「え、えーっと……総理?」 「今夜だけその呼び方はやめてもらいたい」 「何故、ですか?」 「…さあ、何故だろうな」 総理は私の目をじっと見つめてくる。やはりずっと見られるのはすごく恥ずかしい。 何で今夜だけ一般人として見てもらいたいのか。その意図が分からなかった。 「…やはりみょうじくんはみょうじくんだ」 「えっ?」 「…目が赤黒くなっていない。つまり、絶望の残党ではないってことだな」 彼は誇らしげに断言する。 少し今更感あるよなぁ…なんて思いながらも彼の話に耳を傾ける。 「僕の周りにいた者のうち2人は絶望の残党だったのだ。君を少しだけ疑ってしまったが潔白な人間だった」 「もちろんです、私は総理をお守りするんですから。私は絶望の残党ではありません」 「…………総理、ではなく僕を呼んでくれないか?」 「あっ………い、石丸さん」 「うむ」 私が彼の名前を呼ぶと石丸さんはニコリと笑う。どうして急にこんな行動をとったのだろう? 「まぁ、仕事の話を振ってしまったから仕方ない。一旦仕事の話を止めようではないか。僕には悩みがあるのだ」 「んん…悩みってなんですか?」 石丸さんは小さく呼吸をした後にそれは、と口を開いた。 「恋愛って何なのだろうなって」 「れ、恋愛ですか?」 石丸さんのような真面目な人だからてっきり真面目な仕事に関わるような話だと思っていたらまさかの恋バナというやつだ。これは厄介だ、と思った。 「うむ、例えば前にあった社長令嬢とかだ。みょうじくんはどう思う?」 「えっ」 しかもいきなり聞きたくない人の名前が出てきた。とはいえ、総理の奥様候補。率直な感想をそのまま伝えることにした。 「そうですね、やはり丁寧で礼儀正しい社長令嬢さんだと思います。笑顔も素晴らしいです」 「それは僕もそう思う…だが」 「……だが?」 「ビジョンが見えないんだ。昼に会話したがどうも気が合わない気がする」 思わず驚きの声を漏らしてしまう。意外だ、そんなことを思っていたのか。 「周りの人はステキな奥さんになれそうだとか羨ましいって声も上がるがどうも気が晴れなくてな」 「えぇ…石丸さんもそんなことを考えてたんですね」 「感情的に語るのも変な話だが、こんな政略じみた結婚で良いのかと不安なのだ。相手にこんな話を昼にしたら即答で「構いません、それで社が安泰になるなら」と答えた」 「………ん?何だか変わった答えですね」 「そうだろう?まるで僕との結婚がその企業に政治的な力を持つ為の通過点としか思ってなさそうだとそう感じてしまったのだ」 …なるほど。石丸さんは石丸さんで結婚ということを重視している。男性からしたら家庭を持つことだから、かな。 だけどお見合いを行なった彼女からしたら社の安泰の為に結婚するってことだ。つまり総理大臣という肩書きを持つ者と結婚すれば良い話。 …そう思うと少しだけイラッとしてしまう。彼女はそれで良いのかと。石丸さんと婚約して実は好きな人がいましたっていうことになったら目も当てられない。 もし自由に誰かとお付き合い出来るなら石丸さんとしたいものだ。 「…なんだか残念ですね」 「何がかね?」 「…まず、私は彼女を貶めようだなんて思っていません。 私は貴方に会ってから笑顔が爽やかな真面目そうな方だと感じられました。仕事に真摯で、自分が1番大変なはずなのに未来機関の人や…SPの人、そして私に向けて常に労いの言葉をかけてくれました。石丸さんは真面目で誠実、それに加えてとても優しい方です。 石丸さんに会った人達はこう思ったはずです。ただその魅力に気づけなかった彼女が少し残念だなと。 でも!きっと彼女もいつか分かってくれますよ!」 そう石丸さんに笑ったところで自分がどんなに臭いセリフを言っていたのか思い知り、顔の温度が急激に上がった。 石丸さんは私に対して驚いたような顔をしているし、これは私にドン引きしたのだろう。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。いや、今すぐ掘って隠れたいくらいだ。 「…ハハハ、実にみょうじくんらしい!」 「な、何だかすいません」 「何を言うか!君の熱弁ぶりは充分僕の心に響いたぞ!」 わー、恥ずかしいと毛布で顔を隠した。しばらくしてまた彼が私を呼ぶ声が聞こえ、恐る恐る毛布から顔を出す。 「…さっき僕を一般人の石丸清多夏として見てほしい、そう言った」 「はい、確かに言いましたね」 「君と仕事している相手は総理大臣だ。それは確かに僕だ。だが今からは一般人としての僕の言葉を聞いてほしい」 「…っ、は、はい」 今までの雰囲気が変わったような気がした。さっきまで笑顔だった石丸さんは真顔になり、その真剣な眼差しに目が離せなくなる。小屋の中は薄暗いはずなのに彼の赤い瞳の中の渦がぐるぐると渦巻いてみえた。 「今更気づいてしまったんだ。僕が君のことをずっと考えていたことを。………好きだ、みょうじくん」 「…っ!」 突然のことだった。本当に私の心臓や時が止まってしまった。…ような気がする。 「う、嬉しいです…」 「ほ、本当かねッ!?」 「…私も、お慕いしておりました」 そう呟くと石丸さんは顔を一瞬にして赤くし、硬直したように体が動かなくなった。あまりに初々しいものだから私の頬がするっと緩んだ。 「すごく、嬉しいです。あの、石丸さん…」 「な、な、なにか、ね?」 私だけじゃなくて彼までもがまだ硬直してるようでお互いの口がかなり震えている。 「あの、さっき血が出ちゃったから、体内の血液が少ないみたいで体が震えてるんです…抱きしめても良いですか?」 「そ、それはいけないッ!さあ僕の胸に飛び込むんだッ!!」 我ながら慣れないワガママを言ったが、石丸さんは快く腕を大きく広げる。私はゆっくりと石丸さんの胸に抱きつき、私の背中に腕が回される。 抱きしめて分かったことが石丸さんって着痩せするタイプなんだなって。スーツからでも石丸さんの体はかなり鍛えられていることが分かった。石丸さんの体はとても温かく、幸せな気分になる。 「苦しくはないか?」 「苦しいどころかとても気持ちいいです」 「それは嬉しいものだ、君もとても柔らかくて気持ちいいぞ……ハッ!け、けっ、決して変な意味で言ってないからな」 そう言われると変な意味で考えちゃうよ、そう思いながら小さく笑った。 ああ、神様。今夜だけ彼と恋することをお許しください。 「みょうじくん…」 彼は私の名前を呼びながら頭を撫でてくる。気持ち良かったりくすぐったかったりで温かい気持ちが溢れでてくる。 ずっと今夜が続けばいいのに。たった一夜だけ彼とこうしていられるのだから。明日にでもなれば彼は総理として仕事するしそれ以降もお見合いもするだろう。私は…SPとしていられるのかな?下手したらテロリストとして騒がれるかもしれない。そう思うと余計に明日を迎えたくなかった。 「そろそろ寝ようか。夜更かししたい気持ちはあるが体力温存が大切だ」 「はい、ですが眠くありませんので私は見張りしておきますね」 「そうか、眠くなったらしっかり寝るんだぞ」 「はい、電気消しますね」 「…みょうじくん」 「はい」 「…ありがとう、短かったが僕はすごく幸せだった。これが恋愛をするってことなのだなって勉強になった」 「こちらこそ、幸せでした。石丸さんとこのようなことが出来るなんて夢みたいです」 そう告げると石丸さんの両手が私の両頬を包む。 「んっ…石丸さん?」 「………みょうじくん、嫌ならいいんだが…接吻、しても?」 思わず噴き出しそうになるが心の中に収めた。まず今時の若者で接吻という表現はあまり使わない。だが硬派な彼らしい表現の仕方だ。それとここまでして断る理由があるのだろうか?そう思いながら私は両手で彼の腰に手を回した。 「はい…」 小さく縦に頷き目を閉じる。すると少しだけ間をおいて柔らかいものが唇に当たり体がついピクリと反応し、彼のスーツをギュッと掴む。 しばらくするとお互いの唇と彼の両手が頬から離れ、目を開ける。好きな人とキスをする事実が嬉しくも恥ずかしくもある。彼の腰に回していた手を離し、どうすればいいか分からずに毛布を両手で強く掴んだ。彼の方からありがとう、と声が聞こえる。 「みょうじくん、すまないが…電気を消してくれないか?」 「は、はい!」 それではおやすみなさい、と彼に言うと彼も笑顔でおやすみなさいと言ってきてくれた。 私はカチリとランタン型懐中電灯の電気を消す。周りは真っ暗で少し怖かったが、隣にいる彼の手の体温が伝わってきて恐怖は消え去った。 「…命に代えてもお守りします」 こんな素敵な人を死なせるわけにはいかない。そう決意して目を閉じる。 こんな状況じゃなければ彼の寝顔を見たかったなぁなんて思いながら規則的な寝息をたてる彼の手を優しく握った。 |