「明日君にはレポートを書いてもらう!」
「えっ!?」
「1万字のフィールドワークのレポートを出したまえ。提出期限は21時、1秒でも遅れたら承知しない!いいか、21時だ!」
「そ、そんな…」


フィールドワークへ行く前日に呼び出されたかと思えばこれだ。
目眩がする。学園のフィールドワークのレポートなんて1日あたり1000文字位だって聞いたのに1万字だなんて。論文程では無いけど相当な量だ。フィールドワーク終えてからすぐに取り掛かるとしても、それなりの時間がかかるだろう。
ああ、帰りたくなってきた。まだ寄宿舎にいるのにも関わらず。
鬼の風紀委員先輩に衝撃の内容を告げられ、自室のベッドに潜り込む。少しでも寝れば治るだろうか。

朝の目覚ましがとてつもなく甲高くうるさい音に聞こえた。
憂鬱。
何とか気持ちを奮い立たせようとするがそれでも気持ちは晴れやかにならない。
ベッドから起きて身支度を済ませよう。あのリーダーはこっちが休もうと思ってもきっと部屋まで来るだろう。そんな気がした。
頑張れ、みょうじなまえ。自分で自分を元気付けながら荷物を持って部屋を出る。


時間には無事間に合い、バスに乗って目的地へ向かう。このグループは森の中で生き物の生態、共生関係を明らかにした上で未確認生物を探そうという目標だ。
バスは塗装された駐車場で停まり、私達は降りることになった。そこにはログハウス風のコテージが多数並んでおり、正にキャンプにはもってこいの場所だ。近くに川も流れているらしいから本来はキャンプ地なのだろう。

フィールドワークは基本数人で行動するのだが案の定誰もが私と組まなかった。結果石丸先輩と組むことになり森の中へ入って行った。他のメンバーは談笑しながら先に中に入っている。しかし顔は笑っていても目は本気だった。その位本科に転科したいのだろう。
森の中は整備されている為か適度に太陽の光が差し込む。草木の青臭い匂いがする。マイナスイオンとやらは感じられなかった。
得られた収穫としては街では見たことのない野鳥や植物が森の中で見られたこと。


「先輩、調べたいことがあるので先に行って構いません」
「1人にする訳にはいかない。僕も足を止めよう」


そこまで気を遣わなくてもいいのに。石丸先輩に礼を告げ、足元で生茂る植物を携帯電話で撮影し、スケッチをする。後で図鑑引っ張り出して調べてみよう。時々、先輩の視線が痛い。槍のように貫かれそうだった。
森の中は暗くなるのが早い。そして少し肌寒い。未確認の生き物なんて見つかる筈もなく帰路につくことになった。


「みょうじくん。足元は暗いから気をつけるんだ」
「はい」


時々石丸先輩は私に言葉をかける。まるで私を小さい子供かのように時折こちらへ視線を向ける。……そんなに危なっかしいかな?

共用スペースのログハウスは食堂に自習室なんてものもあった。食堂で従業員が用意してくれた食事をとる。私達の他にもキャンプ目的の若者が数人程いた。黙々と食事をとってコテージへ戻る。……だけど。


「あんたみたいな学園の恥晒しを入れるわけないじゃん!馬鹿が移ってあたし達のフィールドワークが台無しになっちゃう〜!レポートの邪魔だから出てけよ!」


コテージは3つ。男女に分かれて大きめのコテージを2つ。そして小さいコテージを石丸先輩が使うという形だ。男子が7人、女子が5人。定員は6人だったからリーダーである先輩が個別の部屋となった。
女子だけのコテージに入ろうとして扉をあけたらこの有様だ。部屋で寛いでいる子達は私を見てクスクスと笑っている。
扉の近くで待ち構えていた女子は私を見てはシッシッと追い出す仕草をする。無理矢理こんな所へ入ってもこの嫌がらせのようなことが起きるって分かりきっていた。黙って扉を閉めて共用スペースの自習室へ向かう。
確か夜9時までなら使えるからそこでレポートを書き上げれば間に合うだろう。調査中に書き溜めておいたノートを取り出し、キーボードを打った。
初日からこんな目に遭うなんて分かってれば来なかったのに、…なんて過ぎたことをひたすら後悔しながら文章を構成する。初日から何を書けばいい?問題提起、動機は勿論だが調べたのはほんの1日だけ。そこからどう考察へ、翌日以降の調査内容に結びつけようか。多少起承転結の繋ぎ方がおかしいけど推敲する暇なんて無い。書き上げたレポートが入ったデータを持って先輩のコテージへ走り出した。


「……これ、本当に君が書いたのか?」
「えっ?」


なんていうことだ。まさか私が誰かに頼んで書いてもらったとでも思っているのだろうか。いくら先輩だからって今の言葉は酷い。正真正銘私が書き上げたものなのに。
かくして時間内にレポートを提出することが出来た。先輩のノートパソコンに入ったレポートを流し流し見ながら、発された先輩の第一声に拍子抜けし、そして悲しくなった。


「そうですが?」


初日で疲れていたからか強めに言い返したのを言った後になって後悔した。
強く言い過ぎたと詫びを入れようと口を開いた瞬間、


「悪くない出来だ」
「?」
「少々直すべき箇所はあるものの…僕は悪くないと思っている。後程ゆっくりと読もう」
「えっ、あ、ありがとうございます!」
「ああ!もっと自信を持ってくれたまえ!」


石丸先輩はポンと私の肩を叩く。認めてもらえたんだ。その事実に嬉しくてつい笑顔になる。


「ハハ、みょうじくんはそんな笑い方をするんだな!」
「え?」
「中々君は笑わなかったからな。少し心配していたのだ。しかし、自信を持ち始めた君は輝いていて素晴らしい」
「…ありがとう、ございます」


先輩は目を細めて笑う。つられて口角が上がった。もしかしたら、良い先輩なのかもしれない。先輩の心の中では何を考えているか分からないけど、世辞でも嬉しくなってしまう。先輩の言葉にやましい気持ちなんて無いのだけれど、不思議とその言葉にドキドキしてしまう。


「先程はすまなかった」
「何をですか?」
「先生方から要注意人物として君を見てほしいと頼まれ、僕は君の能力を知りたかったのだ。だから論文を作れるかどうか確かめていたのだ」
「……そういうことですか」
「だが、君のレポートは思っていたより良かった。明日からは皆と同じように1000文字で書いてほしい」
「はい。分かりました」
「それと…提出は僕のメールアドレスに添付して送って大丈夫だ」
「あっ」


先輩は困った顔をしながら笑う。ここまで言われて私は思い出した。そういえば、前日にそんなことを話していた気がする。


「すみません!」
「構わないさ、君の熱意はしっかり伝わった!直接出してくれて感謝する!」


夜遅いのにありがとうございます、そう告げてコテージから出た。
お褒めの言葉を貰ったはいいものの、寝床が無いのは困る。先輩にチクったとしてもそれ以上に仕打ちが来ることは分かりきっていた。こうなったのも元を辿れば私のせいだ。
持ち込んだ荷物をコテージの中に置かなくて良かったと思いながら夜の森の中へ入る。

共用スペースを借りるという手もあったがその希望はすぐに崩れ去った。従業員の方に怪訝な顔をされ、コテージへ戻りなさいと言われてしまったからにはもう森の中へ野宿するしかない。
そう言えば今日は川の方へ行かなかったから川を見てみよう。懐中電灯は小さく目の前を照らす。昼とは違って真っ暗だ。
草木を踏む音、風によって揺れている葉の擦れた音しか無い。自分が1人だけになったようなその空間はまるで今の自分の境遇のようだ。

何がいるか分からない。こんな暗い森の中にいたらますます精神が削がれていく。今日行った道とは違う道を進む。昼だったらいつもと違うことに対して新鮮、刺激的だって思うだろう。しかし、今は夜中。迷ったら危険だし、恐怖に思うだろう。私は川に行きたいが為に別の道を選んでしまった。すぐに引き返せば良い。そう思っていても私には安息の場なんて無かった。


「……この音」


耳を澄ますと少し違う音が聞こえてくる。水のせせらぎ…近くに川がある。ゆっくりと進むと木と木の間隔が開き、土から砂利の道となる。運良く川沿いに出られたようだ。森の中から出た開放感、安堵の息が漏れた。
上を見上げると背の高い木々が揺れ、下を見ればすぐそこに夜空を写した真っ黒な川が流れていた。
川沿いには大きな石が転々と置かれ、砂利と砂利の間は小さい木の枝が落ちている。川沿いに歩くと小さい立て看板が見えた。平仮名で注意事項が書かれている。川遊びをする子供に向けた看板か。確かにバーベキューをするとしたらここがうってつけの場所だろう。

比較的苔のない綺麗な石の上に座り込む。深く深呼吸をすれば草独特の香りが立ち込めていた。森林浴は神秘的でリラクゼーションに効果的と聞くが、私はリラックス出来る状態ではない。凶暴な動物がいるかもしれないという恐怖もあるが、何よりこのような神秘的な場所に不思議と畏怖を覚えるのだ。
現実離れした空間に取り残されている気がして、この川の向こうの暗闇の中に何かがいたっておかしくない。あり得ない空想だと笑ってしまえばそれまでなのだろうけど、そう自覚した瞬間から木の葉が揺れる音でさえもが何かがこちらに歩いてくるような音に聞こえてくる。

そう思うと未確認生物の殆どは実は人が恐怖の末に作り出した創作生物とも思えてきた。
巨大な怪物が実は立ち上がって威嚇している熊だったというのもあり得る話。動物園でガラス越しに見るのと実際に出会すのとでは印象が違う。…この考察をしたら学園に怒られるだろう。そもそも私が仕留めてしまったあのスライムのような生き物は何だというのか。あの存在は何なのだろうか。少なくとも私は見たことがなかったし、ヒトの言葉を喋る生き物なんて聞いたことない。それじゃあこの考察は無駄か。はぁ、と溜息をついた。


「……、」


溜息をついた後、異様な音が聞こえた。川の向かい側、この音は先程までよく聞いていた音。
また聞こえる。テンポよく…たまに不規則になる。確信した瞬間に一気に体全体が凍りつく。

草を踏む音。そしてその音は大きくなっている。
何かが川へ来る。

すぐに立ち上がり、近くの大きい木の影に隠れて息を潜めた。ただの熊でもウサギでも良い。寧ろ森に住む獣なら安心する。私はその何かの存在に体が震えていた。風の音、川のせせらぐ音。聴き慣れたこの音が不安を膨らませる。

…音が鳴り止んだ。心臓の音が私の中で響く。……顔だけ出して様子を伺おう。そして何も無ければ只の杞憂で終わり。
よし、と軽く意気込んで恐る恐る音がした方向へ顔を出した。


「………っ!!」


人間、驚くときは黙り込んでしまうのは本当だった。すぐに頭を木の影に隠し心臓が更に鼓動を加速させる。
何か、いた。けれど熊でもウサギでもない。

全身真っ白で木の枝みたいに細い体。けれどもヒトのように四肢はある。ユラユラと左右に蠢きながら川の近くで歩いている。
そう、歩いているのだ。ヒトのように。ヒトにしては細すぎる体が。歩いていた。

そんな馬鹿な。どう考えたってあれはヒトではない。それなら何かの見間違いだろうか。ヒト型の生き物なんていただろうか。
…また覗いてみるか?そうすれば見間違いかどうかも分かる。自身の恐怖心と好奇心が混ざり合い、また頭だけ傾けようとした。

瞬間。
もうすぐ見えると思ったとき、川の流れる音の中にぱしゃっと何かが入る音が聞こえた。
反射的に私は覗くのを止めてしまった。
まさか。こっちに来てる?

体が金縛りに遭ったように動かなくなる。見つかるのも嫌だ。逃げたくても音で勘付かれてしまったら追いかけっこの始まりだ。
私はこれ程自身の運動神経の悪さを呪った。しかも地の利は間違いなくあっちが有利。

見つかってしまったらどうなってしまうのだろう。……ああ、どうしよう。まさか得体の知れない生き物?に出会うとは思わなかった。膝が震え木に寄りかかるようにしゃがみ込む。
こうしている間にも後ろから水を切るような音が近づいてくる。出会いたくない。膝を抱え一切の情報を遮断した。
両手で耳を塞ぎ、目を閉じ、額は両膝にあて視界を遮った。どうかあの生き物の目が悪くて見つかりませんように。


……


誰かの声が聞こえ、肩を揺すられ、反射的に顔を上げる。ずっと目を閉じていたのだろう、目の前が眩しくて両手を顔を前に掲げる。


「どうしてこんな所に!」


耳鳴りがする程に大きい声が耳の奥を突き抜けた。目が慣れ始めると目の前には暑苦しい見知った男性がいた。木の葉は太陽の光を浴びて生き生きとしている。
夜が明けた…生きている。


「朝点呼をとったら君がいなくて心配したんだぞ!?一体ここで何をしていたのだ?」
「………すいませんでした。勝手に外に出て調査をしていました」


昨夜のことを打ち明けようとしたが嘘をつくことにした。まさかコテージから追い出されたなんて思いもしないだろうし、何よりあの生き物のことだって信じてくれるかも分からない。後は、昨夜思い浮かべた推論のようにパニックによる幻覚を見ていた可能性があった。
石丸先輩は眉を潜め怒っているようにも見えたが心配してくれているようにも見えた。


「そうだったか。仲間に聞いても知らないの一点張りだったが…とにかく無事で何よりだ」
「……」
「しかし、夜1人で出掛けるのは調査とはいえいただけない。それでも行くというのなら事前に僕に相談するんだ」
「はい、ごめんなさい」


深くお辞儀をする。心の中にモヤモヤと霧が立ち込める。見た感じ石丸先輩は1人だけできたようだ。


「先輩、今何時ですか?」
「朝の、8時半になった所だ!戻って朝食を食べようではないか!」
「8時…半」
「どうした?」
「…調査の時間に少しだけ休ませてください。朝食も休んだ後に、いただきたいです」
「……みょうじくん?」


確か点呼は8時。そこから朝食を取り、調査となる。あの予備学科の子達は探しに来てくれなかったということだ。自分を買いかぶりすぎか。自分に対して溜息が出る。色々あって疲れているのだろう。ネガティブな思考だけが働いてしまう。


「…顔が真っ青だ。立てるか?」
「大丈夫です」


心配そうな顔をする先輩を見上げながら立ち上がる。所々ついた土を払いながら先輩の後をついていった。
そんなに進んでいなくて5分あれば見慣れた入口まで戻ってこれた。木の葉で遮られていた太陽の光がより一層眩しく感じる。


「きったな」


途中すれ違ったメンバーの誰かがそう言って笑った気がする。確かに土がついていたのは間違いない。きっとこれ以上の言葉を朝食時にも言われていたと思うと今のメンバーに近寄りがたい。


「はぁ」


溜息ばかり出る。先輩への申し訳なさと予備学科のメンバーへの恐怖が混じり合う。


「みょうじくん!」
「はぃっ!」


ハキハキとした声で呼ばれ、声が上ずった。変な声だったに違いない。顔の温度が上がっていく。


「朝食前にその土汚れを落とそうではないか!」
「や、やっぱり汚いですよね」
「森の中にいたらそうなるのも仕方ないだろう。さあ行ってくるのだ!女子のコテージへ!」
「………」
「…どうした?」
「あ、いえ、何でも」
「そもそも君は昨日と同じ服装、持ち物ではないか…来たばっかりのときみたいだ。何故コテージに置いてこないんだ?」
「それは…」


言うべき、なのか。今2人きりの内に。でもきっと先輩のことだからすぐに話したことが知れ渡るだろう。そうなったらどうなる。


「何かあったのか?」
「……気にしなくても、」
「いいや、気になる。僕に相談してくれないか?」


言い淀んでいた私の前に先輩が立ちはだかる。鮮やかな真紅色の瞳から目を逸らせない。偽りの無いような眼力に白旗を上げ、昨日の出来事を話した。


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