「では失礼する」 包帯を解かれ、そこへ総理が持ち出した薬草の汁とやらを擦り込まれる。 止血しかかっているとはいえ、傷口に染みて歯を食いしばる程の痛みだ。もぞもぞと足がバタついてしまう。 「もう少しだけ我慢してくれ…」 「は、はい」 総理は眉をしかめるも傷全体に擦り込んだ後、小屋にあった錆びたハサミで血がついた部分を切り取り、傷口を塞ぐ。女将に何回かぐるぐると巻かれた為か切り取っても充分な長さだ。 「これで大丈夫だ!」 「ありがとうございます…」 しっかりと包帯を巻くと彼は私に向けて微笑む。さっきまで総理が私の体に触れて手当てしてくれていたことを思い出すと鼓動が速くなってしまう。駄目、鼓動が速くなったら血行促進して止血しかかってる血がまた包帯に滲みそうだ。 忘れろ忘れろと自己暗示をかけているとフワリと毛布がかかる。 「幸いなことに小屋に毛布が2枚あった。これで今夜は過ごそう」 「え、……あ、ありがとうございます」 「ん?どうかしたか?」 「いえ、ここに留まっていてもいいのかってそう思っただけで」 「ふむ、…だが外を見たまえみょうじくん。もう夕日が沈みかかっているし何よりも山の中だからこれからも気温が下がっていく一方だ。ここで一夜過ごした方が良いと判断した」 それに、と総理は言葉を続けながら私の隣に座りその上にもう1枚の毛布を自身の上にかけた。 「傷を負った君を見捨ててまで逃げたくないからな」 隣から聞こえた言葉に思わず胸を押さえてしまう。ドクンドクンと鼓動がまた一瞬だけ速まった気がした。それと同時に江ノ島から聞かされた話も思い出してしまう。私が総理のことをお慕いしてることと、私がテロリストとして仕立て上げられていることを。 「夜も近いな」 総理は2人の間にコトと何かを置く。それはランタンのような形をしていて、カチリと総理が何かボタンを押すとオレンジ色の淡い光が小屋の隅にだけ照らされる。 「懐中電灯…ですか?」 「ああ、これも毛布と共に見つけた。幸い電池もまだある」 「優しい光ですね」 「そうだな」 私はその光を見続ける。さっきまで緊迫してたのにこの光を見るだけでホッと一息ついた。総理が見つけてくれた木の実も甘酸っぱくて美味しかった。 夜になって辺りも真っ暗だ。気温もさっきより随分と寒くなってきた。総理が毛布を見つけてきたお陰で凍えずに済みそうだ。風の音が辺りの木々を怪しく揺らす。まるでこれから何か恐ろしい怪物がやってきそうなそんな葉擦れだ。 「…………」 「…………」 「……みょうじくん」 「はい、何でしょうか?」 沈黙の中、総理に名前を呼ばれてそちらを振り向いた。辺りが薄暗くても総理の顔が赤くなっているのは目に見えて分かった。 「君は確か超高校級の便利屋と聞いた……それなら頼みたいことがあるのだ」 顔をリンゴのように赤くしてボソボソと呟く。何とも総理らしくない表情や声だけど、それがとても新鮮に感じられる。 「け、結婚の申し込みの、相手役をして欲しいのだ!」 顔を赤くしながら総理の綺麗な赤い目は私を真っすぐ捉える。プロポーズの練習と言った所…か。ちょっとした世間話をしたときも総理は恋愛事に詳しくないと言っていたっけ。 「…はい、構いませんよ」 「ああ助かる…みょうじくんにしか頼めなかったのだ」 「こんなときに、ですか?」 「…すまない、昼にお見合いがあっただろう?これからも何回か会うし、きっと僕からそう言わなければならない。だが、どうも予習をしないと緊張してしまってだな」 総理はいつもやってる考えごとをしているポーズに入る。その悩む姿は微笑ましいとも思えたが、あまり嬉しくなかった。 私は総理が好きと認識してしまった今、相手役に抜擢されても嬉しくなかった。出来ることなら"相手"に選ばれたかったが… そこまで考えた所で思考を止める。今は仕事。そう、彼に頼まれた仕事なのだ。総理の為に精一杯行うつもりだ。 「ふふ、分かりました。どうぞ、総理の好きなタイミングで」 「じ、じゃあ早速言うぞ…」 「…は、はい」 目線を斜め下に向けた総理はばっと前を向いて私と目線を合わせる。目力が強く総理の赤い瞳に吸い込まれそうだ。想いを寄せている人にこう見られると恥ずかしいと心の中で何回か叫んでいた。 「……さん」 彼が顔を赤くしながらも"相手"の名前を呼んだ。自分の下の名前だったらどんなに幸せなことか……胸にグサリとナイフが刺さったような痛みを覚える。 「……はい」 返事をする。きっとその声はふるふると震えていたことだろう。目の前の人はそんな名前なんかじゃないと。憤り…いや、悔しかったのかもしれない。 何故私は返事をしたのだろう。そう思っても「頼まれごとだから」と仕事のときの自分が現実を突きつけてくる。 どうやらこの便利屋は仕事以外の考え事をしている自分を"頼まれた仕事"へ戻そうと必死になっているようだ。仕事だから余計なことを考えるな、と勝手に思っているのだ。 秀でた才能を持っていても、その才能に縛られるだなんてなんて滑稽なんだ。そう私は心の中で自嘲した。 「……ぼ、僕と結婚してくれないか!?」 間をだいぶ取った後に言葉を振り絞る。言い終えた後に顔を真っ赤にする総理。今にも湯気が出てしまいそうだ。 そんな姿も素敵です。思わず笑みが溢れる。 「はい、よろしくお願いします…なんてね」 「お、おお…練習なのにも関わらず緊張はするものだな」 「悪くないですよ、といいますか…総理らしい告白ですね。そのような感じでも十分伝わりますし、断るなんてことないでしょう」 総理はうーむと唸りながら考え込み、私に向けて指をさした。 「いや、流石にこれはスムーズではないッ!何回も練習させてくれッ」 その言葉にはい、と返事をした。 これはつまりまた私に向かってあの人の名前を呼び続けるのだろう。私の心を殺す方法を得てしまったなんて総理も悪い人だ。 でも名前はともかく結婚してくださいと何回も言われるのだ。それだけでも良しとしよう。自分の中で言い聞かせながら総理のプロポーズ練習に付き合った。 「……っはぁ、ど、どうかね?」 「そ、そんな運動した後みたいな状態になってますが大丈夫ですか!?」 「ん、うむ、どうやら力を入れすぎてしまったようだ」 「熱血漢で真面目なプロポーズはどれも素敵でしたよ」 「ほ、本当かッ?」 「はい、プロポーズは完璧ですね!」 そう私は仮初めの笑顔を見せる。好きだ、結婚してください。沢山聞いてきてそれは幸せだったのだが、その言葉の前にどうしても別の人の名前が入ってしまう。仕方ないことなんだけど少しどんよりとした気分になってしまった。 「そうか…良かったか…」 総理は口元を少しだけ上に上げる。そんなに嬉しいのだろうか。完璧にした言葉はもう私に向けられないのだなって悲観的になってしまう。 「それならみょうじくん、もう1つお願いがあるのだが…いいかね?」 彼の言葉にはい、と反射的に返事をする。最早職業病である。とはいえ、総理の頼みごとだ。話を聞かなければならない。 私は総理の方へ向き直し、何でしょうかと呟く。 「今夜、一晩だけで良い。僕を只の一般人として、石丸清多夏として接して欲しい」 |