最初こそは何を言っているのか分からなかった。 異国の地に連れて行かれて何かを怒鳴りながら言う人が目の前にいたから。 それを助けていただいたのはこのノヴォセリック王国の王女様だった。ソニアさんと名乗る方は美しく心優しい方だった。何よりも僕のことやみょうじさんのことをよく知っていたのがとても心強かった。 僕はこうして収監されているものの、ソニアさんは定期的に面会に来てくれて、今もこうして僕の目の前に来ていただいてる。 「左右田さん、ご気分はいかがでしょうか?」 「元気ですよ、貴女から借りたこのDVDのお陰で」 ソニアさんから借りたDVDは2枚あった。檻のような空間だけど、最低限の物は揃っている。プレーヤーとDVDを使うとノヴォセリック王国についてとみょうじさんがテレビに出演したときの映像が流れた。 男性のピアニストと演奏するみょうじさんのサックスを吹く姿は今までに見た姿ではないまるで別人のような姿だった。 恋人のいない男性の心情を演奏しているみょうじさんの姿は他人事と思えない素晴らしいものだった。僕の境遇と重なったからか、心の奥から込み上げてくる温かい気持ちで無自覚に涙が溢れ出てしまった。 幸いその場には監視官がいなくて1人だったから誰にも見られずに済んだものの、やはり何回もその場面だけを見直して泣くのを繰り返してしまう。 「正直驚きました。みょうじさんがあんな演奏をするなんて感激しました」 「ええ、わたくしもファンになってしまいました!」 キラキラと目を輝かせるソニアさんは明るく振舞っているように見えた。僕と話を合わせてくれているのだろうか。 「…ソニアさん、ありがとうございます」 「はい?」 「本来ここに着いたら裁判にかけられるはずでしたが、その裁判を延期させているのはソニアさんですよね?」 「……」 まあ、と驚くソニアさん。先程笑顔だった彼女は段々と真面目な顔へと変わっていく。 「本当は怖かったです。どんなことが待ち受けているのか。言語が分からなくてもきっと極刑を命じられる……ここで死ぬ覚悟も出来ていなかったんです。けれどみょうじさんのDVDを見て覚悟は決めました」 そう、彼女には未来がある。 もし彼女が僕の為に行動してくれるときがあったら、それは結果的に彼女の音楽を汚してしまう。そんなことして欲しくない。 「だから…」 「お待ちください、左右田さん」 ぴしゃりと頭の上から聞こえる声で言葉は途中で止まった。金属の擦れる音が響いている。それはソニアさんの手の中で鳴らしていた。数十個はあるだろう鍵の束だった。1つ取り出し檻の鍵穴に差し込んだ。 「……みょうじさんが今年の音楽祭に参加されます」 「え、」 音楽祭にみょうじさんが参加する。それを知った瞬間に胸の奥から込み上げてくる温かさを感じる。 「みょうじさんが…来てくれるんですね」 それが僕の為なのか分からない。けれど死んでしまう前にみょうじさんの演奏を聴けることが嬉しかった。そんな僕とは対照的に目の前のソニアさんは神妙そうな表情を浮かべる。 「みょうじさんを含めた音楽祭の参加者達を乗せた飛行機が昨日到着しました。ですが複数の参加者達が乗っていませんでした。調べた所、1人を除いてキャンセルをしたみたいです」 「その話……その1人って」 「…ええ。みょうじさんだけ乗った記録があるのです。しかし音楽祭のスタッフが迎えに行ったときにはみょうじさんは飛行機にいませんでした。失踪してしまったんです」 「そ、そんな………」 ドン底に叩き落された感覚。みょうじさんは何処へ行ってしまった? くらりと目眩がして思わず頭を片手で支える。 「…何処へ行ってしまったか目星はついております」 「えっ!」 「ここから少し歩きますが病院があります。そこの地下にいるかと…」 「ち、地下ですか?な、何で」 「…左右田さん、長い話を聞いてくれますか?」 「…は、はい」 檻の扉を開き、檻越しではなくしっかりと対面な状態となる。 ソニアさんは深く深呼吸をした後に苦しそうに打ち明ける。 「まず、左右田さんの不敬罪はあなたをみょうじさんから離すためのでっち上げです」 「…へっ!?」 「もう1つ、左右田さんとみょうじさんは既に出会っていますわ」 「ん?それは知っていますが?」 「ええと…なんて言えばよろしいでしょうか。あなたは2回記憶喪失してるのです」 「…ん、え、2回…?」 ソニアさんは考えながら話し始める。ソニアさんの話は分かりやすかったけど理解が出来なかった。未だにハテナマークを浮かべる僕にソニアさんは図を描いてくれました。 信じられない話だけど、僕はノヴォセリック王国にいたときの記憶とみょうじさんと過ごした記憶を失ってしまったらしい。 「……にわかに信じられません」 「そうですよね…。更に信じられないでしょうが、左右田さんはわたくしの独断で人為的に記憶を消させていただきました。それはみょうじさんも同じです。彼女も1回記憶を消させていただきました」 どうして、そう小さく呟くとソニアさんはノヴォセリック王国で起きた事件を教えてくれました。 僕は目の前のソニアさんとお付き合いしていたこと、音楽祭のことをみょうじさんに紹介したこと、そして…そこで僕が誰かに襲われてみょうじさんが守ったことも。 「…僕じゃなくてみょうじさんが罪に問われるのでは…?」 「本来ならそうですわ、ですがあの人はみょうじさんの罪よりも大きい罪を犯しました。みょうじさんの罪が埋もれてしまうほどの」 「そ、それは?」 「その人は左右田さんを襲った人達とグルでした。協力して左右田さんを追い詰めました。しかし仲間達はみょうじさんに襲われるという予期せぬ事態が起きました。ですが仲間達にはそのときまだ息がありました」 心に慄然とする何かを感じる。身近な人や自分がこんな恐ろしい事件に関わっているなんて信じられない。ぞくりと背筋が凍る。 「仲間達は病院に運ばれました。ですがその翌日に仲間2人は病室内で殺されてしまいましたわ」 「えっ……!?殺されたって!?」 「みょうじさんのつけた傷とは別に致命傷となり得る大きな傷がついていたのです。これでみょうじさんに疑いを向けられることは無くなりました。みょうじさんはそのとき記憶を消しているときですから」 「それは…」 「ええ、仲間が信頼していた主犯の人であり、みょうじさんを連れ去った人です。 あの人はこの事件をみょうじさんに伝えようとしましたが記憶を消されているみょうじさんには無意味でした。そして傍には左右田さんがいましたわ。 …左右田さんが交通事故に遭ったのは、あの人の仲間がしたことでしょう。お2人のどちらかを怪我させる為に」 「……え」 「あの人は取引が得意です。どちらかを重傷にして、その人を助ける代わりに何か恐ろしい要求をしようとしたのでしょう…」 交通事故…………。 そのとき身体中のありとあらゆる水分が逆流しそうなくらいの恐怖を感じた。 僕が記憶喪失してしまったあの事故が本当は僕達どちらかを怪我させるつもりだった…? その場に座り込みたくなる程に足が震えだす。大丈夫ですか?と心配そうに見つめるソニアさんに話を続けてください、とお願いした。 「ですが左右田さんは生きて、またもや記憶を失ってしまった。そこで左右田さんを不敬罪というでっち上げの罪を被せようとしました。あわよくば仲間を殺した罪を被せようとしたのでしょう。それが出来るほど権力を持っている方です。 ……大丈夫です、左右田さんはわたくしが守ってみせます」 「…ありがとうございます。でも、今はみょうじさんを助けないといけない。その病院の地下へ案内してください」 「ええ、もちろんです!左右田さんのことはわたくしから仮釈放とお伝えします」 僕は駆け足で走るソニアさんを追いかける。 入り組んだ城の中を駆け抜けて城の外へ出る。ソニアさんが周りを見渡しながら僕を案内してくれた。今思えば誰にも見つからなかったのはかなり幸運だと感じた。そう思っているとソニアさんがニコリと笑いながら、音楽祭の準備で大忙しなのです、と囁いた。 「……こ、ここが?」 ここです、とソニアさんに案内された病院は廃墟とも言える外装だった。壁はヒビ割れ、裂け目からは蔦のようなものが建物を守るように這い蹲っている。むしろ城の近くにこんな廃墟があったら誰も近づきたくないだろう。ここから見たら完全に人の気配なんてしない。 「ええ、国民の方が入らないような外装にしてます。これでも中は関係者しか入れないようセキュリティはしっかりしてますわ」 「ではこの中に…」 病院の廃墟と聞くと、お化けとか恐ろしいものに会いそうで手が震える。もしかしたら僕はこういうホラーには弱いみたいだ。 だけど、ソニアさんもいるから大丈夫。と心の中で言い聞かせ、建物の中へ入っていく。 自分の立てる足音に過剰に反応しながらも階段を降りていく。そこの先には扉があった。正面に手術中のランプが点灯している扉と左手側にある質素な扉…。どちらの扉にも隣には認証が必要そうな機械があった。 ソニアさんは質素な扉の隣にある機械に手を置くとガチャリと音が鳴った。 「左右田さん、この扉の先は制御室となっています。そこの窓ガラス越しにこの先の手術室が見えますわ。わたくしが犯人の気を引きつけますのでその隙に機械を停止させて欲しいのです」 「えっ…な、何を言っているのですか!?」 思わず声を上げてしまい、しーっとソニアさんに人差し指を立てられる。 無茶なことを…。そう告げる前にソニアさんはわずかに口角をあげた。 「大丈夫です。左右田さんなら"壊す"ことくらい造作ではありませんわ」 「壊す?」 「この記憶を消すという技術はトラウマを抱えてしまった者に行うものでした。ですが、それを行なったことで悲しい思いをする者もいました。そこはメリットがあればデメリットもあると割り切っていましたわ。ですが今回、犯人は自分の為に悪用しようとしています。みょうじさんを手を入れようと…」 「ソニアさん…」 「こんなことはもう起きて欲しくありません。どうかお願いします」 ペコリとお辞儀をするソニアさんの姿を見て引くに引けない状況となってしまった。自分に出来るかどうか不安ではあるもののやるしか無いようだ。分かりました、と制御室の扉のノブに手を掛けた。 僕が目にしたのは部屋の壁が窓ガラスだけになっていて、その部屋を埋め尽くす程の機械だ。ガラスの向こう側はよくドラマで見るような手術台、その上には懐かしいみょうじさんの眠る姿がいた。 「みょうじ、さん」 彼女の頭には数十本もののコードが纏わり付き、あまりの非現実な光景に凄まじい不安が襲いかかった。 彼女のそばに男性がいる。みょうじさんの手を取って何か話しかけているけどガラスの向こう側の声が聞こえない。 この男性がみょうじさんを連れ去った犯人で僕を殺そうとしていた人だと思うと全身から冷や汗が垂れてくる。 そしてソニアさんが向こう側に入って男性に向けて何かを言っているようだ。凛々しいという言葉が相応しい姿にハッと目を覚ます。今は立ち尽くしている場合ではない。 部屋は定期的な、まるで心音のような電子音が聞こえる。辺りを見渡して機械の様子を探ると、中心部にパソコンのような物があることに気がついた。辺りに操作出来るような物がないからきっとこれで操作するのだろう。 触っても問題なさそうなキーを叩くと、装置を停止させるという表示が小さく右下にある。これでいいのか、と思いながらカーソルを合わせて押すと機械の運転音が変わった。 ガチャリという音と共にパソコンの隣からある物が飛び出してくる。 「は?」 目を疑った。それは無数のコードが張り巡らされているパネル、パソコンの画面には完全停止方法が映し出されており詳しい説明が載っている。 しかし見た感じかなりの情報量で手段を間違えると大変なことになりそうだ。それこそガラスの向こう側でコードに繋がれているみょうじさんの頭に影響を及ぼしてしまいそうな程。 コードを外したり、繋げるだけで良さそうだ。僕は最初のページから読み取り、停止を試みた。時折ソニアさんの様子を見つつ、焦りを感じながらも作業を進めた。 「………?」 少しして僕は違和感に気づいた。確かに作業を進めている。けど、何かを見ていない気がする。…そうだ、パソコンのマニュアルだ。 いつの間にか僕はパソコンのマニュアルを見ずに作業を進めていたのだ。あれはこう、それはこっち…。 「どうして手が勝手に」 動いてしまうのだろう。すぐに画面の中のマニュアルを確認したものの全て合っている。この先のマニュアルも読んでみるとこれから自分がやろうとしていた所だ。まるで自身の手先が覚えているみたいにスラスラとコードを操っていく。 最後の手順を終わらせると急に辺りが真っ暗になり機械の光だけが辺りを照らす。パソコンの画面は機能停止という文字が出てきてその後真っ暗になり、何も動かなかった。 瞬間、部屋の明かりが点き始める。復旧したのだろうか。そんなことを考えていると制御室の扉が不意に開いた。ソニアさんだった。 よく見れば慌ただしい雰囲気だった。警察の服を着た人達がソニアさんの後ろをせかせかと走っている。 「左右田さん!流石です!犯人は捕らえましたわ!」 「犯人の注意を引きつけるなんてソニアさんも無茶なことをしますね」 「そうですか?こんなのお茶の子さいさいです!みょうじさんも無事みたいですわ!今からここではない病院へ行くのですが、左右田さんも行きますか?」 ソニアさんの言葉のお陰で下半身の力が抜けヘタリとそこに座り込んでしまう。ああ、助かった。本当に良かった。 「…はい」 僕の返答を待つソニアさんは僕の言葉にニコリと笑い手を差し伸べた。 「ふふ、会いに行きましょう。みょうじさんに」 果敢に助けるヒーローっぽくはないけど、結果的にみょうじさんを救えたのだろうか。 僕が彼女に会っていいのだろうか。その迷いなんてどうでもよくて。 ただ、無事な姿を見れればいい。そう思いながら僕はソニアさんの差し伸べた手を握った。 ……筈だった。 「……ッッ!」 突然頭痛が僕に襲いかかる。思わず頭を抱え込んだ。 「そ、左右田さんっ!?」 ソニアさんが僕の目線に合わせて座り込んでくれる。暫くはこんな頭痛起きなかったのに。 激しく何かが頭の中で目紛しく駆け抜ける。今までの頭痛なんて比じゃないくらいに痛い。 「……う、うあぁ」 助けて、という言葉も出ず呻き声を上げながら僕は気を失った。 |