少女漫画を小さい頃はよく読んでいた。 可愛い妖精さんが女の子の前に現れて、学園生活がとんでもないことに巻き込まれて、そして最後は好きな男の子と結ばれる…なんてファンタジーみたいなそんな漫画が好きだった。他にも好きな男の子と現実ではあり得ない展開になるラブコメ漫画が好きだったっけ。今となってはあり得なさすぎる展開に霹靂としてしまい、楽しんでいたあの頃には戻れないんだなって自分自身に失望していた。 けど今もしかしたら私はそんな漫画のような夢のような世界にいるのかもしれない。 柔らかくて気持ちいいベッドの上で目を覚ますと、カタカタと部屋中に響いていたキーボードの音が鳴り止む。 「おはようというより…こんにちは、だな!みょうじくん!」 「…こんにちは。石丸先輩」 ハキハキとした石丸先輩の挨拶を返す。 あの後コテージの中へ入らせてもらえなかった経緯を話し、石丸先輩は緊急で集まって話し合いの場を設けた。手を取り合ってフィールドワークに取り組もうという先輩の演説じみた主張はいとも簡単に崩されてしまった。 「副リーダーである私を外さないと全員で協力出来ない」そう告げてまた調査に行ってしまったのだった。 私自身傷ついていないと言えば嘘になってしまうが、何より隣にいた石丸先輩が落ち込んでいた。「リーダーである僕がまとめられないなんて」とぶつぶつ泣きながら嘆いていた。私のせいです、と告げたら先輩は真っ先に否定して益々申し訳なくなってしまう。 共用スペースに大浴場があるのが幸いだった。従業員の人に訳を話し、特別に入らせてくれることになった。体も綺麗さっぱりした所で遅い朝食を食べていると、石丸先輩が私の近くにやってきてこう告げてきたのだ。 「みょうじくん、申し訳ないが暫く僕のコテージで休んでくれないか?」 「え、えぇっ!?」 そして睡眠不足だと無理にベッドに寝かせられ、眠ってしまい、今に至る。そもそも石丸先輩は風紀委員だから、一つ屋根の下男女2人という状況は嫌う筈なのに…どうしてこんなことになったのだろうか。とはいえ、助かったといえば助かったのだけれど。 「ベッド、ありがとうございました」 「ああ。気にしないでくれたまえ!」 「ごめんなさい、勝手なことして調査の時間を削ってしまいまして…」 「調査も大事だが、君の健康も大事だ。うむ、さっきより顔色が良い。…しかし、今日は調査は休んだ方が賢明だな」 先輩には頭が上がらなかった。初日から夜に抜け出したり、朝から探させてしまったりと不本意ながら迷惑行為ばかりかけている私に優しい言葉をかけてくれた。 「君の見た謎の生物とは一体何だったのだろうか」 ある程度会話を終えると、先輩はそんなことを呟きながら腕を組みながら考え込む。ああ、そういえばあの夜のことも全部話したんだっけ。 「私の幻覚かもしれないですから、そんなに深く考えないでください。もしかしたら反射的に光ったものを生物と勘違いしたかも」 「……ほう。君は何故そう思うんだ?」 石丸先輩の瞳って何でこんな鋭いのだろう。 脳を貫通するような視線に言い淀む。先輩はこんな話をしてもそれは違うと論破されてしまいそうだった。けれど先輩は昨日レポートを読んでくれ、森の中を探しにきてくれた人だ。それに今朝、昨日のことを聞いてくれた以上隠す理由は無い。反論されようと自分の意見を述べた。 「……と思っています」 「……」 思いのままに持論を述べると先輩は相槌を打ちつつも何かを考えているように見えた。沈黙が続く。やはり駄目だったのかな。 「あの……」 「うむ。実に興味深い!」 息が止まりそうになる。どんな言葉をかけられるのだろうかと覚悟していたら思わぬ返事が来たからだ。 「なるほど。これまでに見つけられなかった生き物は本当は人間の恐怖心から生み出された幻覚なのでは……。中々面白いではないか」 「…そうですか?」 「後出しになってしまうが僕も入学前はそんなことを考えていた。だが実際に見たこともない生き物についての研究や論文を見続けていたらすっかり初心の気持ちを忘れていた。感謝するぞ!」 「は、はあ…」 急に感謝されても困るんだけど…。先輩は戸惑っている私を差し置いて話を続ける。 「それなら君のその体験を踏まえた上で論文を作ってみてはどうかね?」 「わ、私のですか?」 「ああ。それには君が見たその生き物が偽物であったことを証明しなければならないが…。証明した上で未確認生物の一部は恐怖が作り出した紛いものだと書けばきっと面白い論文が作れる」 「確かに面白いですね…」 「なんなら僕の方からお願いしたいくらいだ。協力という形でその論文を作ってみたい。みょうじくん、やってみないか?」 先輩に問いかけられてやっと思考回路が少しずつ正常に戻されていく。ふと思い立った疑問を1つ投げかけた。 「そのテーマで書き上げるのは学園からしたらあまり面白くないのではないでしょうか?」 「……そうか?」 「教授や生徒達は皆架空の生物について調べているじゃないですか。本当に世界の果て…草木を掻き分けてでも見つけたいって思っているからこそ、実は幻だ、なんて言われて良く思わない人がいるのでは?」 「それは人の性だ、みょうじくん」 「性、ですか」 「人は人を信じる生き物だ。それも強く、だ。……地動説と天動説を知っているかね?」 どちらも聞いたことがある。教育テレビで天体について流れていたのをぼんやりと思い出しながら縦に頷いた。 「紀元前から天動説が信じられてきた。迷信ではなく当時の科学の知見から得た上で唱えたそうだ。西洋最大の哲学者が唱えたからこそ強く信じられてきた。地動説も紀元前から存在していたが当時は宗教的な理由で神にそぐわない考えは悪魔のものといわれ迫害されていたらしい。それは地動説が普及され始めた中世紀も同じだった」 「迫害……」 「今はそんなこと絶対にあり得ない。だが当時の人々の気持ちも理解出来る。今まで当たり前だと思っていた知識がひっくり返されるというのは中々すぐに受け入れられないものだ」 「……そうですか?」 「ああ、今まで信じてきた考えを改めるというのは難しいと僕はそう思っている」 先輩は腕を組んで深く考え込む。先程とは変わらない背筋がピンとした綺麗な座り方をしていた。 「当時は神への信仰心が重要だった時代だからこそ、迫害という暴力も生まれたのだと思っている。だが今は自由に意見を言ってもいい時代だ。希望ヶ峰学園の理想とは違う論文を出しても問題は無いさ」 「石丸先輩は躊躇いとか無いんですか?」 「全く、無いな!」 組んでいた腕を広げては目を細めて高らかに声を上げた。その声は部屋中に良く響いた。先輩の声が通りやすいという要因も相まって、だろう。 石丸先輩は恐れというものを知らないのだろうか?清々しいともいえる態度に寧ろ好感を抱き始めた自分がいた。 「私、その論文を書いてみます。石丸先輩もそのテーマで良ければ」 「勿論!協力させてもらおう!」 ガタッと大きな音を立てて先輩は立ち上がり大きな手が私の前に現れた。戸惑っていると先輩が頭上から声をかけてくれた。 「共に協力する関係となったのだ!握手をしようではないか!」 「握手…は、はい」 差し出された手を握ると勢いよく強く握り返される。握手というより大きな掌に包まれたかのようになっているが、先輩は気にもしていないようだ。 「よろしく頼むぞ、みょうじくん!」 「はい、よろしくお願いします」 石丸先輩って結構鍛えているのだろうか? ぎゅうっと締めつけられた手が少しだけ痛く感じる。挨拶をした後に握手した手は解放されたものの、先輩の手の温もりがまだ残っているような気がした。 |