青空が広がり、吹く風はとても暖かい。そういえばここら辺でも桜が咲いているって近所の人が言っていたなぁ。 春の訪れを感じつつ、店の中に入る。軽快なリズムを刻むペンギン殿堂のテーマソングが店中に響いてくる。 今回は前回とは違って買う予定の物があってここに来ていた。 準備が直前になってしまったが明日はノヴォセリック王国の来日パーティがある。そんな訳で身嗜みはいつもよりもしっかりしないといけない。 そんな訳で化粧品コーナーにいた。 「別にみょうじはメイクしなくても可愛いんだからいいんじゃねーの?」 化粧品を両手に特徴や成分を見比べていると隣から声が聞こえる。 化粧品だから1人で行くとは言ったがついてきた左右田君だ。 「普段ならまだしも、ほら、パーティだしさ」 「オレとしてはそんな粧さなくてもって感じだな。更に綺麗になったらどーしてくれんだよ!周りから狙われるし、…オレも理性がもたねーって」 「な、何恥ずかしいこと言ってんの!?」 恋人という関係になってから左右田君はいつものように振舞ってくるとはいえ、甘い言葉を使ってくるようになった。 私が普段言われ慣れてない故に目をそらしたり顔が赤くなったりしていたせいで今も左右田君はそんな言葉をからかい半分で言ってくる。 「まっ、パーティに参加してる程のすごい外国人だろーが、有名な音楽家だろーが、オレはぜってーにオメーを渡さないからな!」 「…うん、ありがと」 ニコニコと幸せそうに笑う左右田君を素直に喜べたらどんなに幸せになれただろうか。 1つ懸念がある。ノヴォセリック王国ということはソニア王女もそこにおわすということだ。 もしソニア王女に出逢ったのがきっかけで記憶が戻ったらどうなるだろうか。それで彼が戻りたいと言ったら…。 少し前の自分なら笑顔で彼を送り出せただろうか? いや、笑顔で送り出せなかっただろう。そのときは恋人関係になってはいないものの少なからず情が移っていた筈だから複雑な気持ちを持っていると思う。 今は?絶対に送り出せない自信がある。単なる想像なのにこんなに胸がチクチクと悲しい思いが刺さって痛い。 それにきっと彼も望んでいない。彼は優しい性格だから私の気持ちも汲み取ってしまう。だから悩んでしまうだろうな。 それは記憶を思い出してしまったらという仮説だ。単に思い出さなければいいだけなのだけれど。 それに、ソニア王女も気になる。少なくとも彼とお付き合いして、彼を国で整備士として働かせていたんだ。 そんな彼をフッたとしてもどうして記憶のなくなった彼に本当のことを言わなかったのだろう。 恐らく記憶を失ったのは彼の失恋したショックと仮定しても、ソニア王女は彼の渡航歴を高校の卒業旅行と偽っている。 「みょうじ?」 彼の言葉にビクリと反応する。 左右田君は肩が跳ねた私に目を丸くし、そこまで驚かなくても、と呟きながらこちらを心配そうに見つめた。 …とはいえ、ソニア王女に会えたとしてもこんな個人的なことを聞く機会もないだろう。私が考え過ぎかもしれないし。そう思うと少しだけ気が楽になれた気がする。 「…ごめんね。成分見てた。コレにしとく」 「はは、そんな成分ジッと見ても毒なんてねーだろ!…おっ香水新作だってよ。どれどれ」 左右田君が化粧品の先に目を向けたのは春の新作とポップが出ている可愛らしい小瓶の香水だ。テスターの香水を手に取った彼は自身の手を軽く吹きかけ、匂いを確認している。 「みょうじ」 「何?」 左右田君の方へ振り向くと、それと同時に手を取られる。 「ん、どうしたの?」 「いいから」 左右田君は私の手の上にテスターの香水をつけ、私の皮膚に馴染ませるように手を撫でられる。撫でられる手がとてもくすぐったい。ぐいと引かれたかと思えば私の手は既に左右田君の口元に寄せられる。手の甲にキス、なんてしなかったけど左右田君は私を見てニコッと笑った。 「え!」 「普段のオメーもイイ匂いだけど、この香水の匂いを纏ったオメーもイイじゃねーか」 「そ、そう?」 「買ってやるよ。パーティにつけて行きな」 そして左右田君から解放され、左右田君はカゴに新作の香水を入れた。 「い、いいよ!私がお金出すから!」 「いやいやいや!!何言ってんだよッ!オレからのプレゼントだと思えって!」 「プレゼント?……本当に?」 「えぇっ…オレ、そんなに信頼されてねーの?」 そう言うとあからさまにガックリして彼は私から目を逸らしてしまった。 「そんな訳ないよ!ただ驚いただけ!すごく嬉しいよ!」 「ほんとーかァ?」 「うん!その、ありがとっ!」 「うぉッッ!?」 彼のカゴを持っていない方の腕をぎゅっと組むと一瞬にして彼の頬が赤くなった。店内だから慌てるような素振りは見せないものの、どこか動作がぎこちなかった。 まるで初めて彼女が出来た中学生の男の子のような仕草に思わず吹き出してしまう。 「な、なんだよみょうじ!急にそんなことすんなって!」 「駄目だった?」 「だ、駄目じゃねーけどよォ…!」 「それならちょっとだけこうさせて。…ふふ、本当に良いね、この香水。私の右手からも左右田君の右手からも良い匂いする」 「…言い方ずりーんだよ」 恥ずかしそうに呟く左右田君が何だか可愛くて愛おしく感じる。 店の中であって誰かに見られてるのにも関わらずこんなことしてるという事実にやっと気づいた私は恥ずかしくて誰にも目を合わせられなかった。 そしてパーティ当日の夕方頃。車で行くのはご遠慮ください、と招待状に書かれていた為に私達は電車でパーティ会場へ来た。 「どうしたんだ」 「………ちょっと緊張」 「へー、オメーも」 会場の扉の前でからかわれてまた更に顔の熱が上がっていく。 「そんなとこも可愛いと思うぜ?」 「うー、……ありがと」 中に入ろうか、と促すと左右田君は小さく頷く。スーツ姿はバーテンダーのときと似ているけど、それでもやっぱり新鮮だ。派手な髪色でもよく似合っている。 受付の人に招待状を見せて、中に入ると外国の人や日本人が談話を続けている。 来日パーティということもあり、どの人も気品が高い。本当にこんな所にいていいのかと不安になる。 「パーティってスゲーな!オレみたいな一般人が縮こまっちゃうなァ」 「…ふふ、同じこと考えてた」 キョロキョロと珍しそうに周りを見渡す左右田君に笑みをこぼす。 ふと会場の照明が暗くなり、ステージ上には高貴なドレスを身に纏う女性が笑みを浮かべて佇んでいた。 あのお方がノヴォセリック王国のソニア王女だと一目で分かった。 「皆様、お集まりいただきありがとうございます」 なんて素敵な方…女性の私でも見惚れてしまう。 彼女のスピーチは聞きやすくうっとりとしてしまう。それは私だけではなく他の人も彼女の言葉に耳を傾ける。 「…本日は是非パーティを楽しんでください!」 若さ故のニコリと笑う姿はまるで太陽のような存在だ。そんな方と左右田君が付き合っていただなんて正直言って釣り合わなさそうだ。 …いや、超高校級同士と考えるとお似合い、かな。 彼女のスピーチを終えると、日本で有名な楽団が演奏を始める。 厳かなクラシックは正にこの場にピッタリだ。 心に響かせるものとは何なのだろう。 音楽を始めてから常に思っている。 完全なコピー音だけではいけない。抑揚もつけることが大切だがそれは曲の流れやタイミングが良ければ素晴らしいし、良くないと一気に不協和音になる。正に紙一重だ。 この楽団は演奏者同士のタイミングが絶妙でビリビリと心を震わせる。 「みょうじ?」 ハッと声のした方に振り向くと左右田君がグラスの中の飲み物を軽く飲んでいる。 「怖い顔してどうした?」 「そんなに怖いかな?考えていただけだよ」 「ま、冗談だって。オレも考え事してたし」 「そうなの?例えばどんな?」 「…ソニア、さんかな。やっぱかつての同級生だしな」 「…そっか、同級生が王女様なんて凄いもんね」 悲しい声を悟られないように平然と装う。 …瞬間、私の肩に左右田君の手がポンと置かれる。薄地のドレスから伝わる体温は熱かった。 「んっ!?」 「何だ?嫉妬か?」 彼はニヤニヤと私の顔に顔を近づける。こ、公共の場でこんな場所で何をしてくるのだろう。思わず身体が仰け反ってしまった。 「な、何?嫉妬なんか」 「いつものみょうじじゃねーな。これは動揺してるっつーことだな?」 「そ、左右田君…っ!」 「……確かに高校生のときは誰かと付き合ってた。それはソニアさんという可能性もあるけどよ…でも今はみょうじ一筋だぜ?」 「…ん、ありがとう」 「そうそう、素直じゃねーか」 彼の笑顔につられて自分も小さく笑った。こんな変なことを考えるのは彼に失礼だ。だって左右田君を信じていないということになってしまうから。 「失礼します」 背後から声を掛けられ振り向けばそこには黒いスーツの男性が立っていた。見た感じこの会場の運営だろうか。隣にいた左右田君も近寄ってきた男性を見つめる。 「みょうじ様でお間違いないでしょうか?」 「あ、えっと、はい。そうですが」 「みょうじ様をお呼びの方がいらっしゃいます」 私に…?全く心当たりがない。 戸惑っていると私と男性の間に左右田君が割り込む。バーで働いているときのような敬語で話しかける姿は未だに慣れない。 「どなたが呼んでいるのですか?」 「…この場では言えない方です。どうぞお連れ様もご一緒に」 何かを隠しているというよりは大事にしたくないといったような口調にますます疑問符がつく。 しかし、彼はその言葉で警戒心を解いたみたいだ。男性の後ろをついていく。 「左右田君、いいの?」 「…ああ、多分だが呼んでいるヤツが分かった」 「え、そうなの?」 廊下を歩きながら、その相手の名を聞こうとしたが男性が他とは違う豪華な扉に手をかけたときに察してしまった。 確かここは来賓の方々が使う部屋。ということはノヴォセリック王国の関係者だ。 扉を開けて私達を先に中に入れようとする。私、こんな所に入っていいのだろうかと思いつつ深くお辞儀をして中に入った。 「失礼します」 頭を上げると目の前にいた人物は私を見てぱあっと笑みを浮かべる。 「まあ…!あなたがみょうじさん!…あっ、左右田さんまで一緒に」 間違いない。ソニア王女様だ。 「そ、ソニアさん!久しぶりです!」 「ええ、卒業以来でしたわね」 「あのー、どうしてみょうじに?」 左右田君は私が思っていた疑問をソニア王女にぶつけてくれた。やはり同級生となると気軽に話しかけるものなんだ…。私ならあまりにも畏れ多くて言葉すらもまともに紡げないのに。 「ふふ、実は来日した直後にテレビの特集を観てまして、来日したら行きたいと思っていた遊園地の特集を観ていました。そしたらめちゃんこ綺麗なサックスの音色を奏でる女性が映っていたのです!」 め、めちゃんこ? 中々コアな言葉を使う王女だなんて思いながら2人の会話に耳をすます。 「わたくし感動しちゃいまして…そしたらパーティ参加者リストにみょうじさんがいるではありませんか!スーパーどころかハイパー興奮しちゃいました!ですので一度みょうじさんとお話してみようと思ったのです!」 「さっすがソニアさん!目の付け所が違います!みょうじは日本どころか世界一のサックス奏者ですよ!」 「…ち、ちょっと!?」 あれ、話が…? 「まあ!是非生音を聞いてみたいですわ!」 「あ、あの!その、サックス置いてきちゃってるんですよね…」 「それなら心配いりませんわ!ノヴォセリック王国は楽器も作るのです!こちらで良ければサックスをお貸ししますわ」 「…ええっ!?」 ソニア王女は部屋の奥にあった黒い楽器ケースを私の目の前に差し出す。 中は確かに新品同様のサックスだ。 よ、用意周到すぎないか…?そこまでされると断れないもので恐る恐るサックスを手に取る。 少しだけ吹いてチューニングをする。左右田君やソニア王女にじっと見つめられて恥ずかしいし何より緊張して心臓がバクバクと音を立てている。 「で、ではいきます」 恐る恐るサックスを吹き始める。遊園地で奏でたセレナーデ。ピアノ無しだから不十分かもしれないけど、充分ソロでも聴けるはず。 曲を吹き終えると甲高い拍手が聞こえてきた。 「ジーンとしましたわ!みょうじさんの演奏が聴けるだなんて!」 「えっと、良かったですか?」 「モチのロンです!ありがとうございます!」 目をキラキラと輝かせるソニア王女に左手を取られ強く握手される。きめ細やかな白い肌はとても気持ちいい。 ってボーッとしてちゃ駄目だ。 「えっと、お褒めにいただき感謝します」 「ふふ、歳が近いのに礼儀正しいですね」 「い、いえ。だって貴女は王女様ですし!」 「みょうじ、ソニアさんは優しいお方だぞ。普通に話せって」 「そういう左右田君だって敬語だよ!」 「う、うっせ!」 左右田君と会話をしているとソニア王女はニコニコと笑っている。微笑ましいと思っているのかどうかは分からなかったけど、何だか含みを持たせた笑顔だったのが引っかかった。 「さて…素敵な演奏を聞けたことですし、少しだけお話しましょうか」 そうしてソニア王女は、 A. 私に手を差し伸べた。 B.左右田君と目を合わせた。 |