き倒れとだけ答えておく。そうだったのかと返してくれた。深く詮索されずに済んでよかった。
話していて気づいたのはこの男はかつて日本を仕切っていた総理大臣の孫だということだ。天空で眺めていた国の総理大臣と面影が似ていると思ったら本当に親族だったとは。
男は長期休暇を利用して祖父の使っていた屋敷で勉学に励んでいたという。


「そうだ、これも何かの縁だろう。名を教えてくれ。僕は石丸清多夏という」
「名前……」


咄嗟に言い澱んでしまう。
天空の名を地上では名乗ってはいけないのだ。
どうしようかと目を泳がせていると男の机に名前が書かれている紙切れを見つけた。見た所女性の名前のようだから最初の部分を使わせてもらおう。


「……みょうじといいます」
「みょうじ?」
「は、はい」


男は目を丸くしては、すぐに笑顔を浮かべる。


「僕の恋人と同じ苗字だ」


恋人……。確かに真面目そうな男だし、私を助けてくれる程優しい性格だから恋人がいてもおかしくない。
とはいえ恋人の名前を拝借してしまったのは少々罪悪感が募っていく。石丸はまだ学生故に勉学に励み、恋人を待たせてしまっているんだと困りながら笑う。将来を考えている人間の話は面白かった。そして石丸が祖父の跡を継ぐのだと話の節々から滲み出てくる。
純粋な人間の夢の話はこちらも応援したくなるものだ。


「君は行く宛があるのか?無いなら暫くはここで…」
「お気持ちは嬉しいですが、行かなければならない所がありまして」
「ゆっくりしててもいいのだが…急を要するのなら仕方ないな」
「流石にここに居ついたら貴方の恋人が嫉妬しますよ」
「……そうだな」


雨が止むまでにはそう時間はかからなかった。空き部屋で寝かしてもらい、翌日には太陽が地上を照らしていた。太陽の光が神の放つ炎と重なり、清々しい朝は迎えられなかった。
石丸に別れを告げたはいいものの行く宛なんてある訳がない。勝手なことではあるけど私は石丸の助けになれるような行動をすることにした。どうせ羽を失くした天使は長生きなんて出来ない。生かしてくれた命を恩人の為に燃やそうではないか。


石丸は正義感の溢れる男だった。希望ヶ峰学園で風紀委員を務めては違反を取り締まっている。学園の近くにそびえ立つ大木の枝に腰かけては窓を通して石丸を見ていた。石丸は1人の女性と2人になることが多かった。
ああ、この人が彼女であるみょうじという女性なのだろうと思った。
勉学に励む姿、違反を取り締まる姿は無表情、キリッとした目つきになるのに対して、女性の前だと笑顔が多くて、本当に大違いなものだから微笑ましい。
……少しだけ羨ましいと感じてしまう。

石丸は諦めない心を持っていた。
卒業後は祖父と同じように政界への道へ進んだものの、政界にとって真っ白な心を持つ彼は異常に思えただろう。彼に批判の声を上げる政治家は少なくなかった。寧ろ才能ある彼に敵意を抱いていたのだろう。石丸は民衆へ向けて声を上げる。タスキを掲げ、公約を挙げては説明する。聞いてくれる人もいればその場を通り過ぎる人も少なくない。中にはヤジを飛ばすだけの人もいた。
石丸は一人暮らしの家に帰り、毎晩毎晩1日を振り返っていた。批判に負けないよう、努力こそが未来の為だと信じて。


「分かってるさ。甘い考えだって思うかもしれない。だが誰かがやらねばならないのだ!例えそれが理想論だとしても…!」


でも石丸の精神力は僅かに削れていっている。少しでも彼に元気になってもらいたい。
手に持っていた一輪の花を屋根の上から優しく落とす。その途端に石丸のいる玄関と扉が大きく開いた。


「今日も、か」


石丸は花を取り、部屋の中へ入る。そして何かの書物をパラパラめくると元気そうな声が屋根の上からでも聞こえてくる。


「毎日僕に花をくれる人は誰だろうか?希望、未来、期待……どれも素晴らしい花言葉を持つ花ばかり。僕を応援してくれる人がいるというのは心強い!ああ、そうだ。その人の期待に応えなければならない!」


石丸が少しでも元気になってくれるならそれで良かった。後日、石丸は見事に民衆の信頼を得て選挙に勝ったみたいだ。その日の夜、石丸は婚約者のみょうじと一緒に2人だけのお祝いをしていた。そして彼がプロポーズをしたということも、みょうじは泣きながら歓喜したということもハッキリと覚えている。
2人の幸せな瞬間を私は目撃している。



婚約パーティーが石丸の祖父の屋敷で行われると聞いて屋敷の近くの大木に登っては様子を外から眺めていた。湿気が多い生温い風を浴びていると体の不快感が増してくる。
天使は物を食べなくてもいいが、身を清めないと悪魔に見間違えられてしまう。誰もいない湖や池で体を綺麗にしているけれど、1番心地良かったのは石丸に助けてもらったときの風呂だ。あの屋敷の中の風呂にまた入りたいなと叶わぬ欲を1人で呟いていた矢先、屋敷が騒然とした。外からサイレンのような音が聞こえ、赤い光を照らす白い車がやってくる。救急車だった。

人の流れからしか推測は出来ないが、どうやら石丸の婚約者が倒れ、彼女と共に石丸が救急車に乗っていったようだ。突然のことに集まった招待客は慌てていた。
パーティーはお開きとなり屋敷は閑散としていた。が、数週間して2人は帰ってきた。
みょうじを支えるように石丸が肩を貸しながら。みょうじを白いベッドの上に寝かせ、毛布をかけながら彼は呟いた。


「何ということだ……、まだ治療法も出てない病だなんて」
「……ええ、致死率も高い病気ですってね」
「君の希望でこの屋敷で療養することにした。医者も定期的に来てくれるそうだ」
「ごめんなさい、私の為に時間とお金を費やしたのでしょう?それでも治らないのなら私は諦めるしかないわ」
「そ、そんなことを言うんじゃない!諦めたら終わりだろう!?」


石丸はみょうじの手を両手で包む。手には彼から流れた大粒の涙が落ちてくる。


「ああ、僕が代わってやりたい。君の苦しみを分かち合いたい」
「清多夏……。ありがとう、その気持ちで充分よ。幸せに死ねそうだわ」
「僕の前でそんなことを、言わないでくれ……。出来る限り毎晩君の近くにいよう。休みの日は2人の思い出の場所にも行こう」
「ええ、嬉しいわ……」


涙を零す石丸を抱きしめながらみょうじも静かに涙を流した。これが美しき人間の愛。嫉妬してしまうくらいに美しい。


「君の言う通り、神はいるのだろうか…?」
「ええ、いるわ。私は清多夏に甘えてばかりだから神様が私に試練を与えたのよ」
「そんな馬鹿な!……神がいるのなら、いるんだとしたらッ、乗り越えられない試練を与えるものか!……ああ……、君が天へ召されるのは納得いかない。神よ、どうか、彼女を連れて行かないでくれ」


石丸の悲痛な叫びが心を揺るがした。
………みょうじの病は確かに"人間では治せない"。
だが天使だった私はその治し方を知っている。
地球全てを探しても見つからない、天界に咲く花が唯一の治療法なのだから。



高い山を登る。天界に近い所へ行って神を呼んで事情を話せば何とかなるかもしれない。
きっと分かってくれるはずだ。


「なまえ」


天界で呼ばれていた名を呼ぶ声に顔を上げた。そこには弓を持ち、大きな翼を生やした天使がこちらを見て嘲笑った。


「無様だな、地上に堕ちて堕天使になったというのに天界へ帰りたくなったか?」
「元々貴方が私を冤罪にかけたせいよ」
「そんなことあったかな?神はお前に愛を注いでいたのに罪を犯したと聞けばすぐにゴミのように捨てちまって。今となってはこの私が神のお側にいる美しい天使さ!」
「……」
「お前もお前だ。お前の好きな男が愛す女を助けたくてここに来るとはな!馬鹿だねぇ」


悪魔だ。聞こえないように舌打ちをした。
この天使は慈悲や愛を知らないなんて滑稽だと思う。とはいえ、私も私で1人の男に惹かれているのは事実だった。石丸に対する恩が愛へと変わってしまったのはいつからだろう?


「私はただ恩返しをしたいだけ。お願い、私はどうなってもいいから神の花を一輪くれない?」
「いいよ」


天使はあっさりと答える。そして姿を消してはすぐに手に花を持って現れる。間違いない、神の花だ。天使に投げ渡された花を両手で受け取った瞬間、天使の放った矢が肩に命中した。言葉にならない痛みが全身を突き抜け、蹲る。


「神が後悔していたよ。お前を地上へ墜としたのを」
「神様が…?」
「もしお前がここに来たら連れて来いって、謝りたいってさ。でもそうなったら俺の立場が無くなるんだ。
……地上のたった1人の男の為にどうなってもいいんだろ?ならもうここへは二度と来れないように体中痛めつけてやるよ。さようなら、なまえ」


天使は矢を肩、足に何本か射っては姿を消す。痛みと痺れで体力を消耗していく。花は無事だ。まるで天使の翼のような神々しい白色の花を抱えて山を降りる。
石丸の屋敷が途方にもなく長く感じた。矢で射抜かれた足がガタガタと震える。
もうすぐ。見覚えのある道が見えてくれば歩く力も少しだけ取り戻せた気がする。もう少し。やっと私は彼に恩返しが出来るのだ。後もうちょっと。この命が燃え尽きてしまっても。私はふらつきながらも石丸の屋敷の前に立つ。やっと、恩を返せる。僅かに残った力で大きな扉をノックした。




「ああ!何ということだ!?低下していた内臓機能が回復している!奇跡だ!奇跡が起きたのだ!」


医者の声に続いて多くの人々の歓声が上がった。みょうじは信じられないと言いながら嗚咽を零す。石丸も同じだった。


「屋敷の前に置かれていた白い花がまさか薬草になり得たなんて……見た所新種のようだったが……惜しいことをしたが命には代えられないな」
「先生!ありがとうございます!命の恩人です!僕は先生の研究から何まで全てサポートさせていただきます!」
「清多夏、声が大きいわ」
「不治の病が治ったんだ!君ももっと喜ぶべきだ!」


周りの人々は仲のいい恋人達だと、早く結婚式を挙げろと野次を飛ばす。次第にそんな野次は聞こえなくなる。きっと石丸とみょうじだけにしたいという周りの配慮だろう。


「清多夏。毎日綺麗な花を生けているのね」
「ああ。毎晩花を送ってくれる人がいたんだ」
「……毎晩?」


開いた窓から聞こえる会話に耳を澄ます。体力が限界に近い。本当の本当に最期だと死期を悟った。


「僕が選挙に勝つまで悩んでいたことがあったのだ。批判に立ち向かっている内に心が弱くなったときがあった。そんなとき花をくれたのだ。姿は見せてくれなかったが、花図鑑で毎晩調べたのだ。そうしたら希望や期待…明るい花言葉を持つ花ばかりだ。その人は僕を応援しているんだと元気づけられてな。
君も病に苦しんでいたから、せめて花を贈れればと思って」
「……そうだったの」


みょうじは穏やかな声で石丸に語りかけた。


「きっとそれはみょうじさんのお陰かしら」
「……え?」
「あら、私じゃないわ。貴方が人助けしたみょうじさんよ」
「ああ、みょうじくんか。前にそんな話をしたな。だがみょうじくんには会えていないからな」
「早計よ。助けられた人の気持ちは会っていなくても通じるものよ。きっとみょうじさんの気持ちがこうして清多夏や私を助けてくれたのよ。だって清多夏が順風満帆に事が進んだのもみょうじさんを助けてからでしょ?」
「ううむ、それはそうだが……なんて非現実な」
「病に伏せっていたとき、私よりも神様に頼っていたのは誰かしら」
「……ハハ、恥ずかしいな」
「私はみょうじさんに感謝するわ」
「…ああ、僕もそうしよう。きっと花を贈ってくれたのもみょうじくんかもしれない。全く面と向かって渡してくれればいいのにな。……ありがとう」


2人の優しさに包まれながら目を閉じる。
ああ、さようなら。
太陽は翼を燃やした炎とよく似て嫌いだったけれど、私を助けてくれた彼は太陽のように輝いた笑顔を持っていた。太陽のような笑顔が大好きだった。

どうか、どうかお幸せに_____。


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