月を覆う雲の下、息を切らしながら走る人間を追いかける。人間の足なんて大したことなくて少し地面を蹴り上げるだけですぐに追いついた。人間も愚かだ。逃げるなら上手く逃げればいいのにどうして行き止まりに向かってしまうのだろう。 「いや、来ないで…」 そう懇願する女生徒の声は何回聞いただろう。けれどここまで来て獲物を逃す訳にいかなかった。 怯える彼女の手を掴み、首筋に歯を立てた。 劈く叫び声は耳障りだったが一瞬にして声は途絶える。 「いやっ、イヤァアアアッッ……!!」 …… 「また死体だって」 「今度は隣のクラスの子らしいね。やっぱり希望ヶ峰学園に吸血鬼はいるんだ!」 騒然とする学園内。怯える者もいれば吸血鬼という存在に目を輝かせる者もいた。そして通りかかる者達全てに疑いの眼差しを向ける者も。 次の授業がある教室へ向かおうとすると後ろから声が聞こえた。 「おい、みょうじ」 振り向くと悪そうな人相の男子が数人こちらを見ている。あまり話さない人達だ。何のようだろうと首を傾げると私の方へズカズカと歩み寄り、私を一瞬にして囲った。 「お前、吸血鬼だろ!?」 「えっ…!?」 思いがけない言葉に驚く……ふりをした。とはいえ、急にこんな状況になるのは流石に吸血鬼の私でさえ驚く。 「みょうじっていつも日陰にいるしー?」 「なーんか怪しいんだよな」 「おい!言えよ!吸血鬼だってよ!学園の先生達が吸血鬼用の処刑セット用意してるみてーだしよ!」 男子達に詰め寄られ、自分は違うとはっきり告げる。それでも周囲は食い下がる。 希望ヶ峰の人達は悪趣味な人ばかり。人外の存在を信じ、頭から足先まで調べたがる。 目の前の男子達も会話の中にあった吸血鬼の処刑が見たいのだろう。廊下にいた生徒達も困惑しつつも誰も助けてくれなかった。 「やめないか!」 男子達の声が止まる。声のした方へ振り向くと見覚えのある人物が立っていた。 よく風紀週間とかで目立っている人…超高校級の風紀委員だったっけ。 「みょうじくんが違うと言っているではないか!」 「そ、そんなの嘘に決まって」 「では昨日も一昨日も他の生徒達に同じような内容で怒鳴りながら詰め寄っていたのは何故かね?不確かな根拠で疑うのは良くないぞ!」 「う、うぐぅ。覚えてろ!」 見事なまでの負け犬の捨て台詞を吐いて男子達は別の教室へと入っていった。 …まぁ私が吸血鬼なんだけど。 とりあえず、目の前の人物にお礼を告げた。 「石丸君、ありがとう」 「いや、あんな風に誰にも構わずに疑いをかかる行為は風紀を乱す行為だからな!みょうじくんも気をつけてくれたまえ!」 ハハッと爽やかな笑顔を浮かべて私の横を通り過ぎていった。彼は他の人と違って正義感が強かった。…だからこそ、1番の敵は彼だと思っている。 けれども石丸君が私を疑っている様子は見られなかったので安心した。 吸血鬼は太陽の光で、十字架の力で、首を切り落として、心臓を杭で打ちつけて死ぬ。匂いの強い香草を嫌っている。 希望ヶ峰学園の図書室でこんな文献が置かれていた。嘘だ。これは物語や映画の設定であって本当の吸血鬼の主な死因は餓死もしくは大切な人を失った悲しみだ。前者はともかく、後者は私にもイマイチ分からなかった。 仲間に聞けば、複雑な話が私に襲い掛かる。 そもそも吸血鬼というものは不死身な存在であり、死因はほぼ餓死。そんな吸血鬼でも人間より弱い部分がある。吸血鬼には悲しいという感情が乏しいらしい。よって誰かを失う悲しみを味わうことでショック、気絶状態に陥り、そのまま目を覚まさずに死んでしまうのだとか。 だけども大切な人が吸血鬼ならそれで死ぬことはないらしい。 ただ、人間を好きになってしまったら……。 「おや、みょうじくんか!」 振り向くと石丸君が私の方へ歩いてくる。何冊かの本が彼の小脇に抱えられていた。 「勉強?」 「ああ、今度の研究の調べ物さ。僕は吸血鬼について調べている」 吸血鬼という言葉にドキリとする。僅かな表情の変化を人間に悟られてはいけないと冷静になる。 石丸君はチラッと私の近くの棚を一瞥しては口を開いた。 「みょうじくんも昔の文献を調べていたのか」 「うん、参考になるかなって」 「うむ、良い心がけだ!ふむ…ここにも吸血鬼の文献があるのか」 石丸君はそっと私の肩を押しては棚を見上げる。嘘だらけの文献なのに必死に調べる石丸君がおかしくて、だけど何故か心が擽られる。私の正体を暴いてしまうのかな、と恐怖よりも好奇心が芽生えていた。 「な、何がおかしいのかね?」 石丸君に言われて気づく。自分はいつの間にか口角が上がっていたみたいだ。 慌てて取り繕うように笑顔を作る。 「ん、いや…熱心だなーって」 「そんなこと言ったら君は熱心じゃないのか?」 「そんな訳ないよ。私だって頑張ってるし。なんて言うか他の人と違う良さがあって、そこに惹かれただけ」 「……ん?……ん、そ、そうか?」 きょとんと目を丸くする。すぐに理解出来ない所も含めてまた噴き出してしまった。 「からかっただけだよ」 「…なっ、みょうじくん!そんな冗談は気軽にしていいものじゃない!」 「ごめんね、じゃ、また」 「な、ま、待ちたまえ!」 不器用にはぐらかしてその場から離れた。 自分の胸に手を当てればより一層鼓動が聞こえてくる。不思議と温かいこの動悸は暫く収まることはなかった。 日の入りによって暗くなった空には小さい蝙蝠が空を飛び交う。 「調子はどうだ?」 私の部屋の窓に飛び降りた蝙蝠が特殊な超音波で語りかける。こんなの人間が、希望ヶ峰の人間が知ったら、きっと超音波を調べたくなるだろう。蝙蝠の言葉を究明するために。 「まずまず」 「そろそろ我らのエネルギーもあと僅か。この希望ヶ峰の人間の生き血が欲しい」 窓からの景色を見渡すと木の下にびっしりと仲間がこちらを見る。見慣れた景色だけど、今夜の様子は生死に関わることだからか殺気に満ち溢れている。 流石にこの数のエネルギーを1人で回収出来ないと告げると何人か応援をくれた。 会話を済ませてベッドに転がり毛布に包まれた。ゾクリと寒気がする。それは血が足りないという吸血鬼のヘルプサイン。このままだと内からの冷えと餓死で死んでしまう。血が欲しい。 遠くで誰かの悲鳴が聞こえる。応援の吸血鬼が血を得ているのだろう。開いた窓から1匹の蝙蝠が私に血を分けてくれる。ああ、少しだけ体が動かせる。ゆっくりと重い腰を上げて窓から外へ飛び出した。ふとある男子の姿が脳裏をかすめる。私のことを人間だと信じてくれた彼の姿。何故だかチクリと胸に鋭い痛みが刺さる。 「ひいいっっ、ひいっ」 校舎の陰となるところに引き摺り込み、怯える人間の首筋に噛みついて血を貯めていく。怯えた声しか出さない人間はそのまま息絶えていった。応援がやった人数を含めれば数十人という過去最高の人数だ。やっと終わったと安堵するとクラっと目眩がした。もう少しだけ。……そう、後1人位の血液量を補給しないと。 「みょうじくん…?」 「っ!」 聞き覚えのある声、私を呼ぶ声に振り向くと石丸君が呆然と立ち尽くしていた。 見回りだったのだろう、懐中電灯をこちらに向ける手が震えていた。 懐中電灯に照らされた場所には1人の人間が倒れていた。首筋から血を流して。 この光景を目の当たりにした彼は口を開けたままで何も言わなかった。私も何も言わなかった。流石にこの場で言い逃れは出来ない。石丸君に吸血鬼だって認めてもらうしかないとそう思ってしまった。 「…………」 「……何故何も言わない?何故なんだ?」 石丸君は非常に困った表情を浮かべながら私を見つめてくる。きっと石丸君は混乱しているのだろう。そして私から出る言葉を信じようとしている。 「さあ?」 上手くもないはぐらし方をする。言い訳や立ち回りが下手なのは生まれてからの性格だ。 「…分からない、君はどうして安心した顔をする?」 「え?」 「正直僕だって信じられない。君がこんなことをする人ではないからだ」 「…こんな状況見てそう言える?」 「ああ、僕のクラスメイトだからな」 「…………」 何も言葉が出なくなった。石丸君は私を吸血鬼だと思わない。いや、石丸君自身で真実を閉じ込めようとしている。私が犯人という事実を心の中で閉じ込めようとしている。 「…誰かを庇うことだってある。誰かと揉めてやむなくそうしてしまったということもなくは無い話だ。実際そういう悲しい事件だって起きている。僕は…君が猟奇的な殺人犯ではないと信じたい。"正当防衛"…そうだろう?みょうじくん」 真っ直ぐな瞳で見つめられ、体の先々まで固まってしまう。 どうして最後の最後で私に猶予を与えてしまうのか。石丸君、どうして。 出来ることなら貴方の優しさに甘えたい。 嘘をついて彼の思い描いた物語を演じたい。 …けど、私は人外で貴方と違う。 その運命を今までどれだけ呪ったことか。 「…全て私がしたことだよ」 ここで石丸君に助けを求めたら全てが終わる。もう引き下がれないって分かっている。 そして石丸君自身、人外を庇ったことによる罪悪感が一生付き纏うだろう。そんな十字架を背負わせるにはいかない。 私の白状に石丸君は酷く動揺していた。最悪の答えだ。そう言いたげに。 「な、なら僕が君を更生へ導くだけだ!このままだと君は自身の良心すら殺すだろう……。そうなったらもう二度とみょうじくんはみょうじくんに戻れない。そんな気がするのだ」 石丸君は諦めなかった。こんな危険な状況で逃げもしないで私に呼びかける。 呪文か何か、か分からない。彼の言葉にわずかな心が揺れ動き続ける。 「道を間違えてしまったのなら、誰かが正しい道に導けばいいだけだ。僕はその役割を喜んで引き受けよう」 石丸君。頭の良い貴方が大事なことを忘れている。 私は人殺しの殺人犯だ。今更人間の世界で人外の自分が心を入れ替えたとしてももう遅いのだ。 「これからは茨の道だとしても、努力すれば皆が認めてくれるさ。……そんな暗い所にいないで僕の所へ来てくれないか?」 まだ間に合う。そう呟いてゆっくりと私の方へ手を差し伸べる。瞬間、月の明かりで石丸君の姿が照らされ、思わず眩しさで目を細める。神様なんて信じなかったけど、今の石丸君はまるで神様だった。 「石丸、君……」 目眩のせいで視界がグラグラとしつつも石丸君に向かって歩いていく。その様子に安堵した表情を彼は浮かべた。 「そうだ。僕の所に来てくれ。君は"みょうじくん"だ。殺人犯でも悪魔でも他の何者でもない、みょうじなまえくんだ」 -----今だ。噛み殺してしまえ。 誰かの声が殺せと語りかける。そのまま噛みつけと命令してくる。不協和音のように声が重なって響いてくる。殺せ殺せと甲高い声でいっぱいになる。 苦しい。人間に情を移してしまったばかりにこんなに苦しむなんて。 こんなことなら、目の前の人物に好意なんて持たなければ良かった。 どうしようもない悲しみと怒りで叫びたかった。入り混じった感情をぶつける勢いで石丸君の肩を押さえ込み、首筋に噛みついた。 「みょうじく、っ…!」 石丸君は必死にもがいた。今までの人間のように私を引き剥がそうと背中を強く掴まれる。…がそれは一瞬のことですぐに抵抗する手を離した。おかしい。まだ人が死ぬ程の出血量じゃないのに。本能のままに血を啜りながら気づいてしまった。 どうして、何で、抵抗しないの。 彼は選んでしまったのだ。私に殺されるという運命を。 ドクリと流れていく血液を啜る。男の血は獣の味がするものの、石丸君は例外で美味だった。しかし、まるで毒のように体中を駆け巡り、酷い罪悪感が体の中で増幅されていった。その後も彼は一切抵抗はしなかった。私に委ねるように身体を預け、なすがままの状態だった。 暫くすると彼は膝から崩れ落ち、小さい声が掠れて聞こえてくる。 「……ああ、」 もう動けない石丸君を支えていると不意に彼の手が私の涙で濡れた頬に触れた。 「涙を流すということはそれだけ君は苦しんでいたのだろう?」 物柔らかい彼の優しい声に頷き、謝ろうとした所で言葉を遮られてしまった。 「君は非情な吸血鬼なんかではない。僕のクラスメイトのみょうじくんだ。 ……僕はそんな君が」 何か言おうとしたところで頬から手が離れ、石丸君は目を閉じ、ガクリと身体が重くなる。悲しくもそれが死の瞬間だと、人を殺してきた私には理解してしまった。 良くやった。1人の人間の死を見届けた仲間の冷たい声が響く。仲間は次の獲物の名前を告げた後私の脳内から消え去っていった。 もう次の獲物なんて、もう取れない。 「…僕はそんな君が………続きは何?石丸君」 好きだったの?嫌いだったの? 言葉の続きは分からないままだなんてズルいよ。もう動かない、彼の冷たくなっていく身体を強く抱きしめた。 悲しい気持ちが私の全てを満たしていく。どうしようもない悲しみ、自分自身の宿命に怒りを覚える。 ああ、体が崩れていく。これが死ぬ、ということか。日が昇る頃には私は塵となって消えていくだろう。そのときまでは彼のそばにいさせて。 そんな自分を嘲笑うかのように蝙蝠が舞いながら夜の空を飛び交っていった。 |