……行きが参ります、と電車のアナウンスが聞こえてくる。難しい漢字が並ぶ行き先の名前を知りたかったなぁと思ったけどすぐにどうでも良くなる。周りの会話も足音もどんどん遠くなってくる。電車がやってくる音だけが段々と大きくなって体の中に響き渡る。 そろそろ、とそう思ったとき。 「君!」 不意に背後から腕を取られて身体中が強張る。振り向くと如何にも真面目です、といった風の風貌をした男が立っていた。 「何をしているんだ」 「え、…何にも」 その間に電車はホームに難なく辿り着いて、人を乗せ、ドアが既に閉まっている。 ああ、しまった。まさかこのタイミングで逃すなんて。少しだけ気分が悪くなり、胸に苛々が募る。こうなったのも今も腕を掴むこの男のせいだと男の様子を見る。 黒い短髪、キリッとした赤い瞳、意外にも整えられている眉、そして黒いスーツをシワなく着こなしていた。顔立ちからまだ若い社会人なのだろうかと感じられる。 男は私の視線にハッとして腕を掴んだ手を離した。 「……すまない」 「本当ですよ……おかげで」 文句を言おうとした口を閉じる。こんなこと他人に言えるわけがない。掴まれた腕をさすると不思議と冷たかった。 男は暫くの沈黙を保っていたが、私を見てゆっくりと口を開いた。 「僕と来て欲しい所がある」 「はっ!?」 思わず大声で驚きの声を上げる。電車が行ったばかりでホームに人がいなかったのが幸いで私達に注目する者はいなかった。 不覚だった。真面目そうな青年がまさかナンパをするとは夢にも思わない。人は見かけによらないものだ。 ふざけているのかと顔を見るとどうやら冗談ではなさそうだ。ヘラヘラとした笑みではなく真面目な顔で私を見ていた。 ……面白い人。少しだけ付き合ってあげようかな。私の中の好奇心が風船のように膨らんでいきながら、目の前の男に愛想笑いを浮かべた。 彼は自分の名を石丸と名乗った。彼と乗り込んだ電車はやけに人が少なく感じられた。彼の後ろをついていくといつもの横並びの座席とは違い、向かい合わせに座るような座席が並んでいた。 ……さっきいた駅でこのようなタイプの電車は来ないのに。そんな違和感を感じていたが石丸のエスコートによりいつのまにか席に座っていた。そして私の目の前の席に石丸が座る。彼は静かだった。静かに外の景色を見つめていた。私も見知らぬ人と話すのは苦手だったものだから一緒に窓の外を眺めていた。 といっても最初は見慣れた景色だったから退屈だった。 「君はみょうじくんだったな」 「…はい」 「何か悩みでもあったのかね?」 「いえ。ただ、仕事や対人関係が上手くいかないってだけで」 「そうか。人との関わりはさぞ難しいだろうな」 「…ところで、どこまで行くんですか?」 「………」 石丸は何も言わなかった。こっちの質問には答えてくれないのだろうか?意外と気難しい人なのだろうか。……何だか変わった人だ。 「言いたくないならこれ以上は聞きませんが…」 「……いや、正直に言おう。僕は君を救いにきた」 「は?」 救いにきた?そんなこと急に言われたって何も分からない。順序よく話してほしいものだ。 「これが僕の仕事だ。きっと君も喜ぶと思ってな」 「い、いやいやいや!そんなこと急に言われたって……きゃっ!?」 石丸に話しかけようとすると突然電車が激しく動く。手すりにつかまっていると、その手の上に石丸の大きい手が覆いかぶさる。 「君は仕事を辛いと感じていた」 「え…」 「上司に叱られ、同僚に抜かされ、自信を持てなくて苦しんでいた」 「え、え?」 その後も石丸は続けた。細かく長く話し続けた。まるで私の人生を見てきたかのように話してくる。まさかストーカー?恐怖で一気に鳥肌が立っていく。 「どうして…そんなことを」 石丸は小さく微笑んでは背広から1枚の紙を差し出す。名刺のようだった。大きい文字で石丸清多夏と書かれ、その上には彼の役職と思われる名が入っていた。 「……死神?」 当たり前に名刺に書かれている文字は到底信じられない。死神だって?何かの間違いではないだろうか?気を落ち着かせようと窓の景色を見ようとするといつもの風景が広がっていなかった。 澄んでいる青空、目線を下に下ろすと豆粒程のビルが地上に密集している。まるで飛行機に乗っているような景色。信じられないことに私が乗っていた電車は宙に浮かんでいたのだ。 動揺している私とは対照的に石丸は静かに話しかけてくる。 「ボクに手を掴まれたあのとき、君は電車に飛び込んで自殺しようとしていた」 ギクリと背筋が冷や汗をかき始める。実を言うと本当だった。飛び込もうとした所を石丸に邪魔されてしまった。 けれど今は非現実的なことが起きている。もう私は既に飛び込み自殺をしていて石丸と名乗る死神に魂を拾われたのではないか。そう思えば電車がどうして宙に浮いているかも納得出来る。しかし私の仮説はたちまちに崩れる。 「飛び込み自殺なんて他人に迷惑をかけるだけだ。それなら僕が君を天国へ直接連れて行った方が良い。これなら死の瞬間に苦痛を味わうことはないさ」 「……それじゃあ、この電車の行き先は」 「ああ。現世ではない。僕達死神の仕事は現世から天界へ案内するんだ」 「どうして、私を?」 何故私を選んでくれたのだろう。 石丸は一息ついた後ゆっくりと口を開く。 「努力していた君がわざわざ自殺して地獄へ行くのが辛かっただけだ」 鋭い瞳で全てを射抜かれたかのように体が動かなくなった。 ああ、これは昔話みたいだと少し懐かしさを感じた。自死という悪いことをすれば地獄へ行く決まりなのかもしれないって不思議と理解出来た。 「そう、そうなんだ……」 「努力が報われないことだってある。ここまで頑張っていた君を遠くから見ていた。……こんな形になって残念だとは思っている。だが、君が選んだのなら仕方ない」 「……知らない間に貴方に応援されていたんだ」 「死神の声が人間に届くのは人間が死ぬ間際のときだけだ。生きてほしいという僕の声援は届かずにいたんだ」 「死ぬ間際に生きてって言えばよかったのに」 「死ぬと決めた人間に"生きろ"と言って思いとどまった人間なんていない。それなら死の苦痛を感じさせずに連れて行った方が良いのではないかって長年仕事をやっていて思い始めた。君のように苦しむ人間達の為にどうすればいいのか僕なりに考えた結果だ」 随分割り切った考えをする人だと思った。これが経験を積んだ結果なのだろうか。長年と彼は言っていたけど随分と若く見えた。更に言えば死神と言われても信じられない程に生き生きとしている。 「貴方は、石丸さんはどうしてこんな仕事を?」 「僕もかつて人間だった。だが学園に閉じ込められてそこでコロシアイ生活を強いられてしまってな」 「………あ」 その事件はしっかりと覚えていた。希望ヶ峰学園でのコロシアイ、そして世界中が破壊と荒廃に包まれた時期があった。そして石丸という名字、そのような名前の人物がいた気がする。 「僕も大人になりたかった。しかしそれは叶わずに気づけば僕はこの役職についていた。最初は苦労したが次第に慣れてきたんだ。それに変わりゆく世界を眺めるのも悪くない」 「……」 生きたくても生きられなかった人がいる。目の前の男もそうだった。少しばかり人生を投げ出してしまったことを後悔したものの、電車に揺られているともう戻れないんだと思わされた。 「僕について分かったかね?」 「ええ。分かりました」 「この世界も良い所なんだ。住めば都と行った所だ。終着駅に着いたらいくつか教えよう」 「はい、ありがとうございます」 笑いかけると彼もつられて笑った。死神の笑顔は柔らかい笑みで人生の辛かった記憶が浄化されていく感じがした。来世というのがあるとしたら、是非この人に会いに行きたいな。 |